私「まさか、荒魂を抑える力は胸の大きさに比例する可能性が微レ存……」
???「しょうちしたきさまはきる」
気付いたら病院のベッドの上にいました。背中に大きな刀傷がありましたが、どこのエターナルさんにやられたのか皆目見当がつきません。
それはともかく、少し間が開いたこともあって今回は長めです。
「舞衣様、これから如何なさるおつもりですか?」
沙耶香と別れた後、舞衣と合流。日はとうに沈み、時刻は七時を過ぎている。今度は作戦本部へと足を運んでいた。
「確か鎌府の人が可奈美ちゃんたちと会ったって言ってたでしょ? だから、話を聞きに行こうと思って」
沙耶香が捕縛任務から帰還し、先程高津学長に連れていかれたことは既に舞衣に話してある。
「確か、糸見さんは取調室で待機しているそうです」
「場所、知ってるの? よくわかったね」
「ええ。つい先程、親切な方に教えていただきまして」
高津学長と沙耶香の会話を盗み聞きしていた明良は、沙耶香の軟禁場所も当然知っている。次の指示があるまでは部屋で待機させられているはずだ。
「見張りをしている刀使の方もいますから、どうにか話をつけないといけませんね」
「えっと……あの部屋、かな?」
鎌府の刀使が一人、部屋の前に立っている。ここの見張りを任されているということは沙耶香ほどではないにしろ、それなりに高津学長に信頼されている部下のはずだ。簡単に面会させてもらえるとは思えない。
「舞衣様、ここでお待ちください。交渉してきます」
部屋から十歩ほど離れた位置で舞衣を止めておき、明良は見張りの刀使に歩み寄る。
「何ですか?」
明良の存在に気づき、見張りの刀使は訝しそうに尋ねてくる。明良は舞衣と見張りの刀使の間に立ち、舞衣に対して背を向ける形をとる。これならば唇の動きで会話を読み取ることはできないし、舞衣とは距離があるため声を聞かれる心配もない。
「実は此方に鎌府女学院の糸見沙耶香さんがいらっしゃるとお聞きしまして、少々お話しさせていただくことはできませんか?」
「その話の内容とは何でしょうか? 然るべき理由もなしに面会は許可できません」
きっぱりと突き放された。マニュアル通りの台詞で拍子抜けだが、あの高津学長が交渉術の訓練などさせているわけがない。当然と言えば当然か。
「逃亡中の衛藤可奈美、十条姫和の両名がこれから向かう場所についての有力な情報が得られまして。そのことについての情報提供です」
「それならば、作戦本部に向かわれてはどうです?」
呆れた様子で言う彼女に、困ったような苦笑いを貼り付けて答えた。
「私もそうしたいのは山々なのですが、高津学長は私の証言を聞き入れてくださらないので」
「だからといって……」
一瞬、目の前の少女が納得しかける。彼女自身、高津学長の横柄な態度は理解しているのだろう。これならばある程度普通に話ができる。
「これでどうですか?」
「……! な、何のつもりですか?」
明良は上着の内ポケットから財布を取り出し、一万円札を五枚抜き取って少女の前でちらつかせる。
「見てわかるでしょう? 三分でいいので、通していただけませんか?」
「買収する気ですか?」
「それ以外にありますか?」
こんな年端も行かない――中高生の少女に汚い真似をすることは少々気が引けるが、暴力や恫喝をするよりは幾らかマシだろう。
「貴女、もう何時間も立ちっぱなしではないですか?」
「え?」
ドキッ、と少女は動揺の色を見せる。彼女の性格は知らないが、少なくとも見当外れのことを言われたときの反応ではない。
「私がエントランスで糸見さんと話したのが午前八時半頃。糸見さんが高津学長にこの部屋に押し込められたのが午前九時頃。それから十時間ほど、ここで見張りをしているのではないですか?」
「何故、そんなことが……」
口にしてはいないが、ほとんど認めている。後は畳み掛ければ落ちる。
「立ち姿、顔色。食事や休憩もせずにここから動いていないのでしょう?」
「……はい」
苦々しそうに少女はうなずく。実際に足はわずかに震えているし、顔色からは疲労が窺える。高津学長がこの部屋に見張りを立てたとして、律儀に交代させることなど考えにくい。使える人員は全て可奈美と姫和の捜索に使っている。彼女がわざわざ沙耶香の見張りに何人も使うわけがない。
「ならば、大変な任に就いている対価として、多少のお零れを受け取っても罰は当たりませんよ?」
親しみやすい笑みを浮かべ、少女の手に金を握らせる。少女は罪悪感を拭いきれなかったようだが、高津学長に対する反骨精神や金銭欲が勝ったのか、部屋の鍵を開けてくれた。
「……三分だけ、ですから」
「ありがとうございます」
上手くいった。自分のポケットマネーで舞衣の目的が果たせるのなら、明良は簡単に金をドブに捨てるのだ。
「舞衣様、許可をいただいたので入りましょう」
後ろで待っていた舞衣と一緒に部屋に入る。舞衣の表情から、さっきの買収の現場は明良の背中で上手く隠せていたらしい。
「失礼します」
部屋の中は酷く簡素なものだった。ぼんやりとした蛍光灯が天井に一つと、灰色のリノリウムの床と壁。ろくに掃除をしていないのか、塵や埃が幾らか積もっている。窓はカーテンで隠れており、外の様子は伺い知れない。唯一の出入口であるドアも窓はないため、完全に締め切られている。
そんな部屋の中央に位置する四角い机と、二つの向かい合う椅子の片方に座っている少女に視線が引き寄せられた。
「……? どうし、たの?」
沙耶香は突然の訪問者に困惑しているようだ。表情や声色に普段より少しだけ引っ掛かりが生じている。
「お久しぶりです……と言っても、今朝別れたばかりですが。お時間よろしいですか、糸見さん」
「うん……」
沙耶香は静かにうなずき、視線を明良から目の前の椅子に戻した。
明良に続いて舞衣も入室してくる。舞衣は沙耶香の正面の椅子に腰掛け、明良はその後ろに立つ。沙耶香は最初は舞衣の存在に気づいていなかったようだが、舞衣が腰掛けたところで不思議そうな顔で舞衣、明良の順に視線を泳がせた。
「……この人は?」
「初めまして、私は柳瀬舞衣。美濃関学院の代表で……」
「今朝お話しした、私の主にあたる方です」
沙耶香は「そう……」とだけ呟き、顔を俯かせる。舞衣が美濃関学院の人間だと知って、何のために来訪したのかを警戒しているのだろう。沙耶香は可奈美を捕縛しようとした人物だ。普通に考えれば舞衣に良い印象は抱かれない。
「可奈美ちゃんたちと会ったんだよね? どうだったの?」
「二人とも……逃がした。全然敵わなかった、から」
淡々と語る沙耶香。単なる事後報告のようで、感情の揺れ動きが見られない。。
「よかったぁ。可奈美ちゃんたち、無事なんだね!」
「……」
「あ……その、ごめん。沙耶香ちゃんの前でこんなこと言っちゃ駄目だよね」
沙耶香が無言でコクリと頷く姿を見て、舞衣は慌てて自分の発言を訂正する。
「別にいい。事実だから」
「……えっと、沙耶香ちゃんって鎌府の人だよね? 自分のお部屋に帰らないの?」
舞衣は沙耶香の雰囲気に違和感を感じつつ、話題をそらす。沙耶香は変わらず感情の見られない態度で返事をした。
「ここで待機するように、と言われたから」
「それって、高津学長に?」
「……」
またもや頷く沙耶香。舞衣も、話題の広がりが見られない状況に戸惑っている。
ふと、舞衣の後ろで傍観していた明良が沙耶香におかしな部分があることに気づいた。
「舞衣様、私からも糸見さんに一つお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいよ、どうしたの?」
主人の話の最中に無断で割り込むわけにはいかない。舞衣から許可を貰い、沙耶香に話しかける。
「糸見さん、その左頬の傷はどうしたのですか?」
「えっ……」
沙耶香は思わず左頬に触れ、気づいた。彼女の白い肌が僅かに裂け、左頬に赤い線が走っている。
「今朝会った際にはそのような傷はなかったはずですが……誰かにつけられたのですか?」
数センチ程度の裂傷だが、明らかに転んだり御刀の振り方を誤ったようなものではない。正面や左側面から刀を横凪ぎに振らなければこんな位置に傷は出来ない。
「これは………」
沙耶香は答えない。今朝に明良に会っていなければ任務中の怪我とでも言い張れるだろうが、この状況では嘘だと見抜かれてしまう。
答えあぐねている沙耶香を見て、明良は殆ど確信していた。
――高津学長以外には考えられませんね。
明良と別れてからすぐに高津学長は沙耶香をこの部屋に軟禁したのだ。その間に部屋に出入りした人間は一人もいない。
唯一出入りできたのは見張りの刀使くらいだが、彼女が沙耶香を傷つける理由はない。高津学長に贔屓にされている沙耶香に逆恨みして、という線もあるが後に高津学長に知られてしまうリスクを考えると可能性は低い。
その点、プライドの高い高津学長ならば、任務に失敗して自分の評価を下げることとなった沙耶香に躾と称して暴行を加えてもおかしくない。
明良がそこまで推理したところで見かねた舞衣がポケットを漁り、絆創膏を取り出す。
「とにかく、そのままにしてたら駄目だよ。ちょっと待ってて」
「……ん」
沙耶香の傷が花柄の可愛らしい絆創膏で覆い隠される。小さな傷ではあるが、舞衣の性分からすれば同年代の、それも年下の子の怪我を放っておくことなどありえない。それに外気に触れなくて済む分、こちらの方が痛みが和らぐ。
「これでよし……と。こんな子供っぽいのでごめんね。上の妹がこういうのが好きだから」
「別にいい……気にしない」
やや驚いた沙耶香に、舞衣は慈愛に満ちた表情で彼女の頬を撫でた。傷に触れないよう、優しい手つきで。
端から見ている明良には二人が姉妹のように見えてしまう。実に微笑ましい空間だ。
「そうだ。沙耶香ちゃんは甘いものって、好き?」
「……? うん」
「じゃあ、はい。手、出して」
唐突に投げ掛けられた質問に沙耶香は困惑する。肯定した沙耶香の手に舞衣はビニール製の小さな袋を手渡す。
「これ……クッキー?」
袋の口の部分を広げると、中に何枚かのクッキーが入っているのが見える。
「うん、落ち着こうとしてたら作りすぎちゃって……良かったら食べて」
沙耶香は物珍しそうにクッキーを眺めて、呆然としている。だが、嫌悪感は全く見られない。
そこで、ガチャッという異音が部屋に届いてくる。いきなり開かれたドアの方向に三人とも視線が行った。
「面会終了の時間です」
入ってきたのは先程の見張りの刀使だ。見れば、腕時計の針はちょうど入室から三分の時刻を指し示している。
「あ、わかりました。ちょっと待っててください」
舞衣は席を立つ前に沙耶香に向けて自分の携帯端末を取り出す。
「……?」
沙耶香は意図が読み取れないのか、首をかしげて舞衣を見つめている。
「電話番号とアドレス、交換しよう」
「……うん」
沙耶香も携帯端末をポケットから取り出し、二人で番号を交換する。
終わったところで舞衣は席を立ち、明良もそれに続く。部屋のドアまで来たところで舞衣は沙耶香の方を振り返る。
「可奈美ちゃんのこと、教えてくれてありがとう! また勝負してあげて、喜ぶと思うから」
「……」
沙耶香は返事をするでも頷くでもなく、無言で微動だにしなかった。それでも、舞衣は笑顔を全く崩すことなく部屋を後にする。
「……糸見さん」
「………」
「いえ、やはり何でもありません。失礼します」
後ろに続いていた明良は何か言おうと思ったが、必要ないと判断してそのまま退室する。なぜならば、
――ああいう表情も、されるのですね。
笑っていたのだ。極々少し、本人さえ気づいていないだろうが、口角が上がっていた。喜びの感情が見え隠れしていたのだ。
※※※※※
「ねーねー、ちょっといい?」
「ん?」
沙耶香と別れ、部屋を出た少し歩いたところで声をかけられた。聞き慣れない、幼い少女の声だ。
「こっちこっちー」
声の主は廊下の壁に背中を寄りかからせて立っている。
歳は舞衣や可奈美よりも下だろうか、沙耶香と同じくらいだとすると中等部一年生といったところか。薄桃色の長髪に小柄な体躯。身長は沙耶香より僅かに低い程度。何よりも目を引いたのは腰に差した御刀と赤色の制服。
「……! 親衛隊の……」
隣の舞衣が目を見開く。一目で正体に気づいたからだ。
「まだ挨拶してないよねー。私は――」
「親衛隊第四席、
先んじて名前を呼ばれた少女は、キョトンと目を丸くして、すぐにそれは挑発的な笑みへと変わる。
「なーに、おにーさん。私のファンなの? もしかしてロリコン?」
「いえいえ。こう見えても職業柄、情報通ですので。耳にしたことがあるだけですよ」
燕結芽。史上最年少で親衛隊入りを果たした刀使であり、現在第一席の獅童真希をも上回るほどの実力者という触れ込みの少女だ。
そして、明良にとっては折神紫の次に手強い相手である。あと、明良は別にロリコンではない。断じてない。
「ふーん……」
親衛隊の少女――結芽は興味深そうに明良をジロジロ見つめる。不躾な視線ではない。無邪気、無垢とも言える純粋な好奇心や観察欲だ。
「あの……私たちに何か用があるんですか?」
「ああ、そうそう」
舞衣はおそるおそる結芽に尋ねる。結芽はようやく思い出したと言わんばかりに右手の握り拳を左手の平にポンと置く。
「犯人の二人を見つけて、逃げられちゃったって聞いたけど、それホント?」
「衛藤可奈美と十条姫和のことですか?」
「うんうん」
相変わらず笑みを浮かべている。だが、今度は試すような、品定めをしているような雰囲気が感じ取れた。
「それに関しては言い逃れのしようがありませんね。私の実力不足としか言えません」
「ふーん、そーなんだー」
結芽は一瞬だけ相対している明良から視線を別の方向へずらす。明良の左後ろに立つ舞衣の方向へと。
「……!!」
『それ』をいち早く察知した明良は思考速度を最大限まで高め、行動に出ていた。革靴で床を蹴り、一足飛びに舞衣の正面へ移動。結芽との間に入る。
それと同時に結芽も迅移を使って明良の正面に移動。御刀の柄を右手で握り締め、左手の親指で鯉口を切る。抜刀の勢いに任せて斬撃へと繋げる――抜刀術だ。
「……っ!!」
明良が割って入った時点で刀は抜かれ、彼の身体に降りかかろうとしている。狙いは彼の首だ。
可奈美が舞衣にやったように刀を握る右手を掴んで止めることができるかと思ったが、結芽に遅れをとっている以上、もう間に合わない。ならば、とるべき行動は一つ。
無理矢理にでも止める。
「へぇ……」
「あ、きら……くん?」
結芽の御刀は明良の首から十五センチほど離れた位置で止まっている。いや、明良が止めたのだ。無論、結芽の手を掴んで止めたのではない。
彼女の抜き放たれた御刀の刀身の
結芽は呆気にとられていたが、明良が手を離すと御刀に付着した明良の血脂を布で拭い取り、鞘に納めた。
「すっごいねー、おにーさん。寸止めしようとは思ってたけど、こんなことされたの初めてだよ」
「それはどうも、光栄ですね」
「でもさ、そんなことして痛くないの? 手、切れちゃったんじゃない?」
結芽はクスクス笑いながら明良の手を見るが、煽っているのだろうが明良にとっては微笑みながら返すくらいの余裕は十分すぎるほどある。
「問題ありませんよ。ご心配してくださるだなんて、燕さんは親切な方でいらっしゃいますね」
「……変なおにーさん」
気味悪がられた。結芽が見たかったのは強く反論したり、怯えたりといったものだったようだが、当てが外れて面白くなさそうだ。まあ、自分が傷をつけた相手にこんな台詞を言われて喜ぶような人間はよほどの狂人の類いだろう。
それはともかく、明良にはもっと心配なことがあった。明良は後ろに庇っていた舞衣に向き直り、その姿を改めて確認する。
「舞衣様、お怪我はありませんか? 血が飛ばないように注意はしましたが、念のため確認を……」
「私のことはいいよ! 明良くん、手を見せて、早く!」
舞衣は動揺しながら明良の左手首を掴んで自分の方へと引き寄せる。ちゃんと患部に触れないようにしている辺り、彼女の優しさが窺える。
明良の掌には大きな裂傷が一本の線となって引かれており、そこから鮮血が溢れ出ている。
「酷い怪我……早く医務室に行かないと。でも、その前に何か巻いて……」
舞衣はポケットから白いハンカチを取り出し、掌に巻き付けていく。
「いけません、舞衣様、ハンカチが汚れてしまいます」
「静かにしてて」
ぴしゃりと舞衣に言われ、睨まれる。明良は萎縮しながらも言われるがまま応急処置を受ける。白かったハンカチは明良の血が滲み、赤く変色していく。きつく縛ったおかげで出血は抑えられたが、明良の胸には罪悪感が湧いてしまう。
「申し訳ありません。しっかりと洗っておきますので」
「別にいいよ、そんなの。ハンカチなんかより、明良くんの方がずっと大切だから……」
舞衣は悲しげな表情で明良の手を優しく包み込んでいる。
舞衣の持ち物を汚してしまったこと、彼女の気分を害したことに罪悪感はあるが、自分のことを少しでも大切に思ってくれているという言葉に思わず胸が暖かくなるのを感じた。
「終わったの、おにーさん?」
「ええ」
横で見ていた結芽がニヤニヤしながら此方に声をかけてきた。
「今のでわかったよ、おにーさんが全然本気じゃなかったってこと」
「何のことですか? 私は舞衣様をお守りすることには常に全力で取り組んでおりますが」
「そーじゃなくて……おにーさん、あの二人に手加減したんでしょ?」
「……え?」
横にいる舞衣はどういうことかわからないのか、視線が結芽、明良と交互に移動する。
明良は笑顔を貼り付けて知らぬ存ぜぬを貫くことにした。
「まさか。私は単なる一般人ですよ? それこそ、衛藤さんにも十条さんにも全く歯が立たないほどの。そう報告していたと思いますが」
「一般人? 私の攻撃を止めてたのにそれはないんじゃないかなー? ホントはすっごく強いんじゃないの?」
「運が良かったのでしょうね。燕さんが手心を加えていなければ危なかったところです」
無論、明良は一般人とは程遠い存在であることなど自覚しているし、不意を突かれなければ結芽の攻撃にもっと適切な対応ができたとは思っている。
「とはいえ、舞衣様の護衛の任にも就いている身ですから、さらに鍛練を積むべきだとは実感しましたね」
「……はぁ、もういいや」
結芽はつまらなさそうに唇を尖らせ、その場から立ち去ろうとする。
「ところで、燕さん」
「なーに?」
「先程はありがとうございました」
「? 私、何か感謝されるようなことしたっけ?」
「ええ。してくださいましたよ」
明良はそう言ってハンカチの巻かれた自分の左手を見せる。
「手心を加えてくださらなかったら、もっと大変な事態になっていましたので」
「それで感謝しちゃうの? ほんと、変なおにーさん」
「何を仰っているのですか?」
舞衣には見えないよう、明良は口角を吊り上げたまま目元に明確な敵意を宿らせる。笑っているのに、目は全く笑っていない、という表情だ。
「貴女が舞衣様に傷一つでもつけていれば、私が貴女を無傷で帰すことなど絶対にありません。
ですから、そのような大変な事態にならずに済むように計らってくださってありがとうございます」
ぞわり、と結芽は身体を震わせ息を呑む。明良にとっては舞衣が無傷でいたことが何よりもの幸いだった。もしも何者かが彼女の綺麗な肌に一筋でも傷を作ろうものなら、何十倍にでもして返す。それが彼女と敵対する者ならば、尚更に、徹底的に行う。
威圧感に屈してしまうかと思ったが、逆に嬉しそうに顔をほころばせる。
「やっぱり……思った通りだね、おにーさんは」
結芽は明良の顔を下から覗きこむ。明良も笑顔でそれを見下ろす。
「いつか一緒に遊ぼうよ、二人っきりでさ」
「はい、お断りしますね」
それからは結芽も特に何か言うこともなく、その場から去っていった。
舞衣は思い詰めた表情で明良に聞いてきた。
「明良くん、さっきの……」
「先程の言葉でしたら、気になさらないでください。当然のことを申し上げたまでですから」
そう、当然のことだ。普通に言わなければならないことを言っただけなのだ。明良にとって舞衣の身の安全を守ることなど特別なことでも何でもない、普通の、常識のようなものだ。
「うん、明良くんが私のことになるとあんな風になっちゃうのは知ってるよ。でも……あんまり、怪我しないでほしいな、って」
「舞衣様……」
――私にとっては、この表情の方がよほど痛みを感じますよ。
舞衣の心配している表情。自分ごときが舞衣の気を煩わせていることが苦しくて、痛い。掌の傷よりも遥かに痛い、胸の疼きが確かにあった。
「その……医務室に行ってきますね。それから、ハンカチの方も洗っておきます」
「あ、うん、そうだね。場所はわかる?」
「はい」
明良は舞衣と別れて医務室の方へと足を進める。ここから宿舎までは近い。特に危険もないはずだ。それに、明良は今からすることがあるのだ。
「……よし」
廊下を曲がり、誰もいないことを確認して左手のハンカチの結び目を解く。赤く染まっていたハンカチの下、先程負った傷は
――舞衣様に見られなくてよかった。
ハンカチに染み込んだ血の汚れを早く落としてしまおう、と明良は目的の前に寄り道をすることにした。
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