温くなった珈琲をぐいっと飲み干す。
すっきりとした苦味が寝たくなる気持ちを少し抑えてくれる。
……気がする。
いくら杏でもここでサボらないよ。
TPOを弁えてサボる。
それが杏の流儀だから。
ようし、気持ちを新たにして新人の子に向き合うよ。
「待たせちゃったね」
「ひぅっ…ま、ま、ま、待ってませんし……だ、だいじょうぶです……」
身体の向きを変えて話しかけると、もう一人の女の子は
視線を彷徨わせながら慌てている。
テンパり気味だね。
緊張しちゃうタイプかな。
プロフィールによると14歳。
そんなものかな。
緊張した事無い杏の方が異常みたいだしね。
「お名前言える?」
出来る限り優しく話しかける。
照れ屋さんみたいだし、年下だし、見た目はかなり将来有望そうだし。
「も、も、もりくぼ……のの、です」
森久保乃々ちゃんは縮こまりながらも、返事はしてくれた。
さっきも思ったけど声がいいね。
小声だったのに、はっきり聞き取れる。
可愛いけど、没個性じゃない、いい声だ。
アイドルにとって見た目と同じかそれ以上に声って大事だからね。
それに容姿もいい。
うつむいちゃってるけど、顔が奇麗。
肌が白くて髪が薄茶色、少し透き通った感じに見える。
外国人の血が混じってるのかな。
プロフィールには書いてないけど、お祖父さんとか曽祖父さんとか。
それとも杏みたいに色素が薄いのかも。
どちらにしても、染めてる色じゃないと思う。
服装は白いワンピース。
フリルが沢山ついてる。
髪型はちょっと変わってて、後ろに伸ばした髪先を分けて先端だけくるっと巻いてる。
良く似合ってるけど、可愛い子にしか許されない髪型って感じ。
態度と服装があってないのはどういう事だろう。
めちゃめちゃ恥ずかしがり屋みたいなのに、
ドレスっぽい白いワンピースなんて、相当可愛い自覚が無いと着れない服を着てる。
珍しい髪型といい見た目は派手なのに、性格はそう思えない。
人目を気にしないタイプとも思えないしなぁ。
「乃々ちゃんでいいかな?
可愛い名前だね。
菜々さんの妹みたい」
「あっ、そうですね。
菜々と乃々で似てますね」
「あ、あぅ、あり、ありがとうございます……」
菜々さんに話しかけられても、乃々ちゃんの視線は上がらない。
白い肌が首までピンクに染まってる。
猫被ってるって訳じゃなさそうだね。
「その服は乃々ちゃんが選んだの?
可愛いね」
「あ、ぞの、こ、これは、お母さんが……着ていきなさいって」
なるほど。
母親のセンスって事かぁ。
きっと凄く愛されてるんだろうね。
14歳で親の言う通りに服着るのって珍しい気もするけど
そういう子も時々いるし。
確かに可愛い子だから、お母さんが自慢したくなったり着飾ったりしたくなるのも分かる。
という事はあんまり自己顕示欲が無いタイプなのかな。
やっぱりアイドルになりたい、なろうと思う子は
自分に自信があって自己顕示欲が強いタイプが多いんだけどね。
楽して稼ぎたいという動機の杏や、
自信が無いからこそ変わりたくて来たかな子や智恵理の方が珍しいタイプ。
この子も多分そっち側かな?
「お母さんの事、好きなんだね」
「あ、はいっ」
今までで一番いい返事。
本人の印象は智恵理にかぶるけど、家庭は真逆って感じだね。
同じように接していいか迷うなぁ。
おとなしめの性格なのは間違いないと思うけど。
「プロフィールのきっかけの欄、スカウトされてって書いてあるけど……」
乃々ちゃんに聞いたんだけど、答えてくれたのはマネージャーだった。
「杏さんの元プロデューサーの遠縁に当たるそうですよ。
親戚関係の行事で会ってスカウトしたとか。
それで社長から縁故採用になるから自分でプロデュースするなって禁止されて
杏さんの所に持ってきたそうです」
なるほど。
あの人、素材いい子見つけたらお構いなしだからな。
親戚の集まりでスカウトするなんて、いかにもやりそうだ。
それでスカウトしすぎて忙しくなって家帰れなくなるんだから
もうちょっと考えた方がいいと思う。
見る目は確かだから人材不足のせいって言った方がいいのかな。
「でも、よくそれで来たね。
胡散臭くなかった、あの人?
杏は名刺貰って即、事務所に電話したよ。
あなたの所にこういう社員はほんとにいるのかって」
「あのプロデューサー、強面ですからねぇ」
皆、そろって苦笑してる。
でも、アイドルにしてあげるよーなんて言って近寄って来るオジサン信用出来ないでしょ。
世の中には変な人溢れてて、女の子は無警戒じゃ生きてられないんだから。
「あ、あの、叔父さんの知り合いみたいだったし……
杏さんに会わせてくれるって聞いて……」
「あの人、そんな事言ってるの!?
ていうか、それ、ヤバい人が使う手口じゃん。
その叔父さんと知り合いだったから良かったけど、
通報されてもおかしくないよ。
乃々ちゃんもそんな人簡単に信用したらダメ。
アイドルになってからも怪しい人近付いてくるからね。
テレビ局の偉い人の振りして電話番号聞いてきたり、
打ち合わせがてら二人で食事に行こうとか、信用しちゃダメだよ」
かな子と智恵理にも何度も言い聞かせてるけど、
想像以上にロリコンエロ親父っているからね。
乃々ちゃんにも教えないと、と思ったら菜々さんが敏感に反応した。
「あー、いますぅ!
菜々にもそういう人達が何人も言い寄ってきてました。
忙しかったから全部断ってましたけどね。
あれ、でも、もしかしてブームが終わったら
奇麗さっぱりテレビとかに呼ばれなくなったのって、そのせい?」
「関係ないって。
ああいうのすぐ裏取れるから分かるし、
ちゃんと仕事出来る人は異性のトラブルの怖さも分かってるから」
ひとしきり、言い寄って来るロリコン業界人あるあるで菜々さんと盛り上がった。
話してからしまったと思った。
マネージャーはこれから対処して貰わないといけないからいいんだけど、
乃々ちゃんを怖がらせ過ぎたかも。
「あ、ごめんね。
でも、杏に会いたかったの?
それは嬉しいな」
ちょっとアイドルモードの笑顔を見せてあげる。
ファンいてこそのアイドルだからね。
会いたいなんて言ってくれるならファンだよね、きっと。
「わ、わたし、いつも杏さん達のラジオ聞いてて……
凄く格好良くて……」
「ありがとね。
格好いいってのはちょっと予想外の評価だったけど、嬉しい」
こう言うと反感買うかもだけど、可愛いは聞きなれてるんだ。
物心ついてから言われなかった日は無いくらい。
何しろ五歳ぐらいの子供からも可愛いって言われるしね。
幅広いファン層が売りの杏だから、出会う人出会う人から言われる。
でも、格好いいって言われたの珍しいなぁ。
かな子や智恵理は言ってくれるけど、あの二人は半分家族みたいなもんだから。
「あ、杏さん、緊張しないって言ってて……
どんな時でもしないって」
「えー、本当に?
杏ちゃん、緊張しないんですか」
「うん、しないよ」
これ言うと結構驚かれるけど、杏って全然緊張しないんだよね。
特定条件下で思い通りに喋れなかったり、
動けなかったりする事らしいんだけどちょっとよく分かんない。
初めてのステージとか番組収録の後、よく言われたよ。
「緊張しなかったか?」って
別に命の危険がある訳でも無いのに、動けなくなるとか意味わかんないよ。
歌やダンスは覚えた通りにやるだけなのにね。
「すごーい!
菜々は滅茶滅茶緊張しますよ。
ミュージック酒場に出た時なんて、七回もNG出しちゃって……
うぅ、呼ばれなくなったのやっぱりあのNGのせいかなぁ……」
菜々さんが黄昏始めちゃった。
よっぽど、出れてた番組に出れなくなったのがトラウマなんだろうか。
「酒場はともかく、他の音楽番組なら出してあげられるから大丈夫。
菜々さん、新曲考えてていいよ」
「杏ちゃん、なんて頼もしいっ……!」
菜々さんって見てて面白可愛い。
くるくる表情変わって動きがあって。
「わ、わたし、人前に出るの苦手で……
怖くて、失敗したらどうしようって思って、それで……」
なるほど。
両親に箱入りに育てられたんだろうから、そういう事もあるのかな。
子供の頃にやっとかないと出来なくなるって聞いた事あるし。
この子がアイドルとしてやっていくには、そこが一つ壁かな。
智恵理もテレビで話せるようになるまで、結構かかったし。
杏と菜々さんとマネージャーしかいないのに、
乃々ちゃんまだもじもじしてるし、相当な恥ずかしがり屋だね。
「あ、杏さん……?」
こんな事で力になれるか分からないけど、
励ますぐらいはと思って、杏はテーブル周って乃々ちゃんの横まで歩いて行った。
真横まで近寄るとようやく乃々ちゃんが顔を上げた。
うん、やっぱり奇麗な顔してる。
「怖い?」
乃々ちゃんの横に座って手を握る。
「い、いえ、あの、あ……」
白くて細い手に杏の手を握らせて顔を覗き込む。
自慢じゃないけど、杏より怖くない人間もそういないと思う。
何しろ小さいし。
子供からも舐められる人間だよ、杏は。
逆に可愛がっても貰えるからいいんだけど。
乃々ちゃんも杏が怖い訳ではないみたいで、
顔を赤くして目を潤ませている。
杏の事をテレビやラジオで知っててくれたみたいだし、
喜んでくれてるみたいだね。
「杏も乃々ちゃんが会いに来てくれて嬉しいよ。
これから頑張っていこうね」
「は、はいっ……」
にっこりと笑いかけると乃々ちゃんは顔を赤くしたまま頷いてくれた。
智恵理にもよくこうしてあげてたな。
今でも緊張しちゃうらしいけど、最初はもっと酷かったから。
杏とかな子でよくこうして励ましたな。
ん、この子、華奢に見えるけど意外と身体しっかりしてる。
あうあう言ってる乃々ちゃんの肩や背中を触ってみると
筋肉もそこそこある。
もじもじしてるけど背筋は伸びてるし、歪んでない。
「乃々ちゃん、何かスポーツとかやってた?」
「あ、あの、昔、バレエを少しやらされてました……けど」
なるほど、バレエか。
これは期待しちゃうなぁ。
「ねぇ、少しだけ立ってみて。
足……はワンピースだから上げられないか。
こっちに来て、杏と同じ動きしてみて」
ソファーから立って、少し広い所で簡単なステップを踏む。
右、左、右、左、でくるっとターン。
「こ、こうですか……」
戸惑いながらも乃々ちゃんは全く同じ動きをして見せた。
これは誰にでも出来る事じゃないよ。
覚えるのが簡単なだけで、素人だとすぐ同じようには動けない。
「乃々ちゃん、上手ですねぇ。
菜々はよろけずにターンするのに半年かかりましたよ」
「はい、確かに筋がいいですね。
軸がぶれずにターン出来てます」
トレーナーでもあったマネージャーのお墨付きだ。
バレエやってたって伊達じゃないみたい。
「すぐにデビューって訳にはいかないから、レッスンからだけど
今日はレッスン着とか持ってきてないよね。
明日、レッスン用の動きやすい服持ってきて。
また杏に会いに来るつもりで来てよ、ね」
熱で浮かされたような目の乃々ちゃんを元気づけて
杏達はお茶を再開した。
この子、森久保乃々ちゃんはかなり素質はあると思う。
プロデューサー、自分で育てたかっただろうな。
顔も声も可愛いし、ダンスにも期待出来るし、
上手い事いけばトップアイドルも夢じゃない子だ。
ふふふ、杏の「寝てる間にアイドル達が稼いできてくれる夢の生活」の為に
頑張ってもらうよ、乃々ちゃん。
なるべく公式の設定に従っていきたいと思ってますが
把握出来てなかったり、分からない所を独自解釈で補う事があります
独自設定が生えたりもします
ご了承ください
杏が全く緊張しないというのは公式だったと思うんですが
何に載ってたか出典が思い出せませんので、勘違いかもしれません。
その場合はSS独自設定という事でよろしくお願いします