それは1本の電話から始まった。
「よう清隆。ちょっといいか」
「どうした? またどっか勉強で詰まったのか」
「いや、それはもう諦めた」
諦めんなよ。幸村に報告するぞ。
「実はよ、今日バスケ部の先輩から聞いたんだが、ケヤキモールにめちゃくちゃ当たる占い師が来てるってよ。毎日バスケと勉強ばっかだし、夏休みが終わる前にパーッと遊びたい気分なんだよ、一緒に行こうぜ」
「占いか……興味はあるな」
占い師による占いなんか、人生で1度も経験したことがない。
毎日やってる星座占いなんかは見たりするが、あれは比較対象として参考にもならないようなものだろう。
当たる占い師というのがどういう存在なのかは気になる。
せっかく須藤に誘われたのを断るのもあれだしな。
「いつ行くんだ?」
「明日の午前中とかどうよ」
「部活は大丈夫なのか?」
「おう。明後日試合のおかげで、明日は調整っつので部活は軽めに午後から合わせるだけでよ。昼過ぎぐらいまではフリーだ。予定入れてないと朝から自主練で体力使っちまいそうだからな。予定埋めときてーのよ」
それは勝手に休めよってツッコんじゃダメなんだろうか。
「分かった。明日の午前中だな」
もっと早く言ってほしかったが、明日の予定は都合よく佐藤との勉強会だけだ。潰れても何の問題も無い。
「絶対に鈴音を誘えよ。わかったな?」
「お、おう……」
なるほど、そう来たか。
須藤がオレに声をかけてきた目的は、堀北にあったらしい。
堀北に惚れているとか気は確かか。と言いたくなるが、黙っていれば美少女なのは間違いないからな。
残念な生態さえ知らなければ、そういうこともあるのかもしれない。
「なんだよ、呼び出せねえのかよ」
「やってみるが、いいんだな」
「頼む、お前だけが頼みだ」
「わかった」
「頼んだぜ。あとで誘えたかどうか連絡してくれ」
頼むだけ頼んで須藤からの電話は切れた。
「……堀北に電話か」
したくねえな。
別に堀北に対する独占欲的なものではない。
人の恋路、それも相手が堀北だというのは、関わることに気が引けるだけだ。
まあ、本人が惚れているのなら問題ないだろう。
どうせなら須藤には、堀北をオレから奪い取るぐらいの勢いで頑張って欲しいものだ。
割とこの気持ちは本気だ。将来、櫛田家に居座る堀北鈴音という存在を認めるわけにはいかない。
つーわけで、須藤の恋に対してこれぐらいの応援は、してやってもいいだろう。
堀北に電話をかける。
「分かったわ」
「まだ何も言ってねえよ」
発信ボタンを押すや否や、1コールもなる前から出やがった。これだから堀北は怖えよ。
しかも聞く前から了承してやがる。
頼むから、拒否権を持ってくれ。堀北へのお願いに対して無条件で了承されるほどの責任は取れねえよ。
「堀北、おまえ占いは好きか?」
「今好きになったわ」
「なるな」
「取り消すわ」
「取り消すな」
「……どうしろというのよ」
会話がテンポよく進み過ぎて、話が進まない。
ダメだ。こっちから変に質問すると押しつけになりかねない。
本人が喜んでるものを押しつけと言っていいのか微妙だが、心情的には押しつけだ。
「オレとは無関係に、答えて欲しい」
「そうね……熱心な方ではないけれど嫌いではないわ。それがどうかしたの?」
「最近、当たるって噂の占い師がケヤキモールに来ているらしい。一緒にどうかと思「──行くわ」」
だから早えよ。
最近、友達が出来たんだろ。少しは友達との予定を作れよ。で、それを確認する素振りぐらい見せろ。
そっちの方がオレは安心する。
まさか、どんな予定があろうとそれを繰り上げて入れるつもりとかじゃねえよな。
友達の予定より優先して良いのは、相手が佐藤だった時だけだぞ。
「……少しは悩めよ」
「愚問ね」
「……須藤と一緒だけど問題ないな」
「……そういうことね。分かったわ」
須藤と一緒というだけで、どういう状況なのか伝わったらしい。
察しが良くて助かっているはずなのに、オレが苦しめられている。
なんだこれ、どういう状況だ。
「服装はどうしたらいいのかしら?」
「服装? そんなもん普通でいいんじゃないか」
「わかったわ。コートの下に何も着なければいいのね」
「真夏だし、普通じゃねえし、須藤と一緒だっつってんだろうが!?」
「須藤くんが居ない時はいいのね」
「3つのツッコミのうち2つはどこいった!?」
「冬に須藤くんがいないときはいいのね」
「普通じゃねえっつってんだろうが」
「綾小路くん。まだ私が普通だと思っているのかしら」
「反論できないのが怖い」
「何を持って普通というのか、そこから定義してもらえる」
「めんどくさいこといいだした」
「冗談よ」
「冗談に聞こえねえんだよ」
これ以上振り回されないように、電話を切った。
冗談だと言っていたが、堀北のことを信じていいんだろうか。
いや、信じよう。信じるしかない。
まあいい。これで堀北との約束を取り付けることが出来た。
須藤にも連絡を入れて、明日の10時にケヤキモール前に集合となった。
寮のロビーで待ち合わせすればいいのに、須藤が言うには、こういうのは外で待ち合わせするのが大事らしい。
須藤がそう思うならそうしたらいいのだろう。堀北にも待ち合わせ場所を伝える。
「明日の10時にケヤキモール前に集合だ」
「分かったわ。寮のロビーに9時40分ね」
「……明日の10時にケヤキモール前に集合だ」
「寮のロビーに9時40分ね」
「えー、あー、ケヤキモール前に集合だ」
「綾小路くんの部屋に9時に集合ね」
「寮のロビーでお願いします」
「わかったわ」
ここは言うこと聞いてくれないのかよ。
これ以上ごねると、今日から部屋に泊まるとか言われかねないので、オレが折れるしか無かった。
力関係がおかしい。
これで堀北と待ち合わせして集合した後で、須藤と合流することが決まった。
すまん須藤。デート気分で外で待っているところに2人で向かうことになった。
「堀北の服装が心配だし、これでいいのか」
明らかに間違った状況だが、堀北が堀北であることを考えれば、須藤との待ち合わせ前に堀北と合流するのは正解な気がしてくるから困る。
何かあったら即帰そう。
どんな決意だ。
「……占いを純粋に楽しもう。それしかない」
もう須藤の恋とか余計なことを考えるのはやめよう。
しょっぱなから前途多難だ。オレは約束を取り付けるだけで精いっぱいである。
あとは須藤本人に頑張ってもらうしかないな。
頑張れよ、須藤。
◇◇◇
翌日。
「まともだな」
「朝から失礼な発言ね」
「オレが悪いのか」
Tシャツに下はダボっとした感じのスカートで堀北は現れた。
日差し対策か、白い帽子が可愛らしい。
念のためにスカートを捲るとしっかり下着を履いていたので、問題ない。
「とんだ変態ね」
「誰のせいだ」
すっかり堀北に毒されてる気がしてならない。
非難するのなら少しは抵抗らしい抵抗をしやがれ。
一応言っておくが、人がいないのと監視カメラ外なのを確認して行ったからな。
人一人分の距離を開けて、灼熱地獄の中を歩く。
猛暑だ。
堀北が涼しい顔をしているのが信じられないぐらいだ。
「水を買わせてくれ」
「紅茶でいいわ」
「奢らねえよ」
水筒でも用意しておくべきだったか。
なんとなく水筒を使うのに拒絶感が出てくるのは、目の前の女が100パーセント悪い。
嫌なことが連想されてしまう。
耐えきれずに、途中の自販機で水を買った。堀北は自分で買うつもりは無いらしいのでスルーしておく。
一口だけ飲んで、歩くのを再開した。
冷たい水が美味しいが、この暑さだとあっという間に温くなりそうだ。
「げ……」
思わずそんな声が漏れる状況が目の前に広がっていた。
ケヤキモールは大盛況だ。多くの生徒が集まり中へと吸い込まれていく。
「おせえぞ、清隆」
生徒の中では頭一つ背が高く、赤毛で目立つ須藤で無ければ合流は難しかったかもしれない。
合流してすぐに非難の声を浴びた。
「悪かったわね」
「堀北は別に、いいんだ」
男女差別が酷い。
須藤はそのまま、オレの首に腕を回してきて顔を寄せてくる。
暑苦しい。というか、汗臭い。外で長時間待っていたのかもしれない。
「なんでお前ら一緒に来てんだよ」
「途中で一緒になっただけだ」
「つーか気を使えよ、お前だけ遅れてくるとか、離れた位置から見守ってるとか」
「暑い中で無茶言うな。つーか離れろ。さっさと入るぞ」
強引に須藤を引きはがして、ケヤキモールの中へと入っていく。
灼熱地獄からは解放されたが、いつものケヤキモールとは違い、やたら人が多かった。
「夏休みのせいってわけでもなさそうだが」
理由が夏休みなら、誕生日プレゼントを買った時からこうなっていないとおかしい。
「占いは5階だぜ」
須藤の先導でケヤキモールの中を進む。
近場のエレベーターは人待ちでいっぱいだったので迂回して奥のエレベーターを使った。
「……これは酷い」
占いコーナーは一目で分かった。
そこから長い行列が出来ていたからだ。
見る限りほとんどが男女で並んでいる。相性占いは占いでもメジャーなのかもしれない。
「おはようございます。どの組み合わせですか?」
3人で列の最後尾に向かうと、列を管理していた女性から声をかけられた。
「組み合わせ?」
意味が分からずに尋ねると、占いは2人1組である必要があるらしい。
「1人がペア2つ分……2回占ってもらうのはできませんか?」
3人で2人1組を2個作るアイデアを堀北が提案した。
「おかげさまで盛況ですので、できるだけ多くの生徒を占えるように、おひとり様1回限りとさせていただいております」
いいアイデアだと思ったが、あっさりと却下されてしまった。
3人のうち1人は占えないというわけか。
これだけ長い行列なら制限が掛かるのも仕方ない。
「そ、そうなのか。悪い知らなかったぜ。ここはオレに譲ってくれよ、清隆」
若干棒読みで須藤がそんなことを言って来た。
こいつ知ってて堀北を誘えって言ってきやがったな。
占いに興味がある。ここまで来て引き下がるのはなぁ。
だが、ペアというのは厄介だ。
須藤が抜けた場合は、オレと堀北がペアになる。
これで相性がマックスとか言われたら、悲しさマックスだ。占い結果を聞くのが怖い。
それに、言い出しっぺの須藤が占えないというのはダメだろう。
堀北が抜けた場合は、オレと須藤がペアになる。
後々に、たまたま見かけたBクラスの生徒経由で一之瀬の耳に入って大変なことになりそうな気がしてならない。
やはり男同士のペアは、龍園と葛城に譲るしかない。
となると、オレが抜けるのが無難か。
「堀北は健とのペアでいいか?」
「あなたがそれでいいのなら構わないわ」
なんて絶妙な台詞を吐きやがる。
須藤が聞いたら、オレが占えなくてもいいのなら、と聞こえるだろうし、オレからしたらご主人様の命令には従いますにしか聞こえないから困る。
「健、堀北との占いを楽しんでくれ」
「おうよ」
残念だが、占いは諦めるか。
もしくは佐藤に連絡でも入れてみようか。佐藤は今日の予定が潰れて暇しているはずだ。
つまり、都合の良い女だ。呼び出せばすぐに来てくれるに違いない。
「は? 1人じゃ受けられないわけ!?」
電話しようと列から離れかけたタイミングで、隣の列でも揉めるような声が聞こえてきた。
聞き覚えのあるこの声は、Cクラスのスパイこと伊吹だ。
なんていいタイミングだ。
「……なあ、協力しないか」
「は? ってあんたDクラスの」
「占いはペアなら良いんだろ。オレも見ての通り余りものになった。ペアを組んでくれたら助かるんだが」
「なんで私が」
「占いに興味があるからここにいる。別に相性占いだけってわけでもないだろ。だったらペアの相手は誰でもいいはずだ」
「それはそうかもだけど……」
「一緒に並ぶ、占いを受ける。それだけだ。嫌なら諦めるが」
「……分かった。占いはしてもらいたいし。協力する」
伊吹は少しだけ葛藤した後で、オレの隣に並び直した。
須藤と堀北、オレと伊吹、なんともいえないグループの出来上がりだ。
列に並び始めて30分が経過した。
「思ったより時間が掛かるな。健は大丈夫か?」
「このペースならギリギリな。飯食う時間は無くなりそうだけどよ」
この中で後の予定が入っているのは、須藤だけらしい。
30分の間に列が3ペア分進んでいる。1ペアあたり10分から15分といったところか。
今は10時40分。バスケ部の活動は午後2時30分からだ。
学校までの移動を考えると、残り時間は3時間30ぐらいか。
占いには30組ぐらい並んでいるが、2列に分かれているので、須藤たちまでは残り15組だ。
結構ギリギリの勝負になるかもしれない。
簡単な計算だが、須藤もこの程度なら出来るようになったらしい。
体感的な処理で、計算していない可能性もあるか。
なお、堀北はマイペースに本を読み始めた。時間の潰し方としては合っているが、集団の中でやることではない。
また、伊吹もだんまりを決め込んでいる。
こっちは30分の間に、無人島でのスパイ活動に対して須藤と一触即発に成りかけたので、列に並ぶ以外はしないと改めて宣言されてしまった。
スパイ行為についてオレも堀北も思うところがないわけではないが、CクラスがDクラスを上回っただけで、そこを責めるつもりはない。
なんとか堀北に須藤をなだめてもらって事なきを得たが、須藤の前で安易に伊吹に協力を求めたのは失敗だったかもな。
というので、喋っているのはオレと須藤だけという状況だ。
バスケの話とか、池や山内の話とか須藤の話題が尽きないので苦ではないが、男女4人のグループとしては間違っていると思う。
堀北との会話が少なく須藤はちょっと残念そうだが、占いが出来るだけでもマシだと思って欲しい。
うん、伊吹を巻き込んだのはやっぱり失敗じゃなかった。
これがもし須藤と堀北だけで列に並んで、堀北が本を読み始めたら須藤が哀れ過ぎるだろう。
堀北なら2人きりでもきっと容赦なく本を開く。こいつはそんな残念な女だ。
そんな状態で数時間とか、地獄にならなくてよかった。
◇◇◇
「で、どうするか」
「待つしかないわ」
「ほんっとに最悪」
数時間後。
占い自体は、値段分の価値はあったと思う。
当たり障りのないそれっぽいことだけを言われるかと思いきや、ところどころでドキっとするようなことも言われたし、理屈では説明しにくいこともあった。
占う前は5000ポイントは高いなって感じだったが、あれだけ技術を身につけていれば、それぐらい取っても相応だと思う。
ってわけで、占い自体は大成功だ。
問題は、帰りに乗り込んだエレベーターが途中で止まり、オマケで空調までストップしてしまったことだ。
オレ、堀北、伊吹の3人でエレベーターの中に閉じ込められている。
部活の時間にギリギリになった須藤は、オレと伊吹の占いが終わるのを待たずに先にケヤキモールを出たため、難を逃れている。
好きな人とのドッキリイベントを逃すのは運が良いんだか、悪いんだか。
「まさか3人共携帯が使えないとは」
「無様ね」
「これだからDクラスは、使えない」
自分のことを棚に上げて伊吹が非難してくる。
携帯のバッテリーは、3人共0となっていた。
友達がほとんどいない堀北や伊吹は、普段から充電する習慣がないらしい。
オレは、定期的に充電しているが、今日はわざとバッテリーが切れるようにしていた。
予定を潰した佐藤からの鬼のような連絡がめんどくさかったからだ。
うん、佐藤が悪いよ、佐藤が。
「それにしても暑い」
喉が渇いてきそうだ。
来る途中で買った水は、並んでいる間に飲み切っていた。
ケヤキモールは基本的に冷房が効いているが、待機列がコンパクトにまとめられており、密集度が高く不快感があったせいだ。
エレベーター内は、閉め切られているのもあって蒸し風呂に近く、下手すれば外よりも暑いかもしれない。
じっとしているだけで額から汗が零れ落ちる。
男子の特権ということで上着を脱いでシャツ姿になり、床に座った。
「な、あんた何脱いでるの」
「この暑さだ上着ぐらい勘弁してくれ」
「不埒なことを考えたら許さないから」
蒸し風呂で上着を脱いだだけで、伊吹から敵意を向けられるって酷すぎる話だ。
まあ、自分が脱ぎたくても脱げない中で、オレだけ脱いで楽していたらイラつきもするか。
一応、背中を向けておこう。正面からにらまれるよりはマシになるだろう。
「な、あんた何脱いでるの」
「それはさっき聞いた」
暑さで頭がぼーっとしてるんだろうか。
「あんたじゃないし」
「は?」
伊吹の言葉に振り返ると、堀北がTシャツを脱いでブラ姿になっていた。
「この暑さよ。シャツを脱ぐくらい許されるべきだわ」
「あんた頭おかしいんじゃないの!?」
うん、オレもそう思う。もっと言ってやれ。
常識人が一緒だとツッコミが減って大助かりだ。
「そうかしら。この場で服を完全に着ているのはあなただけよ。多数決なら私たちの勝ちね」
「な……男が脱ぐのとわけが違うでしょ。綾小路まで仲間にカウントしないでよ」
「どう違うのかしら。あなたが男を意識し過ぎじゃないの。綾小路くんごときに見られることを気にするのね」
「当たり前でしょ、あんたみたいな変態と一緒にしないで」
残念だったな伊吹。堀北兄妹にとって、変態は誉め言葉だ。
喜ばせるだけだとオレは堀北兄から学んだぜ。名前が学だけにな。
「熱中症のリスクよりも、羞恥心を優先させるのなら好きにすればいいわ。脱いだ方が賢いと思うけども」
「脱がないのはバカって言いたいわけ」
「そこまでは言わないわ。ただ、私は見られても恥ずかしくない身体をしているだけ……可哀想ね」
「な……舐めんな。別に見られて恥ずかしくなんかねえし」
堀北の安い挑発に、伊吹も衣服を脱ぎ出した。
だが、堀北が脱ぐのと伊吹が脱ぐのではわけが違う。
堀北はシャツとスカートで上下が分離していたが伊吹の私服はワンピースだ。
ブラ止まりの堀北に対して、伊吹はパンツまで丸出しになった。
上下黒の想像以上にアダルティーな奴だ。
「み、見るなっ」
「悪い」
いや、見られて恥ずかしくないって言ってただろ。
紳士として見るなって言われたら見ないけどな。慌てて背中を向ける。
「おまえはスカートのままか。見られて恥ずかしいんだろ」
伊吹よ、変態になんてことを。
「脱ぐわ。脱げばいいんでしょ」
「下着は脱ぐなよ」
「……当然よ」
慌ててツッコんだが、今の間は、なんだ。
絹擦れの音が背後から聞こえる。堀北も下着だけの姿になったようだ。
上着だけ脱いでシャツを着ているオレ。下はジーンズをしっかり穿いている。
下着姿の堀北と伊吹。
男女3人でオレが衣服を1番着ているってどんな状況だ。
負けず嫌いの1人が変態だとこんな状況になるのかよ。どうしてこうなった。
「動かないな……」
「そろそろ20分ね」
「あーもう、イライラする」
待っていればそのうち動くだろうと楽観視しているが、止まったままだ。
蒸し風呂っぽい環境に20分。まだ余裕があるとはいえ、これが続くとなると危ないかもしれない。
このエレベーターは、ケヤキモールでも壁面に設置されている。普段は意識することは無いが、空調が止まった時の影響は大きい。
よくニュースになる放置自動車の中ほどではないのが救いか。
衣服を脱いでも少し楽になる程度だ。徐々に呼吸が荒くなっていってる気がする。
伊吹が立ち上がると、ドアをガンガンと蹴り始めた。
音が気になって思わず振り返る。
下着姿で蹴りを入れる姿は、シュールだ。
「やめろ」
「うるさい。このままじっとしてれば何か変わるわけ」
「無駄に体力を使うな」
「じゃあ、どうしろっていうのよ」
伊吹はジロっとした目で睨んでくる。が、どこか焦点が合っていない感じだ。
これは危ない傾向だな。
「伊吹、朝は何食べたんだ?」
「は? それが今関係あるわけ!?」
「いいから答えろ。ちなみにオレはトーストだ」
「……今朝は食べてない。夏バテ気味であんまり食欲なかったから。それがどうかしたのよ」
「飲み物は飲んでるか?」
「……覚えてない。だから、何の質問なのよ」
意識してまで飲んでいないと。飲んでいたとしても大した量ではなさそうだ。
それに加えてこの暑さで汗をかいている。
列で並んでいる最中も、オレ以外は水分を取っていなかったな。
「動くなよ」
「っにすんのよ!」
オレは素早く伊吹の腕へと手を伸ばした。
伊吹の調子はかなり悪いらしく反応が鈍く、あっさりと手首を掴むことに成功する。
が、すぐに蹴りが飛んできたので甘んじて受ける。結構、痛い。
「脈が速いな」
「は!?」
「唇も乾燥している。典型的な脱水症状だな」
「そ、そんなわけないないでしょ」
伊吹は反論してくるが、身体は嘘をつけない。
脱水症状だけではなく熱中症も起こしかけているか。
すぐにここから抜け出すか、水分を取らなければ、思ったよりもピンチかもしれない。
「堀北、水を持っているか?」
「……持っていないわ」
「水分補給できないとまずいな」
占いの列待ち中に、水を飲み切ったのが悔やまれる。
堀北も少し反応が鈍い感じだ。伊吹ほどではないが、脱水症状の初期っぽいな。
待っていれば、そのうちエレベーターが動き出すとは思うが、それまでどの程度かかるのかが分からないのが怖いな。
甘く見てはならない。命に関わるほどじゃなくても、後遺症がしばらく残るケースもある。
どうする。1番手っ取り早い対応は服を脱がせることだが、それは既に終わっている。
「綾小路くん、提案があるわ」
「何か解決策があるのか?」
「あなたは比較的余裕があるのよね」
「水分補給していたからな」
「それだったら答えは1つだと思うの。あなたの水分を与えるべきだわ」
堀北は1点を見つめている。綾小路Tレックスを。
まさかコイツはこの状況を利用して、無人島で達成できなかった行為をやるつもりか。
Tレックス以上のモンスターじゃねえか。発想が怖えよ。
「アホか、冷静になれ」
「冷静かつ賢い判断だと思うわ。命とどっちが大事なのかしら」
「失うものがデカすぎるだろ」
「失うものなんてないわ」
「お前はそうかもしれないが、伊吹には無理だ」
変態基準を一般人の伊吹に求めるな。
堀北だけが危ないのならそれで解決するかもしれないが、今危ないのは伊吹の方だ。
堀北だけ満足しても何の解決にもなっていない。
「ちょっと、何の話よ。堀北に出来て私に出来ないとか勝手に決めないでくれる」
「バカ。何の話か分かってないのに、対抗するな、出来なくていいんだよ」
「伊吹さん。あなたには無理よ」
「お前も煽るな」
「何を勝手に、出来るに決まってるでしょ。何の話か教えなさいよ」
伊吹は、判断力が鈍っている。煽られたらこうなるに決まっていた。
「今の言葉、取り消すことは許さないわよ」
「当然でしょ。何だってやってやるわよ」
どうしてこうなった。本当に頭が痛い。
「飲むのよ」
「は?」
「何度も言わせないで、綾小路くんのおしっこを飲んでもらうわ」
「の、飲むわけないでしょ。バカなの」
「すぐに前言を撤回したわね。だから無理と言ったのよ」
「出来るわけないでしょ。あんただって無理なくせに」
「無理? バカにしないでもらえるかしら」
いや、バカにされていいと思うぞ。
「私には出来るわ」
ですよねー。
堀北は目をギラつかせてオレのズボンを脱がしにかかった。
強制的に露出させられる。
2人が下着姿なのもあって、Tレックスは意欲十分と言った感じだ。
「な、何を見せつけてるのよ」
「知るか。文句は堀北に言え」
「これは治療行為よ。あなたは何を意識してるのかしら」
「へ、変態」
それはオレもそう思う。
「さあ、出しなさい」
堀北は、伊吹の抗議など意にも介さない、むしろ非難の声を喜びに変える勢いだ。
オレの足元へと座り込んで、大きく口を開いた。
こうなってしまった堀北は誰にも止められないだろう。
「いいんだな」
「治療行為よ」
堀北にも水分が必要なのは間違いない。
オレも覚悟を決めるしか無い……のか。
ここまで見越して水分を控えていたとかだったら怖すぎる。堀北ならあり得そうで怖い。
なお、短期的には有効かもしれないが長期的に見れば、水分を失う結果になるので、今回のように早期に助けが想定される緊急事態以外では、全くの無意味どころか逆効果だ。良い子の皆は真似しないようにな。
「行くぞ」
「いいわ」
「「綾小路治療行為!!」」
やってしまった。
勢いでやってしまったが、後悔の方が強い。
「次はあなたの番よ」
「近づくな、変態」
「そう、やっぱり出来ないのね」
「で、出来るわけないだろ」
「伊吹さんにはガッカリだわ。あなたの負けね」
「……は!?」
「私に出来た事があなたには出来なかった。どうしようもない現実よ」
「…………」
「待て、伊吹。堀北に対抗しようとするな」
出来なくて正常なんだ。その一般的な感覚を大事にして欲しい。
が、オレのアドバイスは、伊吹には反対に機能してしまったらしい。
「2人して私をバカにしないでくれる」
「バカにはしてないわ。哀れに思っているだけで」
「同じことよ。良いわ、やってやるわよ。綾小路、さっさとしなさいよ」
ダメか。負の連鎖を断ち切ることは叶わなかったか。
本当に、どうしてこうなった。
既に1回出した後だ。もう1回出せるだろうか。
頑張れ俺。
オレは覚悟を決めて伊吹と向き合った。
◇◇◇
この後何があったのかは、3人だけの秘密だ。
誰にも言えるわけがない。
全員無事だったわけだが、無事だったって胸を張れない感じだ。
色々と失うものが多かった気がする。
とりあえず、言えることがあるとすれば、伊吹の許さないリストに、オレと堀北は載ったらしい。
占い1つで何がどうなってしまったんだか。
堀北の狂犬っぷりが酷すぎる。
ん? 占い+狂犬(わんこ)+今日の出来事ってもしや。
わ〇この〇んき予報じゃねえか。金魚に謝れ!
鬼畜眼鏡先輩、自立したあんたの妹はただのモンスターだ。
あんたの背中を追いかけていたほうが、幸せだったんじゃないだろうか。