埋もれるアトリエ   作:乙祭

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『躾』~作法~

▲▲▲

 

宇佐美代行センターにて。

 

「しっかし、これ、ええっと『調教』?」

 

「『躾』です」

 

「ああ、『躾』、『躾』ねぇ。……うーん、『躾』か」

 

「なにか?」

 

「いや、なんつーのかな、この絵さ」

 

「なんでしょうか」

 

「……やっぱいいわ。俺みたいなのには、わからんのが芸術の世界だろうし。見る人間、選ぶものだろ」

 

「万人受けしないものを、完成された芸術とは呼ばないでしょう」

 

「ご立派。流石天才画家様の言葉には含蓄があるわ」

 

「からかわないでくださいよ」

 

「茶化してるだけだって」

 

「意味は同じでしょうに」

 

「ちょっとだけ違うんだなこれが。とは言え、『躾』ときたか。オジサンはてっきり源氏に絡めた絵が来るもんだとばかり思っていたんだが」

 

「源氏って源氏物語の?」

 

「いーや、義経とか弁慶の方の」

 

「どうしてまたそう思ったんですか?」

 

「ろくに学園に来ないからそんなリアクション出来るんだろうなぁ、お前は」

 

「行きましたよ。綾小路教諭と少しだけ話して帰りましたが」

 

「来たんなら授業にも出なさいよ。あの平安教師となに話したんだか」

 

「友達を紹介したんです。前々から会わせたいと思っていたので」

 

「友達? 絵無に? そんなのいたのか?」

 

「失礼な。教員の言葉とは思えませんね。僕にだって友人の一人や二人、当たり前のようにいますよ」

 

「悪い悪い。えーっと、なんの話だったか……そうそう源氏な。学園に来なくても、ニュースとかになってる筈だけど、知らない? テレビ見ないんだっけ?」

 

「見ないというか、テレビなんてもってませんよ。ついでに言うと、携帯電話も」

 

「アナログだなぁ。このご時世に不便じゃない?」

 

「特には。連絡をとる友人もいませんし」

 

「さっきと言ってること違くない? じゃあまあ、学園に来てみろよ。ビックリするから。なんたって義経だの弁慶だのが授業受けてるし」

 

「?」

 

「はははっ。そのリアクションが当然だよなぁ。百聞は一見にしかずだ。明日にでも顔を出しなって。単位もまずいだろ?」

 

「気が向いたら伺います」

 

「来なそうね。こりゃオジサンが先生として、生徒を躾なきゃダメかね、この絵みたく」

 

「そっちじゃありませんよ」

 

「ん?」

 

「人が人に行う躾ではありません。この絵に登場するのは人、それから獣です」

 

「人が獣を躾する?」

 

「まあ、そうですね」

 

「……うーん」

 

「なにか?」

 

「まあ、この際だから言わせて貰うけどさ、タイトル聞いたときからどうにも気になってたんだよ」

 

「なんでしょうか」

 

「だって、この絵、どうみても――――」

 

 

 

 

 

△△△

 

物語、と呼称される類いに嫌悪感を抱いたのは相当後になってのことだった。

両親が殺されるまでは物語、即ちそういった嗜好品に手を出すだけの金銭的、あるいは精神的余裕はなかったし、よしんばあったとしても嫌う理由を正しく認識出来たとは思えない。

よってそういったものに手を出したのは施設に鎮座されていた、手垢の付いた絵本が初めて、ということになる。

 

感想は一言。

 

『なにを終わってんだよ』

 

これである。

それである。

物語を嫌うのは、つまるところ終わるからである。

 

そもそも、なぜ終わるのか。

全く意味が分からないし、終わるというなら意味がない。

ふざけている。やる気がない。あまりにも出鱈目だ。

それは別に素敵極まる物語だったと言うわけでもない。あるいはそうだったのかもしれない。どちらでもいい。覚えていない。そんなところは何一つ重要ではない。

どうあれ終わった。完結した。身勝手に、理不尽に、最後のページの次がない。

 

なんでもそうだ。

誰でもそうだ。

この世のものはとかく終わることを良しとする。

別れたり、辞めたり、或いは死んだり。

納得できない落ち着かない。

これまでだってずっとそうで、それはおそらくこれからだってずっとそう。

 

だから彼は、病的なまでに貪欲に、終わりの果てを追い求めたのだ。

まるで自分だけが爪弾き。

この世界でただ一人の除け者で、

ひょっとしたら自分は、人間ではないのかもしれない、なんて錯覚を覚える程に。

 

この暴力には先がある。

 

この殺人には果てがある。

 

命が消えても次がある。

 

どこかできっと、素知らぬ顔してそっぽを向いて、一からスタートされるのだ。

 

なんとしてでも見付け出す。

 

 

 

 

 

これは板垣竜兵の物語である。

 

 

△△△

 

 

 

 

 

 

 

 

家族は好きだった。

理由はハッキリしている。単純に、便利だからだ。

人間は生まれて死ぬまで、自己の生活水準の向上を目指す種族というのが竜兵の考えである。偏に生活水準と言っても様々で、経済的な余裕、物資等の安定、精神的な平穏、まあ小難しいことはどちらでもいい。ざっくばらんに言えば豊かで、楽しく、幸せであればそれでよいのだ。そんなニュアンスの認識でこれまで困ったことはない。

そこへいくと家族と言うのは便利だ。と言うか、いないと不便である。

子供の時分では両親が居なければ生活水準どころか生きていくことさえ難しい。

両親の選択、というのはこれまた中々難しく、ぶっちゃけてしまうと運任せだ。子は産まれる先を選べない。まあ、世界有数の大富豪かつ聖人君子で子供好き、なんて優良物件は求めないが、それでも食うに困らないだけの経済的基盤と、一般的な価値観を兼ね備えているのならばおおよそ問題はないだろう。

 

しかし、竜兵は親のくじ運、という観点からすれば非常に不運な少年であった。

居ても居なくても、いや、居ない方がまだしもマシな部類の両親であり、故に竜兵が家族という概念に利便性を感じたのは、家族が家族を排除したその瞬間にこそ初めて生まれたと言うことになる。

まあ細かな詳細は省こう。

両親は屑だった。それ以上でも以下でもない。

要点だけかいつまんで説明するととにかく両方男好き、女好きで子供を作って放置する。挙げ句、遊戯感覚で肉体的にも精神的にも暴行を加えることも頻繁にあった。

一応は4姉妹、そして自分の5人ということになってはいるが姉妹のうちどれと血が繋がっているかわかったものではない。そもそも父親は長女にも満面の笑みでのし掛かって腰を振っていたし、血縁関係もモラルもなにもあったものではない。

 

とにかくまあ、そんな感じで、あれな両親なもんだから、自分達は週に一度は死にかけた。その度奇跡的に生き延びた。そんで奇跡が売り切れて、次女が父親に殴り殺された。

さしもの竜兵もあれには流石に堪えたものである。次女とは仲が良かったし、それなりに綺麗だった顔が失敗した福笑いみたくなっていたのは中々のトラウマものである。

竜兵、長女、四女はそれはそれは気落ちした。子供らしく無力を噛み締めたものである。

しかし、三女は違った。

勇敢にも、反撃に出た。

そうして、両親はいなくなった。

この世から。

 

とまあこんな経緯。

そこにどんな事情があるにせよ、竜兵達4人は10代にも満たないうちから社会に放り出されることになる。

 

 

 

 

 

頬骨を砕く感触が、右の拳を舐め回す。

回転、体重を乗せた渾身の拳打が殆ど無防備な顔面をとらえたのだ。経験上、頬骨だけではすむまい。奥歯、それから首の筋も強かに損傷していることはまず間違いなかった。

一瞬で不細工になった哀れで知能が足りない勢いだけはよかった愚かな坊やが白目をむく。身体が地に伏すよりもなお早く、意識は現実から逃避したらしい。

勿論、竜兵はそんなことは把握していた。

自分の拳をまともに受けたのだ。戦意と意識を保てる筈もない。あと1秒にもみたないでこの男は完全に崩れ落ち視界から消え失せる。

しかし竜兵はあと1秒も彼が視界に存在していることが我慢ならなかった。故に退けよ、とばかりに腹部を蹴り押して吹き飛ばす。男は人形のように折れ曲がって受け身もとれずに転がって、やがて停止した。

 

あとは静寂。

耳に突き刺さる沈黙。

この事態を演出した数名のギャラリーは無音に鼓膜を破られかねない心境だった。

確かに彼等は徒党をくんで竜兵を担ぎ、今、ピクリとも動かない少年に制裁を加えてもらうよう懇願した。

きっかけは本当に些細な、金と女のトラブルだ。何度か話し合いをもうけたのだが暴力が介入するまでに拗れたので、こうして沈んでもらう未来を勝ち取るために竜兵にご登場願ったわけである。

結論から行ってやりすぎだ。

少し痛い目にあってもらい、勢いよく絡んでこなくなればそれでいい。そんな程度に考えていた。

 

口から泡立った血の塊を吹く男を見て少年達は青ざめる。日頃から程度の低い暴力しか観覧したことがない彼等は竜兵の行使する暴力、それに引き摺られる容赦のなさに震え上がる。

 

板垣竜兵。冗談みたいに強いということだったので、ろくに調べず参戦願ったのが不味かった。彼は相手を沈める為ではなく、壊す為に拳を奮っているのがわかる。

正直、一瞬たりとも同じ空間に存在していたくもなかった。

 

竜兵はそんな周囲の畏敬など頓着せず、倒れ付した雑魚を見下ろす。

生きている。辛うじて。放置すれば多分死ぬだろう。

助けを呼べば死なぬかも知れない。

まだ死んでない。終わりではない。

即ちまだ、先がある。

殴って蹴って、動けぬ相手。

この暴力に、先があるならそれはきっと、

 

「はっ」

 

薄く笑う。

踏み殺そうと首筋目掛けて足を振下ろそうとすると、止めようとしたのかなんなのか、ギャラリーの一人が腰辺りにしがみついてくる。

 

「ちょ、その辺……っ!?」

 

鬱陶しいので反射的に顔面を陥没させてみた。

なにやら騒いでいる。

残り二人の取り巻きは、なんとも言えない表情でこちらを観察しているようだった。

しばし考える。

わからなかった。

 

「確認したいんだが、お前ら、そこに転がってる、ああ、鼻が潰れてる方じゃない。泡吹いてる方だ。泡吹いてる方をぶっ潰せと俺に頼んできたんだよな?」

 

千切れんばかりに首を縦に振る二人。

竜兵は鼻が潰れている方を指差して、

 

「じゃあこれはなんだ、気でも変わったのか?」

 

少年二人は消え入りそうな声で、そういう訳じゃない。ただ、ちょっとやりすぎではないかと主張した。

 

竜兵はその、やりすぎ、という物差しがまるで理解できなかった。

 

「なんだそれ。殴るのはいいのにか?」

 

少年達は押し黙る。

正確にはなにか言っているようだったが小声過ぎて聞き取れないのだ。

溜め息を落とした。

 

「まあ、もう、あとは知らん。勝手にしろ」

 

約束の金額だけ貰ってその場を去る。

暫くして救急車のサイレンが聞こえた。

助けることにしたらしい。

なら、初めから、暴力に訴えなきゃいいものを。

意味の分からない、気色の悪い奴らである。

 

 

 

 

 

 

△△△

 

 

 

社会が嫌いだった。

理由は曖昧としている。複雑で、怪奇だからだ。

そもそも意味が分からない。確かに三女の辰子が父親を殴り殺し、通報しようとした母親を長女の亜巳が絞め殺したのはそうでもしないと次女のように殺されるからで、なにも大爆笑しながら楽しんでやったわけではない。

現に辰子はあの一件以降、時折スイッチが入ったように暴れまわるし、四女は自分のことを天使などと偽って名乗り始める始末。

亜巳はまあ比較的まともだったが、残りの家族を食わせるために身体を切り売りしていた。

世間様からすればどうであれ、色々と後遺症めいたものを内包しながらも竜兵達家族は両親という脅威を排除して一月程度の平穏を手に入れた。

 

それを壊したのは脈絡もなく現れた背広を着た男だった。

 

父親のように激昂しながら竜兵を殴らない。母親のように嘲笑しながら竜兵を犯さない。

柔和な笑顔の裏に、真の通った誠実さを秘めた男は、真摯に穏和に、優しく、手厚く、一人一人竜兵達家族の頭を撫で、抱きしめ、我が事のように涙を流し、正義と、社会制度の名の元に、竜兵達家族を引き裂いた。

 

「そりゃお前、当然だろ」

 

馬鹿じゃねえの? と、家に勝手に上がり込んだ釈迦堂刑部はかく語る。

 

「世の中にはあんだよ、そういうのが。なんかほれ、それっぽいのが、こう、児童福祉? 虐待サービス? みたいな名前のもんが」

 

「意味わかんねえよ」

 

言わんとすることは伝わるが。

もう名前も思い出せないが、背広の男はそういう制度の名の元に竜兵達を守るためと有無を言わさず連行したのだから。

 

「守るため、ねえ。眉唾だよなぁ。本音のところじゃあそういう決まりだからってだけだろ? 御役所仕事ってやつだ」

 

「まあだろうけどよ。少なくともアイツは俺らのことを考えてるような風だったぜ」

 

「泣いちゃうねぇ。いい話だよホント。ほんで? そのナイスガイに連れ出されたお前らのその後は?」

 

「亜巳姉とタツ姉は病院。俺と天は施設」

 

釈迦堂は爆笑した。

竜兵はイラッとした。

 

「おうおう。お前ら爪弾きもんが全うになるために必要だったんだろうさ。ちゃんと更正したのか?」

 

「天は里親の頭蓋をゴルフクラブで叩き割って家出、タツ姉は病院の壁ぶち破って亜巳姉と一緒に退院した」

 

釈迦堂は大爆笑した。

竜兵はメラッときた。

 

「そんでお前は?」

 

「あん?」

 

「お前のその後だよ、天みたく里親か?」

 

「いや、俺は12、3くらいまで施設にいたよ」

 

「あー、お前、可愛くないもんな。子供欲しくて欲しくて、挙げ句他人のものでも拾おうとしてた連中にも見向きもされなかったわけだ」

 

うるせえよ、と竜兵は悪態をつく。

 

「俺はその頃から働こうとしたんだよ。ガキの時分じゃわからなかったが、亜巳姉がどうやって金を手に入れてるか理解するようになっちまったからな」

 

「春売ってたんだろ? アイツ今もやってるぜ。弟ちゃんは辞めて欲しいのか? マジかシスコンかよお前。金払って相手してもらえば?」

 

「茶化すな殺すぞ。別に、今はなんとも思ってねえよ。けど、あれだ、当時は思うところもあったんじゃねえかな。男は俺一人だったしな」

 

意識して他人事のように吐き捨てる竜兵。

釈迦堂はかっくいーと口笛を吹いた。

全く。とことんまで真面目に話を聞かないタイプである。

 

「けどま、働けなかった」

 

「うわダサっ」

 

流石に青筋を立てて湯飲みを投げ付ける竜兵だが、軽々いなされ、釈迦堂にはなんの効果もない。

舌打ちを一つ、竜兵は言い訳をするように続きを語る。

 

「ガキ過ぎて無理なんだと。なんで無理なのか知らねえけど、そういう決まりなんだってよ」

 

それどころか、施設に連れ戻されそうになっちまったよと顔をしかめる。

竜兵が社会を嫌いなのは、

 

「意味がわからねえよ。どっかの誰かは俺たちを守るための決まりとかほざいてたがよ」

 

むしろ攻められているようにしか感じない。

別に今さらどうこういうつもりもないが、自分達は自分達だけで生きることが出来た。確かに他の者とは違う、歪で醜い歩き方かもしれないが、放ってくれる、それだけでよかったというのに。

 

「マジで馬鹿だよなぁ。俺らはもう他の連中みたいにはなれねえ。そんな生き方を押し付けるから頭割られるんだ」

 

ゴルフクラブですっきりと。

 

「そーか、そーか。笑えるっくらい恵まれない半生だったのな。どうだ、泣くか? 胸かしてやろうか?」

 

「キモいんだよ。別にどーとも思ってねえって言ったろ」

 

「なんだよ。社会が嫌いだー、なんてウケること言うから慰めて欲しいっていう遠回しなアピールかと」

 

「マジで一回殺してやろうか?」

 

出来るなら止めねえよと釈迦堂は笑う。

舌打ちをした。

 

「まあ安心しろ。社会様もお前らの事が嫌いだから」

 

だから制度だのなんだのが辛く当たるんだよ、と含み笑って締め括る。

なんの役にもならない。

誰の目にもとまらない。

社会の端の汚いゴミクズ。

それが自分だと釈迦は説く。

 

繰り返すが、別に、なんとも思ってない。

しかしなんだか悔しかった。

 

「アンタはどうなんだよ?」

 

「どうなんだよって、なにが」

 

「社会様に嫌われてんじゃないのか?」

 

「俺、国際指名手配犯」

 

気にせず言う。

それはそれは大層な嫌われ方だった。

 

 

 

 

 

 

△△△

 

「別に、気にしてねえよ」

 

深々と頭を下げる男を見て、吐き捨てるように竜兵は言った。威嚇するような素振りだが、これが彼の自然体。発した言葉に偽りはない。竜兵は真から彼のことを許すと言ったのだ。

 

拍子抜け、と表現していいものか葵冬馬は暫し思考を巡らせた。

竜兵一派に金と薬と暴力の切符を売り付け、共に破滅の列車に乗り込み、だが終点を待たずして自分は途中下車したいと懇願したのだ。

正直、殺されることも覚悟はしていた。

 

説明は、今さら不要だろう。

葵冬馬が行おうとしていたことは九鬼によって未然に防がれた。このまま手を引けば、葵冬馬、井上準、榊原小雪はこれまで通りの生活を送れる。

竜兵らとてそれは同じだ。しかし、1度交わした約束を反故にする。そんな行いを竜兵が認めると思えなかったのだ。

無論このように正面から謝罪する必要はなかった。

葵冬馬ならば板垣らを納得させる様々な方便をいくつも用意できた。現に井上準はそれを強く推奨していた。

危険だと。正面からの謝罪など、なにをされるかわからないと。

今この時も頭を下げる葵冬馬のその後ろで、井上準は臨戦態勢をとっている。竜兵が拳の1つでも振り上げれば決死の覚悟で飛び込んでくるのだろう。

その隣に控える少女、榊原小雪も似たようなものだ。

 

3名を冷めた目で眺めながら、竜兵はもう1度、マロードと呼ばれた男に視線を落とす。

 

「言いたいことはわかったよ。祭りはやらねえ。金も払われねえ。それでいいな?」

 

「はい。しかし私がこのようなことを言うのもおかしいですが、それでいいのですか?」

 

「いいわけねえだろ」

 

特に金は困る。

板垣家族は亜巳以外、定期的な収入がない。九鬼が我が物顔で親不孝通りを荒らし回っている今、まさかそこら辺の人間を血祭りに上げて金品を強奪するわけにも行くまい。

 

「いいわけない。つまり貴方は私を許さないと?」

 

「だから言ったろ。気にしてはいねえ。さっきのは困るって意味だよ」

 

竜兵はマロードの表情を読む。

 

「なんだ、許してもらいたくなかったのか?」

 

「それは……いえ、どうなんでしょう。自分でも分かりません」

 

「だったらこの話、亜巳姉か天にでもするんだな。サックリぶち殺してくれるさ」

 

金の支払いがないと言ったら亜巳が、暴れられないと言ったら天がおそらく怒り狂うだろう。辰子はそもそも事態をよく分かってないだろうし、釈迦堂に至ってはくだらないと吐き捨てて、初めから乗り気ではなかった。

 

「私は貴方を誤解していたのかもしれません。てっきり暴力を何よりも好む方だと」

 

「見境ないわけでもねえよ」

 

その理屈なら竜兵は今頃川神院あたりに殴り込みでもかけているはずだ。

 

「アンタに付いていこうと思ったのは、なんか、どうにかしてくれるんじゃねえかと思っただけだよ」

 

なにかとは? 訊ねる葵。

自分でもよくわからねえと竜兵は苦笑した。

 

強いていうなら暴力の先、その到達点。

父が姉を殴り殺してから、付いて回った竜兵の違和感。

暴虐の果てを、竜兵は見てみたかったのだ。

 

とはいえ竜兵も半ば諦めている分、落胆は大きいものではない。

 

「釈迦堂のオッサンの話じゃ、俺は社会様に嫌われているらしいからな。まあよくいる爪弾き者だ、珍しくも何ともない」

 

そして、葵冬馬は社会を嫌い。しかし、社会には嫌われていなかった。だから帰れる、引き返せる。

竜兵とは、違う。

 

3人はもう一度だけ頭を下げて、今度こそ竜兵の前から姿を消した。

多分もう二度と会うこともないだろう。

 

去っていく背中。

 

なぜか、

その後ろ姿が姉と重なる。

 

 

変形した顔の姉。

彼女の人生は勝手に終わった。

 

 

変貌していく姉の背中。

稼がなくてはと心を削って社会に呑まれた。

 

 

「だから」

 

それは意識せずに放たれた。

誰に聞かせるわけでもなく、

 

「気にしてねえって言ってんだろうが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいえ、貴方は気にするべきだ。気にかけるべきです、自分の振る舞いを、ね。私の母もよく言っていましたから」

 

場違いにも、気軽に、弾むような足取りでその男は現れた。

 

殺そう、竜兵は決めた。素早く、ともすれば昆虫めいた仕草でもって、感情ではなく殆ど反射で相対する男の殺害を決定した。

理由は後から付ければいい。強いて言うなら癪に障るほど間が悪かった。

 

「なるほど」

 

殺意に濡れた眼差しを受けて尚、桐山鯉は苦笑する。

これは駄目だと。手遅れであると。街の不良として扱っていい存在ではないと。

強さとかそんなことを論じているのではない。板垣竜兵はなんの躊躇もなく初見のこちらを殺しにかかろうとしている。平和な、治安の優れたこの国でそれがどれだけ異常極まる心理傾向であることか。

 

 

見方によってかの武神、川神百代より危険な存在である。

確かに彼女は最強の名を欲しいままにし、桐山とておそらく指一本触れることすら敵わぬだろうが、それでも殺意をもって拳を握ったりはしないだろう。

殴ったら死んだ。

殺すために殴る。

結果は同じでも相手が受ける重圧は別格とも言える差があった。

 

暴虐の眼差しを受けても桐山は平素の様子を崩さない。

身も蓋もないがこの気配には慣れている。暗殺者や傭兵が同僚なのだ。血の匂いが多少強く香ったとして、今さらそれに酔うなど有り得る筈もなかった。

 

「板垣竜兵。更正プログラム対象者ですね。どうでしょう、大人しくしてくださるならこちらも手間がないのですが」

 

「更正? なんの為の更正だよ、色男」

 

「もちろん、全うな社会復帰というような意味合いですよ」

 

社会復帰。

ああ、またそれか。

 

「――ハッ!」

 

これ以上ない撃鉄を落とされ、竜兵は燕尾服に肉薄する。

さながら豹だ。しなやかでありながら力強い。滲み出る野性味はなんの武術も修めていない証左だろう。身体機能と経験値のみを絶対の武器として盲信し、竜兵は顔面目掛けて拳を奮う。

桐山は眉を潜めた。流石にこれほどの運動能力は想定外である。勿論手に余るには程遠いものの、一介の不良の顔役が有していい武力ではない。

 

危なげなく回避してから顎を、狙おうとしてこめかみに裏拳で追撃。全力には遠く及ばない、撫でるような一撃だが、街の喧嘩自慢程度ならば軽々意識を飛ばすだろう。

見た目通りの打たれ強さ、頑丈さを兼ね備える竜兵はほんの数瞬も硬直することなく次の行動に移る。反撃されてなどいないと言わんばかりの滑らかさで、拳を振り抜いたままの桐山の首元を潰さんとする。

 

これといった焦りはない。振り抜いた左の裏拳。引き戻そうとせず、勢いはそのままに左半回転し、右の掌底を一撃目と全く同じ箇所に打ち込む。

 

「おやおや」

 

だが、竜兵はまるで止まらなかった。

通常、反撃を食らえば人間の身体は何かしらの硬直をみせるのものだ。格闘技、特にボクシングのジャブなどは威力ではなくそうした硬直を狙って放たれる場合も多い。しかしそうした人間の生理現象など知ったことかと言わんばかりに桐山の喉に魔手が伸びる。流石に僅かも止まらないのは予想外だった。

 

とは言えやはり、現実は甘くない。

竜兵の一撃が届く前に、桐山は三撃目を叩き込めるだけの速度差がある。

 

「……っ!」

 

さしもの竜兵も脇の下に蹴りを入れられては無反応というわけにもいかない。それでも当初、首に向けていた拳を振り抜いたのは驚嘆に値するが、次の動きに直ぐ様繋げる、といった芸当は不可能だった。

 

桐山は距離を取らんとする竜兵に対し、無慈悲に距離をつめて畳み掛ける、といったことも十分可能だったが、それをせず、

 

「頭は冷えましたか? 遊びはここまでにした方が、大きな怪我をすることもないかと思いますが」

 

再度降伏勧告を行った。

 

「なにほざいてやがる。まだまだ始まったばかりじゃなえか」

 

歯を剥き出しにして吠える竜兵。

とても人間のする表情ではないが、伺う限り、降伏勧告は逆効果だったとみえる。

気性を考慮すればおそらくそうであろうとは桐山自身想定していたか、これは彼の温情だった。

 

この板垣竜兵という男。無鉄砲に見えて、防御は中々目を見張るものがある。

勿論それは、あくまでも素人の中でという域を出ないものの、拳を振り抜いた時に肩を入れて顎を守るなど、最低限、意識を刈られる、脳に直接響く急所は守るだけの心得はあるようだった。

そうなるとあとは絞め技くらいしか、大きな怪我をせず取り押さえる方法は残されていないことになる。

竜兵の腕力は伊達ではない。出来ることなら組み合いたくない、というのが桐山の感触であり、よって、

 

「今辞めないと、正直、かなり痛い目みると思いますよ?」

 

ここからは本当にただ痛いだけだぞ、と笑顔のままに放言する。

別にどちらでもよかった。

人材豊かな九鬼従者部隊の中で街の浄化を主導するのが桐山なのは戦闘能力を評価されただけではない。シンプルに性格的に向いているのだ。

物腰こそ穏和であるが内心は正反対。

殺害こそ視野に入れていないが、この場で竜兵が一生ものの傷を負ったとしても気にも止めるまい。

 

「オイタが嫌で喧嘩が出来るかよアホ」

 

竜兵はそうした桐山の内心を正確に理解しつつ、彼我の戦力差を完璧に把握して尚、かかってこいと手招いた。

 

 

 

 

 

真夜中。

肉を打つ音。骨が砕ける音。自分が壊れる音が木霊する。

桐山の宣言通り、竜兵は毎秒毎秒破壊されていく。

笑える。

竜兵は本当に何も出来ない。

全身全霊、全力全開で向かっていっても、余裕綽々といった風情で反撃される。

不快さはなかった。大体、このような結末になることくらい事前にわかっていたことだ。以前、釈迦堂刑部に死ぬ寸前まで追い込まれた経験から、自分より強い人間というのが何となく把握できるようになってきた。

 

瞼が切れた。

 

それに、こんな風に一方的に壊されるのは何も釈迦堂刑部が初めてというわけではない。

最古の記憶は父親だった。

よく、こんな風に父親に痛め付けられたものだ。物心付く前から暴威に晒されていたものだから、自然と、本当にまずい攻撃は防ぐという生き汚さを身に付けることが出来た。

 

鼻が潰れた。

 

思考が徐々に漂白されていく。

これだけ殴られ、蹴られれば当然だ。

自分の役割はこれだと思った。何も出来ない子供だったけど、男の子は、一人だけだったから。

痛かったし、苦しかったし、辞めてほしかったし、何よりそう、怖かった。

それでも、最後まで泣かなかったのは、それ以上に誇らしかったから。

何も出来ない子供だけど、けれども自分は男の子。

やるならそう、やればいい。歪な形ではあるけれど、これが竜兵のやり方だ。

彼にとってはこれこそが、家族を守る唯一の方法。

 

膝を付いた。

 

無様だけど、自分は守れると思ってて。

それがいつまでも続くと思ってて。

姉や妹に、痛い思いなんてしてほしくなかったから。

例え死んでも、これでいいと胸を張った。

だから。

姉が、自分を守ろうとしたことになんて気が付かなくて、

結局、結局、自分は結局、弱かった。

誰を守れていたんだろう。

何を誇っていたんだろう。

駄目だよ。姉さんは、女の子なんだから。

それは、自分の役目なのに、

――父さん、父さん。どうしてこんな。

含み笑って、人の顔した悪魔が答える。

――意味なんか、ねえよ。

 

 

そう意味なんてない。

意味なんて分からない。

自分が生きてるこの社会(物語)は、一から十まで奇々怪々。

 

気を抜けば、息の仕方さえ分からなくなる程の複雑さ。

 

 

地面が近い。

 

竜兵は、不出来な頭で考える。

一体全体誰が悪い?

この正体不明の違和感は、何をどうすればかき消える?

このやり場のない怒りには、どんな獲物が相応しい?

 

鼓膜が破れた。

視界は暗く、

限界は間近。

 

胸を熱くする番狂わせなど起こるはずもなく順当に、竜兵は意識を手放した。

 

 

 

△△△

 

終わってしまった物語の続きを読み聞かせてくれるのは誰だろう。

 

釈迦堂刑部ではなかった。

葵冬馬でもなかった。

では、誰が?

 

 

 

 

 

 

「あ、おきたー?」

 

意識が間延びした声に釣り上げられると同時、竜兵を襲ったのは息苦しさだった。

呼吸を手間に感じるほどの苦痛。

あれだけ殴られ蹴られればごく自然のことだった。

むしろ不自然なのは敗れた自分がなぜ、自宅にいるのかということだ。桐山の口振りを信じるならてっきり自分は九鬼の施設で更正に向けて洗脳教育でも施されるものだとばかり考えていたのだが。

 

それとも、目の前の姉、板垣辰子が介入してくれたのだろうか。

なるほど確かに辰子の腕力なら桐山を叩き伏せることも可能だろうがはたして、

 

「ああ、私じゃないよー。リュウちゃんをここまで運んでくれた人がいたの。もう、ボロボロだからビックリしたよー」

 

誰だ?

なんだろう、予感があった。

 

「落ち着いたらお礼言わなきゃだねー。これ、その子の名刺、預かったからー」

 

運命めいたものの、予感。

 

「『ふでより』だってー。変な名前だよねー」

 

名刺は酷くシンプルだった。

職業と氏名のみ。

 

画家。

絵無筆依。

 

こうして出会った。

 

 

 


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