転入して初めての週末。
酩酊したマウンテンゴリラが無遠慮に自室に侵入してきた。
「ほーくさーい、今日暇でしょ? ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど」
「やなこった」
そぉい。
ごきり。
「ねえ、北斎。暇だよね? 七浜行くけど、一人じゃあれだからさ」
「ふ、ふざけんな……」
そぉい。
めきり。
「北斎? ねえいいでしょ?」
「お、お前、ちょっ……!」
そぉい。
ばきり。
「北斎?」
「わぁい! 弁慶さんとお出かけ! 楽しみだなぁっ!」
などと、微笑ましい一幕の後。オレはせっかくの休日を返上して人間の外見を精巧に模したローランドゴリラに奉仕することに相成った。
いかに人間と姿形が近しいとは言え油断は一切許されない。ヒトとゴリラでは意思の疎通など望むべくもないし、ましてや腕力がこちらの数倍もあるのだ。些細なことから凄惨な姿に変えられる可能性は非常に高いと断言できる。
オレは心の中で左手中指を天高く掲げ、ひたすらに武蔵坊弁慶なる存在に災いが降りかかることを祈っていた。
以前見えるところで中指を立てていたらふん捕まえられ、ワイパーのように激しい左右運動を加えられた経験から、現在はこうして心の中だけで勘弁してやることにしたのである。マジ感謝しろ、このアホ。
初等教育を受けた者ならば誰しも人間の指の可動域を把握してそうなものだが、弁慶が笑顔のまま実行したのは記憶に新しい。美人だが、全然可愛くなかった、このボケ。立ち往生しろ。
さて、そんな大迷惑という言葉を意のままに使いこなす九鬼式弁慶が目指す先は酒屋である。
仮にも年頃の乙女がデートスポット豊かな七浜に降り立つのだ、もっとこう、色彩で例えるならピンクっぽい場所に足を向けてもよかろうに。
七浜行きの電車に揺られながら、痛む節々を擦りつつ、地獄の底から響くような声色で怨敵に問う。
「ていうかなんで態々七浜よ? 酒屋なら川神にも腐るほどあるでしょうが」
「腐るほどあるから、もう腐るほど行ったの。良いじゃんたまには。暇でしょ、付き合ってよ」
つまりまだ見ぬ酒との出会いを求めて電車でゴーということらしい。
オレらはまだ未成年だから当然のように飲酒など出来ない。彼女ももちろんそんなことは分かっており、いずれ成人した時の楽しみとして、今から少しずつ酒を買いそろえておくのだとか。なんとも言えない趣味である。
「奇特な奴だな。酒がそんなにいいのかね」
「さあ? まだ飲んだことないから。少なくとも、川神水はおいしーよー?」
ほれ、と杯を押し付けてくる。
いらん、と断る。ことあるごとに進めてくるがオレは川神水など飲んだことがない。
ノンアルコールで酔える? その謳い文句だけて胡散臭い。
「なんにせよ買い物なら義経誘えよ。アイツなら嫌がんないでしょうに」
「しつこいなぁ。私と出掛けるのがそんなに不満? それに義経は転入してこっち、ずっと決闘続きだったからね。たまには休ませてあげないと」
「オレはいいんかい。これでも結構疲れてるっつーに」
昨日は金曜、つまり変態マッド共に『いや、らめぇ!』される日だったので身体の節々が痛むのである。
「疲れてるって、例のバイト? 代行業だっけ、与一が食い付いてたね」
疲労の原因は確かにそれもある。転入翌日から始めた代行業だが、これが中々おもしろい。
響きダーティーだけど、地味な作業多いから与一的には微妙と見てるが。まあ給料が週払いなのが大変よろしい。
ああ、そう言えば、
「その代行業でな、バーテンの手伝いすることになったんだよ」
「うわっ、似合わなそう」
「ほっとけ。それでさ、そのバーテン、もう一人くらい人が欲しいんだって。弁慶、よかったらどうだ?」
「……うーん」
めんどい、と即答しないってことは興味自体はあるようだ。しかし生来の物臭さが労働という行為を忌避しているご様子で弁慶は悩ましげに唸り、川神水を飲んだ。ちゃんと考えてるかあやしいもんだ。
「ねえ北斎、返事すぐじゃなきゃダメかな?」
「ん? よく知らんけどいいんじゃないか? オレもダメ元で声かけてみろって言われただけだしな。けどアル中のお前にピッタリだと思うぞ、なんたって酒に囲まれてるんだからな」
「一言多いんだよな、この男は」
軽くつねられた。
「ぎゃああああああっ!!」
「……いや、そこまで強くしてないから」
「見ろ北斎。色んな銘柄がたくさんある」
こうしてはしゃぐ姿を見ると弁慶も女の子なんだなぁと思ったりする、だがうっとりと一升瓶を抱えているので直ぐに気の迷いだと思い直した。
七浜の酒屋は弁慶の想像以上だったようで、心なしか足取りも軽い。日頃ナメクジのようにダラダラしてるからか変わりようは顕著だった。
「おお、結構洋酒もあるんだな。北斎、これなんだかわかる?」
「知らん」
こっちはバーテン初めてまだ一週間未満だぞ。分かるわけがない。
「ふふん、じゃあ私が簡単なクイズを出してやろう」
「いや、パスで」
「カルテルのクイズだ。正解したらご褒美あり」
「聞いてる?」
「不正解なら制裁あり」
「おい聞いてる!?」
「第1問!」
「聞けアル中女!」
川神水をぐいっと弁慶。
「スクリュードライバー。さて何を混ぜる?」
「スクリューとドライバー」
「不正解」
違うのかよ。
正解はオレンジジュースとウォッカらしい。どういう行程を経てこんな名前になったのか切実に訊ねたい。
「第2問」
「え、続くの?」
「ジントニック。レシピは?」
トニックって炭酸水だよな? で、ジンはジンだろ。ってことはジンとトニック? いやいや待て待て単純すぎる。オレンジジュースとウォッカがスクリュードライバーなんて必殺技みたいなお名前頂戴してんだ。シンプルである筈がない。
きっとあれだよ、誰が名前付けたのか知らんけど、捻るのが格好いいとか与一みたいな奴がいたんだよ。
よってジンとトニックは全く関係ないに違いない。
「トマトジュースとビール!」
「正解はジンとトニック」
「ふざけやがって!」
法則性がみえてこないんですけど!
「北斎大丈夫なの? そんなんでバーテンできるわけ」
「オレが酒なんて出すわけないだろ。掃除とかしかしてないっての」
「ちなみに次が最終問題ね。不正解なら制裁決定」
こんな理不尽がありえるのか。
「制裁ってなんだよ?」
「私に酒を贈呈する」
「今日連行された意味がよくわかった」
このクソゴリラめ。
悪態の1つも付きたくなる。右手に川神水。左手に日本酒。そして背中に武蔵坊というスタイルで九鬼ビルまでの道を嫌々歩く。
この女、1日中川神水を好き勝手かっ食らい、先ほどつぶれやがった。どんだけ自由だ、羨ましいわ。
七浜に捨ててきてもよかったが、翌日以降の報復行動を考えればそんなリスクは犯せない。
仕方がなく、血涙を流す程、ほんっとーに仕方がなくこうして背負って連れて帰ってやってるわけだ。
アル中の分際でけしからんスタイルしていやがるもんだから、背負ってしまうと否応なしに生暖かく、柔らかいものが押し付けられる。
が! オレは全く欲情しない。大体弁慶など背負い慣れており、今さらなんの感慨もない。こうするのも1度や2度ではないからだ。
今背中にいるのが清楚さんだったらオレのパンツが弾け飛ぶが、弁慶となると奴がパンツ姿でもピクリとも反応しない。
あー、ちきしょー。ひどい休日だよ。
結局、間の抜けたクイズとやらに敗北しても自分の酒は自分で買っていたし、最終的になにがしたかったんだこいつは。てっきりオレのバイト代を付け狙っての行動だと踏んでいたんだが。
「ほんと言うとさ」
背中から声。
「起きてんなら降りろよ」
つねられた。
「今日、七浜に北斎連れ出したのはちゃんと話がしたかったからなんだよね」
「オレは口もききたくないけどな」
真面目に聞けと少々刺のある声色で釘を刺された。
なんだってんだよ。
「私さ、正直、北斎は川神学園には来ないと思ってたんだよね。口には出さないけど多分主達もそう思ってる」
「はあ?」
意味が分からん。来たくないとは言ったが、オレに選択権なんてなかったろ。
「だって北斎、九鬼嫌いじゃん」
「今に始まったことじゃないだろ」
別に隠してない。周知の事実だ。
オレのような小僧一人が世界規模の財閥を嫌ったところでなんだって話ではあるのだけれども。
「私達と住んでるところ違うし」
クローン組で、オレだけは九鬼ビルに住んでない。そのすぐ近くの、九鬼とはなんの関係もないボロアパートに住んでいる。
幸い絵を描くことだけは得意なので、それを売れば家賃や生活費くらいはなんとかなる。
それにオレの九鬼嫌いもそんなに過剰なものでもない。
考え方が肌に合わないってだけで、例えば英雄とか、紋白とかとも普通に話すし、義経達に用があれば九鬼ビルにお邪魔することも抵抗はない。単純に用がないならからみたくない、疲れるから。そんな程度のニュアンスだ。
嫌いと言うか、煙たがっているという感覚に近い。
「私達とクラス違うし」
「それは実力」
傷口を抉るなよ。
「だから何て言うかこう、急に不安になったわけ。北斎勝手だし、急にいなくなりそう」
「誰も困らんだろ」
首絞められた。
なんとなく、弁慶の感じていることは分かる。
自分で言うのもあれだが、オレはクローン組で明らかに浮いている。振る舞いや実力もそうだが、一番は九鬼による扱いだろう。
弁慶含め義経達は何だかんだと大事にされてる。その分縛りも多いんだろうが、コイツらも子供じゃないんだ、手厚く守られているっていうような感覚はあるんだろう。
オレにはそれがまるでない。例えば与一が九鬼ビルから出て生活すると訴えても許可なんておりなかったことだろう。オレだから許可されたのだ。どっちでもいいオレだから。
「まあどっちでもいいんだけどな」
心の底からそう思ってるので雑じり気なしの本心を伝える。
だが、ここはあえておちゃらけてみようと鼻くそをほじった。
汚ない手で川神水に触るなと今日一番の暴行を受けた。
空気を読むって難しい。
「川神に来る前はクラスも住むところも一緒だったしな。急に離れて寂しくなったのか?」
からかってみた。
「そうだね」
即答された。
多少言葉を選ぶ。
「単に環境がほんの少し変わったってだけだろ。今までとなにも変わってないっての」
「そ。ならいいけどさ。勝手なことしたら容赦しないからね」
恐ろしげなことを言って軽やかに背中から離れる。
そんなしなやかに動けるなら自分の足で歩けただろ。
「義経や与一、清楚先輩もちゃんと安心させなよ。急に会う機会が減って皆思うところあるだろうから」
はいはい。
□□□
夜。
与一の部屋に不法侵入したオレは拳を突き上げかく語る。
「清楚さんのおっぱいが見たい」
「お前は一体なにを言っているんだ?」
与一にゴミのような目で見られた。屈辱である。
「なあ与一。オレの名前を言ってみろ」
「北斎だろ。葛飾北斎」
「オレは誰のクローンだ?」
「だから葛飾北斎だろうが」
「そうだろう? つまりはそういうことだ」
「ホントになに言ってんだお前」
ええい話の分からん奴だな。
「じゃあ与一、1つ聞くが葛飾北斎とはどんな奴だ?」
「変態で馬鹿」
失礼極まる。
「違う! オレじゃなくて偉人の方だ!」
「どんな奴って言われてもな……。画家だろ、浮世絵師」
「その通り。そんでもってクローンのオレも画家だ」
これで音楽家だったら笑うしかない。
「んで、知っての通りオレは定期的に絵を完成させなくちゃならん。それを売って生活費に当ててるからな」
「……変な意地張らずに、ここに住めばいいと思うがな」
なんとも言えない表情で与一は吐き捨てる。
それは切羽詰まったらにしておくよ。
「まあそれはいい。今大切なのは清楚さんのおっぱいだからな」
「話の流れがわかんねえんだけど」
ここまで言ってわからんとか、コイツ頭大丈夫かな?
「お前なぁ、北斎と言ったら絵。絵と言ったらお前そりゃもう春画っきゃないだろ。馬鹿じゃないのか?」
「いや、馬鹿はお前だ」
春画。つまりエッチな絵のことである。
「いいか与一。オレは今の今まで色んな絵を描いてきたがこれまで1度も春画に手を出したことはない。なぜか分かるか?」
「この話聞かなきゃダメか?」
与一の奴、飽きてきたな。ええい、仕方がない。
オレは舞台俳優もかくやの大仰な仕草で右目を塞いで声をはる。
「っ!? よ、与一! 離れろ」
「! どうした? 大丈夫か!?」
どちらかと言えば大丈夫ではない。
オレはおもむろに苦しみ出した。
「まさか、くそ、そんな……もうなのかっ! こんな筈では。まだ猶予はあるのではなかったのかっ!」
「……! 北斎、お前まさか、その瞳、ミレニアムドミニオン(千年支配領域)かっ!?」
ミレ……なんだって?
「知っているなら話は早……いや、もう遅い、お前だけでも逃げろ!」
「フ。馬鹿を言え、1度制御から解き放たれたミレニアムドミニオンから逃れられん。例え俺が亜光速で動けても確実に補足されるだろう」
マジで? ヤバイじゃん。どうすんのこれ。
「こうなれば取れる手段は1つしかない。そうだな?」
「ふ」
その取れる手段とやらを知らんので、とりあえず意味深に笑っておいた。与一は満足げに頷いた。
「領域は常に支配者を変えていく。その瞳を我がクライマティックサイン(天候の中指)の支配下におけば……!」
「馬鹿っ……! そしたら、お前はっ!」
「分かってる。分の悪い賭けだが、手をこまねいているよりはマシだろうさ」
諦めたように笑う美形。この表情で落ちる女も多いだろうに、どうして与一は与一なんだろう。
「――! 与一、そうだ、清楚さんだ!」
「彼女がどうかしたのか?」
「清楚さんにはあれがある! あれだその! あれなんだよ! あれだ! あれだあれ! あれだっつってんだろバカ! 上手く繋げ!」
くっそ、思い付かん。なんかこう、カタカナに漢字のルビ振るやつだよ!
「ま、まさか当代のクラウンヴォイド(王国の孔)だと言うのかっ!? それならばっ!」
「ああ、そう悪い賭けにもならんだろうさ」
「直ぐ連れてくる!」
凄まじい速度でかけていく。やはり英雄。運動能力が桁違いだ。
直ぐに清楚さんを連れて与一が戻ってきた。
「ほっくん! 突然苦しみ出したって聞いたけど、大丈夫!?」
うん、前から思ってたけどこの人も大概だよね。
だって与一より足速いんだぜ? 今はいいけど。
「ぐっ! 清楚さん、すいません。どうやらオレはこのまでのようです」
「そんなっ、急に、どうしてっ」
「最後にオレの願いを、叶えてくれますか」
「わかったからしっかりしなさい! 今与一君が他の……」
「おっぱいが見たいんです。貴女の」
「…………はい?」
オレは言った。
正直言って与一と寸劇やってたときからこれもうヤバイ収集がつかない誰か止めたくれと思っていたんだが、ここまできたら開き直るしかない。せめて当初の目的は果たさなければなるまい。
「ぐはっ、死ぬ前に、清楚さんのおっぱいが見れれば、それで……」
ていうか夕方弁慶に押し付けられたから意識しちゃうけど、オレってそもそも胸より尻派なんだよなぁ。今から軌道修正出来ないだろうか。
「いや、おっぱいだけでなく、その美しいお尻も拝むことが出来たのならば……オレはひょっとしたら生にしがみつけるかもしれない」
「小僧。これでもしも仮病などと抜かそうものなら――串刺しの覚悟は出来ているんだろうな」
怪物が現れた。
「ボクは止めました。でも与一君が清楚さんのおっぱい見たいからどうしてもやれと脅されました。従わなければ僕の大切な筆を自分の尻に突っ込むと」
「おい! お前マジか! ふざけんな!」
「ジェノサイド――!」
生死の境をさ迷った。
あの不良執事め。いつか泣かす。オレ以外の誰かが。
「もうっ、本当に心配したんだからねっ」
清楚さんは今もってぷりぷり立腹していらっしゃる。ほええ、かわゆいよぉ。怒る姿も様になるよぉ。
「悪ふざけにも限度があるよ。遊ぶなとは言わないけど、今後こういう心臓に悪いのは禁止だからね、分かった?」
「ふぁい」
舐めくさった返事になったのは清楚さんを舐めくさってるわけではなく、不良執事に顔面蹴り飛ばされて腫れているからである。
オレは直ぐに目覚めたが、与一は今だ昏倒中。アイツの方が強めに蹴飛ばされたらしい。罪の重さではなく、自力の強さを考慮した裁量だろう。もし罪の重さで判決が下っていれば今頃オレは生きていない。
すまん、与一。今度なんか奢る。
こう、ごてごてした、十字架とか髑髏のネックレスとか買うよ。好きだろ、お前。
心の中でわりと真摯に友人に詫びつつ、知りうる限り最高の美を兼ね備えた先輩に向き直る。
「もう、ほっくん。どうしてこんなことしたの?」
「清楚さんのおっぱいが見たいからです」
「聞き間違えじゃあなかったんだね……。ほっくんも男の子だし、そういう時もあるかも知れないけど…」
項垂れる女神。
しかしオレは偽らざる本心を胸をはって堂々と答える。
「誓って邪な気持ちはありません。そうですね、多少誤解があるようですから順を追って説明しましょう」
「うん?」
「いいですか、まず貴女はとても美しい」
「……あ、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
赤面する清楚さん。
その倍は赤面するオレ。
「清楚さんはオレが絵を描くことは知ってますよね」
「もちろん、私のことも描いてくれたじゃない。大事に飾ってあるんだから」
清楚さんに限らず、クローン組の絵は一通り描いて渡したことがある。
ちなみに一番せがんでくるのは弁慶だったりする。
「今回の件は絵関係なんですよ。ぶっちゃけ言うと春画ですが」
「ああ、そういう」
納得の表情の清楚さん。
春画と聞いて取り乱したりしないところはさすがの文学少女である。
春画はなにも性欲を刺激する為に存在しているわけではない。無論、そうした側面があるのも事実だし、否定はしない。しかし裸体というのはそれだけで美しいのである。
これはなにも絵に限った話ではない。例えば彫刻などにも一糸纏わぬ人間の姿で表現する作品は数多い。
それを見て卑猥な気分になるのならば作者がそれを狙ったからに過ぎない。しかし中には異性の恥部がさらけ出されても、恥じらいや劣情、それよりも先に美しいと感じた経験はないだろうか。裸体で表現出来るのは、見るものに与える感情は淫靡なものだけではないのだ。
むしろそこには無垢さ、純粋さだって汲み取れる。
「今まで春画は描いてきませんでした。別に嫌っていたわけではなく、モデルの成長を待っていたんですよ」
言うまでもなく、清楚さんだ。
「これまで何度も春画は描こうとしてきましたが、清楚さん、オレは貴女を描きたいと思っています。美しい貴女を」
「ほっくん……」
オレの邪なものが欠片も混ざらない、純真な瞳を見て感じ入るものがあったんだろう。清楚さんは感銘を受けているようだった。
「ふ」
オレは思わずほくそ笑んでしまう。
これは決まったな。
「ほっくん!」
清楚さんは感動したらしい。
両手を握られた。
ちょっ! 近い近い近いっ!
うわ、手ぇ細っ、温か、やわらけぇ、スベスベだよおい、顔近っ睫毛長っ肌綺麗だなぁ鼻長けぇ。おおっ、いい香りする、なんかあれだわうん、こう、美味しいわ。臭いが美味しい。味がするわ清楚さんの香りって。なんて言うのかなぁ、わかる? 歯応えが違うよ。舌触りもいいよね。
「そんなに私の、その、裸がみたいだなんて……そんなに絵に対して真摯だったんだね」
つーかオレ大丈夫かな臭くない? 鼻毛出てない? 髪はねてない? イケる? オレイケてる? 大丈夫オレ、清楚さん大丈夫オレ。あれ、今、清楚さんなんか言った?
「春画も、うん、立派な芸術だもんね……私に出来ることがあれば」
頭が混乱して本音が脊髄反射で飛び出した。
「ぶっちゃけ絵とかどーでもいいんで清楚さんのおっぱいとお尻が見たいし触りたいです!」
頭突きを食らった。弁慶のより痛かった。
なんかオレ、今日ついてなくね?
酷い目にしかあってないんだけど。
こういう日はあれだ。義経だうん。彼女に会って癒されよう。
部屋の前で叫ぶ。
「よーしーつーねーちゃん! あーそーびーまーしょー!」
不在だった。
ちくしょー、とことんついてない。
「主の部屋の前でなにしてるのさ、北斎」
「ん、弁慶か。なんか今日よく会うな」
夕方まで一緒にいたからか新鮮味がない。
「主はこれから寝るまで鍛練だって、ついさっきまで私と居たんだけど」
「ありゃ、間が悪かったか」
「ふふふ」
「なに笑ってんだよ酔っ払い」
「いやね、北斎って天の邪鬼っぽく見えてわりと素直だよねー」
「はあ?」
なんだ、藪から棒に。
「その分だと、もう与一と清楚先輩には会ってきたんでしょ? ……ありがとね、皆、寂しがってたし」
「なんだそれ、意味わかんね」
踵を返す。
「もう帰るわ。いつまでも九鬼のビルにいると疲れるしー、気分悪くなるし。極力来たくないからな」
「明日のこの時間なら義経、いると思うよ。また明日ね」
「……ん」
また明日。