嘘を吐くのは得意だった。昔から何度も何度も何度も嘘を並べて自分を偽り、身を守ってきた。本当の自分を誰かに曝したことなど片手の指で足りる程度の回数しかない。
だから、彼女に対しても同じだった。最初は心苦しさも罪悪感もなかった。彼女も他の人たちと同じ、ただの人間。いや、刀使という職に就いているのならばむしろ敵に該当する人だ。
決して本性も出自も明かすな。明かせばこの人の傍にいられなくなる。
――なぜ……?
疑問に思った。何故彼女の傍にいられなくなることが自分の損害に値するのか。彼女に知られれば他の者にも広められるからか? 違う、彼女が一人喚いたところで彼の出自を信じる者はいない。
ならば、何故? 何故、あの穏やかで暖かい少女の傍にいたいと切望する?
――知っています。この感情の正体も、私の願いも。ですが……
それが何だ。彼女の身になってみろ。縁も所縁もない、ただの知り合い程度の認識でしかない男。それだけならまだいい。自分は最低のクズだ。ここまで酷い人物が他にいるわけがない。そんな奴に言い寄られるなど迷惑以外の何物でもない。
誰かと密接に関わってはいけない。願いを叶えられない、幸せにできない、期待に応えられない、自分はそういう奴だ。自分の手は誰かに縋りついて邪魔をするための機能しか備えてない。
一生闇の中で、光の当たる場所に立つ彼女の手助けをすればいい。それで幸せだ。
「この中で――この闇に溶けてしまえば……」
これでいい。やっと全てが終わる。自分が殺した人々の無念も少しは晴れるだろう。
最後に一目彼女と会いたい。いや、もういい。彼女に迷惑だ。最後は人知れず、何もかも諦めて終わりたい。そう、静かに、誰にも見つかることなく――
「明良くん!!」
※※※※※
「………」
「ねえ、私だよ。明良くん、話を聞いて」
舞衣が駆け込んだ部屋は、先程まで修と話していた部屋とは対称的に殺風景なものだった。真っ白な空間に同じく真っ白な椅子、それにぐったりと腰掛けている明良がいた。
「……なぜ来たのですか? もうお別れは済ませたはずです」
ボソボソと読経のような感情のない小さな声が明良の口から溢れる。
「まだそんなこと……」
「修から何を聞いたのですか? 私を助けろ、とでも言われましたか?」
呆れた声の彼。本当に同一人物なのか疑わしくなるくらいその雰囲気は冷めていた。
「言われてないよ。私はここに自分の意思で来たの。あなたとちゃんと話をしたくて」
「……お聞きしましょう」
舞衣はただ一言、呟くように明良に言う。
「話して、全部」
「………はは」
笑われた。喜びでも何でもない。失笑だ。観念した明良は滔々と語り出した。
「貴女を失いたくなかったんです」
俯いていた彼の顔が上がり、目の前に立つ舞衣を見上げる。
「今まで私は、人を信じない生き方を貫いていました。人には内なる悪意があって、表面では優しくしていてもいざとなったら平気で裏切られる。そんなことになるくらいなら人を信じるなんて無駄だ、と」
彼がいつもしていたことだ。彼は舞衣の周囲の怪しげな人物は当然、初めは舞衣の友人たちにも少なからず猜疑心を抱いていた。
「しかし、貴女と接している内に貴女は信じられるようになった。いえ、たとえ貴女に裏切られることになろうと、変わらずお慕い申し上げることができると思っていたからでしょうか」
舞衣は黙って聞き続けた。やがて、明良は頭を抱えて暗い表情に移り変わる。
「そんな貴女が好きになったから、私は以前よりも自分が嫌いになりました。身の程をわきまえずに、叶いもしない想いを未練がましく抱え続けている自分が」
叶いもしない想い。修が言っていたのと同じだ。明良は舞衣と自分の立場の違いを深く考えてそういう結論に至ったのだろう。
「愛人の子として異常な教育を受け、その復讐のために人の道を外れた。しかも、大荒魂を出現させて大勢の人々を犠牲にした上で。その中には可奈美さんと十条さんの家族も含まれていました。私が原因なんです。私がいなければこんなことにはならなかった」
藤原美奈都と柊篝。彼女たちは大荒魂との戦いが原因で逝去したのだ。その大荒魂出現の場には彼がいた。
「おかしいとは思いませんか? こんな大罪を犯した輩が、のうのうと生き延びて人並みの幸せに夢焦がれているだなんて」
彼の罪。古い汚れのように彼の心にこびりつく罪悪感は彼自身の幸せを許さない。
「私が貴女を守りたいと言ったのも、貴女の傍にいたいと言ったのも、きっとただの欲望なんです。何もせずにいたら、過去に押し潰されてしまいそうだから必死に誤魔化したかった。そのために、あろうことか貴女を利用していたんです」
諦めたような彼の目と顔。舞衣に嫌悪感を抱いているわけではない。ただ、罪悪感が増長しているのだ。
「貴女には生きて、幸せになってほしいんです。私が死ねば、もう何も起こらないはずですから。タギツヒメも荒魂も元に戻ります」
確かに、彼が死ねばタギツヒメの力は弱まり、逆転の目が出てくる。この戦いも一気に優位に立てる。それは間違いない。
「もうすぐ、自分で自分に始末をつけます。誰かの手を汚すよりも、その方が良いはずですから。それから――」
明良は自分の頭を押さえていた手をどけ、舞衣を見上げる。その顔はもはや、諦めや苦しみを通り越して哀しく微笑んでいた。
「今まで利用して、騙してしまって申し訳ありません。こんなことでは償いになりませんが、何かしてほしいことがあれば最大限叶えますよ?」
無理矢理、舞衣に嫌悪感を与えないように配慮した笑顔。だが、普段の彼のものではない。愛想笑い――足し算しかできない子供でも見破れそうなくらい下手な笑顔だ。
「叱責でも、制裁でも……泣いて詫びろと言うなら、実行します。死ねと言うなら、喜んで今すぐ命を断ちます。どうなさいますか?」
きっと、ここで舞衣がどんな無理難題を提示しても明良は実行する。不可能なものであっても本当に最大限叶えようとする。彼を口汚く詰っても、血が出るほど殴っても、土下座させても、自害しろと迫っても、全て涼しい顔で受け入れる。
今の彼にとって、舞衣の願いを聞くのは最後の願いなのだ。舞衣の意思で、自分と言う存在を終わらせてほしい。最後を看取ってもらいたいのだろう。だから、舞衣は――
「じゃあ、一つだけいい?」
「はい、何でもお申し付けください」
空気を吸い込み、一片の淀みもない声で言う。彼女の本心を。
「私と、これからもずっと一緒にいて」
誓ったばかりなのだ。彼を見捨てない。力になりたい、と。だから、ここではっきりと言う。自分の心からの願いを。
「…………」
明良は激しく瞬きを繰り返し、挙動不審に首をあちこちに向ける。出鼻がくじかれたと言わんばかりに舞衣に聞き返してきた。
「あの、舞衣様。申し訳ありません、何と仰いましたか? 聞き間違えたようで……」
「嘘だよね。今の言葉を明良くんが聞き逃したりするはずがないよ」
彼が舞衣の言葉を、ましてや彼女の願いを完全に聞き取れないことなど一度もなかった。
彼は認めたくないのだ。彼が考えていた願いの中で、舞衣の口から言わせてはならないと思っていた言葉であったことが。
「……どういう、意味なのですか?」
「そのままの意味だよ。家で一緒にご飯を食べて、買い物して、お話しして……二人で時間を共有していきたいの」
ありふれた、ちっぽけな願いかもしれない。劇的ではないかもしれない。だが、平和な時間を誰かと過ごせること以上の幸せなど舞衣には考えられなかった。
「なんで……そんなこと……」
明良はワナワナと震えて、怒りとも悲しみともとれない表情で舞衣に問い詰める。
「私の話も、私の過去も! 聞いていたのでしょう? 私はクズです! 人に迷惑をかけて不幸にすることしかできないのに、何の罰も受けずに生きてるような奴なんです! 私はもう、生まれなければよかったんです! あの暗い地下書斎の中で惨めに死んでいればよかった!」
何度も何度も、叫ぶ。冷静な面が目立つ彼とは思えない、感情に振り回された行動だ。
だが、この動揺は何かを塞ぎこんでいるがゆえのものだろう。
「それなら、どうして私のことが好きだなんて言ったの?」
「それは……」
明良が口ごもる。ただ感情をぶつけるだけでは無駄なのだ。彼の本心の上澄み、僅かに漏れ出た部分を見つけなければ。
「明良くんが本当に心から死にたいって思ってるなら、私にそんなことを話す必要はないよね? 私に突き放してほしいんだったら尚更に」
波止場で決別した際も、ここでの会話でも、明良は自分の舞衣への愛情を明かしている。彼が舞衣を自分から遠ざけたいのなら、自分の悪評を言えばいいだけだ。
「本当は、心のどこかで私に止めてほしいって思ってたんじゃないの?」
「………」
ばつが悪そうに目をそらす明良。さらに明良は畳み掛けてきた。
「私が荒魂となって貴女がたを攻撃したことは知っているでしょう? 私はまた暴れ出すかもしれないんですよ?」
「知ってるよ。だから、そのときは私たちが止める」
「…私がいるせいで、貴女や周りの方々が不幸になるかもしれませんよ?」
「それでもいいよ。私は明良くんがいなくなって幸せになるより、明良くんがいて不幸になる方が嬉しいから」
「……私の罪が貴女の肩に掛かるかもしれないんですよ?」
「そうさせてよ。私も明良くんを支えたいから」
「………私の………私は………」
言い尽くしたのか、明良は何度も逡巡を繰り返す。舞衣は三歩ほど歩き、明良との距離を詰める。
「明良くん……」
「!?」
舞衣は明良を正面から抱き締めるように両手を彼の後頭部に回す。明良は椅子に座っているため、自然と舞衣の胸元の大きな膨らみに明良の顔が当たる体勢になる。
舞衣は撫でるような手つきで明良の顔を自分の胸元へ誘った。抵抗はされたが、大した力ではない。本気で嫌がっているわけではないのだ。
子守唄を聞かせるように、耳元で彼に囁く。
「大変だったね」
胸の中の明良の身体がピクッと震える。
「辛かったよね」
おずおずと、明良の両手が舞衣の背中側へと回されていく。
「苦しかったよね」
舞衣の背中に回された両手が、ゆっくりとだが確実に強く彼女の身体を抱き締める。
「だから、もう休んで」
それが切っ掛けだった。
「うっ……うう……ぐ…………」
明良は強く舞衣に抱きつき、胸の中で啜り泣いた。制服が涙が濡れていくのがわかるが、不快感など微塵もない。
「いいよ。好きなだけ泣いていいから」
きっと彼は、疲れすぎていたのだ。自分の経験してきたことも、関わってきた人々も、彼の中に幸せな思い出を作ってくれなかった。全身全霊を以て目的のための努力をしてきたにも関わらず。
そんな思いの中、彼の目の前に現れた舞衣はどんな手段を使ってでも守りたい相手で、その目的のためにまた己を削って日々を過ごしていたのだ。目の前のことに必死になりすぎて、誰にも助けを乞うこともせず、一人で全力疾走を続けていた。そんなものが続くわけがない。彼の精神も肉体も削られすぎてボロボロだ。
だから、舞衣は彼を放っておけなくなったのだ。
「一緒に帰ろう。ね?」
「……はい」
胸の中で明良が答える。彼の声からはもう、哀しみも苦しみも感じない。
「……舞衣様」
「どうしたの?」
明良は何度も言い淀むが、舞衣は急かすことなく彼の言葉を待った。
明良は舞衣の背中をポンポンと叩く。解いてほしいようだ。名残惜しいが、舞衣は彼の頭を掴む両手の拘束を解いた。すると、明良は涙で赤くなった目で彼女を見上げて言葉を紡いだ。
「私は貴女が好きです」
彼からの面と向かった告白。もう何度かされているが、こうして正式にされたのは初めてだ。ゆえに、舞衣も自分の顔が赤くなってしまうのがわかる。
「……うん」
彼からの愛の告白。それならば、返す言葉は一つだ。そして、返す行動も……同じく一つ。
「私も好き」
やっと言えた。お互いに言えなかった想い。本当の心。
普通ではない。すれ違って、ぶつかりあって、気を遣われて、悲しみに暮れて、いくつもの障害があった。
だが、これからはもう離れはしない。
舞衣は想いを行動で示すように明良の両頬を手で包み、その唇にキスをした。
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