「話は聞かせてもらった。龍園。ここからは、Aクラスも参加させてもらうぞ」
Aクラスの葛城に、この場に来てもらった理由は、1つだけだ。
「一之瀬の名前を呼んだかどうかで、揉めているそうだな。1番近くで聞いた生徒がいる。聞こえたかどうか話して欲しい」
一之瀬を不利にしている『名前を呼んでいない』という木下の証言。
それを覆せる生徒が、ここにいる。
そう、葛城が連れてきたのは、同じ組で走っていたAクラスの生徒だ。
あのレースは、矢島が1位。少し離されて一之瀬、次いで木下。そしてそのすぐ後ろを走っていたのが、この女子生徒ってわけだ。
一之瀬から、この生徒までの距離は、数メートルしか離れていなかった。
一之瀬が、後ろを気にし始めるまでは、だいたい等間隔で並んでいたはずだ。
「えっと……」
話し出そうとしたところで、言い淀んだ。
龍園が睨みつけているのに気づいた葛城が、壁になるように前に立つ。
圧力が減ったことで、ようやく話し始めた。
「2人のすぐ後ろで追いかけてたんだけど、あの時のことは覚えている。木下さんが、一之瀬さんって何度も呼んでて、どうしたんだろうって思ってたら、接触してた。呼んでたのは間違いないよ」
「ああ!?」
「ありがとう。よく証言してくれた」
龍園が1歩前に詰めたのに合わせて、葛城も守るために前へと出た。
もう1歩ずつ詰めればキスを出来る距離で、睨み合っている。
「ち……」
葛城が引かないことを察して、龍園が引いた。
証言は、既に言い終わっている。用意できる証拠として、これ以上のものは無いだろう。
「これで木下が嘘つきだと言うことが確定したな」
「あ? 確定してないだろうが」
「見苦しいぞ、龍園。1番近くにいた生徒が聞いている。それを否定する要素はない」
「お前らが口裏を合わせてるだけだろうが」
「口裏を合わせる? 白組同士なら成り立つかもしれないが、敵である赤組のAクラスがわざわざ口裏を合わせる必要がどこにある」
「龍園。お前の嘘を認めるわけにはいかない。だから証言させてもらった」
葛城は、こういう場で嘘をつくようなタイプではない。
Aクラスの生徒が聞いていなかったら諦めるところだったが、聞こえていたらしいので証言してもらっただけで、嘘をつかせているわけではない。
女子生徒が葛城派だったこともあり、話が早くて助かった。
「もういいぞ」
欲しい証言だけしてもらって、葛城はさっさとAクラスの女子生徒を退出させる。龍園の圧力に耐え続けなければならないのは、酷だろうからな。
「龍園。お前の負けだ」
「仮に呼んでたからってそれがどうした。ただの必死さの表れだろうさ。ぶつかって怪我をさせられた事実は、覆せるのかよ」
あくまでも認めなかったが、一歩前進といったところか。
ただ、証言の1つを潰したとはいえ、龍園は抵抗をやめなかった。
大将だけあってしぶとい。
「ぶつかって怪我をさせられたってのは、事実なのか?」
「なんだ鈴主。保険医の診断を疑うのかよ」
「怪我をしていることは疑わない。その怪我の原因を疑っている」
「なんだと?」
接触事故で怪我をすることは、あるだろう。
だが、あまりにも龍園に都合が良すぎる展開だ。
ぶつかったのがわざとにしても、それで上手く木下の方が、深手を負えるだろうか。
たまたま? そんなわけがない。
そんな不確かな狙いで、陸上部のエースを捨て駒になんかできるわけがない。
一之瀬の弱みを握れるという確証があったからこそ、実行された作戦のはずだ。
となると、怪我をしていることは事実だとしても、怪我の理由は事実ではないのかもしれない。
接触事故とは、異なるタイミングで、意図的に怪我をした。
これならば、狙って一之瀬よりも重いダメージを背負えるはずだ。
あと、流したけど鈴主ってなんだよ。油断すると鈴音みたいに聞こえるのがキツい。
「茶柱先生。事実の確認いいですか」
「なんだ」
「無人島試験で、オレ達のクラスは、リーダーを当てられました。それは現Dクラスによるものだと思っています」
「試験結果の詳細は、公表できんぞ」
「なぜリーダーを当てられたのか。それは、スパイが入り込んでいたからだ。伊吹という龍園のクラスの女子生徒が、ベースキャンプで共に過ごし、最終日前にその生徒は姿を消して、龍園にリーダーを当てられた。伊吹は、スパイだったと考えるのが合理的だ。これは、Bクラスにも言える」
一之瀬の方に視線を送ると、軽く頷いた。
「金田くんのことだよね。うん、金田くんも最終日には、居なくなっててリタイアしてたよ。ただ、Bクラスもリーダーを当てられてたけど、相手がどのクラスだったかまでは、確証を持てていないね。もし当てたのが龍園くんのクラスなら、金田くんがスパイだったと思うけどさ」
そう、堀北クラスには伊吹が、Bクラスには金田が入り込み、どちらのクラスもリーダーを指名されるという失態を犯している。
リーダーを変更できるという情報があったから、指名の成否が把握できたが、知らない一之瀬では確定するまでは無理か。
だが、その問題もこの場では、一定の解決をできる。
「オレ達のクラスは、リーダーを指名していない」
「Aクラスも同じだ」
「ってことなら、そういうことだね」
4クラス揃っていて、3クラスが協力的ならば答え合わせは安易だ。
「おまえらの言葉が正しい証拠がないだろ」
証拠はないが、嘘ではない。
「あの試験のルールで、普通なら他クラスの生徒を招き入れたりはしない。Bクラスは知らないが、少なくともオレ達のクラスはそうだ。じゃあ、なぜスパイを入れるようなことになったのか」
伊吹をクラスに参加させた理由は、簡単だ。
「伊吹が可愛か──可哀想に見えたからだ」
危ない。伊吹が可愛かったからとか、8割事実だが、今この場で持ち出すことではない。
男子が認めたのは、伊吹が可愛いからだが、女子が認めたのは違う。
オレ達のクラスは受け入れないって言ったのは、半分嘘だな。男子は認めただろうから。
「なぜ可哀想に見えたのか。それは、負傷していたからだ。龍園、お前によって殴られてな」
「言いがかりだろ」
「少なくとも、伊吹はそう証言している。ですよね、茶柱先生」
「……これの確認か。そうだな。確かに、伊吹はそのようなことを言っていた」
龍園に殴られた被害者だったから、助けようとして受け入れた。
これが無人島試験の事実だ。ということにしておく。
「金田くんも同じことを言ってたよ。先生に確認できると思う」
ただのBクラスのお人好しかと思ったが、しっかり金田も殴られていたらしい。
「つまりだ。龍園は、スパイを送り込ませるためなら、自分たちが有利になるためなら、自クラスの生徒に暴力を振るえる生徒だ。実際にそのせいで、無人島でオレたちは、残念な結果に終わってしまった」
みんなで頑張ったのに、予定ほど点数が伸びなかったのは、龍園のせいだと言える。
「話を戻そう。木下の怪我は、本当に接触事故が原因なのか?」
「何が言いたい」
「お前が怪我させたんじゃないのか」
「は、大体、伊吹や金田が何を言ったのかは知らんが、あいつらの証言に、信憑性があるのかよ」
「殴られた痕は、確認している」
「そんなもん、どうとでもなるだろうが」
龍園の言っていることは、正解だ。
伊吹や金田を殴ったのは誰かまでは、本人の証言以外では、はっきりしていない。
「どうとでもなる、か。だが、殴られた痕がつくことによって、現Dクラスが得をしたことは事実だ」
「スパイのせいってことにしたいらしいが、リーダーを知られたのは、本当にスパイのせいだと思っているのか」
「そこまで間抜けじゃないつもりだ」
「現に当てられてるんだから、間抜けだろうが」
「スパイのせいだからな」
「おい」
龍園の発言はスルーして追い込みをかける。
「事実かどうかは関係ない。殴られたスパイを受け入れて、スパイを派遣したクラスに、してやられた。これが、無人島試験で起きた事象だ。スパイの被害に遭ったと言える」
「事実かどうかは関係ないとか、ふざけてるのか」
「ふざけてなどいない。リレーで接触事故が起きて、木下が負傷した。それが、今回起きた事象だ。その事象を元に、一之瀬が怪我をさせたと主張して、強請っているのはお前だろ」
「俺のは、事実だ」
「なるほど。他クラスの主張は妄想で、お前の主張は証拠がなくても事実だと。それが、通じるとでも思っているのか」
「それが事実だからな」
龍園は、折れない。中々しぶとい。
これだけ自分に不利な材料が出ても、曖昧なまま押し切る気らしい。
「俺から補足をしよう」
さて、どうやって追い詰めるかと思いきや、葛城が名乗り出てくれた。
「一之瀬や綾小路なら察していると思うが、あの試験でAクラスは……俺は、この男と手を組んでいた」
「おい」
「手を組んでいた証拠が必要だというなら、後で提供しよう」
「そんなことをして、どうなるか分かってるのか」
「交わしたルールは、合宿中に他言しないことだったはずだ。合宿が終わった今、誰に漏らそうと問題ない」
細かい事情は知らないが、当事者がそういうのなら問題ないのだろう。
葛城は、ルールを守る男だ。
「その条件の中で、Aクラスに対し、他クラスのリーダー情報を提供するというものがあった」
「葛城くん、それって」
「当然だが、証拠として認められるようなものを龍園には求めている。スパイでも送りこまなければ、達成できない条件だ」
「なるほど。Aクラスと龍園クラスとの同盟が、スパイを送り込んだ証拠になると」
「そういうことだ」
龍園を守る防壁が、また1つ削られた。
だが、龍園は、それにも揺さぶりをかける。
「葛城。あの契約の内情をバラされて困るのは、お前だろ。仮に百歩譲って、証拠があったとして、その証拠を出せるのかよ」
「困る? Aクラスからお前に、毎月多額のプライベートポイントを払っていることか?」
「……バカが」
「そうだな。バカな契約をしたと思う。だが、そのバカな契約に縛られるつもりはない」
龍園の必死の抵抗も、葛城には通じなかった。舌打ちが大きく保健室に響く。
ある程度、予想していた通りの内容だが、一之瀬にとっては驚きだったらしい。
葛城が自らばらした契約内容に、口を開いたまま固まっている。
葛城の身を削る攻撃で、確実に龍園を追い込んだはずだ。
攻勢をかけるなら、今しかない。
無理矢理でも、踏み込んでみるか。
「木下の足の怪我。一之瀬が原因か、精密検査してみるか?」
「なに?」
「医師が控えていたとはいえ、学校の施設では、折れているかどうかの確認くらいしか出来ていないはずだ。しっかりとした病院で、精密検査をすればいい。こけて捻って折れるのと打撃を受けて折れるのが、同じ折れ方をするとでも思うのか?」
「一之瀬とぶつかった時に、折れたんだろ」
「そういう衝突ではなかったことは、映像で確認できるはずだ」
そもそも、一之瀬は前に居た。
後ろにいる生徒に対し、タイミングを計ってぶつかって転ばせることは出来ても、衝撃を与えるのは難しいはずだ。
「もっとも、精密検査をしても原因は、100パーセントはっきりとはしないだろう。だが、折れ方には、違和感が残るはずだ」
ちなみに、実際のところは折れた原因を探れるほど、現代医学は万能ではない。
DVの証明は、意外と難しかったりする。
ほぼブラフだがそのことを指摘できるほど、医学に精通している生徒は、この場に居ないはずだ。
「話を整理しよう」
念のために、反論を許す前に進める。
「1つ目、衝突の際に前に居たのは一之瀬だ。オープンレーンでのリレーでは、先行者に内側を走る権利があるはずだ。本来ならば、大回りしなければならないのは木下。ぶつかったのならば、その責任は木下の方が大きいと言える」
人差し指を立てて数を数える。
「2つ目、須藤の暴力事件で、現Dクラスは、嘘の証言をしたのがばれている。そして今回も木下は、名前を呼んでいないと嘘をついた。わざわざ嘘をついてまで、一之瀬が悪いと主張したのは、なぜか。一之瀬を陥れたい意思があったと言える」
中指を立てて2つ目の理論を述べる。
「最後に3つ目、現Dクラスは、無人島試験でクラスメイトに暴力を振るって利益を得ている。つまり、クラスの利益のためなら暴力を振るうことを厭わないクラスだ。精密検査をしてみなければ不確かだが、木下は事故ではなく暴力によって負傷している可能性が高く、その原因を一之瀬に求めるのは適切ではない」
薬指を立てて3つ目。
どれか1つならたまたまとか、思い込みでとか、言えたのかもしれない。
博士から借りた名作漫画で出てきたセリフがある。
『おれは偶然も2つまでは許すことにしてるんだ。しかし3つも重なったらこいつは偶然とは思えん。何らかの必然があるんだ』
1つ目と2つ目は、ほとんどセットだから実際は2つに過ぎないが、こういうのは勢いも大事だ。
「一之瀬が納得しない場合、生徒会に上げるらしいが、生徒会長がどういう判断をするのか楽しみだな」
「過去の話は、今回とは関係ないはずだろ」
「冗談だろ。初犯なら執行猶予がつくが、2度目はアウトとかざらにあるはずだ。一応言っておくが、無人島試験の詳細を生徒会長は、把握している。どういう手でどのクラスが結果を残したのかは、知られていると考えた方が良い」
銭湯で本人の口から聞いたから間違いない。
生徒会長は、色々と問題ある人物だが、能力の高さは疑いようのない男だ。
須藤の暴力事件は、
前科・前歴としては、十分だ。
無人島でも実際にリーダーを当てて得をしている。採用される可能性が高い。
「どうする。生徒会に上げるか? その場合どうなっても保証はしないが」
「龍園。ここまでにしておけ。生徒会は、そこまで甘くはないぞ」
葛城からも手を引くように声が掛かった。
葛城が言うとオレより重みがある気がする。これが生徒会役員の実力かもしれない。
「……ちっ。木下。帰るぞ」
「龍園くん!?」
「ここまでだ。一之瀬だけならやれたが、面倒な連中が出てきやがったからな。おい、鈴音の飼い主。お前のこと覚えたからな」
「一之瀬の彼氏だ。そこは訂正してくれ」
そんな覚えられ方は、マジで辞めて欲しい。
堀北なんか飼ってねえよ。
「龍園。ここで引くんだったら、この件はこれで終わりだ。あとで持ち出すことは、認めんぞ」
「葛城、おまえもな。いずれ借りは返してやるよ」
「それはこちらのセリフだ。受けた借りを返し切れたとは思っていない」
「クク……お前はもう終わったと思っていたが、しつこい野郎だ。行くぞ、木下」
龍園は、葛城もある程度かは認めたらしい。
意外と紳士な面もあるらしく、木下の杖代わりに肩を貸して、保健室を出ていった。
いや、出ていく前に、一之瀬の彼氏だって訂正して欲しかったんだが。
まあいい。葛城が引いたら終わりだと宣言したのに帰っていった。
これで後から何らかの対策を追加されて、改めてこの件を持ち出される心配も消えたってことでいいだろう。
生徒会へと上げれば、須藤の時のように、逆に龍園クラスからポイントを奪うことが出来たかもしれないが、用意できる証拠が弱い。
状況証拠の積み重ねでは、100パーセントの保証はない。
自クラスならそれでいいが、Bクラスをその土俵に引き込むわけにはいかないか。負けた時に責任を取れないからな。
ちょっと甘いが、龍園を退けただけで満足しておくべきだろう。
「終わったようだな。私も帰らせてもらう」
「ありがとうございました」
次に茶柱が席を立ち、一之瀬が礼を言いつつも見送った。
ブースのカーテンが閉じられる。
「…………」
「…………」
誰も口を開かない。
一之瀬も葛城も、黙り込んで何かを考えている。
どうしたんだ、と視線を送ると、まず先に葛城が答えた。
「綾小路。俺は今、恐ろしいと感じている」
「どうかしたのか?」
「お前はリーダーを変更できることを知っていたはずだ。なぜ、変更しなかったのか疑問に思っていたが、今日みたいなことが起きることを予測していたのか?」
「まさか。リーダーを当てられるとは、思っていなかっただけだ」
「伊吹という生徒は、最終日には消えていたのだろう。十分予想がついたと思うが」
鋭い。
Aクラスを掌握しつつある男だけある。
伊吹のことを細かく説明したのは、失敗だったか。
「リーダー変更は、ポイントが必要だ。ポイントを払うほどの価値があるのかどうか、クラスを説得できなかっただけだ」
龍園がクラスメイトに暴力を振るって得をした。その実績が欲しくなかったと言えば、嘘になる。
が、ここまで具体的に考えていたわけではない。
たまたまな方が大きい。煙に巻いたわけではなく事実だ。
「……まあいい。そういうことにしておこう」
葛城は、追及を諦めてくれた。
「一之瀬。これで夏休みの借りは返したからな。これからは貸し借りは、なしだ」
「貸したつもりはなかったし、返してもらったものが大きすぎる気がするんだけど」
「俺にとって、妹のことはそれだけ大事だったと思ってくれればいい。これで失礼する」
葛城さん、渋すぎるだろ。かっこいい。
今日の葛城さんは、終始、輝いていたと言える。
こうして、葛城も去っていき、保健室にはオレと一之瀬だけが残された。
「どうして……どうして助けてくれたの?」
「彼氏として当たり前のことをしただけだ」
ちょっと気取った台詞だが、恋人にかっこつけるくらいしてもいいはずだ。
「仮の関係なのに」
「今日までは、彼氏彼女だからな」
仮の関係は今日までだ。審判の時間は、刻一刻と近づいている。
今日、一之瀬を救ったことを含めて、出来ることはやったつもりだ。
これでダメならオレと一之瀬は、縁がなかったと言うことだろう。
そのときは、櫛田に慰めてもらうか。ありだな。
「ずるいよ……綾小路くん」
「ずるいか?」
「うん。だって、そんなこと言われたら、離れられなくなるもん」
「だったら、離れなければいいんじゃないか」
「いいの?」
「当たり前だろ」
「ずっと一緒だよ」
ん? ずっと? 離れられないってのは、仮の関係が終わった後も、一緒にいるって意味じゃないのか。
ずっとは、困るな。将来的には、櫛田家のお婿さんになることを予定している。
流石に、櫛田家のお婿さんをやりながら一之瀬と付き合うのは、無理だろう。
「綾小路くん?」
オレが返答に困っていると、一之瀬の表情が曇った。
おいおい、彼女を曇らせてどうする。彼氏失格だな。
彼女を笑顔にする方法は分かっている。だったら、それを取るのが彼氏の務めって奴じゃないか。
将来のことは、将来考えよう。先送り作戦。
それにあれだ。思春期の感覚として、高校生活がずっと続くように、錯覚することがあるらしい。つまり、高校生活の3年間こそが、ずっとの正体だと言える。言えるったら言える。
「ああ、
オレは一之瀬を優しく抱きしめながら、その唇を奪った。
「ん……」
色々なものを失った気がするが、代わりに手に入れたものが、腕の中にある。
よくよく考えてみれば、櫛田と結婚するとしても、狂犬堀北の問題を抱えているわけだ。
今更、問題の1つや2つ増えようが、何も問題は……あるよ。問題めちゃくちゃあるよ。
絶対、後で苦労するのが見えている。
それでも、腕の中の一之瀬が喜んでいるのなら、それでいいかと思えてしまった。
「ちょっと、照れるな」
「照れるね」
数分ほど抱き締めたまま、何度もキスを交わしていた。
これは、いい感じなんじゃないだろうか。
放課後の保健室。保険医は不在だ。
いつ戻ってくるのか分からないというのが難点だが、幸いにも奥のブースだ。入口のドアが空いてからでも、身だしなみを整えるくらいの余地はあるはずである。
真面目な葛城が、しっかりとドアを閉めたことは、音で分かっている。
なによりも、ベッドが使える。
これは、絶好のTレックスチャンスじゃないか。
この機会を逃してなるものか。
付き合い出して速攻ってのだけが気がかりだ。とはいえ、仮の状態ならまだしも、正式にお付き合いをしているんだから、Tレックスすることに何の支障も無いだろう。
「一之瀬」
「綾小路くん」
抱き締めた状態で、今日何度目かの唇同志を重ね合わせると、そのままベッドの上へと押し倒した。
ストロベリーブロンドの髪がベッドの上へと広がる。
抵抗らしい抵抗はない。いける。
服を脱がせるために、体操服の裾へと手を伸ばした。
「あ、綾小路くん」
「大丈夫だ。力を抜いて欲しい」
「う、うん」
緊張に固まる一之瀬から、なんとか力を抜かせる。
さあ、一之瀬のおっぱいはどんな感じなのか。
ワクワクに胸をときめかせながら、掴んだ裾を上へとめくり──
「ふわーあ、よく寝たって放課後じゃねえか」
──いざ、ご対面といったタイミングで、隣のブースから間抜けな声が響いてきた。
この間抜け声は、堀北クラスの秘密兵器のままで終わる男こと山内だ。
しまった。そういえば、山内も保健室に居たんだっけ。
8日間は、忘れないつもりだったが、すっかり忘れていた。
「うわー、誰も起こしに来ないとか、寂しすぎるぜ。健も寛治もよー」
言っていることは、間違いない。
が、やめてくれ山内。今はピンク色な空気が出ていたんだ。お前の哀愁漂う台詞なんか聞きたくない。
「ウダウダ言ってても仕方ねえし。帰るか」
意外と前向きな山内は、ゴソゴソという音を残して帰っていった。
これで邪魔者は居なくなった。さあ、あらためて一之瀬のおっぱいと、ごたいめ──
「私たちも帰ろっか?」
──うん、そりゃそうだよな。今さらこの空気の居たたまれない空気の中で、初体験とかねえよ。分かってた。
「そうだな。帰るか」
まあいい。これで正式な彼氏彼女になったんだ。これからは、幾らでもチャンスがあるはずだ。
慌てる必要はない。のんびり関係を深めていけばいいか。
どうやって寮の部屋まで誘い込もうか考えつつ、結局実行せずに、一之瀬と帰っていった。
ただ一緒に帰るだけでも、一之瀬は嬉しそうにしているんだから、何もしなくてもよかったんだろう。
言えることがあるとすれば、1つだけだ。
山内。お前のことは8日と言わず、絶対忘れないからな。