globeのAnytime smokin’ cigaretteを聴きながら読んでほしいなって。そう思います。
忘れちまえよ、あんな男。
小さなベランダから見える夕焼けはお世辞にも綺麗とは言えなかった。ビルに隠されて太陽が見えていない。所々から漏れ出すオレンジ色の光が無駄に眩しい。
口に咥えていた煙草を指で放し、ため息混じりに煙を吐き出す。私にとっちゃこの煙の方が鬱陶しい光より綺麗に見えるね。
出会いは運命、別れは必然。
四年も付き合ってた。かっこよかった。あの人と結婚するもんだと思ってた。大好きだった。運命の赤い糸で繋がってるって、信じてた。
そんなもんまやかしだ。夢だ。別れはいつだって急にやってくるんだ。
燃え滓が地面に落ちる。サンダルで踏み潰す。胸が痛い。自分で作った灰皿に短くなった煙草を押し付けたら、少しスッキリした気がした。
そろそろご飯を作らないと。面倒くさいな、外で何か食べようか?お金があまり無いな。明日は仕事だし、朝も早いしお酒は飲みたくない。スーパーで出来合いのおかずでも買ってこようか。
そういえば、さっき吸ったので最後か。煙草、ついでに買っておこう。
煙草なんて、やめちまえばいいのに。
ホントその通りだと思う。無駄な出費。しかも値段は日に日に高くなっていく。ほんと、そのうち一箱千円とか言い出すんじゃないでしょうね。金がいくらあったって足りやしない。
で、そんな無駄な出費をしてまで手に入る見返りは身体を犯すタール。肺を灰で陵辱して寿命が縮んで早死に、ハイおしまい。何が悲しくてこんな百害あって一利なしみたいなもん吸ってるのか、私だって解らない。
それでも煙を吸うのがやめられない。
あの最高に身体に悪い味が忘れられない。
恍惚に溺れてた瞬間を思い出したい。
そうやって破滅していくんなら、それはそれで本望。燃え滓みたいに踏み付けられたり、灰皿に押し付けられたり。お好きに、勝手にどうぞ。私はその時にはもう死んでるからさ。
夕日は沈んだのだろうか。空は紫に染まり、ビルから漏れる白い光が主張を始めていた。やば、マジでそろそろ買い物行かないと。
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初めて煙草を吸ったのは高二の時だったと思う。
部活なんて暑いものには興味が無かったし、勉強なんて寒いものにも興味が無かった。そのクセして人一倍承認欲求の強いめんどくさい子。おじさん先生をからかったり、口うるさいお姉様先生の陰口言ったり。イケメン先生に冗談でセクハラしたり、おばちゃま先生にしこたま怒られたり。あの時は大人に構って欲しかったんだろうなー。
自分の体が目に見えて大人に近付いていくにつれて、やだやだまだまだ子供でいたいの、とか思ってた。でも大人の階段をのぼっていってるのはそれはそれで楽しかった。ビッチとかエロい女って思われたくなかったから面には出さなかったけど、エッチなことも沢山したかった。実際中学生の頃にはエッチはした事あったけど、初めてオナニーをしたのは同じ高二の頃だった気がする。
子供のままでいたいけど、早く大人になりたい矛盾。子供のイタズラみたいな気分で、大人の気分を味わいたくて、校舎の裏で初めて煙草を吸った。お母さんが煙草を吸ってたけど、その姿をかっこいいと思ったことは無い。煙たいし、臭いし、「やめてよ」ってよく言う立場だった。そのクセしてまだ二十になっても無いのに煙草を吸った。
煙たかった。思わず咳き込んだ。一言で表現するなら「身体に悪い味」。大人はこんなものを一日に何本も吸うのか。頭がおかしいとしか思えない。
二度と吸うもんか、って思った。急にこんな子供みたいなイタズラ気分で大人の真似事してるのがバカバカしく思えた。その場で地面に放り捨て、グリグリと踏み潰した。バレないようにその屑を拾ってポケットにしまいこんだ。ライターを持ってるのが先生にバレないかビクビクしながら職員室の前を通って帰った記憶がある。職員室ではクラスメイトの男子四人が怒られてた。麻雀の牌を持ち込んで教室で麻雀をしていたらしい。「大人の真似」がしたかったんだって。肺が締め付けられるような気分だったけど、後から聞いて笑った記憶がある。
「大人」になっても煙草を吸うつもりは無かった。実際二十歳を過ぎても煙草を吸うつもりは無かったし、お母さんが煙草を吸ってる姿を見るとイライラして「やめてよ」って言ってた。
大学を卒業して、社会人になって、一人暮らしを始めて。合コンの数合わせで連れて行かれて、アイツに出会って。三年ぶり位に付き合って。夜勤明けの日に家に帰らずアイツの家に泊まったり、車で迎えに来てくれたり。
誠実そうな見た目と、その見た目通りの優しさ。少し低めの声で、「好きだよ」って言ってくれるのが凄く嬉しかった。パソコンに向かう時は眼鏡をかけるのが賢そうに見えて好きだった。
そんな見た目なのに、ヘビースモーカーだったのがとても意外に思えたことも憶えてる。人差し指と中指で煙草を挟んで、よく冷蔵庫にもたれ掛かっていたのを憶えてる。
恋は盲目。私はアイツが煙草を吸うのは嫌じゃなかった。寧ろカッコよく見えた。あんな真面目な人でも吸うんだ、って思った。いつしか私はアイツにもたれ掛かって一緒に煙草に火を付けていた。
初めてアイツの前で吸った時は、アイツから一本貰ったんだった。一本ちょうだい、って言ったら少し困った顔をされたんだっけ。
「……美味いもんじゃないぞ?」
「……知ってるよ。昔、背伸びしたくて吸ってたから」
自嘲気味に言ったその言葉に、アイツは吹き出したのも憶えてる。多分、バレてたんだろうな。今も背伸びしたくて「吸ってた」なんて小さな嘘をついたことを。言葉としては間違っちゃいないけど、「吸ってた」というよりは「吸ったことはある」が正しいでしょ?
相変わらず身体に悪い味がした。肺の中に灰が溜まる感覚は気持ち悪かった。だけど、大好きなアイツと同じ味を共有してる、って考えたらどんなディープキスよりも扇情的で気持ちいい気がした。舌を絡ませるなんてバカバカしい。私達は肺を絡ませてるんだ。
身体が煙草に慣れていく感覚が楽しかった。肺に沢山タールを詰め込んだ。お気に入りの服には洗濯しても消えないくらい煙の匂いが染み付いた。アイツが泊まりに来た時、アイツの家に泊まりに行く時。決まって最後は二人で互いに服にファブリーズを振りかけた。唇を合わせるとシガレットの味がしたし、舌を絡めると煙の香りがした。二人で真夜中にコンビニまで煙草を買いに行くこともあった。真夜中にわざわざ車で埠頭まで行って、真っ黒な海を眺めながら二人でライターに火を付けた。
友達なんかには少し嫌がられた。煙たいし、臭いし。身体に悪いし。よくそんなに吸えるね。麻薬みたいなもんじゃないの?って。私だってそう思うけどね。麻薬より気持ちいいよ、今は。なのに麻薬と違って法律で縛られていないから、合法で最高でしょ?煙で友達の顔は綺麗に見えていなかったけど、多分嫌悪感マシマシの瞳で見られていたと思う。
アンタだって似合いもしない真っ赤な髪色。先週は銀にしてたでしょ?そんなころころブリーチして、そんなころころ髪の色変えて何が楽しいの?見ててイタいし髪も傷むでしょ?アンタが髪を傷めて楽しんでるように、私も肺を殺して楽しんでるんだ。そこに何の違いもありゃしないでしょ?
本当に、いい男だったんだ。
だからこそ、バカを見たんだよ、私。
男に影響されてニコチン中毒になるなんて、恋に振り回されてるバカな女だろ?私、昔からそんなバカを蔑んでたような気がする。それがいつの間にか、私がそんなバカになってしまってた。
本当に燃える恋っていうのは、どうやら人をバカにしてしまうらしい。
つい、口に咥えてしまったんだよ、離れられない一本の鎖を。いつの間にか首輪みたいに巻き付けられて、ライターのちっぽけな炎に手綱を握られてる。ご主人様に構ってほしいから尻尾振って涎垂らして従順にしてるのに、煙のようにふわって消えてしまった。
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適当なおかずと四百円の公害を買ってコンビニを出る。空は完全に暗くなっており、人通りも殆ど消えかかっている。コンクリートを転がるタイヤの音と共に照らしては通り過ぎる車のライト。すぐに家に帰る気分にもなれないからここで一本だけ吸っていこうか。
鼻の下伸ばしてエロ本の表紙を眺めてるおっさんをガラス越しに睨みつけながら火のついていない煙草を口に咥える。どうせでかいおっぱいに目が眩んで見えてないんだろうが、わざと舌舐めずりしておっさんの劣情を煽ってやった。まあ、それを見てたとして、それで勃起したとして、アンタみたいなおっさんとは絶対やらないけどね。肌だって触らせないから。精々家に帰って虚しく抜いちまえ。
ライターを胸ポケットから取り出し、炎を口元へ寄せる。真っ暗な夜なのに、鼻先だけは暖かくて、オレンジ色に明るい。今日ベランダから見てた夕日みたいだ。
なんで私、振られたんだろ。
溜息と共に煙を吐き出す。
煙草なんてやめちまえばいいのに。
そしたらアイツのことも忘れられるかもしれないのに。
この草のクズと紙で出来たドラッグに縛られて、楽しかったアイツとの思い出に縋ってる。もう全部燃え滓になって煙も出ないのに、まだ忘れたくないからライターを付けて陽炎に幻覚を見てる。
いっその事、靴の裏で踏み潰してしまえばとっても楽になるって解ってるのに、不始末で火事になっちまった方がいいんじゃないか、なんて思ってしまう私がいる。
このままいけばバカのまま破滅する哀れな憐れな女が完成する。灰皿に押し付けられて灯火が消えちゃうようなバカな女。
結局、大人になっても何かに縋ってないと私は生きていけない。学生の頃、やだやだまだまだ子供でいたい、なんて思いながらも大人に憧れてた。
今の私はどう?子供のままだ。必死に背伸びして見栄張ってるだけ。大人を夢見て大人になり切れていない。自立した大人ってのは世界に何人いるんだろうね。少なくとも私は煙草に縋って生きているし、煙草を吸うことでアイツに縋って生きている。
多分、煙草を吸わなかったらこんなことにはなってなかったんだろうな。
でも、きっと煙草を吸わなかったらアイツと四年間も続かなくて、今こうして思い出に縋ることも出来なかったんだろうなって。
バーカ。自分の思うように吸わせろ。
先から灰になって、燃え滓が地面に落ちていく。あの燃え滓には私の大切な大切な寿命と健康が混じってるんだ。どうかしてると思うよ、ホント。
空に向かって思い切り煙を吐く。すぐに消えていくあの煙には、私の大事な大事な思い出や自尊心、アイツへの愛情が詰まってるんだ。もう少し頑張れよ、ホント。
灰を作りながら、煙草の先はオレンジ色に燃える。どんなに暗くても、アイツが私を見つけてくれるかもしれないから、もうちょっと綺麗に照らしてくれないかな?ほら、せめて今日の夕日みたいにさ。あれも私から見たらあんまり綺麗じゃなかったけどさ、せめてアレくらいはさ。
煙で視界が遮られる。夜の闇の中、見えてるのは鼻先のオレンジの光と、コンビニの駐車場へ入ってきた車のライトだけ。
帰ろう。明日も仕事だし、さっさと寝たい。
コンビニに備え付けられている灰皿に咥えていた煙草を捨てて、レジ袋を揺らしながら歩き始める。
煙が目に沁みたのか、車のライトが眩しかったのか。目が痛い。無性に泣きたい。一度立ち止まって、目をゴシゴシと擦る。
泣くな私、折角の火が消えちまうだろ。
「悪い、ライター貸してくれないか」
思い出すのは大好きだった声。とうとう煙にやられて幻聴でも聴こえちゃった?痛い目を開けて幻聴のした方を振り返る。
「……美味いもんじゃないのに、まだ吸ってたんだな、煙草」
ああ、そっか。
あの車のライトがやけに眩しく見えたのって。そのライトで目が痛くなった理由って。泣きたくなってた理由って。
無意識に思い出してたからなんだ。あの車のことを、よく迎えに来てくれてたあの車を。
「……久々に、どっか行くか」
「……バーカ。うるっせーよ」
身体に悪いからやめた方がいい。
アイツのことを思い出すくらいならやめちまえばいい。
寿命削ってまでちょっとの時間の快楽が欲しいの?
頭がおかしいとしか思えない。
私だってそう思うよ。アイツだってそう思ってるよ。
けれど。
バーカ。うるっせーよ。
私の人生だ、煙草くらい自由に吸わせろ。
私の人生だ。何かに縋っていたとしても、バカだとしても、それが私の人生だ。
好きに生きてるんだ、文句ないでしょ。
私は嫌煙厨です。たばこ、きらい。