「………」
明良は頬や目元についた血を手で拭う。胴体も血塗れになっているが、そちらは服に血が染み込んでしまった。ベタベタして気持ち悪いが、気にしないことにした。
そんな作業を無表情でやっている様を見て、背後に控えていた舞草の刀使は青ざめた顔で立ち尽くしている。
「ああ……」
ようやく察した明良は苦笑いしつつ軽くお辞儀をした。
顔に血を拭った跡を残したまま。
「申し訳ありません、お見苦しいところを見せてしまいましたね。もう機動隊の方々は撤退したので、姿を出しても大丈夫ですよ?」
「……わ、かった」
舞草の刀使に先導され、他の面々も物陰から現れる。当然、その中には舞衣たちもいる。他の五人は思い思いの表情のまま言葉を失っていたが、舞衣は真っ先に明良に駆け寄って服を掴んだ。
「……? 舞衣様、いけません。血で汚れてしまいますから」
「……もう」
「……舞衣、様?」
明良は頭に疑問符を浮かべざるを得なかった。およそ、自分の常識外の事態が目の前で発生しているからだ。
――何故、舞衣様はこんなにも哀しそうなお顔を……?
敵を無力化し、一人の怪我人も出していない。およそ考え得る中でも最良の結果と言えるはずだ。何か、自分の推し量れない彼女の微細な心境の変化があったのだろうか。
「何でそんなに傷ついて……平気な顔なの? 痛くないの……苦しく……ないの?」
「痛い……苦しい、ですか? いえ、むしろ誇らしいです。皆様、お怪我はないようですので、本当に良かったです」
心配させないよう、ちゃんと状況を説明する。だが、それでも舞衣は首を左右に振ってしまう。
「そんなことない……! 明良くんがこんなになって、良かったなんて言えるわけないよ!」
「私はいいんですよ。こうなるのが私の役目ですから。私はいくら傷ついても治ります」
「明良くんは!」
空気を強く震わせるほどの声。舞衣の突発的な行動に明良はますます首をかしげてしまう。
「……明良くんは、死んじゃうのが怖くないの?」
こんな質問があるとは。
正直に言えば明良は驚いていた。こんな、
明良は一片の淀みもなく答えた。いつも胸に抱いている信念だ。今更違えるつもりなどない。
「怖くないですよ。貴女のために死ぬのでしたら、それが私にとって最高の幸せです」
「……っ!?」
彼女に仕える者として百点満点の答えだ。明良にはその確信があった。
今も昔も明良は舞衣の執事であり、道具であり、駒であり、都合の良い使い捨ての存在だ。
自分のために死ねと言われれば甘んじて受ける。むしろ、烏滸がましくも自分の最後をそういう形で締め括りたいとさえ思っているほどだ。
――と、思ったのですけれど……
「……違う、そんなの……」
舞衣は喜んでくれない。どうしてだろう、何か間違ったことを言っただろうか。
そう明良は考えて自分の言動や行動を振り返って整理するが、一向にわからない。
――何が『違う』んでしょうか?
「……!」
残念ながら今のこの場は明良に十分な思考の時間を与えてはくれなかった。
唯一の出入口である洞窟の穴の部分から漏れ出る……そもそも隠してすらいないであろう闘気。明良はそちらの方に注意を向けることにした。
「ひっさしぶりー、また会えて嬉しいよ、おにーさん」
「燕さん……」
不敵な笑みとともに現れる小柄な人影。親衛隊の制服、腰に差した御刀、薄桃色の長髪。
言わずと知れた最強の刺客――燕結芽がそこにいた。
「………」
明良は無言で舞衣たちを潜水艦へと促す。結芽に邪魔される恐れもあったが、明良が対峙すること彼女も下手な動きをすることなくその光景を傍観していた。
「いかがなさいましたか? 迷子になられたのでしたら、丁重に道案内を致しますよ。それとも、交番か警察署まで私が御同行しましょうか?」
「子供扱いしないでよ、おにーさん。それに、おにーさんは今から私が倒すんだから、道案内ができるほど元気でいられるわけないよ」
明良の軽口に結芽も同じように返す。
「親切で言っているんですよ。以前私と闘って負けたばかりでしょう?」
「あのときは本気じゃなかったから! 最初から全力なら私が勝つもん。おにーさんだって、卑怯なことしないと勝てないじゃん」
結芽がムキになって反論するが、明良は何処吹く風といった様子で笑う。
「卑怯だろうと姑息だろうと、勝てばいいんですよ。強いか弱いかではなく、勝つか負けるかです。ですから――」
明良は言葉を区切って、再び両方の『腕』を顕現させる。
「今回も貴女には、卑怯な手段で負けてもらいます」
明良の姿勢を理解した結芽も口角を吊り上げ、御刀を抜く。
「いーよ! おにーさんのやり方よりも私の方が上だってこと、教えてあげるから!」
お互いに臨戦態勢に入っている。潜水艦の入口から明良が来るのを待っている舞衣に視線を合わせた。
「彼女を処理した後、必ず合流します。連絡を待っていてください」
「明良くん、でも……」
「構わず行ってください。誰かが、ここで彼女を食い止めなければいけません。お願いです、早く……」
舞衣は酷く逡巡しているようだったが、数秒で決心し、潜水艦の中に乗り込む。やがて、ハッチが閉じられて水中に黒い金属の塊が沈んでいく。
「……意外ですね。追わないのですか?」
「追いかけたら、背中から刺してくるつもりじゃないの? わかるよ、それくらい」
――まあ、確かにそうですね。
結芽は御刀を正眼に構え、明良は迎え撃つように『右腕』を正面に突き出す。
「御生憎様ですが、貴女と遊んではいられないのです。今すぐ始めましょうか」
「とーぜんっ!」
全身全霊の一撃同士が衝突を起こした瞬間、大きく火花が散った。
※※※※※
狭い場所では此方が不利だ。明良は洞窟から逆戻りして里の森の外れまで結芽を誘導した。
「……ふぅ」
攻撃と離脱を交互に繰り返す。早々に片付けてしまおうと考えていたが、予想以上に結芽の実力は伸びていた。反応速度も太刀筋の鋭さも前回の戦いの一歩上を行っている。もしかすると、これが彼女の本来の実力なのかもしれない。
「……戦いづらいですね。特に貴女のような短期間で強さが変動するような方とは」
明良の身体には傷はない。再生したわけでもなく、彼女との戦いではまだ掠り傷も負っていないのだ。
これだけならば優勢のように思えるかもしれないが、この現状は防御に徹したゆえのものだ。絶え間ない斬撃、そして下手に攻勢に出れば迎撃に切り替えられる構え。今の結芽には隙が極めて少ない。
「あれれ? もう降参? こんなので負けだなんて言わないよね?」
「無論です。強さが変動するならば、力量に関係なく制圧できる方法をとれば良いだけのことです」
だが、それが何だ。情報など不足して当然。マニュアルなど対応されて当然。
一筋縄ではいかないことなど前提の上で戦っているのだ。この程度で明良の手札を使い切らせようなど片腹痛い。
「なに? また左手でガシッてするの?」
「ご冗談を。同じ相手に二度も同じ手を使うなど三流以下ですよ」
「へぇー、じゃあ文字通り綺麗さっぱり『手』をなくしちゃえばいいのかなぁ!」
明良は『右腕』の刃で結芽の切り下ろしを防ぐ。だが、それだけでは終わらない。瞬間的な打ち合いならともかく、御刀との鍔迫り合いはノロで構成された『腕』では相性が悪い。
御刀の刃が食い込み、『右腕』を割る。このままでは『右腕』ごと身体を真っ二つにされかねない。
「……言ったでしょう」
「……!」
空いている『左腕』。その掌から数十の突起が出現する。直感的に攻撃を悟る結芽だが、明良の方が速い。
突起の一つ一つが弾丸となって結芽の全身に叩き込まれる。衝撃に耐え切れなかった結芽の身体は数メートルほど弾き飛ばされる。
「力量に関係なく制圧できる方法をとればいい、と」
地面に仰向けに倒れ、写シを剥がされた結芽に言う。
「私が作ることのできる形状は『右腕』と『左腕』だけではないのですよ。剣士の方々からすれば、飛び道具使いは軟弱者かもしれませんが」
「……っ、このっ!!」
結芽は勢いよく起き上がり、横凪ぎに御刀を振るう。だが、怒りに任せた大振りでは明良には当然掠りもしない。
「退いては如何ですか? 見逃しますよ」
「……やだ」
「では、痛い思いをしていただきましょうか」
『左腕』を突き出し、弾丸を作る。次弾発射に移った。
だが――
「……!?」
左肘から先が無くなった。いや、
「ハアッ!」
「くっ……」
素早く後退し、襲撃者から距離をとった。すっぱりと切り落とされた左腕の断面からは瞬時に新しい腕が生えた。
「……これは驚きました。まさか貴女までいらっしゃるとは」
褐色の短髪、長身。凛々しく、中性的な顔立ち。服装が違えば騎士か王子と思えるような容姿。
「お久し振りですね、獅童さん」
「……意外そうだね、黒木明良」
折神家親衛隊第一席、獅童真希。細められた眼で此方を睨む彼女がそこにいた。
「これは不覚でしたね。燕さんに気を取られていました」
普段なら真希の接近に明良が気づかないことなどない。結芽に対して全神経を尖らせすぎていたからだ。それぐらい、明良にとって結芽は油断ならない。
「それは結構なことだ。君の左腕はもうない。次はもう片方を貰うぞ」
「恐ろしいことを……しかし、私ごときに親衛隊のお歴々が躍起になるとは、余程時間を持て余しているようですね」
挑発混じりに言うが、真希は真剣にそれを一蹴する。
「残念だが、これは重要な任務だ。紫様から君を捕らえるよう命じられた」
「ま、待ってよ、真希おねーさん! この人は私が――」
結芽が真希の乱入に抗議するが、真希はそれも許さない。
「結芽、今はそんなことを言ってる場合じゃない。紫様からの命令だ」
真希は明良との距離をジリジリと詰める。
「以前、夜見と結芽を退けたのは君だろう?」
「何のことでしょうか?」
「とぼけても無駄だ。君が相当な使い手だとは調べがついている。だが、いくら何でも僕と結芽の二人を相手に勝てると思うのかい?」
「……」
これは真希の考えが正解だ。片方だけならともかく、親衛隊を二人同時に相手取れば敗北はほぼ確定。再生能力を持つ明良とて無敵の超人などではないのだ。
「そうですね、ここは大人しく――」
明良は新しく生えた左手とノロを解除した右手を頭の上に挙げる。
降伏と取った真希は僅かに警戒を解き、御刀の剣尖を下げる。
「一時撤退としましょうか」
明良の視線は彼女たちではない。真希の後ろの地面――切り落とした『左腕』だ。
「真希おねーさん! 後ろ!」
『左腕』が真希の身体を背後から掴もうとするが、結芽は知っている。かつて自分が敗れた際に彼が使った手口だ。
「……!」
結芽の叫びに振り返った真希は自身に迫る明良の『左腕』を御刀で払った。切り伏せられた『左腕』は生身の左前腕とノロに分離し、ノロの方は周囲に飛散する。
「これが奥の手かい? 随分とお粗末だね」
真希は吐き捨てるように明良に言うが、明良は余裕の表情を崩していない。
――計画通り。
「お粗末なのはどちらでしょうね?」
「何を……」
真希が怪訝そうな表情になるが、まだ気づいていない。
先程飛散したノロが、どうなったのか。
「なっ……!」
「ええっ?」
数十、数百に飛散したノロは互いを結ぶように無数の点同士を繋ぎ合わせ始める。一秒もかからずに真希と結芽の周囲に半球状のノロの網が完成した。極めて目が細かく、指が入るか入らないかくらいの隙間しかない。
「こんなもの!」
真希も結芽も網を破ろうと御刀を振るうが、傷がつくだけで切断には至らない。
「そう簡単には行きませんよ。そういう風に作ってありますので」
この網は『右腕』のように硬化させてある。さながら鎖帷子のように大抵の斬撃は弾いてしまうのだ。これで暫くは時間が稼げる。
「では、ごゆっくりどうぞ」
「くそっ! 待て、黒木!」
「もー、こんなのズルいよ!」
明良は踵を返すと全速力で駆けて行った。
次回もちゃんとバトルですんで!
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