三月十四日。
美濃関学院終業式を控えた時期。柳瀬舞衣はこの日、美濃関学院の校門前に立つ見慣れた人影に目を丸くしていた。
「あれ? 舞衣ちゃん、あそこにいるのって……」
「も、もしかして……」
もはや言うまでもない。柳瀬家に勤めている執事、黒木明良だ。
時刻は放課後。舞衣は可奈美と二人で学院の女子寮へと向かう途中で彼を見つけたのだ。
「……な、何で学校に?」
学院の生徒とは服装が違う上に容姿に優れている彼はじっとしていても人目を引いた。さっきから女子生徒に声をかけられている。
「お兄さん、どこの人なんですか?」
「あ、もしかして誰かの彼氏さん?」
「いえ、私はそういうわけでは」
女子生徒から質問責めにされ、それと同時に道行く男子生徒からは嫉妬と憎悪に満ちた視線を向けられている。
「私たち、これからカラオケ行くんですけど、よかったら一緒にどうですか?」
「ちょーど男の人が欲しくって!」
三人組の女子グループがとうとう遊びの誘いすらしてきた。しかも、三人ともそう外見は悪くない。その辺りの男子なら喜んでついていきそうに思える。
「………っ」
――何か、嫌だ……
舞衣の胸中に鋭く不快な感覚が走り、広がる。明良が女子に遊びに誘われているという光景が見ていられなくて、今すぐに割って入って断らせたくなった。
「うわわ、舞衣ちゃん、あれ不味いんじゃあ……」
隣を歩く可奈美もその様子に慌てて舞衣の肩を叩く。舞衣は自分で思ったよりも冷静に、それでいてモヤモヤした気持ちで答える。
「……うん、わかってる」
歩くペースを早め、目の前のやり取りを止めに向かう。だが、当の明良は一瞬だけ舞衣たちの方へ視線を移し、女子グループに返事をする。
「申し訳ありません。お誘いは嬉しいのですが、約束している方が来られたので私は失礼します」
ハッキリと拒絶するでもなく、中途半端に乗るわけでもない。手本のような方法で柔軟に断りを入れる明良。
女子グループが何か反論をする前に先手を切り、明良は舞衣の元へと駆け付ける。
「舞衣様、可奈美さん、お久しぶりです。本日の学業務め、お疲れのほどと存じます」
「うん、一ヶ月ぶりだね。明良くん」
「私も! 久しぶりですね、明良さん」
丁寧にお辞儀をする明良。その洗練された立ち振舞いに周囲からは小さく感嘆の声が上がる。
「でも、明良くん、どうしてここに?」
それよりも、舞衣には疑問に思うことがあった。普段は実家にいる彼が何故この場に来ているのか。
今まで来ることがなかったわけではないが、それはせいぜい入寮の際の手続きや荷物運び、緊急の用件などの場合だ。
「どうして、とは? 事前にお知らせしたはずなのですが……」
「え? いや、私は何も聞いてないけど。もしかして、急な用事とか?」
「いえ、そういうわけではなく、一ヶ月前のことは覚えていませんか?」
「一ヶ月前って……私の誕生日のこと?」
「はい。丁度バレンタインデーも重なっていましたよね?」
一ヶ月前に実家で妹二人と彼の四人で舞衣の誕生日を祝ったことだ。同日にバレンタインデーだったこともあり、舞衣は普段の感謝の意を込めて彼に手作りのチョコを渡したのである。
「舞衣ちゃん、明良さんにチョコ渡してたんだ。やっぱり」
横で聞いていた可奈美がうんうんと首を上下に振っている。
「や、やっぱりって……何でわかるの?」
「だって、舞衣ちゃんって明良さんのこふぉっ!?」
「可奈美ちゃん、それ以上はダメ!」
舞衣は慌てて可奈美の口を手で塞ぐ。危なかった。このまま可奈美の口の自由を許していたら、どんな言葉が弾き出されるかわかったものではない。
特に今のは危険だった。
「えー、その、続けても?」
明良はそんな二人のやりとりを見ながら尋ねてくる。舞衣は可奈美の口から手を離し、続けるよう促した。
「その、舞衣様からチョコを受け取った際にホワイトデーのお返しには全身全霊を持って取り組む、と約束したので今回はその件で」
「ホワイトデー……それで来たの?」
「はい……ご迷惑、だったでしょうか?」
「ううん、そんなことないよ」
迷惑だとは一片たりとも思っていない。突然来て驚いただけで、嫌な感覚に見舞われたわけでないのだ。
「あはは……でも、ホワイトデーのお返しで学校に自分の足で来るのは明良さんらしいね」
「舞衣様へのお返しでしたら、地球の裏側であろうと期日通りに向かいますよ」
可奈美の言葉に笑顔で答える明良。この『地球の裏側であろうと』というくだりは冗談でも誇張でもないのだろう。
「それで、明良くんは何をお返しに持って来たの? クッキーとか、マシュマロとか?」
「それはですね……」
明良は自分の胸に手を当てて舞衣の目をしっかりと見据えて言った。
「舞衣様の仰ることを何でも叶えて差し上げます」
※※※※※
「…………これって一体、どういうこと?」
舞衣は部屋の床にへたりこみ、正座でぐるぐると蠢く思考を必死に落ち着けようとしていた。
場所は美濃関学院女子寮、舞衣の居室だ。普段と変わらず居間にはベッドやテーブル、テレビが設置されており、キッチンには食器と調理器具。帰ってきたのは三十分も前だが、まだ舞衣は制服のままだ。
というのも、別に服を着替えるのが億劫だからではない。普段から舞衣は帰ったら制服をハンガーにかけて私服に着替えているのだ。にも関わらずこうして膠着状態に陥っているのは――
「明良くんが、泊まるだなんて……」
一時間ほど前、明良からバレンタインのお返しとして申し出があった。
『明日の朝まで、私が舞衣様のお側で特別なご奉仕を致します』
そう言い放った彼は「部屋で待っていてくれ」とだけ告げて夕食の食材を買いに向かった。
そうして、今。彼の真意はどうあれ、舞衣と二人で夜を明かそうとしているのは明白。よもやまだ十三歳の舞衣に手を出すとは驚いたが、沸き上がってきたのは嫌悪ではなく羞恥だった。彼に「そういうこと」をされるのは嫌ではないが、せめてマナーの意も込めて身体を清めておかなければ。
「と、とりあえず……お風呂、済ませておこうかな」
※※※※※
舞衣と別れて数十分後、明良は舞衣の部屋を訪れていた。
「ただいま戻りました」
返事がない。玄関から居間を覗くと舞衣の姿がないことに気づいた。トイレのドアに嵌められた磨りガラスから電灯の光が見えないため、風呂場に居るのだろう。
「……失礼しますね」
玄関を通り、左手に持っている買い物袋を台所に一旦置く。それから冷蔵庫の隙間に食材を詰め、保存していく。
「後は……制服の方を」
風呂に入っているということは制服は脱いでいるはずだ。なら、舞衣が風呂から上がる前に制服にアイロンをかけておこう。
そう思ったのだが、部屋には制服はない。ハンガーにかけられているどころか、脱ぎ捨てられてもいない。
「……仕方ありませんね」
明良は多少申し訳ない気持ちはあったが、本人の許可を取れば問題ないだろう。
明良は脱衣所の扉の前に立ち、三度ノックをする。
「舞衣様、黒木です。いらっしゃいますか?」
十秒ほど待ったが返事はない。少なくとも脱衣所にはいないようだ。まだ入浴中なのだろう。勝手に入ることには気が引けたが、別に邪なことを企んでいるわけではないのだ。
「失礼します、入りま――」
入りますよ、と続けようとして、やめた。脱衣所へと足を踏み入れた彼の視界に飛び込んできたのは『白』だった。
「な……え……」
舞衣――彼が主と仰ぐ少女がその場に立っていた……全裸で。
「あ、明良くん!?」
幸い、と言うべきか風呂上がりと思われる彼女の身体はバスタオルや下ろした長髪によって局部が隠れている。
だが、水着や下着よりも肌の露出面積が大きいことには変わりない。そのせいで、舞衣の足首から腰にかけての艶やかな曲線、僅かに覗く鼠径部、しっとりと濡れた黒髪、腹部から肩の間に存在する起伏の激しい胸部の膨らみ――普段は服の下に隠している魅惑的な肉体が晒け出されている。
その姿を前に、明良は呆然と立ち尽くしてしまう。舞衣は動揺と羞恥で何も言えなくなっているのか、目が激しく泳ぎ、唇がワナワナと震えている。
「……申し訳ありません、ノックはしたのですがお気づきになられなかったようですね」
明良は酷く平坦な声色で謝罪し、頭を下げる。
「お上がりになられるまで待っていますね。では、失礼します」
「え? ちょっと待ってよ、明良くん!?」
我に返って引き止めようとしてきた舞衣を振り切り、脱衣所を後にした。
「………」
脱衣所の扉を背に居間へと歩く明良。その顔は……無表情だった。
「……最低ですね、私は」
※※※※※
「先程のことは大変申し訳なく思っています」
「その……私こそごめん。考え事してて、ノックを聞いてなかったみたいで」
舞衣が私服に着替え、髪を乾かした後、明良は床に頭をつけて土下座していた。
「私の処分は如何様にもなさってください。必ず従います」
「そこまでしなくていいってば。謝ってくれただけで十分だよ。頭を上げて」
「ですが……本来なら死罪になってもおかしくないことでは……」
「もう、あまり引っ張らないでよ。もうそんなに気にしてないって。それよりも、早く忘れてくれた方が……」
舞衣は恥ずかしそうに顔を伏せる。先程のやり取りを思い出しているのだ。確かに、今更謝罪されるよりさっさとなかったことにされた方がマシなのだろう。
「……はい。私も速やかに記憶から抹消致します」
「う、うん」
恥ずかしさに悶える舞衣とは対照的に、明良の表情は暗く沈んでいた。
ちなみに、明良は舞衣の裸を見てしっかり興奮してます。ただ、理性で表情やら感情やらを抑えてるだけです。
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