艦隊これくしょん×Fate/staynight   作:くまー

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1-6

 左腕が動かないことなど気にも止めていなかった。

 煩いほどに身体が痛みを訴えている事は無視した。

 動かせる右手を必死に伸ばすことしか考えていなかった。

 

 

 

 痛みで意識を飛ばして。痛みで意識を戻して。

 細切れのように飛び飛びになる視界は、気がつけば海中へと場面を移し、そうしてまた海面へと戻っていた。

 目の前には暗く染まりつつある空。

 壊れた機械のように耳障りな音の呼吸音。

 思い出したように痛みを訴える左腕。

 そしてずっしりと重い右腕。

 重たい、右腕。

 

「叢雲……」

 

 抱きかかえた少女はぐったりとしたまま身動き一つしない。元から青白かった顔色は白に染まり、海に沈んだせいか体温も殆ど感じられない。

 それでも鼓動を。抱きしめた身体からは、弱くても鼓動を感じる事は出来た。

 

「……生きている」

 

 そう。生きている。彼女は生きている。

 まだ、生きている。

 

「……なら、諦めるわけには」

 

 いかない。

 歯を強く噛み締め、士郎は前へ視線を向けた。

 既に太陽は沈んだ後。沈んだ光源に引っ張られるように、空の色も黒く染められていく。夜の帳が降りきるまでに、そう時間は必要としないだろう。

 その僅かな陽の光の名残を遮るように。不格好な夜よりも黒いシルエットが佇んでいる。

 ――――軽空母ヌ級。

 自分たちが生き残るためには、避けては通れない障害。

 

 ゴキッ、ゴキッ

 

 離れているというのに、相手が拳を鳴らす音が聞こえる。未だに死なない羽虫どもを殺そうと、意識を傾けた事を感じる。明確に狙いを定められているのが分かる。

 体内に残る力を総動員し、士郎は叢雲をしっかりと抱きしめ直した。視線はヌ級へ。そして足を動かし、少しずつでも足場へと移動する。海中ではロクに動く事が出来ないからだ。

 

 そうとも。

 

 例え状況がどんなに絶望的であっても。

 目の前に避けれないオワリがあっても。

 覆す事が出来ない未来であったとしても。

 

「諦めて、たまるか……っ」

 

 訳も分からず。

 こんなところで。

 助けてくれた恩も返せずに。 

 

 

 

「死んで、たまるか……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 艦これ×Fate ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちですっ、化け物ぉっ!!!」

 

 

 

 ヌ級の足に力が込められる。

 ヌ級の腕に力が込められる。

 二人を確実に殺すために。

 後は力を開放して、殺すだけ。2人を殺すために跳び、2人を殺すために着水し、2人を殺すために振るうだけ。

 難しい事ではない。不可能なことでもない。それをするに足る力をヌ級は持っている。

 逃れ得ない結末。今度こそ確実に。多少伸びただけの羽虫の命。

 だが。行うはずだった行動は、傍らから聞こえた第三者の声で強制的に止められる。

 

「あれは……」

 

 思わぬ声に士郎の意識もヌ級から外れる。

 声のほうに視線を向ければ、水上を走る一つの人影。

 

「……磯、波?」

 

 ボロボロのセーラー服。揺れる二本の三つ編み。怯えを隠せていない表情。

 間違いない。彼女は駆逐艦、磯波。この場所に案内されたときに出会った艦娘だ。

 という事は、皆帰ってきたのか?

 一瞬胸中に安堵の感情が広がったが、視界に移るのは彼女一人のみ。夜の帳で見えないわけではない。どこを探しても他の艦娘は見当たらなかった。

 

「早く逃げてくださいっ!」

 

 磯波の声に我に返る。安堵から一転して不安に染まった思考を振り払った。そうとも、他の事に気を回している場合ではない。

 言葉とともに響く銃撃音。士郎たちに狙いを定めていたヌ級だったが、突然の襲撃に行動を止めざるを得ない。一転して防御体勢に入り銃撃をやりすごすと、ヌ級は狙いを磯波へと変更した。

 当然、その隙を逃すわけにはいかない。

 危険を承知で士郎はヌ級から視線を切ると、近くの足場まで必死に泳ぐ。この場で士郎に出来ることなど無い。ならば磯波に任せるのが最良の選択だ。

 とは言え両腕が満足に使えぬ現状では、進める速度などたかが知れている。加えてここは海である。波や潮の流れが、余計に行く先を阻害する。

 

「くっそ……っ」

 

 夢の中で走る感覚。アレに似ている、と士郎は思った。濃密な空気の塊と海中という違いはあるが、殆ど進む事が出来ない点は共通している。その上自分はともかくとして、叢雲の呼吸は確保しなければならないので、余計に動きが限定されてしまう。

 視界外から聞こえる戦闘音だけが、今や士郎たちの命綱であった。この音が止むまでに足場に上がらなくてはならない。例えどのような決着が着いたとしても、海中に留まっている事は死と同義であった。磯波が無傷で相手を倒すなどと言う夢物語を抱けるほど、士郎は楽観主義者ではない。

 それに、何よりも。まずは叢雲を足場へ上げなければ。現状で最も死に瀕しているのは彼女なのだ。

 

「動っ、けぇぇ……っ!」

 

 絞り出すように士郎は声を出した。そして意識を左腕に集中させる。

 左腕は未だに動いてくれない。そのくせ先ほどから煩いほどに痛みを発し続けている。

 折れている、と士郎は思った。原因はすぐに思い当たった。

 先のヌ級の一撃。吹き飛ばされる際に、自らの左腕を盾に士郎は自身の頭部を守っていた。結局殆どの衝撃は左腕を通して全身を打ち据えたが、その代わりに頭部への致命的な一撃は免れていた。明確な代償は左腕一本のみ。左腕一本を犠牲に、今も士郎は生きている。

 ならば。左腕の犠牲は仕方がないと納得すべきなのが道理と言うものだ。

 

 ――――本当に?

 

「んなわけ……あるか……っ!」

 

 ピクリと。指先が動く。左手の指先が動く。反応した。

 動くなら、動かせる。繋がっているなら、動かせる。

 ならば。動かないなどという言葉は甘えでしかない。

 

「……ぐっ、がっ、ああっ、ああぁぁあああああああっ!!!」

 

 無理やりに左腕を動かす。激痛が脳へ駆け上がり、灼熱に焦がされるように神経が熱を帯びた。口からは叫び声が迸った。

 ……そら見ろ。動くじゃないか。

 歯を食いしばり、もう一度左腕を動かす。捩じ切れそうなくらいの痛みが駆け上がるが、それを無視して士郎は前へと進んだ。襲い来る波は気にもかからなかった。

 動けっ、動けっ、動けっ!

 激痛も一度体験してしまえば身構える事が出来る。飲み込む事が出来る。気にしなくなれる。

 ぎこちない左腕を力任せに動かして、必死に士郎は足場を目指した。後で左腕がどうなろうと知った事ではなかった。そんなものは『後』があれば考えればいいことだ。

 

「もう少し……っ」

 

 伸ばした左腕。激痛は噛み殺す。届くまで、あと少し。

 

「もう、少し……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 力を総動員して叢雲を横たえる。力の抜けた人間は大きな水袋と変わりない。海中ならいざ知らず、重力がかかる地上では、年下の少女といえど支えるには困難である。加えて今の士郎は不調の極みだ。

 自らも地上へ身体を移すと、大きく士郎は息を吐いた。疲労は限界に達している。正直気を失いそうだった。今にも倒れそうだった。

 もし。この場で倒れる事が出来るのならば。それは如何に良い事であろうか。

 勿論、そんなわけにはいかない。

 

「……ヌ級は」

 

 一息をつく間もなく、士郎は磯波とヌ級へ視線を向けた。既に世界は夜の闇に染まっているが、未だに続く戦闘音が二人の存在を証明してくれている。

 士郎は自らの視力を強化すると、それぞれの位置を確認した。光源は空の星や月明かりだけだが、強化さえすれば充分な視界を確保する事が出来る。

 そしてその眼球は。

 二人の苛烈な戦闘を映し出す。

 

「■■■■■■■――――っ!」

 

 雄叫びとともにヌ級は腕を振り下ろした。その一撃だけで水柱が立ち上り、大波が起きる。それだけで先の士郎への一撃が如何に加減されていたものかが分かった。あんな一撃を喰らえば、人体など容易に四散する。

 だが当然。磯波はその一撃を避けていた。最小限の動きで避け、カウンター代わりに蹴りを喰らわすことすらしていた。彼女の眼はヌ級の動きを捉えていた。

 それでもヌ級には崩れない。怯んだ様子は見られない。それどころか力任せに次の一撃が放たれていた。

 

「……っ」

 

 あんなものと俺は張り合おうとしていたのか。改めて敵の強大に士郎は身震いする。よくもまぁ生きているものだ、と思った。

 見たところ二人の速さはほぼ同格。だが技術は磯波に分が、力は大いにヌ級に分がある。

 ヌ級の動きは至って我流である。一見すれば隙だらけの動きなのだ。だが耐久性が異様に高く、一撃を喰らっただけでは怯まない。喰らっても構わずに次の一撃を放ってくる。

 パワータイプもここまで極められると厄介である。事実として磯波も強くは前に出られていない。隙があればどうにか牽制代わりの蹴りを喰らわすのが限界といった様相だった。

 あれでは手に持つ武装も放つ間もない。

 

「……何か、手は」

 

 捨てていないということは、磯波が持つ武装はまだ使える筈だ。そして磯波が相手の隙を窺っているのは明白だった。

 縋るように士郎は周囲を見渡した。何か状況を打開できる代物がないかという、淡い期待を抱いてのものだった。

 だがそんな簡単に上手くいけば苦労しない。

 

「じゃあ……」

 

 作るしかない。他から持ってくる当てがないのなら、作るしかない。

 周囲を見渡しても動けるのは士郎だけ。ならば例え無駄に終わろうとも、行動しなければ何も変わりやしない。

 急がなければならなかった。磯波の耐久力はもとより、士郎自身の体力は今も奪われつつある。このまま放っておけば一足歩くことすら困難になるだろう。状況を如何こうする話ではなくなる。

 笑いつつある膝に自らの拳で気合を入れると、士郎は強く歯を食いしばった。

 今しかない。

 今動くしかない。

 

「トレース、」

 

 無意識のうちに呪文を唱える。何時もの詞。自己を魔術師に変える定型句。

 武器が必要だと思った。

 左腕は使えない。

 右腕だけで振るえる武器を。

 一撃だけでいい。

 一瞬だけでいい。

 片手で扱える武器を。

 相手の気を、一瞬でいいから引ける一撃を――――っ!

 

「オンッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況は刻一刻と悪くなっていた。

 元より勝ち目の薄い戦いであると思っていたが、ヌ級の身体能力は予想以上だった。一撃とて喰らえない。喰らえば海の藻屑となる事は、考えるまでもなく明らかなことだった。

 ではどうするか、と磯波は考える。当然死ぬわけにはいかない。死ねば退避した二人も死ぬことになる。同じく逃げる事も却下だ。場所を覚えられてしまった以上、逃げる行為に意味はない。

 というか、そもそも。上記の行為を選択するならば、隠れるのを止めて出てきた意味がない。二人を守るために出てきた意味がない。

 そこまで考えて、磯波は考える事を止めた。考える余裕があるほど、敵は弱くはない。

 

 ――――衛宮さんと叢雲ちゃんは!?

 

 一撃を避けつつ二人に意識を飛ばす。只でさえ瀕死状態の二人のはずだが、磯波の眼は海上へ上がる二人の姿を捉えた。

 ……良かった。心の底から安堵する。まだ予断は許されないものの、海中に居るよりは二人の生存確率は上がるだろう。一先ずの目標は達成したと言って良い。

 ならば、

 

「ハァッ!」

 

 己を奮い立たせるように磯波は声をあげた。腹に力を入れ、目前の敵を見据える。

 振りかぶられた腕。迫りくる必滅の一撃。

 その一撃を最小限の回避すると、怯むことなくヌ級の腕に蹴りをぶち込んだ。渾身ともいえる一撃だった。

 

 ――――が、効かない

 

 背筋を走る悪寒に従うように、磯波は蹴りの反動を利用して背後へと退避した。浮力装置を器用に扱い、滑るようにして距離を空ける。

 同時に。目前に立つ水柱。

 そしてそれを突き破るようにして、拳が視界に広がった。

 

「――――っ!?」

 

 避けられたのは奇跡的だった。

 咄嗟に浮力装置を切る。支えを失った身体は重力に引かれ、海中へと沈む。加えて頭を下げることで、顔面を狙った一撃をギリギリのところで避けることができた。本当に奇跡的な所業だった。

 

「――――っ!」

 

 悲鳴を噛み殺し、磯波は前を向いた。再び浮力装置をオンにし、推進装置を最大限まで稼働させる。爆発音に近い音を立てながら磯波の身体が空中に飛び上がった。合わせて敵の腕を蹴りつけ、その反動でどうにか射程外にまで逃れる事が出来た。

 危なかった。肩を上下しながら、自分が生きている幸運を噛み締める。本当に、危なかった。

 一瞬だけ場が停滞する。思考と行動が重なるまでの絶妙すぎる時間。その間に磯波は自身の武器を構え直す。

 12.7cm連装砲。

 磯波が持つ、唯一の武器。

 最初に数発牽制代わりに放っただけなので、まだ中身はある筈。

 威力は乏しいが、残り全弾を相手にぶち込めれば倒すことは可能だ。

 だが、

 

 ――――隙が、無いっ!

 

 腕や足に当てても意味はない。かといって急所と呼べる箇所は分厚い装甲に覆われている。

 あの大開の口の中にぶち込めれば倒せるだろうが、現状ではそんな隙は見つからなかった。作ることすらできなかった。

 一瞬でいい。

 一呼吸分でいい。

 少しでも気が自分から逸れてくれれば、ヌ級を倒して見せよう。弾装が空になるまで撃ち続けよう。あの巨体を海に沈めて見せよう。

 だから、どうか、

 

 

 

 

 

 ――――少しでいいから / 隙を / 作ればいい――――っ!

 

 

 

 

 

 右腕に紫電が迸る。バチバチと音を立てながら、何も無いはずの空間にひと振りの片手剣が象られていく。如何なる手段か、黒色の片手剣が創り上げられていく。

 だが魔術とは魔力を用いて奇跡を再現する術の総称である。ならば現代の常識からは外れるのが道理であり、そう簡単に既存の技術で観測できるものでもない。理由を求める事が酷と言うものだ。

 そして。士郎自身も。

 今しがた自分が自分が行った行為に、彼は理由を求めていなかった。必要なのは手段と結果である。

 つまり。自分の手にある剣が、相手の隙を作るに足るモノかどうか。

 

 答えはYES。

 

 片手で器用に剣を構え直すと、士郎は両足に力を込めた。強化の魔術を足にかけ、腰を落とす。狙いは当然、未だに暴れまわっているヌ級である。

 その距離。大凡十メートル。

 跳ぶには遠すぎる距離。オリンピックの金メダリストでも、あの距離は跳べまい。

 だが、強化の魔術をかければ。そんな普通の線引きは容易く超えられる。

 

「……悪い。少し、待っていてくれ」

 

 背後に視線を向け、横たわる叢雲に言葉を零す。

 そうして、

 

「ハァッ!」

 

 掛け声とともに士郎の体は空中へと跳び上がった。まるでライナー性の弾道のように。最短距離を、跳ぶ。

 同時に。脳に響く破壊音。

 足場が壊れたわけではない。その音は身体から聞こえていた。現在進行で聞こえていた。

 ならば。壊れたのは。

 跳んだはずの両足。

 

 ――――術が甘いっ!

 

 なんてことはない。強化による負荷に耐えきれずに骨が砕けた。ただそれだけのこと。

 もう二度と今までみたいには動けないかな。思わずそんな事を考え、士郎は自嘲気味に笑みを零した。

 よくもまぁ、今の状況でそんな事に気を回す余裕がある。

 何度でも言おう。そんなことは『後』で考えればいいことだ。

 痛みも、意識も。すっぱりと思考から切り捨てると、士郎は剣を振り上げた。減速する暇もなく、そのまま身体ごとヌ級へと突っ込んだ。

 

 ズブリ。

 

 肉を割く感触。そうして身体を濡らす、海水よりも冷たく汚泥よりも悍ましい何か。

 

「■■……■■■■■■■――――っ!」

「チィッ!」

 

 タイミング良く反転されたせいで、剣を突き刺せたのは敵の左腕。鎧を避けて攻撃はできたものの、これでは動きを阻害できない。

 さらに悪い事に。基本骨子が甘かったのか、左腕を深々と切り裂いたものの、振り払われると同時に剣は消え去った。虚空へと霧散した。

 衛宮士郎に行えた事はそこまで。

 身は空中へ。投げだされた身体では抵抗は出来ない。相手はすでに目標を士郎に変え、次弾である右腕を振りかぶっている。

 逃れられない死。此処がオワリ。衛宮士郎の早すぎる終着点。

 

 

 

「充分ですっ!」

 

 

 

 だが。最低限の目的だけは果たせた。

 

「これでっ!」

 

 視線が切られる。意識が外れる。振りかぶられた右腕は磯波を向いてはいなかった。

 隙。明確すぎる、隙。

 開ききった口に手をかけ、磯波は体を空中へと躍らせた。千載一遇のチャンス。右手には12.7cm連装砲。その砲撃口を、右手ごとヌ級の口の中に突っ込む。

 士郎に向けられていた意識が、一瞬だけ磯波へと向けられる。

 だが、もう遅い。

 

「沈んでぇぇえええええええっ!!!」

 

 引き金を引く。照準を合わせる必要はない。砲撃口を確認する必要もない。フルオートかセミオートかを考える必要もない。

 ただ引く。引き金を引き続ける。感覚すら失せても、ただ引き続ける。そこに躊躇いなどあるはずもなかった。

 漏れ出る金切声。悲鳴とも呻き声ともつかぬ断末魔。そして肉を破り、鎧の前に跳弾する音。

 鋼鉄に覆われたヌ級にとって、口内から侵入した銃弾を逃す術はなかった。放たれた弾が体内を蹂躙していく様相を、ヌ級は最期の最期まで感じ取らざるを得なかった。

 

「■……■■……」

 

 全弾を発射しきると、磯波は12.7cm連装砲を手放した。そしてつっかえ棒のようにしてヌ級の口に挟みこんだまま、渾身の力で顎を蹴り飛ばした。

 砕ける歯。飛び散る破片。もう衝撃を支える力もない。

 握りしめられたままの右拳が絆されていく。天に掌を向けるようにして、ぐらりと巨体が傾いた。

 そうして。背から海中に沈む。

 先ほどまでの暴力的な動きが嘘のように、どこまでも静かに沈んでいく。

 

「……はぁっ、はぁっ」

 

 その様子を最後まで見届け。思い出したかのように磯波は荒い呼吸を繰り返した。呼吸を忘れるほどに彼女は集中していた。掴んだ僅かなチャンスを逃さぬ事に、全神経を傾けていたのだ。

 もう。ヌ級は目覚めない。

 僅かにあった青白い光は消え去った。沈みゆくヌ級に命の光は見られない。今やソレはただの残骸であった。海底に眠ろうとする残骸でしかなかった。

 

 




おまけ(と言う名のNG)


 抱きかかえた少女はぐったりとしたまま身動き一つしない。元から青白かった顔色は白に染まり、海に沈んだせいか体温も殆ど感じられない。
 それでも鼓動を。抱きしめた身体からは、弱くても鼓動を感じる事は出来た。

「……ぃ」
「叢雲!?」
「……ぁ……ぃ」
「叢雲、大丈夫か!? しっかりしろ!」
「……ぜ」
「ぜ?」
「……善哉が……食べたい」
「……余裕そうだな、おい」
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