Caligula Acquired immunity 作:灰色平行線
メビウスで死んだ者は現実でも死ぬ。奏の放ったその言葉に、部室の中が一瞬、静まり返る。
「冗談……なんですよね?」
恐る恐る、そう言ったのは鈴奈だ。顔には戸惑いの表情が表れている。いきなり『死ぬ』だなんてことを言われても実感が湧かないのだろう。
「残念だけど、冗談じゃないよ。メビウスで死んだ人間は、現実でも死ぬ。そうだろ? アリア」
「うん、奏の言う通りだよ……。メビウスで死ぬってことは、Youたちの魂が死ぬってこと。魂が死ねば、現実の体も死んじゃうんだ……」
奏に促され、アリアは答える。
「でも先輩、どうしてそんな命の危険があるみたいな言い方をするんですか? その、デジヘッド……でしたっけ? デジヘッドたちは、私たちを殺そうとしてるんですか?」
そう聞くのは美笛だ。彼女の表情にもやはり戸惑いが浮かんでいる。
「いいや、デジヘッドは僕たちを殺そうとはしない。ただ、現実を忘れさせてμの信者へ変えようと洗脳するだけだ。同時に……」
一旦言葉を切って奏はカタルシス・エフェクトを発動させる。奏の姿が変わったことに驚く面々であったが、奏は気にせずに話を続ける。
「デジヘッドと戦うための、このカタルシス・エフェクトにも殺傷能力はないし、物を壊したりもできない。カタルシス・エフェクトにできるのは、μの歌によっておかしくなった奴らの精神を正常な状態に戻すことだけだ」
そう。カタルシス・エフェクトに、物理的なダメージを与える力はない。デジヘッドに人を殺す意思はない。一見すれば、命の危険なんてどこにもないように思える。
だが、
「楽士たちもそうだとは限らない。彼らはただ暴走しているデジヘッドとは違う。デジヘッドの力を自分の意思で使うことができる。そしてそれは、デジヘッドの力を
例えば、ナイフを体に突き刺したり。例えば、高所から突き落としたり。例えば、首を絞めたり。力を使う必要なんてなく、人は殺せるのだ。メビウスは現実ではないが、現実となんら変わらぬリアルさも持ち合わせているのだから。
「……それは、楽士が俺たちを殺すかもしれないってことか?」
ゆっくりと、無理矢理絞り出すような声で問いかけたのは、誰よりも青い顔色の笙悟だ。メビウスでも彼女の自殺の瞬間を見続けている彼だからこそ、「死」という言葉を誰よりも重く受け止めているのかもしれない。
「可能性は十分にある」
奏は言葉を選ばずに答える。
「君たちが現実に帰ろうとすれば、楽士たちは必ず立ち塞がる。そんな時、もしも楽士たちが殺意を向けてきたら、君たちはその殺意と真正面から立ち向かわなければならなくなる。だからこそ、僕は君たちに聞いておかなくちゃならない。命がけで現実に帰る覚悟があるのかを」
話しながら、奏は1人の楽士を思い出す。
殺すことに躊躇なんて絶対に見せないであろう、歪みに歪みきってしまった彼女を。
しんと静まり返る部室。誰も声を発する者はいない。
「……少し、考える時間を設けよう。よく考えて、自分の意見を決めてほしい」
そう言うと、奏は扉を開けて部室を出る。言い過ぎたとは思わない。死んでしまっては元も子もないのだから。
「You! 待って!」
廊下を歩く奏の後ろをアリアが追いかけてくるが、
「アリア、君は皆についていてくれ」
そんなアリアを奏は手で制す。
「え?」
「皆に力が目覚めた時、アリアが調律してやる必要がある。だからアリアには皆の側にいてあげてほしい」
帰る覚悟について偉そうに語りはしたものの、カタルシス・エフェクトが目覚めないなんてことはないだろう、という確信にも近い思いが奏にはあった。
考えろと言っても結局のところ、彼らの感情までは縛れない。きっと彼らはカタルシス・エフェクトを使えるようになるのだろう。ならば、手助けが必要だ。
「頼んだ」
「奏……」
歩き去る奏を追いかけることができず、アリアは心配そうに小さくなっていく背中を見つめていた。
◇◇◇
アリアと別れ、学校の廊下を歩く奏。
突如、学校中のスピーカーから一斉に音が流れ始める。
【ピーターパンシンドローム】
軽快さと優しさと合わせたような音楽と、子どもが必死に訴えかけるような歌詞。
学校中にμの歌声が届いていく。
「もう、始まったのか……」
奏は1人呟く。
駅前広場でデジヘッドたちを叩きのめしたことが、もう楽士側には伝わっているのだろう。正体の分からない相手を捕まえるため、μの曲を流して凶暴化させたデジヘッドを使おうという魂胆だと奏は推測する。
前回は、楽士を捜し始めたところで流れ始めたのだったか。
ふと、帰宅部の皆が心配になる。部室のことはまだバレてはいないだろうし、あの様子なら奏を抜きにして楽士を捜し始めているということもないだろう。
ならば、まず最初にやるべきことは……。
奏は、学校の生徒玄関まで来ると、カタルシス・エフェクトを発動させる。姿がLucidになることにはもう慣れたが、2つの拳銃はどちらも刺々しいデザインに戻っていた。おそらく、アリアと離れたことが原因だろう。
その瞬間、周りにいた生徒たちの姿が禍々しく変わってゆく。黒い本性をさらけ出し、デジヘッドと化す。
「個人的なものだけど……帰宅部、活動開始だ」
最初にやるべきこと。それは周辺のデジヘッドを倒し、敵の目をこちらに向けることだろう。
デジヘッドに襲われなければ、帰宅部がカタルシス・エフェクトを発動させることもできないだろうが、それは帰宅部が本格的に活動を開始してからでいい。少なくとも、奏のせいで悩んでいる今じゃない。
「ぉおおおッ‼」
二挺拳銃を横に薙ぐように振るいながら、エネルギー弾を連射して、周辺のデジヘッドをまとめて倒していく。こんな真似ができるのも、本物の拳銃ではないからだろう。
距離のあるデジヘッドは銃で撃ち、近づいてきたデジヘッドには殴る蹴るの暴力で対応する。戦闘の派手な音を聞きつけ、新たにデジヘッドが乱入してくれば、それらもまとめて蹴散らしてしまう。ほとんど力押しのような戦い方だが、それが通用してしまう程に奏はデジヘッドとの戦いを経験していた。
戦闘が終わる。学校の玄関には、1人立つ奏と、その周りに倒れるたくさんの生徒たち。死屍累々という言葉がよく似合う光景だった。
カタルシス・エフェクトを解除して元の姿に戻る奏。
「その力、どこで手に入れたんだ?」
そんな奏に向かって、平坦で抑揚のない声がかけられた。
声のした方を振り向けば、玄関の下駄箱の影から1人の生徒が姿を現す。その端整な顔立ちから、彼のことを知らない生徒は少ないだろう。彼のことは奏だって知っている。
もっとも、奏が彼を知っている理由は別にある。
『……滑稽だろ。僕はあんたのことを、友達だと思ってたよ』
「……維弦」
「あんた、僕のことを知ってるのか?」
峯沢維弦。かつて奏が裏切った1人。本来は笙悟がここで会う予定だった男がそこにいた。