彼女の名前は上白沢慧音。
ワーハクタクの能力をその身に宿す半獣人の女性だ。
最近では外来人の少女を妹として迎えたり頭突きをしたり教師をしていたりする日々を過ごしている。
そんな彼女の思考は今、真っ白に塗り潰されていた。
目の前で起こっている事態に頭が追いつかず、言葉が出ない、理解できない、何をすればいいのか分らない。
慧音の今の思考状況が画面に表せるのなら、黒い画面に謎の数列がびっしりと並び最終的には『ERROR』という文字がでかでかと表示されるのだろう。
「え…あの……?」
そんな思考状態で、慧音の身体は本能的に動いていた。
事態が理解できないまま、何が起こっているのか分からないまま、慧音の身体は無意識の内に目の前の古河音の肩を掴みそのまま自らの頭を振り上げていた。
「………はっ!私は一体!?」
ゴツンっ!という鈍器で何かを殴ったような音と共に慧音の意識は覚醒した。
気づけば目の前には、額にコブを作りぐるぐると目を回している古河音の姿があった。
一体誰がこんな事を!? と思いながらも、ひとまずそんな彼女を寺子屋の中へと運ぶ慧音だった。
人里の寺子屋には教室の他にもいくつかの部屋が存在する。
テストや課題などを作成したする事務室や、様々な資料が置かれている資料室。
そして、簡易的に怪我をした子供に処置を行う医務室だ。
運ばれた古河音はそこで未だに意識を失い、生徒達もぞろぞろと集まっていた。
解散するようにと慧音が促しても、生徒達はそこを動こうとはしなかった。
純粋に心配しているのか、それとも単なる野次馬か。恐らくは半々である。
「う……うぅ…ん……」
思惑はどうであれ周囲に見守られながら、再び古河音の意識が回復する。
むくりと上半身だけを起こして、状況を確認するように辺りをきょろきょろと見渡している。
純粋に心配していた子達は安堵のため息を漏らし、見物人達はざわざわと騒ぎ始めた。
そんな中、慧音だけはそのどれとも違う。
先ほどは頭がエラーを起こして意味不明の行動をとってしまったが、今ではきちんと事態を把握している。
だからこそ今でも不安なのだ。
意識が戻ったとして、果たして今の古河音はどのような状態なのか。
「……………ふふっ
おーっほっほっほ!私、復☆活ですわっ!怯えるが良いですわ!称えるとよろしいですわ!!
全人類の畏怖にして敬愛!月詠鈴芽、今ここに―――――……」
「コレジャナイ」
「パチモンっ!?」
慧音の額と古河音の額ごっつんこ。なのにそのダメージは全て古河音へと。
本日にしてすでに4度目の頭突きである。
起きたと思われた古河音の意識は再び奥深くへと沈んでいった。
誤作動を起こした電化製品は、一度電源を切るというのがよく使われる方法だ。
ゲームで例えるならばリセットボタン。
「…………話をまとめると
私は慧音さんの妹で、ここの生徒で、記憶喪失になった……と?」
結局、目覚めた古河音の記憶は戻ってはいなかった。
そんな訳で再びただいまプロトタイプ古河音である。
「そ…そういう事になるなぁ……」
ちなみに、慧音の頭突き云々の部分は大幅カットで説明されている。
後ろめたさからか先ほどから慧音は一度も古河音と目を合わせていない。普段とは全くの真逆のやりとりだ。
周りの生徒達の視線はそんな物珍しい光景に釘つけだった。
このプロト古河音自体は生徒達にとって初見ではない。
元はこの古河音と共に時を過ごし、『あの』古河音へと変貌する様を間近で見てきたのが慧音と生徒達だ。
だからこそ気持ちとしてはどこか懐かしく、同時に何をどうすればここまで変われるのかと改めて不思議に思わされる。
そんな喧騒を、ひとりの少年が発見した。
今回の事件のきっかけとも言えなくもない、島津五郎。
ほとぼりが冷めたあたりで謝ろうという、なんとも子供らしくない打算からこのタイミングで戻ってきたのだ。
そこで戻ってみると、この騒ぎである。
「どうしたんだよ。何があったんだ?」
「大変なんだよ!古河音が―――……」
事情を聞いて騒ぎの中心に。
そこには今回の事件の主役が2人。古河音と、慧音だ。
「先生、本当なの…?古河音が……」
「あぁ…」
「……先生」
「どうした…?」
「もしかしてだけど……
古河音が記憶なくしたのって先生のずつ……」
五郎の双肩に、がしっと慧音の両手が乗せられる。
しっかり肩を掴んだまま、顔を近づけ真剣な眼差しで五郎の眼を見つめる。
「いいか五郎。世の中には理不尽がはびこっている。受け入れがたい現実がある。
そんな現実と出会ってしまった時どうすればいいか。それは
なかった事にすることだ」
要約すれば『その通りです。黙っていてください』という意味に変換される。
決して大の大人が子供に言う事ではないし、ましてや教師が生徒に言うセリフではもっとない。
何気に、古河音の影響をもろに受けているのが、実は彼女だったりする。
やはり彼女は古河音の姉なのだ。
人の噂もなんとやら。
人も妖も、環境に順応する能力を大なり小なり持っている。
とある山に住まう常識に縛られない巫女を例にあげると分かり易いだろう。
当初こそ騒がれた今回の事件。数日経てばすっかり落ち着いていた。
曲がりなりにもあの古河音のクラスメート達だ。その順応力は並みの子供よりずっと飛び抜けている。
が、そこは順応力も人それぞれ。
慣れる者もいれば未だにあの変貌ぶりについていけない者も当然いる。
五郎もまたそんな『慣れない者』のひとりだった。
というか本来それが普通だ。慣れている子達の順応性が異常なだけなのだ。
「どうしたの?」
思わずため息をつく五郎を心配そうに訪ねてくるのが、まさにその悩みの種。
相も変わらずプロトタイプ古河音である。
いつもならばこの『どうしたの?』ひとつにも
後ろからぬっと登場したり、あるいは真上から。はたまた背後から『千年殺し』をかましたりする場合もある。
それがどうだ。
普通に登場し、控えめな声で、首をかしげて、『どうしたの?』ときたものだ。
これをすんなり受け入れて対応できる程、五郎の神経は図太く出来ていない。
「いやー…人間変われば変わるものだなーと思ってなー……」
そんな五郎の答えに首をかしげて頭の上にはてなマーク。
いっそこれが演技であったなら、どれだけ気楽な事だろう。
「………ごめん、ね?」
「え、何がだよ?」
謝罪とは、読んで字の如く己の罪を謝る事だ。
少なくとも五郎には今の古河音にそんな罪など思い当たる節はない。『過去』には数えきれないほどあるのもたしかだが。
だからこそ、五郎にはその『ごめん』の意味が分からない。
「私と五郎君、仲良かったって…聞いたから」
「あー…まぁ悪くはなかった……かな?」
改めて問われれば、これ以上答えにくい問いもない。
箒に乗って東へ西へ。ひとつの場所に落ち着く事を知らない古河音とはそこまで長くいる事もない。
気が合うといえば合っていたが、だからといって信頼していたかと問われれば間違いなくNo。
クラスメートとはまた別の、いたずらメート。つまりは同種。
だからこそ、その関係を言葉にするのはとても難しい。
「だから……ごめんね?忘れちゃって」
「い……いやいや!別に今のお前が謝る事じゃぜんぜんないだろ……!?」
「………うん。良い人だね五郎君は」
それは咄嗟に出た庇いの言葉に対してのものなのか、少なくとも五郎にとってそれは言われ慣れていない言葉だった。
「また……仲良くなれたら良いな」
そう言ってそっと手を出し、優しく微笑むその笑顔が五郎の眼に深く焼きついた。
「どーしたんだよ。いつも無駄に元気なお前が大人しいな」
外の世界のお菓子が食べられるのはココだけ。
最近ではちょっとした土産ものまで扱うようになった人里の出張お菓子屋さんである。
寺子屋の生徒もそうでない者も、子供たちはよく足を運んでいる。
当然、その店主である良也は客の顔くらい覚えている。それが常連ともなれば尚更だ。
「なぁ……良にい」
普段元気な常連が、ここぞとばかりに落ち込んでいたらこちらとしても調子が狂う。
ほれよ、とお代抜きで少年にひとつのラムネを差し出す。
「最近さ…。気になるんだよ。前はなんとも思ってなかった奴の事がさ」
「うおっ!?なんだよ恋バナか?マセてんなぁ~~……」
自分も商品であるラムネを一口。
今の子供は幻想郷でも進んでいるのか?とも思ったが、思い返してみれば自分が五郎くらいの年の頃はまさにそんな話題でいっぱいだった事を思い出す。
好きな子にいじわるする者。勉強はできないがスポーツ万能でモテる者。告白して玉砕する者。
色んな奴がいたなーと頭の中でちょっとした回想シーン。
かくいう良也は告白する前からその想いに気づかれ『ごめんなさい』と言われたパターンだ。
それはまるでフライングカウンター。スタート地点に立つことさえ許されなかったのだ。
『初恋は実らない』という言葉を身をもって思い知った瞬間だった。
「良にい?」
「あっ…うん。聞いてる聞いてる!」
意識があの頃へタイムスリップ。五郎の声で再び現代へ。ちょっとした思考の時間旅行だった。
「しかしお前がねぇ…。相手誰だよ?寺子屋の子か?まさか年上とか言わないだろうな…」
ただでさえ子供の頃の恋は実りにくい。
それが年上などといえばその難易度はノーマルからルナティックへ。
小学生が先生に想いを寄せるようなものだ。当時の友人がそれで痛い目を見た日の事は今でも忘れていない。
「………だよ」
「あ、悪い。聞こえてなかった。なんて?」
「……………古河音だよ」
「あのな五郎。それは恋じゃない『気の迷い』っていうんだよ」
幼い子供にトラウマが残らないよう。時には厳しく接する事も大人の役目だ。
そんな帰り道。五郎の目に古河音の姿が映った。
彼女の周りには数匹の猫。良也が見たら実に羨ましがりそうな光景だ。
このプロト古河音、普段は表情が乏しい。
だからこそなのか、猫を相手に緩んだその表情が五郎の心を鷲掴んでいた。
「あ、五郎君……」
聞こえるかどうかの微妙な音量で挨拶をする。猫を相手にしながらもこちらに気づいた様だ。
猫には気に入った相手にすり寄るという習性があり、それをくすぐったそうにしている。
「かわいい、よね」
お前の方が可愛いよ。
そんな歯の浮きそうになる言葉を寸でのところでどうにか留める。
タコ殴りにして縄で縛りつけて、トドメに川に捨てて沈めてやる。二度と出てくるな馬鹿野郎!
朱に染まった自分の顔を手のひらで押さえつけて、屈みこむ。
これはもう、病気だ。
いつもの自分では考えられない。つまりはもう、そういう事なのだ。
「だ、大丈夫……!?」
「だい…じょうぶじゃない」
「えぇ…!?」
心配そうにおろおろとする古河音を前に、それがとてもおかしくて色々と吹っ切れてしまう。
きっと自分は病気なのだ。だからこれから言おうとする事もきっと病気のせいなのだ。
「前はさ……」
「え…?」
「猫を可愛がるなんてありえなかったよな。なんか『萌え』とか『擬人化』とか言ってさ。
俺を心配なんてするとか、ありえないだろ……」
「……………」
「どっちが本当のお前かなんて分からないけど……俺……」
「……萌え……ぬこ……擬人化……ケモ耳……ショタ……ロリ………はむはむ………これもう………入ってる………入ってる………入ってる!!」
「俺、お前が好きだ!」
「……………………………………」
返事はない。だからと言って屍のはずもない。
自分が作ってしまった沈黙の時間。
返事を期待している訳ではない。嘘だ。期待してしまっている自分がいる。
けれど、それで古河音を困らせるのは何かが違う。
「あぁ~…良いよ返事とか別にいらないから……ごめんな急にこんな……」
「…………………」
顔が上げられる。
うつむいていて見えなかった表情が五郎の目に映った。
笑顔だ。笑っている。それはもうとても―――――………
とても気持ちの悪い笑顔だった。
にんまりと、口元はいやらしく釣り上がり、目元は歪み、ニタァという効果音が似合いそうな笑顔だった。
「いやぁ~、実はね。前々からそうじゃないかと思ってたんだよ。『好きな子に意地悪する』みたいな?まさか当たってるとはね……当ててんのヨ!?」
頭が、視界が真っ白になった。
下手な変身ものヒーローなんて目じゃない。
あまりの突然の出来事に、まるですり替わりの様な目の前の人物の変貌ぶりに言葉がなかった。
「でもね?もっとアクティブにいってみないかな?
実は私年の差…って好きなんだよ。だからね?五郎君がぁ…お姉ちゃんとぉ…禁断の授業、的な!?うっひゃー堪んねぇーっ!滾ってきた滾ってきた!!」
どうやら今まで恋愛フィルターみたいな。そんなものが五郎の視界に入っていたようである。
それが今粉々に砕け散って、目の前にいるのはただの変態である。
初恋は実りにくい。
だからといって、こんな散り方はあまりに酷過ぎるだろう。
「さぁ、これは戦争だ!読者のみなさん、次回はいよいよR18解禁だ!おね☆ショタのイヤラシさ満点のお話を……」
やりません。
純粋なラブコメを期待してくださった皆々様。
本当にごめんね!
まったく本編と関係ないけど「小町でアクションをゆっくり実況」ていうゆっくり実況始めました。宣伝乙だよまったくもうめっ!