Caligula Acquired immunity 作:灰色平行線
流されるままに始まってしまった入学式。
「在校生代表、祝辞。在校生代表、2年2組、
司会の学生の言葉に、Lucid……いいや、譜城奏は立ち上がる。譜城奏。それがLucidとして現実もメビウスも崩壊させた彼の名前だった。
ステージの上に立ち、体育館を見渡す。奏の目に映るのは、整列して座るたくさんの生徒たち、顔にノイズがかかったような教師や来賓の人の姿。この場でμの曲が流れれば、体育館がデジヘッドで溢れ返そうなその光景に、自分がまだメビウスにいるのだということを実感する。
だとしたら、今の状況はなんだ? 知らない内に高校生活がループしてまた2年生になったとでもいうのか? いいや、ただのループならそもそもこんなにも生徒がいることの方がおかしい。現実が崩壊してしまっている以上、数える程しかいなかったメビウスにこんなにも人が増えるなどありえないことだ。
ならば、あれは全て夢だったのか? 入学式で逃げ出したことも、そこからアリアと笙悟に出会い、帰宅部に入部したことも。ソーンに楽士に誘われたことも。帰宅部、楽士、彼らの心に踏み込んだことも。何もかも、長い長い夢だったのだろうか?
とりあえず奏はそれっぽい言葉を口に出す。未来のこと、学校生活のこと、今更何をと自分で思いつつ、奏は祝辞を読み上げる。
「以上、在校生代表による祝辞でした。続きまして、新入生代表、答辞、新入生代表、1年1組、響鍵介」
祝辞の後、司会の学生が言った言葉、というよりは名前に、奏はある種の予感を感じた。
まさか。まさかまさか。そんなまさか。
「気付いちゃいましたか……残念ですよ、先輩」
その予感を感じた時、自分はどんな表情をしていたのだろう。ステージの上に上がった鍵介は、奏に淡々と告げる。
その言葉が、予感を確信に変えた。
自分が初めてメビウスに気付いたあの日、あの入学式の日に時間が巻き戻っている!
奏は反射的にステージを飛び降り、体育館を走り抜ける。あてもなく、ただただ逃げるために走っていたあの入学式とは違う。今度は目指す場所を見据えて走る。
だが、奏は気付いていない。自分の心は違っていても、自分の行動は何も変わっていないということに。鍵介……いや、今はカギPと呼ぶべきか。信じられないものを見たような表情をした奏を見てカギPが彼をどう思ったか。体育館から逃げる奏の姿を見て、かつて仲間だった帰宅部の面々がどう思ったか。
奏の心情に関わらず、動き出した物語はそれぞれの思惑を乗せて勝手に進んでいく。
◇◇◇
体育館を抜けた奏がやって来たのは、駅前広場だ。もしも時間が巻き戻っているのならば、μがここでライブをしているはずだ。そう思って駅前広場に来た奏だったが、広場には生徒の姿がない。
なんとなく、前回そうしたように駅の入り口まで走り、自動ドアに触れてみようとするが、駅の入り口は相変わらず見えない壁に塞がれており、中に入ることはできない。奏は駅の入り口に背を向け、広場を見回してμを探す。
「……いた」
ライブやイベントに使っているステージの上、そこにμはいた。だが、ライブなどしていなかった。たった1人で誰もいない駅前広場を見つめている。
「……」
何も言わず、静かに佇むμ。
「μ?」
寂しそうなその背中へ、奏は呼びかける。
「え? ……‼」
奏の言葉に振り向いた彼女は、奏の姿を見て、目を丸くする。
「Lucid! るしーどお‼」
「うおう⁉」
そして、満面の笑みで抱き着いてきた。
「会いたかったよ! Lucid‼」
「ま、待って! 待ってくれ! る、Lucidって……!」
遠慮なしに力一杯抱きしめてくるμ。突然のことに混乱しそうになるが、μの言葉をスルーする訳にもいかない。
「え? だってLucidはLucidでしょ?」
不思議そうに首を傾げるμ。やはり、彼女は何かを知っている。奏が知らない何かを。
「もしかしてLucid、まだ記憶が戻ってないの?」
続けて発した彼女の言葉が決定的となった。彼女は……。
「……なあ、μ」
「なあに?」
「……時間は、巻き戻ったのか?」
「そうだよ? 私とLucidで巻き戻したんだよ?」
彼女は覚えている。奏が忘れてしまったことも全て。私とLucidで巻き戻した。奏にそんな記憶はない。
「うーん、でもLucidは記憶をちょっぴり忘れちゃってるみたい……」
ようやく奏から離れたμは、腕を組んで考える。
「あの時私と一緒にいたんだから記憶はしっかり保持したまま過去に戻れると思ったんだけど……」
μは彼女にしか分からない記憶で、彼女にしか分からない言葉で彼女は考える。
「いや、μ、頼むから説明を――」
「μぅぅぅぅぅぅぅぅ‼」
とにかく何がどうなっているのかを理解しなければ。そう思って口を開いた奏の言葉は、甲高い叫び声によってかきけされた。
「ア、アリア⁉」
驚きの声をあげるμ。現れたのは妖精のように小さな小さな少女。μと共にメビウスを作ったもう1人のバーチャドール、アリア。
「μ! 早くメビウスの輪を解いちゃってよ! メタバーセスに帰るわよ! OK⁉」
まくしたてるように言うアリア。
「ごめんね、それだけはしたくないの!」
そんなアリアにμはそう返すと、飛んで逃げて行ってしまった。
「あ、μ!」
アリアが呼びかけるも、μは遠くへ行ってしまう。その背中を見つめながら奏は考える。
それだけはしたくない。確かにμはそう言った。以前のμならばメビウスから出さない理由を「約束だから」と言っていたハズだ。決して彼女の意思ではない。だが、今の彼女は違う。明らかに自分の意思で人をメビウスから出さないようにしている。
μの行動の変化の理由はおそらく、時間の巻き戻りにあるのだろう。彼女にしか分からない何かが起こっているのだ。
「お前! 何言ったのか知らねえけど、μが逃げたってことは、ローグだな⁉」
叫び声によって思考が遮断される。
μとの会話に集中していて気がつかなかったが、いつの間にか3人の生徒が奏の周りに集まっていた。前方と右側と左側、すぐ後ろの駅には入れない。逃げる場所などない状態だ。
「うおおおおおぉぉぉぉぉッ‼」
雄叫びと共に、生徒たちの体が黒い鎧に覆われていく。
何度も見たデジヘッドだ。
その姿を見た瞬間、奏は条件反射のようにカタルシス・エフェクトを発動させようとしていた。今までアリアやμの手助けを受けて力を使っていたことも忘れて。
その瞬間、真っ黒な何かが火柱のように奏の足元から吹き出し、彼の体を包みこむ。
「ゆ、You⁉」
驚いたようにアリアが叫ぶ。
黒い火柱が消えた後、そこにいたのは制服に身を包んだ男子生徒ではなかった。
黒い服に黒い帽子。衣装の各所についた×のマーク。透明になった体。そして黒いドクロの頭。
「さあ、始めようか」
Lucidとしての姿に変貌した奏が、デジヘッドたちに二挺拳銃を突きつけていた。