人里の寺子屋といえば、大抵の人物は人里の守護者・上白沢慧音を連想する事だろう。
彼女の住まう家はその寺子屋である。
寺子屋に住んでいる、といえば若干の語弊が生じるかもしれない。
正確には彼女の住まいと寺子屋は連結している状態なのだ。寺子屋の中に住まいがあると言った方が正しいのかもしれない。
ともあれ、そんな寺子屋兼上白沢宅には彼女の他にもう一人住居者が存在する。
彼女の義理の妹であり一応本作の主人公的なポジションに存在する、上白沢古河音こと星神すずめである。
教師であり姉である慧音に対し彼女は生徒であり妹でもある。
2人して共通する点があるとすれば勤め先と住居がとんでもなく近いという事だ。
今回はそんな彼女の朝に注目してみよう。
幻想郷には目覚まし時計というものが存在しない……訳ではない。
一応は存在するのだが、そんなものを所持しているのはほんの一握り。
例を上げるとするならば、幻想郷に流れ着いたものを節操無く蒐集する森近霖之助。
外来を自由に行き来する土樹良也。 元・外来人、東風谷早苗。
幻想郷に流れた物品を拾い調べ上げ再現する河城にとり、並びにそんな彼女から提供された一部の天狗の皆さん達。
こうして並べてみると実はけっこう所持者はいるのだが、少なくとも人里に目覚まし時計を持っている者は1人たりともいない。
そのため、当然人里の者達が朝早く起きるためには体内時計が必須である。
なのだが、一応そこは彼女も外来人。
目覚まし時計に比較的近い機能を持った物を彼女は寝床に置いているのだ。
正式な名称はないものの、彼女が「目覚まし茸」と命名したそれは午前早朝のある一定時間になるとあらゆる現象を引き起こす。
室内を高温で満たしたり、あるいは低温で満たしたり、震度2~3程度の地震並みに振動してみせたり、時には爆発を起こしたりもする。
今彼女の寝床で苗に植えられたそれは、言わずと知れた魔法の森出身だったりする。
ギイィィエエェェェェェェェ―――――――――っ!!!
機械音とも生物の出す声ともとれない奇怪な不協和音が目覚まし茸から発せられた。
発泡スチロールを擦る様な、はたまた黒板を思い切り引っ掻く様な……聴覚を通じて人の脳に非常に不快感を覚えさせる音だった。本日の目覚まし法は『奇声を発する』のようだ。
それを枕元に置いていた古河音は布団を身体に包んだ状態で軽く伸びをすると、緩慢な動作で目を擦りながらむくりと起き上がる。
左手で口元を隠しながら、それでは到底隠しきれないほどの大きなあくびを数秒に渡り響かせると腕をぐるぐると回して少しでも眠気を追い払おうとしていた。
そんな眠気と奮闘している最中にも、未だ茸の奇声は続いている。
常人ならば眠気など一瞬でかき消され逃げるように部屋から飛び出ている事だろう。
古河音も最初はそうだった。
爆発したり、室内をサウナ状態にしたり冷蔵庫状態にする奇怪な茸は、当初は十分すぎる程に目覚ましとしての機能を遺憾なく発揮していた。
だが、それは回数を重ねるごとに徐々にその効果を薄れさせていった。
起こす側の能力が落ちてきたのではなく、起こされる側が慣れてきたのだ。
今はまだ辛うじてその眠気を振り払う事に成功しているが、数週間後には室内40℃の中で平然と寝ているかもしれない。
いつもの上下一体の独特の服ではなく、飾り気のない単色の浴衣姿でのそりと鏡の前に辿り着く。幻想郷での寝間着はコレが定番だ。
鏡の前で右手で歯を磨きながら、空いた片方の手で寝癖と格闘。
ご存じだろうか。明治初期にはすでに歯ブラシも歯磨き粉も普及されていたのだ。
「………っ!!?」
寝癖も直して歯も磨き終わって眠気も適度に払えた頃、後ろ髪をいつもの一本縛りにしてある事に気づいた。
両の手で自らの頭部を鷲掴みにしてぐいっと鏡の前に近寄せる。自らの頭頂部に起こった奇跡を間近で再確認するためだ。
寝癖の落ち着いた頭頂部にぴょこんとアーチを描いて跳ねた髪の束。
当初は一部の異常偏執(マニアック)な作品で少女にのみキャラクターの特徴のひとつとして描かれていた現実に起こるには非常にまれな髪形。アホ毛と呼ばれる髪形である。
昨今では男性キャラにも造形の一つとして浸透してきているが、やはり現実には起こり難い。
それが今、古河音の頭頂部で再現されていた。
「お……おぉぉ……!! おほぉー……っほ………ふぉぉぉ……っ!!
やべぇ……ヤバいよコレ………完璧なアホ毛だよっ!!」
「……あ、やっべ!!」
時間にして十分前後。そこで我に返った古河音は今日が朝食当番だったという事に気づくと、いつもの黒い上下一体の服装に身を包む。
急いで朝食の準備にドタドタと駆けて行った。
朝食、といってもそこまで手のかかるものではない。朝食だからこそ、手を抜ける。
作り置きのごはんを器に乗せ、同じく作り置きのみそ汁を火にかけて温めなおす。
当然ながら電子レンジなどない幻想郷では、ごはんを温めなおす事などできない。故に冷ご飯だ。
その分温める事のできるものは火をかけてその分を補う。誤魔化しているのではなく、生活の知恵だ。
あとは魚を焼いて朝食の出来上がり。
実際に火を通したのはみそ汁と魚のみ。ご飯とみそ汁を作り置きしていたからこそできた荒業である。
「………古河音。寝癖がまだ残ってるぞ?」
朝食の置かれたちゃぶ台を挟んで、慧音と古河音は向かい合わせでご飯を口に運ぶ。
そのためどうしても気になる妹の頭頂部でぴょこんと跳ねた髪の束。
「いーのいーの。これで私も萌えキャラの一員なんだから。アホ毛はステータスだ。コレ私のオリジナル。パクリじゃない。インスパイアだから!」
箸をまるでステッキの様に顔の横でビシっと決める。行儀が悪い事この上ない。
言葉の意味は何一つ分からないが、要約すると『寝癖を直したくない』と言っているのだろうと慧音は判断した。この理解の早さは血の繋がりがないとはいえ流石姉妹と言える。
いやに上機嫌その様子から、相当その寝癖が気に入っている事がうかがえる。
しかし、元々几帳面な性格の慧音にとって目の前の寝癖は非常に気になってしまう。
他の部分はきちんとしているのに、一部分だけ跳ねた髪が気になって仕方がない。
なぜかもう、衝動的に、直したい…直したくて仕方がない。
そんな想いを飲み込むように、パクリと一口冷ご飯を口にする慧音だった。
住まいが寺子屋というだけあって、古河音はこれまで遅刻というものをした事がない。
もちろん外の世界にいた頃をノーカウントにしての話だ。
古河音としてはたまには思い切り遅刻してみたいというのが本音だ。というか実際に言った事がある。頭突きされた。
やはり、学生たるもの遅刻ギリギリの時間をパンを咥えて走るのが青春のあるべき姿ではないのか。そう思うのだ。
パン粉はなくとも小麦粉ならばある。ならば食パンを作る事だってやろうと思えばできる。
と、そこまで考えて目的と手段が倒錯してきている様な気がして考えるのを止めた。
「おはよう。古河音」
「お、千代ちゃん。おはーっ!」
一人意識を深い妄想に沈めていた古河音に声をかけたのは、隣の席の同級生 小金井千代だ。
名前と名字が似ているとの事から、彼女がプロトタイプだった頃からの友人。
地味な外見とは裏腹に古河音が変貌しても眉ひとつ変えずにこうして受け入れているのだから、なかなかの豪の者である。
実は彼女の方が古河音よりひとつ年下なのだが、如何せんデカい。心も身体も。
そのせいなのかどうなのか、彼女もそこはかとなく年上の様なふるまいを見せる。
生粋の妹キャラ。といえば聞こえは幾分かマシかもしれないが、この場合は恐らく『出来の悪い妹』扱いなのだろう。
「あれ……?」
そこで千代は古河音にある違和感を覚える。
また記憶がなくなった…訳ではないだろう。おはようという挨拶と共に着物をめくろうとしてきた。
こう、第一印象というか『何かが足りない』そんな違和感が古河音の姿から受けてとれるのだ。
「帽子……どうしたの?」
そう、いつも彼女が頭に乗せている魔女帽子が今日はないのだ。
アレは嫌でも目立つ。彼女が普段から常備している箒と合わせてなお目立つ。
が、その帽子が今はない。そのため今の古河音の第一印象はまず真っ先に『何か足りない』というコメントがもれなくついてくる。
「いやー、今日奇跡起こっちゃって!見てよコレ、見事でしょ!?私的には茶柱より縁起良いよコレ!!」
「コレ……?」
あれ、これ、それ、どれ。
アレだのコレだの言われても、彼女が何を指して凄いと言っているのかが見当がつかない。
古河音の言い様からして普段とは違う何かがあるのだろうが、それ以上に帽子がないというインパクトが強すぎてその変化が分からない。
足元から注意深く観察して再び頭に到達する。帽子がないやはりこのインパクトが強い。
が、そこでようやく気づく。
頭頂部で不自然に跳ねた髪の束。結んでいる訳でもなくカーブを描いて跳ねたそれは千代にはまるで触角を連想させて――――……。
「ぷぅ……っ!!」
笑われた。
「………なぜだ」
本日の授業も終わりを迎え周りの子供たちが雑談をしながら帰っていく中で、古河音は1人項垂れていた。
その額には大きく膨れ上がったコブが。
授業中に居眠りをしていて出来たものだ。なぜ居眠りをしてコブができるのかは、もはや言わずもがな。
だが、それが原因で項垂れているのではない。もはやコブが出来ることなど日頃の習慣も同じ。出来ない日の方が少ない。
「もはやアホ毛の需要は去ったというのか………」
誰も古河音のアホ毛には見向きもしなかった。いや、見向きはされた。笑われた。
ウケがとれたのは唯一の救いである。
だが、古河音が欲しかったのはそういう反応ではなく、もっと『萌えっ!』的な、今日一日中ちやほやされるみたいな、そんな想像図が彼女の頭にはあった。
「もういっそ帽子被ろっかなァ……?」
右手で頭の上を空を切る様に軽く動かす。ぴょこんとアホ毛に当たった。
触感で分かる、見事なアホ毛だ。
その感触にやはり帽子を被るのは止めにしようという結論に至る。
帽子はお気に入りではあるが、このアホ毛は今日一日限りの奇跡。お風呂に入ればすぐに崩れてしまうだろう。
「よし………っ!!」
今日は思い切り飛ぼう。箒を携えてそう心に誓う。
嫌な事があった日は思い切り飛ぶに限る。
いや、嫌なことはなかったのだが。むしろ良い事があったのだが。
期待が大きかった分ショックも大きい。
「きゃっっっほおぉぉ―――――――――いっ!!」
今日限定のアホ毛をはためかせ、魔力一杯に全速力で夕空を駆け抜ける。
方向転換。急上昇。大回転。セルフジェットコースターだ。
気がつけば人里外れた森の上空で、ふと辺りが急に闇に包まれた。
「………あっちゃー」
その現象に襲われたのは初めての経験ではない。
だからこそ慌てはしないし、今の状況にどう対応すれば良いのかも分かっている。
再び方向転換。速度は殺さずに上空へ向かって上昇を続ける。
そのうちに再び視界には夕空が入ってくる。
そこで動きを止めて反転すると、案の定そこには空中にぽかりと球状の闇が広がっていた。
「わはー…」
闇は少しずつ収縮し、やがて闇の中心に立つ1人の少女の身体へと収まってゆく。
まるで彼女自身が闇だと言わんばかりに。
両の手を大きく左右に広げ、その赤い瞳が上空の古河音を見据えていた。
「……最近はすっかり人間を食べる機会もなくなってたから、別に今日もいいかなーって思ってたんだけど……せっかくそっちから来てくれたんだから、食べないともったいないよね?」
その言い分はまるで『おごってくれるならゴチになります』とでも言わんばかりに、その瞳は数日ぶりのごちそうを目の前にしている様に、その口元は静かに微笑んでいた。
ルーミア。
闇を操り人を食らう低級妖怪だ。
低級とはいってもあくまでそれは妖怪の中での話。膂力だけでも一対一なら大人の男でも彼女には敵わない。
普段は物臭な一面もあり余り自ら人を食べようとしない彼女だが、今日はそういう気分の日なのかやる気(食べる気)満々な様子である。
古河音の頭に咲いたアホ毛は、もしかしたらこれを予兆していたのかもしれない。
空中に立っていた状態からふわっと姿勢を飛ぶためのものにして、猛スピードで古河音に向かって飛んでいく。
当然、逃げる。
『闇』の射程内に入れば最後日の光も火の光も通じない。その闇は魔法で作られているからだ。
対抗するためには同じく魔法を使った光を用いる必要があるが、古河音の得意分野は風と水。
パチュリー・ノーレッジの様に七つもの属性を極めている魔法使いなど、本当に稀なのだ。
―――月符・ムーンライトレイ
辺り一面が弾幕で埋め尽くされる。
大きく広げられたルーミアの両手が淡く光り、そのまま直線状の光線になって古河音を襲う。
それに対して反転して出来るだけ速度を落とさないようにバック飛行。
当然だ。目視しないで弾幕など避けれる訳がない。
「弾幕のおおぉぉ~~~………基本はあぁぁぁ~~~~~~………」
散りばめられた弾幕にハサミを思わせる2本の光線。それらを見極め最小限の動きで躱せるルートを見つけ出す。
「チョン避けっ!!!」
盛大な叫び声とは裏腹にちょこんと避ける実に地味な絵面だ。
バック飛行なので思い切った軌道変換は出来ないし、今止まれば散りばめられた弾幕の餌食なってしまうのは自明の理。
とにかく今は粘るしかない。
スペルブレイクする様な強力な弾幕を放つにはどうしても動きを止める必要がある。
そんな余裕も力もない。だからこそ相手のスペルの効果が切れる。その瞬間を待つしかない。
時間にして数分ほど、体感時間は数時間。
ようやくムーンライトレイの効果が切れる。その瞬間を待っていましたと言わんばかりに動きを止めて急上昇。下にいるルーミアの姿を見据える。
「これが私のおぉ~~~……改良型っ!!」
――――泡符・修羅場フラグの地雷
ルーミアの周辺を無数の泡が取り囲む。別にそれがルーミアを狙う訳でなく唯々ふわふわと浮かんでいるだけだった。
―――が、そのうちのひとつがパチンと割れると中から大量の弾幕が溢れだした。
ひとつ目の泡の破裂をきっかけに辺りの泡も音を立てて弾幕を散りばめていく。
時間が経てば経つほど弾幕は増え逃げ場を失う。まさに修羅場フラグを体現した弾幕である。
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
辺りは完全に暗闇に包まれ、月明かりだけが夜道を照らしていた。
箒を杖代わりにして、古河音は徒歩で人里を目指していた。
結局スペル一枚で形勢が逆転するほど世の中甘くもなく、魔力も使い果たしてギリギリの勝利で幕を閉じた。
もはや飛んで帰るほどの魔力すら残っていない。
「あれ、君はたしか人里の半獣のところの……」
「まそっぷ!!?」
突然の背後からの声に意味不明の奇声を上げながら、飛び退くように後ろを振り返る。
少年を思わせる短い髪にキュロットパンツ。頭から生えた正真正銘の触角。
リグル・ナイトパグ。
蛍を操る亭の能力を持ち、自身も蛍の妖怪だ。
今日はよくよく妖怪と遭遇する日である。
「どうしたの?こんなところで」
「いやー、散歩(?)中にルーミアちゃんに襲われて……」
彼女の事は何度か博麗神社でも見かけた事がある。
そのためだろうか、同じ妖怪でもつい警戒心を解いてしまう。
蛍という害のない昆虫が元のためというのもあるのかもしれない。
「ホント最近は仙人やら、妖怪を退ける人間が増えて困るよ…。
まぁ、知らない顔でもないし。よかったら送って行くよ」
「えっ!?うそマジ良いの!!?リグルちゃんマジ天使っ!私今度から蛍見かけても絶対に捕まえないからっ!いやー同じ妖怪でもこうも違うもんかね~」
某ガキ大将よろしく『心の友よ~!』と言わんばかりに、リグルの手をつかみぶんぶんと振り回す。
「そんな大げさな…。私はほら、ついさっき食べたばっかりだから」
「あははっ。そっかぁ…………………ん?」
夜闇に隠れて分かり難かったが、月の照らす光が彼女の口元を照らすとそこはほんのりと紅い染みが残っていた。
忘れてはいけない。ほんの一部の妖怪を除き、基本妖怪の主食とはソレであるという事。
幻想郷の妖怪には数少ないルールが存在する。
おおざっぱに言えば『博麗神社と人里で人を襲ってはいけない』というものだ。
逆にいえばそれは、その2か所以外で妖怪に襲われても、文句は言えないという事を意味する。
「ほら、引っ張っていくから。手を出して」
「…………………お、オネシャース」