あと、まだ主人公の正体の核心部分が明かせませんでしたorz ちょっとだけ明かしたとこもありましたが。
次回くらいに日常的なギャグがしたいという私の願望です。シリアス続きは……疲れるんすよ。
「舞衣様、沙耶香さん、到着いたしました」
送られてきたメールに描かれていたルートを通り、昼頃には舞草の拠点に到着できた。入口を通過しようとしたときに呼び止められたが、事情を話してエレンと薫に確認をとってもらい事なきを得た。
明良は後部座席の二人を優しく起こし、外に移動させる。
「ん、んーっ!」
「ふあ……」
数時間眠っていたせいで舞衣も沙耶香も伸びや欠伸をして身体の調子を整えている。
そんな二人の元に猛スピードで突進してくる影があった。
「舞衣ちゃーん!!」
「え、可奈美ちゃ……わっ!」
興奮、というかはしゃいだ様子の可奈美が舞衣に突進し、勢いのまま抱き着いてきた。舞衣は慌てて受け止め、可奈美と向き合う。
「舞衣ちゃん、良かったぁー! あのね、私、舞衣ちゃんにいっぱい話したいことあるの!」
「私も安心したよ、可奈美ちゃんが無事で。うん、じゃあ後でいっぱいお話ししよう」
「あ、沙耶香ちゃんも一緒だ! 聞いた通りだ、舞衣ちゃんや明良さんと一緒に来るって!」
可奈美は沙耶香の手を取って上下にブンブン振る。沙耶香は動揺しているものの、嫌がっているわけではないようだ。
舞衣と沙耶香が同行してくることは運転中に連絡してある。渋られるかと思ったが、可奈美や姫和の口添えもあって許可をとることができた。
明良は運転席のサイドウィンドゥを降ろし、ドア越しに可奈美に話し掛ける。
「可奈美さん、お久し振りです」
「あ、明良さんも! こうやって普通に会うのは久し振りだよね。って、何でボロボロ?」
「少々危険な遊びに興じてしまいまして、お恥ずかしい限りです」
明良は可奈美の不用意な発言を訂正しようかと思ったが、どうやら周囲には勘づかれていないと理解し、流しておいた。
「ところで、十条さんたちはどちらに?」
「姫和ちゃんたちなら後で来るって。何か皆に話しておかないといけないことがあるらしいけど……」
「そうですか、では私も車を置いてから合流しますので、後ほど」
明良は道の脇に停車している車を走らせ、適当な駐車スペースまで移動させることにした。
「どこでしょうか……」
駐車スペースを探して彷徨っていると、横合いから一台のリムジンが砂利の敷き詰められた広場に止まる光景があった。丁度いい、と明良はリムジンに横付けして駐車する。
一応確認しておくためにサイドブレーキをかけてから車を降り、リムジン内の助手席の人物に窓ガラス越しでも聞こえるぐらいの声量で話しかけた。
「申し訳ありません、お伺いしたいことがあるのですが」
ちゃんと聞こえたようで、すぐにサイドウィンドゥが降り、助手席の人物が顔を出す。助手席に座っているのは黒髪の落ち着いた雰囲気の女性だ。年齢は二十代後半から三十代前半程度。身につけている服装やリムジンでの送迎をされる立場ということは、それなりに位の高い人物だろう。女性は穏やかな顔で明良に応じる。
「はい、何で――」
そのはずだったが、女性は明良の顔を見た途端に言葉を詰まらせた。目を丸くし、口がポカンと開いてしまっている。
――ああ、なるほど。
「失礼しました、まだ名乗っていませんでした。初めまして、黒木明良と申します。本日から柳瀬舞衣様と共にお世話になりますので、お見知り置きを」
「……そう、ですか」
「それから、駐車場はこちらでよろしいのでしょうか?」
「は、はい。ここで大丈夫です」
女性は困惑しながらも明良の質問に答えた。明良は微笑んで感謝の意を示した後、車に戻って荷物を取り出そうとする。しかし、背後から女性に呼び止められた。
「あ、あの!」
「はい」
「覚えて……いませんか? あなたは、私のこと……」
――覚えていますよ。
「いえ、申し訳ありませんが……ご対面した記憶はありません。初対面かと思うのですが」
「何でもいいんです、名前などでも……」
「
知っていてもおかしくはない。
折神朱音。折神家現当主である紫の妹であり、姉には及ばないもののかつては凄腕の刀使として活躍していた人物。刀使に関わる者ならば顔や名前を知っている者も少なくない。
「折神家の方となれば有名ですから、偶然拝見したことがありまして」
――本当は違いますが。
「失礼ですが、人違いという可能性はありませんか? お知り合いの方に私と似た方がいらっしゃるのでしょう」
「そう……ですか。人違い……」
残念そうに朱音は沈んだ顔で口を閉じた。用は済んだと言わんばかりに明良は踵を返して車に戻る。
「早く戻らないと……」
これ以上朱音にあれこれ追求されては面倒だ。荷物をさっさと下ろして舞衣たちと合流しよう、と決めて車のトランクに手をかけた。
※※※※※
日が暮れ、空が闇に包まれた頃、明良、可奈美、姫和、舞衣、沙耶香、薫、エレンの7人は広間の座敷に集められていた。広間には既に朱音が正座して待っており、集まった全員に自己紹介をしていた。
「皆さん、初めまして。折神朱音と言います。舞草へようこそ」
7人とも思い思いの返答をし、話が本題に入る。
「早速ですが、今から二十年前の事件――相模湾岸大災厄の真実を話します」
相模湾岸大災厄。
二十年前、相模湾岸に大荒魂が突如出現し、それを当時の折神紫と伍箇伝の学長たち計六名による特務隊によって討伐された、という事件だ。その事件を機に折神紫は大荒魂討伐の大英雄、最強の刀使として二年後に折神家当主に就任し、伍箇伝が設立された。
刀使だけではない、一般人でも普通に知っていることだ。
朱音はここまで説明したところで『ですが』と一度言葉を区切る。
「このとき、大荒魂――タギツヒメの討伐に加わっていた刀使は他にもいたのです」
「え……」
「……」
事情を知らないであろう舞衣と沙耶香は驚愕した。明良は今更取り繕う必要もないだろう、と落ち着き払っていた。
「その名は
「なっ……そうなのか!?」
姫和が明らかに動揺し可奈美の方を向く。可奈美は特に気にした様子もなく答えた。
「そうだけど……」
「なぜ言わなかった!」
「だって、聞かれなかったし。それに、お母さんは刀使だったときのこととか話さなかったから……」
思わぬところで入った情報に可奈美、朱音、そして明良以外の五人は戸惑ったが、すぐに話は戻った。
「何故お二人の名前――いえ、存在そのものが『なかったこと』にされていたのですか?」
明良は部屋の柱の横に姿勢よく立ち、朱音に尋ねる。朱音はやや苦々しそうな顔で話し始めた。
「十条さんのお母様、篝さんは大荒魂を鎮める責務を担っていました。………命と、引き換えに」
「鎮めの儀、ですか」
姫和が口にした聞き慣れない単語に何人かが首をかしげた。朱音が順序立てて説明していく。
「鎮めの儀とは、柊家に伝わる奥義です。皆さんは迅移を知っていますね?」
全員が首を縦に振る。
迅移とは刀使の戦術の一つ。御刀から神力を得て高速で移動する技だ。原理は隠世と現世の時間の違いを利用したもので、隠世の時間の流れの早い層に到達し、強大なエネルギーを得ることによって可能としている。
「迅移によって隠世の深い層に潜れば、より速く移動することが可能となります。ですが、それが現世と隠世との境界である五段階目の層まで到達してしまうと――」
「一瞬の時間が無限に引き延ばされ、隠世から戻れなくなる」
朱音、沙耶香が続けて言う。そこまで説明して気がついた舞衣が恐る恐る質問した。
「それって……荒魂ごと自分を隠世に封じ込めるための……」
「はい。篝さんは理論上最高速の迅移を使うことのできる唯一の刀使でした。そのため、荒魂による大災厄の際には自らの命を捧げる覚悟だったんです」
「心中技じゃねーか、それ」
薫が苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
「事の真相を知ったのは、七年前……美奈都さんが逝去されたとき。私は篝さんにそれを電話で伝えました。電話の向こうで篝さんは涙ながらに訴えていました。美奈都さんが亡くなったのは自分のせいだ、と」
「なるほど」
明良が口を挟んだ。一人だけ後ろに立っている明良に全員の視線が向いた。
「篝さんが鎮めの儀を執り行ったとなれば、彼女のご息女である十条さんはここにいるはずがありません。篝さんが生還されたとすれば、何らかの外的要因があったはずです。それが美奈都さんというわけですか?」
「……はい」
朱音は一呼吸置いてから答えた。正座している彼女の膝に置かれた手が小刻みに震えているのが見えた。
「鎮めの儀を行った際に、美奈都さんがギリギリのところで篝さんの命を救ったのです。篝さんの失うはずだった命を半分肩代わりする形で……」
結果だけ見れば、本来は篝一人で済むはずだった犠牲を二人に増やしたようなものだ。数年の余生があったとはいえ、美奈都が何もしなければ彼女だけでも生きられたかもしれない。自分のせいだと嘆くのもわかる。
そんな考えが少しでも頭によぎったのは、自分があまりにも現実主義者だからだろう、と。明良はそう思った。
「そして、篝さんと美奈都さんは刀使としての力を失い、数年後には命すらも……」
最後辺りは消え入りそうなほど弱々しい声だった。朱音の言葉から数秒後、今度はエレンが疑問を投げ掛けた。
「でも、おかしいデスね。だったら何故隠世に追いやったはずのタギツヒメがここにいるんデスか?」
「鎮め切れていなかったんだ、母は。一時的にタギツヒメの力を削ぐことしかできなかった。そして、折神紫として生き続けた」
「ちょっと待って。そもそも、今の御当主様は何者なの? タギツヒメになっちゃったってこと?」
「正確には違います」
可奈美の質問に明良が答える。明良はなるべく言葉を選んで客観的に説明することにした。
「彼女と何度か接触する内に親衛隊とは別種の気配がすることに気が付きました。その大荒魂――タギツヒメは折神紫の精神と肉体に強く結び付き、ほぼ完全に支配している状態です。憑依されている、といった方がわかりやすいでしょうね」
「な、なるほど」
可奈美は納得しているが、
「タギツヒメは姉に憑依しながら力を回復させ、二十年経った今、復活しようとしているのです」
話が終わり、静寂が訪れる。誰も口を開こうとせず、このままお開きになるかと思った瞬間、凛とした声が空間を通った。
「……黒木」
「何でしょうか、十条さん」
姫和は立ち上がり、複雑そうな表情で明良と向かい合う。
「以前、電話で言っていたな。私と可奈美に償わなければならないことがあると」
「……ああ」
少し面食らった。忘れているわけがないだろうとは思っていたが、このタイミングで言うとは。
「それに、こうも言っていた。お前が私と可奈美の大切な人に手をかけた、と。それは私たちの母のことか?」
「……はい」
「そのときは答えられないと言っていたが、今なら話すことができるだろう。答えてくれ」
――よりにもよって舞衣様の前で……
他の人間ならば考えたが、舞衣の目の前でこんな話をするわけにはいかない。はぐらかすしかない。
「明良さん、私も」
「……可奈美さん」
「私も聞こうって思ってた。明良さん、お母さんとはどういう関係だったの……」
姫和はこの状況を利用するつもりだろう。当事者たちの揃った場では簡単にしらばっくれることなどできない。知らぬ存ぜぬを貫こうとも思ったが、深く調べられればいずれ話してしまうことだ。ここはどうするべきか。
「……明良くん、どういうこと?」
考えを巡らせていると、横から舞衣が明良の顔を見上げていた。舞衣の顔からは怒り、疑念、心配などの感情が漂っていた。
ここで押し黙っても無駄だ。むしろ事態が悪化するのは目に見えている。
「電話って何……十条さんや可奈美ちゃんと連絡してたってこと……?」
「……はい」
「それなのに、私に黙ってたってこと?」
「………はい」
舞衣の一言一言が異常なまでに重い。大切な人に嘘をついていたという罪悪感とこんな台詞を言わせてしまっている自分の情けなさに潰されてしまいそうだ。
「………わかりました。話します」
「……! 本当か!?」
姫和に対してうなずく。
「ただ、あまり大それた話ではありません。客観的に言えばただの自己嫌悪です」
諦めのついた明良はポツポツと滴る雫のような雰囲気で事情を話す。
「私は生前の美奈都さんに会ったことがあります。私が子供の頃になりますが」
「え……」
「それから、柊家についても……鎮めの儀の存在も知っていました。当然その実態も」
明良の告げた真相の内容に朱音を除く六人は言葉を失っている。明良は一度朱音の真剣な表情を確認した後、話を続けた。
「私は美奈都さんに助言したのです。美奈都さんの行動は私が提案したものでして……鎮めの儀を執り行う方の命を救う方法を伝えておけば、不要な犠牲を出さずに済むと考えました」
「でも、何でお母さんに……」
「美奈都さんは当時、折神紫をも凌ぐ刀使だったと聞いたので。最も生存する可能性の高い方に託すべきものだと判断しました」
可奈美と姫和は合点がいったようだ。自分の不用意な発言のせいで二人の母親を死に追いやる結果を招いた、明良はそう言っているのだ。
「ですから、私がいなければ篝さんはともかく、美奈都さんだけでも助けることができた。ゆえに、私が殺したも同然ということです」
「……そうか」
「……明良さん」
可奈美、姫和は哀愁の漂う顔で呟き、それから何も言葉を発さなくなった。見かねて舞衣が止めに入る。
「可奈美ちゃん、十条さん、明良くんは……」
「わかってるよ、舞衣ちゃん」
必死に明良を庇おうとする舞衣を可奈美が手で制した。幸い、可奈美は怒っているようには見えない。むしろ、微かな微笑みさえ見えた。
「明良さんが責任なんか感じることないよ。そんなことで……少なくとも私は恨んだりしない。姫和ちゃんだってそうでしょ?」
同意を求められた姫和は了承するでもなく、静かに答えた。
「恨むも恨まないもない。私の怨敵はタギツヒメのみ。お前には本当に話を聞きたかっただけだ」
「姫和ちゃん……」
「話の内容には少し驚いたが、真実を聞いたんだ。私はどうこう言うつもりはない」
二人とも納得とまでは行かないが、割り切ってはくれたようだ。舞衣は事態が安全な方向へと収束したことに安堵して胸を撫で下ろす。
「……可奈美さん、十条さん、ありがとうございます」
明良は一礼すると、襖を開けて部屋の外へ踏み出した。
「明良くん、どうしたの?」
「少々夜風に当たってきます。今はあまり、舞衣様にお見せするべきではない表情になっていますから」
舞衣に声をかけられ、落ち込み気味の声が口から出ていることに気づいた。
――予想より心苦しく思っているのですね、私は……
「明日の朝からは皆さんの身の回りのお世話に専念しますので、よろしくお願いします」
事務的な連絡だけ済ませて明良はその場から離れていった。
※※※※※
「はあ……」
廊下に出て少し歩いたところで溜まった吐息が口から流れ出た。明良はこれからの計画と自分の身の振り方を考えながら、適当にブラブラと歩いているのだ。
「舞衣様……」
最も尊敬し、慕っている主の名を自然と口にしていた。自分の行動原理であり、生きる意味である人物。
明良は考えに行き詰まったとき、こうして舞衣のことを思い浮かべている。どうするべきか、という判断基準になるからだ。このルーティーンをしている限り最終的な判断を後悔することなどない。
「聞いてはいたが、本当に君は舞衣くんにご執心のようだね」
「?」
廊下の奥。暗がりに誰かが立っている。顔立ちや肌の色からして欧米か西洋の人物。角張った眼鏡をかけており、年期の入った白髪と皺の寄った肌、先程話しかけられた際の声は初老男性のそれだ。だが、背丈や立ち姿は明良と同じかそれ以上に大柄だ。
「久しぶりだね、君はあまり変わっていないようだが」
「フリードマン博士……ですか?」
知っている人物だ。
リチャード・フリードマン。刀使に関する技術開発施設の筆頭技術者であり、エレンの祖父でもある。現在はここ、舞草の専属科学班に所属していると聞く。
何故そんな人物が旧知の仲であるかのように明良に話しかけてくるのかは、
「変わっていない、とは? 貴方とは初対面だと思うのですが」
「初対面? そういうことに
笑い飛ばすフリードマン。明良は人当たりのいい顔を貼り付けて場を流すことに専念した。
「舞草の重鎮たる貴方に知っていただいていたことは光栄に思っていますが……人違いではないですか?」
「まあ、知らないというならそれでもいいが……せめて彼女たちには真実を話してやるべきだったんじゃないかい?」
「真実? それでしたら先程彼女たちに申し上げましたが。それとも、私の証言が虚偽のものだという根拠でも?」
フリードマンは首を左右に振る。明良は一瞬目を細めて警戒したが、証拠がない以上は暴かれる心配はない、と迎え撃つ手段に出た。
「虚偽ではない、か。確かにそうだ。だが、あれが全てというわけでもない」
「………何を」
「君がしたことはあれだけではない。君が話したのはごく一部であって、洗いざらい彼女たちに話したわけじゃないだろう?」
そうだ。明良は嘘をついたわけではない。明良が美奈都と話したことがあるのは事実だ。
――そういうことですか。本当に心苦しかったのは、私が……
明良の先程言ったことはほんの一部でしかない。明良は事態の混乱を避けるために最も重要な内容を隠蔽し、当たり障りのない内容だけを伝えたのだ。
反吐が出る。こんな方法をとった自分にも、それを舞衣たちのせいにしている自分にも。最低で、狂った人物だと否応にも認識させられた。
「……そのようなこと、認めるつもりはありませんよ」
フリードマンにはそう言ったが、心では全く違うことを考えていた。
「申し訳ありませんが、明日も早いので休ませていただきたいのです。失礼します」
これ以上ここにいたくない。そんな子供のような幼稚な感情がジワジワと身体を侵食していく。早くここから離れよう。
だが、フリードマンの放った一言が明良の足を止めた。
「そんなに過去を消し去りたいのかい?」
何ですか? そう言おうと足を止めた瞬間だった。音となって飛び込んできた。
その名前は――
「折神
――は?
反射的に顔が歪む。折神紫――それに憑依したタギツヒメに下の名前を言われたときよりも更に強い。
フルネームのそれは、明良の最も触れてはいけない箇所にハンマーで殴りつけるかのような衝撃を与えていた。
「そうだろう? 君の本当の名前は」
「……知りません」
「……そこまで頑なに否定するのか」
「否定とは何のことです?」
折神修。
最も嫌いな名前だ。頭の中で一度足りとも反芻したくない。聞くだけで嫌悪感と吐き気がこみ上げてくる。
否定していても、表情はあまり隠せていない。悔しそうに歯噛みしているのが自分でもわかった。
「朱音様」
「はい」
「……!?」
フリードマンの呼び掛けに応じて、彼の陰に隠れていた朱音が姿を表す。二人の一連のやり取りを聞いていたのか、顔には哀しみがあった。
朱音は泣きそうなほど震えながら明良に問う。
「修兄様……なんですか?」
「………」
「お願いです! 本当は私や姉様のことを覚えているんでしょう? でしたら……」
朱音の懇願に明良は隠し通せないと踏み、諦めをつけることにした。
「………ええ、覚えていますよ。二十年ぶりですね、朱音さん、フリードマン博士」
投げやりと言っていいほど覚悟を決めた顔で明良は二人の言葉を認めた。
「驚きましたか? 大方、私が死んだと聞いていたのでしょう?」
挑発的な笑みへと変わる。開き直ったようなものだ。
「修兄様、私は……」
「朱音さん、まだ私のことを兄と思っているのですか?」
「え……」
朱音が何か言おうとしたが、明良は無理矢理それを遮って言葉を繋ぐ。
「折神の本家、その直系に男性はいない。貴女も理解しているでしょう? 貴女にも、紫さんにも兄弟は存在しませんよ」
「そんなことは、ただの家の仕来りで……」
そんなことは知っている。だからといって、『ただの』の一言で片付けられるようなものではない。
「そもそも、私はもう折神修でいるつもりはありません」
明良は自分の左手を胸に置き、はっきりと宣言した。後腐れのないよう、完全に。
「柳瀬家の執事、黒木明良が私の本名です。もう私は二十年前の『私』に戻るつもりはありませんので」
明良は朱音とフリードマンの脇を通り過ぎ、部屋へと移動する。去り際に明良の背中に朱音の声が飛んだ。
「待って、修にいさ――」
「はい?」
間違いない。今自分は最高に悪い顔をしている。笑顔で、見下して踏みつけるような笑顔で朱音に振り向き、答えていた。
「朱音さん、二度とその名前を口にしない方がよろしいかと。でなければ……どうなるかわかりません」
最後に、明良は姿勢よく歩きながら二人に向けて低く呟いた。
「………自分の激情を抑えられなくなるかもしれませんから」
質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ