時系列としては本編の一話より前の二月の話です。
番外編① バレンタイン・バースデー 前編
「舞衣ちゃん、今帰りー?」
「あ、可奈美ちゃん」
中学一年生の冬。寒さのピークとも言える二月のことだった。舞衣は放課後に真っ直ぐ美濃関学院の女子寮の自室へと戻ってきていた。自室の前まで来たところで偶然居合わせた可奈美と出くわした。
「もう出発するの?」
「うん。早くしないと向こうに着くの遅くなっちゃうから。可奈美ちゃんこそ大丈夫? 私、明日は丸一日いなくなっちゃうよ」
時刻は夕方の五時くらい。舞衣はこれから実家に帰省する予定になっている。進級までいくらか期間があるにも関わらず、こんなことをするのにはある理由があった。
「心配しなくても大丈夫だって。舞衣ちゃんこそ、誕生日なんだから家族で過ごしてきてよ」
そう。二月十四日は舞衣の誕生日だ。しかも、今年は十四日が土曜日なので本日十三日の金曜日の夜に実家に到着すれば土曜日を丸々使えるのだ。
そのため、実家の妹たちから帰ってきてはどうかと提案をされ、舞衣はそれに乗ることとなった。
「それに、明良さんには初めて誕生日祝ってもらうんでしょ?」
「え? あ……うん……って、何だか言い方が変だよ、可奈美ちゃん」
「そうかなぁ? だって、舞衣ちゃんだって楽しみにしてるんじゃないの?」
「それは……そう、だけど」
舞衣は可奈美に言われたせいで否応にも脳裏にとある青年の姿を思い浮かべてしまう。
黒木明良。去年の四月、ちょうど舞衣が美濃関に通い始めた頃に執事に就いた青年。既に家に執事はいたが、先輩である執事は主に舞衣の両親の仕事の補佐を行っており、自宅にはそこまで関わっていない。言うなれば、明良は柳瀬家の自宅の使用人と言ったところか。
「明良くんのこと、ちょっと心配だよ」
「何で? 前に会ったときも、何でも完璧にこなしててビックリしたくらいだよ」
「何でも、っていうことが心配なの」
舞衣は困ったような悩ましいような複雑な表情にならざるを得なくなる。彼の今までの行動からはそんな片鱗が何度も表出しているのだ。
「明良くんって、私に対しては特に神経質というか、過保護なところがあって」
「あー……」
可奈美も得心いった顔になる。明良は舞衣に対してどう考えても並大抵の主従関係とは思えないほどの感情を抱いている。食事、更衣、睡眠などの健康管理は勿論、身辺警護や防犯などの面でも常に舞衣をサポートしている。中世の高貴な姫君でもこんな世話をされているか怪しいくらいだ。
こんな扱いを受けることなど、年頃の人間なら男女問わず恥ずかしいことには違いない。だが、舞衣はもはや恥ずかしいを通り越して彼のことが心配になってくるレベルに達してしまっていた。
「何か変なことでもしてないか、って思っちゃうんだよね……」
「だ、大丈夫だよ舞衣ちゃん。きっと今ごろは……舞衣ちゃんが帰ってくるの楽しみに待ってると思うよ」
「う、うん……そうだよね」
何故だろう。舞衣には確かな胸騒ぎがあった。そう、これからとんでもない誕生日を迎えることになるのでは、という不安や疑心が胸中で渦巻いていた。
※※※※※
「ただいまお迎えに上がりました。お久し振りです、舞衣様」
日もすっかり暮れ、屋外は夜に包まれた頃に舞衣はようやく実家近くの駅に到着した。バスや電車の発車の待ち時間の分だけ時間を無駄にしてしまったが、何とかそこまで遅くならずに済んだ。
というのも、あまりにも遅いと目の前の青年――明良は尋常ではないくらい心配してくるからだ。
「うん、久し振りだね。迎えに来てくれてありがとう。明良くん」
明良の背後には黒塗りの普通車。明良が舞衣や彼女の妹たちの送迎に使う車だ。
「いえ、舞衣様のためですから」
明良は穏やかで人当たりの良い笑みを浮かべて答える。こんな顔をしているが、先程舞衣がメッセージアプリを使って『少し遅れそう』と連絡を入れると、明良から『事故ですか? そちらへ直接お迎えに上がりましょうか?』とか『緊急時に備えてGPSをONにしておいてください。いざとなったら救助に向かいます』とか返信があったのだ。しかも、既読されてから返信までが二秒くらいしかなかった。常に確認していたのだろうか。
――ぐ、偶然だよね。うん
そんな過剰な心配の込められたやりとりがあったのがつい三十分ほど前だ。それでもここまで笑顔で振る舞えるのは、彼のスイッチの切り替えが上手いのか、或いは彼にとっては過剰でもなんでもないのか。
考えを巡らせていると、明良はスッと両手を舞衣に差し出してきた。
「お荷物はこちらでお受け取りします。舞衣様はお先に後ろの席へどうぞ。外は冷えますから、お早く」
「うん、ありがとう」
舞衣は大きめのキャリーバッグを明良に手渡す。休日ということで今は御刀は持っていない。
明良がキャリーバッグをトランクに入れている間に舞衣は後部座席のドアを開け、シートに座ってシートベルトを締めた。車内は暖房が効いており快適な温度に整えられている。公共の交通機関ばかりで中々身体が休まらなかったせいか、思わず一息ついてしまう。
戻ってきた明良は運転席に座り、シートベルトを締める。舞衣も締めたことを確認した明良は「出発します」と一声かけてゆっくりと車を発進させた。
「ねえ、ちょっといい?」
車が発進してから数分後、舞衣は明良に声をかけた。まだそこまで運転手の経験がない彼に不用意に話しかけていいのかを確認したのだ。
「はい、何でしょう?」
流石に振り返りはしなかったが、明良は何の気なしに返事をしてきた。
「今日と明日って家には誰がいるの?」
「確か……舞衣様、美結様、詩織様の三名となります」
「あれ? お父様たちは?」
「旦那様と奥様はどうしても外すことのできない仕事らしいので、しばらくは戻れないそうです。柴田さんも同行しているので、執事は私のみですね」
舞衣の両親は仕事で家を空けていることが多い。それでもなるべく家族の誕生日や年末年始などは時間を作っているのだが、今回はそれが上手くいかなかったようだ。
「ですが、ご安心ください。旦那様と奥様からはプレゼントとメッセージを受け取っております。当然、私も全力でおもてなしいたしますので」
「うん……楽しみにしてるね。でも、無理はしなくていいからね」
「ご遠慮なさらないでください。年の一度の大切な日ですから、思い出深いものにしたいんです」
こちらから明良の表情は見えないが、きっと生き生きとした顔をしているのだろう。舞衣にはそう思えた。
※※※※※
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」
帰宅後、美結と詩織と簡単に挨拶を済ませた。すぐに妹二人が自室へと帰った後、舞衣はリビングで夕食を摂った。オムライスにコーンスープ、サラダが明良の手によって調理されており、移動続きで空腹だった舞衣はすぐに平らげてしまった。
「明良くん、また料理上手になったんじゃない? 美味しかったよ」
「恐れ入ります。お口に合って何よりです」
去年彼が執事として雇われてすぐの頃よりも明らかに味のレベルが上がっている。彼は簡素に言うが、裏でかなりの練習を積んでいるのだろう。
「では、お皿を下げますね」
「あ、いいよ、それくらい。私がするから」
「え? 舞衣様――」
明良が食器を持ち上げようとするが、舞衣は先に自分でそれを持ち、流し台に移動した。そしてたった今使った食器を洗おうと常備されているスポンジに手を伸ばす。だが、それと同時に横から手が伸びてきて同じようにスポンジを掴んだ。
「舞衣様、いけません。家事は執事である私の仕事です。舞衣様はくつろいでいただいて構いませんので」
「いいよ。私にもこれくらいやらせて」
「ですが、貴女にこのようなことは――」
二人が互いに食い下がろうとしないせいで、少々話が面倒な方向へと進んでいく。舞衣は話をさっさと終わらせようとこちらを向いている明良の方へ首を回し――
「……っ!!」
回したところで固まってしまった。元々肩が触れ合うか合わないかくらいの距離で立っていたため、その位置で互いに向き合えば自ずと至近距離で向かい合うことになる。向かい合った舞衣と明良の顔の間には僅か数センチ程度の空白しかない。それこそ、少し身を乗り出せば唇が触れてしまう程度しか。
舞衣はいきなり視界に飛び込んできた明良の顔を長い間直視できず、慌てて後ずさりして距離をとった。実際に見つめあったのは二秒ほどなのだが、舞衣には数十分ほどに感じられるほどの疲労感があった。
――び、び、びっくり……した……!!
頬に当てた手からじんわりと熱が伝わってくる。恐らく、今の舞衣の顔はまともに人に見せられないほど動揺と羞恥で染められている。
「ご、ごめん、明良くん」
「………いえ」
明良から目を背けつつ確認するが、明良が返した声は意外にも平坦なものだった。疑問に思った舞衣は聞いてみることにした。
「びっくり……しなかった? いきなりあんなことになって」
しっかりとある程度の距離をとりつつ、明良の方に向き直る。明良は微笑んで答えた。
「驚かなかったと言えば嘘になりますが、お気になさらなくて結構ですよ。今のは明らかに不可抗力ですから」
「そ、そう……だよね」
まだ自分の顔は熱いというのに、明良は普段と変わらず崩れていない。異性との個人的な交流の少ない舞衣にとっては先程のようなことは未知の経験だ。しかし、明良の様子を見るに彼にとっては些事なのだろう。
――何だか、ちょっと悔しいなあ……
明日十三歳の誕生日を迎える舞衣だが、それでも明良は舞衣より六つも歳上なのだ。容姿が優れているだけでなく、気遣いもでき、家事の腕も高い。そんな彼ならば今まで恋人がいたこともあるのだろう。世の女性が放っておくはずがない。
しかし、舞衣にはそれが嬉しく思えなかった。自分がまだ中学生だから仕方ないのかもしれないが、彼から異性として意識されていないと感じてしまうことも。彼が他の女性と極端に親密な関係になっているのを想像することも。
「……舞衣様、何かご用でしょうか?」
ここで、自分があまりにも明良のことを見続けていたことに気づいた。明良が首をかしげて聞いてきたので、あわてて首を左右に振る。
「ううん、何でもないよ。そ、それより私お風呂に入ってくるから」
「畏まりました。お洋服とタオルは洗濯籠にお入れください」
明良が食器洗いを始める姿を横目に舞衣はリビングを後にした。
「……何だろう、この気持ち」
気づけば彼のことを目で追ってしまい、動揺や歓喜、羞恥の感情が表出してしまう。一緒の空間にいるだけで幸福感が湧いてくる。
未知の感覚に戸惑いながら、舞衣は風呂場に歩いていった。
※※※※※
カチャッ……
微かな金属の摩擦音が耳に届くが、既に上の階で就寝中の少女たちに気づかれることはないだろう、と明良は行動を続けた。
時刻は深夜零時。美結、詩織は勿論、舞衣ももう眠っている時間だ。明良は念には念を入れて就寝直後ではなくある程度時間をおいてから作戦を実行に移したのだ。
場所は柳瀬家の洗面所。その引き戸を開け、そこからさらに歩く。
――ここはスルーしましょう。
風呂場に行く途中に洗濯籠に放り込まれた舞衣の肌着や下着が目に入るが、それには手をつけずに通り過ぎた。凡百の男ならこれらの衣類を嗅いだり吸ったり食べたりするのだろうが、そんな変態のような真似はしない。自分は舞衣の執事なのだ。変態になってどうする。
――本命は……よし。
風呂場へと足を踏み入れ、浴槽の蓋を開ける。その中には数億円相当(明良にとっては)の
「ミッション1、達成……と」
思わず口に出してしまうくらい嬉しくなった。こんなことで声を出してしまうようではまだまだだと思ったが、これは仕方ない。
今日は当然美結と詩織も入浴はしたのだが、その時間は舞衣よりも前だ。ゆえに明良は、美結と詩織が入浴を済ませた後、風呂場を丹念に掃除し、湯を張り直しておいたのだ。これによって、純度の高い舞衣の成分を残り湯に抽出できる。
「さて……」
明良は水筒を取り出し、その中を水でしっかりと洗ってから残り湯の上澄み、そして下層部分の液体を水筒に入れた。
――計画通り。
誤解しないでほしいが、これは変態行為ではない。舞衣の身体の状態を知るためには彼女が入浴の際に何をしているのかを知る必要があるのだ。
もしかすると十分に身体の汚れを取り除けていない可能性もあるのだ。明良は舞衣が多少ちゃんとした入浴ができていないからといって、それを嫌うつもりなど毛頭ない。だが、舞衣も年頃の女子だ。気にしないことはないだろう。
そもそも、異性の残り湯を持ち去ったからといって警察も法律も動くことなどない。ゆえにセーフだ。
「………」
とはいえ、こんなことが誰かに知られれば解雇されることは目に見えている。それくらいはわかる。己の正義は決して万人にとっての正義とは限らないのだ。いくら明良が自分の正当性を主張しても周囲は理解してくれないことはわかっている。
「猶予は……三分」
明良は名残惜しい気持ちを必死に振り切って浴槽の栓を抜き、残り湯を流す。そして風呂場の水垢や
――よし、これで十分。
目的を達成し、証拠も隠滅した。舞衣たちが起きた気配もない。ほぼ完璧だ。
明良は満足感を胸に携えながら柳瀬家から去っていった。
まあ、私はバレンタインデーなんか興味ないですしー。べ、別にチョコ貰えなくても? 気にしませんしー(血涙)
P.S.
みにとじの5話で舞衣がヤンデレ化していて、歓喜やら恐怖やら様々な感情が引き出されて大変なことになった。アニメはどうしちまったんだ(もっとやってくださいお願いします)。そして私もどこへ行ってしまうんだ。
質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ