次回からは遂に明良の正体が……(わかるとは言ってない)
明良の左手から流れ出る粘液は鉤爪状の手に変化し、『左腕』が形成される。その一連の様子を見た結芽は写シを貼りつつ、興味深そうに『左腕』に視線を注ぐ。
「おにーさんのそれ、どーなってるの? 手品とかじゃないよね?」
「ふふ……どうでしょうね?」
薄ら笑いを作りながら明良は『左腕』を結芽へと向ける。
「何か変なの。そんなの作れるんだったら、わざわざあのとき素手で受けなくてもよかったじゃん」
結芽が舞衣に斬りかかり、明良がそれを防いだときのことを言っているのだろう。確かに『左腕』ならば結芽の斬撃を受け止めることもできたかもしれないが、これはそんな万能の代物ではない。
「あのときは咄嗟でしたからね。作る暇などありませんよ。それに、舞衣様の前ですから」
「またあのおねーさん? おにーさんって、口開けたらそれしか言ってない気がするけど?」
「それだけ、あの方について第一に考え、行動しているということですよ。あの方に害を為す者――今の貴女を処理することのように……」
明良は右足で強く地面を蹴り、結芽に突進する。狙うは急所ではなく右腕。御刀を扱う利き手さえ使い物にならなくすれば無力化できる。
突進と同時に突き出された『左腕』が結芽の細腕を握ろうとする。
「にひっ」
「……!」
結芽は口角を吊り上げ、笑い声を漏らす。それが何を意味しているのかわからない明良ではなかった。彼女の性格ゆえの狂気の笑み――ではない。もっと単純な、ありふれた感情。余裕だ。
「ぐっ……」
結芽は一瞬で明良の視界から消え、『左腕』が空を切ったところで明良の右肩に強烈な鋭い痛みが走る。右肩の服が斬り裂かれ、筋肉、骨に至るまで離断し、深い刀傷ができている。
「あれ? 意外とあっけない? おにーさん、今の見えなかったの?」
「……はは」
渇いた笑いがいつの間にか明良の口から漏れ、空気に混じる。明良の背後に移動した結芽は、御刀の刀身に付着した血脂と明良の傷を交互に見比べて首を傾げている。
「普段から裏方仕事ばかりしているせいですかね……まさか私より速いとは」
「私はまだ全然本気出してないのにこんななの? それとも、おにーさんの方が手加減してる?」
「残念ながらこの後で車での送迎が控えていましてね……それゆえに、体力を温存しているだけですよ」
明良の軽口に結芽はクスクス笑いながら御刀の峰を掌で弄ぶ。
「車かー、じゃあいいよおにーさん、本気出しても。私に負けても乗れるんだから。車って言っても、救急車だけど!」
「お気遣いありがとうございます。ですが、必要ありませんよ。貴女は私に倒されていただきますから」
「あは、そーこなくっちゃ、ね!」
結芽は迅移で加速し、目にも止まらぬ速さで明良に斬撃を浴びせ、攻撃と離脱を繰り返す。わざと致命傷には当てず、ジワジワと体力を削っていくつもりだ。
「チィッ!!」
「おおっと!」
横凪ぎに振るわれる明良の『左腕』。まともに喰らえば写シを剥ぎ取り数メートルは弾き飛ばす威力だが、それも
「そうれっ!」
がら空きになった明良の胴体に右切上が入る。傷口から鮮血が吹き出し、喉からも血がせり上がり、口の端から溢れる。
「………」
結芽は一端距離を離し、明良は口元の血を右手で拭う。数秒ほど自分の血がべったりと付いた手を見つめていると、結芽が怪訝そうな表情でこちらを見ていることに気付いた。
「……何ですか」
「おにーさん、よくわかんない」
「……何がですか?」
「その左手、おにーさんってただの人間じゃないでしょ?」
結芽は明良の赤黒い鉤爪状の手を指差し、目を細める。
「でも、男の人で御刀も持ってないから刀使じゃないし……何なんだろ」
「……それはご想像にお任せしますが」
「ま、おにーさんたちを捕まえれば全部わかっちゃうことだから……別にいいけど」
「そうですね……捕まえれば、ですが」
明良は右手で右肩の傷口に触れる。べちゃっとした嫌な感触と鋭い痛みが伝わるが、そんなものは大して気にならない。
一瞬の内に右手で触れた部分の傷口が塞がり、新しく血が生成され、流れ出た血が蒸発していく。
「え……何それ……」
「………」
明良は次に右切上の入った傷口を右手でなぞる。右肩の傷と同じように、触れた箇所から順に傷が修復されていく。まるで動画の巻き戻しのように、傷も血も消える。
「全く……やはり再生能力があるとはいえ、傷は負わないに越したことはないですね」
最後に口元を拭い、今度こそ全ての傷がなくなる。負傷前と違うのは傷口のあった部分の服がボロボロに破れていることくらいか。
「ただでさえ御刀で出来た傷は治りが遅くなりますからね。それに、服が破れるのはどうしようもありませんし」
「びっくりした……おにーさん、本当に人間?」
「一般人かという意味でしたら、答えはノーです」
明良は右手を前に構え、意識を右手に集中させる。右の掌から流れ出る赤黒い粘液が指先から肘までを覆う。だが、『左腕』のような腕の形ではない。棒状の金属質の腕、例えるなら刀だろう。しかし、御刀のような日本刀の形ではない。幅広の片刃剣、カットラスに近い。とはいっても、現実のカットラスよりも刀身が長く分厚い。
「私は腑抜けていたようですね。捕縛用の『左腕』だけで十分、などと……」
明良は形成された刀を素振りし、無形の居に構える。
「私が『右腕』を使用する以上、絶対に写シは外さないでください。死ぬかもしれませんので」
「いいよ、これでようやくおにーさんの本気と戦えるんだからさぁ!!」
結芽が再び迅移を発動させ、速度で撹乱しながら攻撃の機会をうかがう。先程より速い。防げはしないだろう。『左腕』だけならば。
「ついてこれてる? おにーさん!」
振るわれる刃が先程よりも速く、鋭く明良の肉体に突き立てられる――ことはなかった。神速の斬撃は『右腕』の刃と鍔競り合いとなり、火花を散らしながらすれ違う。無論、明良の体は無傷だ。
「うはっ!」
「見えていますよ、今回は」
二度、三度。四度、五度と互いの刃が交わり、その重さと速さが腕に伝わる。人間は当然として、熟練の刀使でもこんな剣戟を繰り広げることは少ない。
速度では拮抗しているが明良の方が手数が一つ多い。結芽の斬撃の間に生まれた隙に『左腕』が伸び、今度こそ右手首を掴む。
「甘いよ」
結芽の顔には動揺ではなく歓喜の色があった。右手に握られていた御刀は『左腕』が右手首を掴む直前に左手に持ち替えられていたのだ。
左手の御刀は明良の左上腕を切り落とした。
「……読んでいましたか」
「ばればれ」
「……情けない」
切り落とされた『左腕』は重厚な音を立てて地面に落ち、綺麗に切断された左上腕からボタボタと血が滴り落ちる。
「……!」
『右腕』を一端解除して切断された『左腕』を拾い上げて接着すれば即座に回復する。だが、結芽もその程度のことは百も承知。隙など与えないよう追撃を繰り出す。
「ほらほらほらほらっ!!」
「……ちっ」
左腕がなくなったことで身体の左右のバランスが悪い。『右腕』で上手く結芽の攻撃を防げなくなっている。その上、無力化するための『左腕』がないせいで決め手が欠けてしまった。
――分が悪いですね……
「まだまだ全然足りないよ、おにーさんっ!!」
「そうですか……」
再び攻撃がヒットし始める。小さい傷が身体の所々に生まれ、明良が顔を歪ませた。
明良は右足を強く踏み込んでバックステップ。地面を滑るように移動する。結芽は息切れの一つも起こしておらず、涼しい顔で明良に剣尖を向けた。
「まあまあ楽しかったかな。でも、おにーさんのそんなのじゃ私には勝てないよ?」
「でしょうね。今の私では貴女に正面から挑んでも勝ち目は薄い。それは理解していますよ」
「なーんかまた変な言い方してる。言っとくけど、おにーさんを倒したら沙耶香ちゃんたちも私がやっつけちゃうよ?」
挑発のつもりか。他愛ない、と明良は消沈する。実に子供らしい性格だとも思えた。
「意図的に言っているのですよ。正面以外ならば勝ち目がある、とね」
「え?」
結芽が呆けた次の瞬間、彼女の小さな体躯に巨大な何かが飛びついてきた。丸太のような太い根本部分とそこから五つに別れた末端部分。五つの末端が結芽の身体を絡めとるように腕ごと締めつけ、拘束している。
「な……なん、で?」
「ばればれ、ですか」
ふと、明良が先程結芽が放った言葉を繰り返し言う。結芽は事態が呑み込めないままその言葉に耳を傾けた。
「私が最初に貴女の利き手を狙えば、私の目的が戦闘ではなく無力化であると貴女は判断する。そして、貴女と互角に渡り合う状況となれば、攻撃の隙間を突いて再び狙いに来る――」
結芽はようやく気づいたようだ。今自分を拘束しているのは、
「私はそう考えていた、と貴女は考えたのでしょう?」
「……ぐ、このっ!」
「無駄ですよ。腕力ならばこちらが上です」
もがいて抜け出そうとする結芽だが、完全に力負けしており、拘束されているせいで得意の剣術も使えない。
「私が『左腕』を切断され、劣勢になれば貴女は間髪入れずに仕留めに来るはずです。再生能力があると知っていれば尚更に」
明良はジリジリと結芽に歩み寄り、言葉を続ける。
「後は、『左腕』が貴女の死角にありつつ瞬時に捉えられる位置になるよう誘導するだけ。遠隔操作は久々で、集中力が必要でしたから攻撃をかわし切れなかったのは問題ですが」
「ぜんぶ……計算で……?」
「ええ。得意なので」
あっけらかんと言う明良。先程までの苦戦していた表情も嘘ではないのだが、あれも全てこの結果が見えていたからこそだ。だから、この計算も当然と思える。
「戦いは技術だけがものを言うわけではありません。相手の思考や戦術を読む力も重要な要素です。私はそうやって生きてきましたから」
「どういう……こと……?」
「知る必要はありませんよ」
『左腕』の握力が強まり、結芽の写シが少しずつ剥がされていく。明良は脆くなった写シを『右腕』の横凪ぎで完全に剥がし、続けて結芽の左肩に『右腕』の
「いぐっ……ああっ!!」
「そこまで深くは刺しませんよ。ご安心ください」
明良はやや乱暴に『右腕』を抜く。結芽の左肩の傷口から血が流れるが、傷自体はそこまで深くない。ガラスの破片が刺さった程度の深さだ。
結芽はわけがわからないと言った風に明良に問う。
「……何? 手加減のつもり? 降参しろってやつ?」
「いいえ、これで私の勝ちですよ」
「わけわかんない、これが――」
結芽の言葉は続かなかった。顔が真っ赤に染まり、息切れを起こし始めた。
「あ……つい……」
高熱にうなされるように結芽が吐息混じりの声で言う。額から首にかけて玉のような汗をかき、目の焦点が合っていない。きっと頬に触れれば火のように熱いだろう。
「なに……したの……おにーさん」
「私の血を注入しました」
「……え?」
明良は『左腕』の拘束を解く。自由になった結芽はうつ伏せで地面に倒れるが、起き上がる気配はない。当然だ。今の結芽は野生の象ですら一歩も動けないほどの高熱を出している。
「ノロというのは生物にとっては極めて有害な物質。それは御刀を持ち、正の神力を使役する刀使であっても例外ではありません」
「のろ……」
「まあ、一般人が私の血を注入されれば死亡しますが、刀使の方であれば高温の発熱と頭痛程度で済むでしょう。暫く寝ていてもらいます」
明良は倒れ伏したまま指一本も動かせずに喘ぐ結芽を横目に、解除した右手で『左腕』を持ち、切断面と繋ぎ合わせ修復する。当然、身体中についていた小さな傷も既に完治している。
「ずるい……な、こんなの……」
「狡い?」
結芽は苦しそうに言葉を紡ぐ。傷の消えた明良は不思議そうに反応した。
「だって、まともじゃ……ない……し……」
「まともなわけがありませんよ」
明良は結芽に背を向けて歩き出す。振り向き、彼女を斜め上から見下ろしながら諭すように言った。
「まともな戦い方しか知らないようでは、あの方の執事は務まりません」
恥もプライドも外聞も罪悪感も、柳瀬舞衣という一人の少女のためならまとめてかなぐり捨ててしまうことができる。明良はその覚悟でこの職に就き、責務を担っているのだ。
「私は舞衣様のためならば、いかなる手段であろうと実行します」
※※※※※
「明良くん、無事っ!?」
「明良……」
結芽を退けた後、明良は二人が逃走した方角に向けて走り、合流することに成功した。場所は海岸辺りにひっそりと立つ駐車場。
「って、ボロボロになってるよ! 燕さんにやられたの!?」
「いえ、これは――」
「明良……死んだりしない? 早く病院に行かないと……」
「ですから、大丈夫です」
心配そうに舞衣と沙耶香が明良に駆け寄り、服の傷から被害の凄惨さに狼狽する。心配しすぎだと明良は思ったが、目の前にダメージ加工も真っ青な傷だらけの服を着た人物が現れたら心配するのが普通だ。とりあえず適当に誤魔化しておこう
「何とか燕さんは撒いてきました。これは服を切られただけで傷を負ったわけではないのです。ご心配には及びません」
明良は袖を捲ってボロボロの服の下の肌を見せる。そこにはミミズ腫れの一つも出来ていない。
「あ……ほんとだ、よかったぁ……」
「……よかった」
何とか言いくるめ、その場の動揺は抑えられた。ともかく、早く移動しよう。明良は黒塗りの乗用車のロックを開け、運転席に乗り込む。
「舞衣様、美濃関までお送りいたします。沙耶香さんは……当てがないのでしたら私と同行していただくことになりますが」
「明良くん、そのことなんだけど」
舞衣が運転席に座りシートベルトを締めている明良に呼び掛けた。明良は窓を開けて舞衣の声が聞こえやすくなるようにする。
「はい、何でしょう」
「私も明良くんや沙耶香ちゃんと一緒に行きたい」
「………それは」
「今更ダメだなんて言わないで。可奈美ちゃんや沙耶香ちゃん、明良くんが戦おうとしてるのに私だけ蚊帳の外だなんて嫌だから。絶対に」
できません、と言いたい。舞衣の思いをはね除ける行為だが、彼女の安全を考慮すればこのまま美濃関の羽島学長に任せて舞衣を安全な場所で保護してもらう方が懸命だ。だが……
「舞衣様、私は……」
「明良くん」
押し切ろうとする舞衣。このままでは大人しく舞衣の言葉に従ってしまいそうだ。
むしろ、そうすべきなのか? 主の意思を尊重し、友人の元へ向かわせることが彼女にとって最良の選択なのかもしれない。
――いえ、そんな簡単なことではありません。
現在の舞衣は高津学長の元から離反した沙耶香と接触した『だけ』だ。仮に結芽が高津学長や管理局に報告したところで舞衣は大きな罪には問われない。
このまま無関係の人間を貫き通せば舞衣の安全は保たれる。真に舞衣のことを慮る者ならば、彼女の意見に反対すべきか?
『沙耶香ちゃんが困ってるのに助けに行かないなんて、私には考えられないの。だから――』
『ごめん、明良くん。わかってるけど、放っておけないから』
「………」
沙耶香からの電話を受けた舞衣から聞いた言葉。大した理由がなくとも舞衣は沙耶香を助けに向かった。自分が不利な状況になることも重々承知な上で、彼女の心の支えになろうとした。
舞衣には自分の大切な人々の身を案じ、手を差し伸べる心がある。
明良は決して、我が身可愛さに安全地帯で縮こまっている彼女に誓いを立てたわけではない。
家族や友人を思いやる愛情と勇気を持つ彼女に仕えたい、傍で支えたいと思ったのだ。
ならば、答えは一つしかない。
「舞衣様、沙耶香さん……舞草までお送りいたします」
明良は後部座席のドアを開け、二人を促す。
「明良くん、じゃあ……」
「ええ。可奈美さんたちの元へ向かいましょう、我々で」
「……うん!」
「……うん」
舞衣は晴れやかな笑顔で、沙耶香もぎこちなくはあったが微笑みながら答える。
後部座席に仲睦まじく座る二人を微笑ましく一瞥し、明良は車を発進させた。
「……ふふ」
車を走らせ、十五分ほど経過した。明良は数百メートルのストレートを通っている途中の数秒の間、チラッと後部座席を覗く。
舞衣と沙耶香がウトウトと眠気をこらえている様がそこにあった。二人とも安心して眠れるような心境ではなかったためか、今になって睡魔が襲ってきたようだ。明良はその光景に思わず笑みをこぼしてしまう。
「仮眠をとっていただいて構いませんよ。まだ目的地までは時間がありますから」
「え……うん……ありがと」
「………ありがとう」
明良の提案を聞き入れ、二人とも睡魔に身を任せて眠りに入った。可愛らしく、手を握り合い、寄り添いながら眠っていた。
明良は車のエンジン音に混じった二人の寝息の音を聞きながら、安全運転を心掛けようと肝に命じて車を走らせ続けた。
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