「…………ここも見納めか」
フーカ・レヴェントンという舎弟――もとい腰巾着――もとい付き添いができてから二日後。
アタシはある要件を済ませるべく、警邏隊やその他大勢に見つかるリスクを承知の上で、ミッド南部のエルセア地区にある高校へ訪れていた。
ここは言うまでもなく、アタシが通っている学校だ。ちょっとした有名人の知り合いがいて、当時は格上だった後輩もいる、市立の高校だ。
現在、時刻は夜明け。生徒はさすがにいないだろうが、警備員はいる。さっき一人で三階の廊下を歩いている姿が見えたし。
「よっと――あっ」
固く閉ざされている校門を飛び越え、鍵の掛かった正門を強引にブチ開ける。今のでちょっと壊れてしまったが気にしたら負けだろう。
……いや気にしないわけねえだろ。甲高い金属音が校内に響いてしまったんだぞ。警備員が近くにいるとしたらすぐにやってくるわ。
背を低くして忍び足ならぬ忍び走りで廊下を進んでいき、目的地の一つである職員室に到着する。意外と近くにあって助かった。
「チッ。やっぱ開いてねえか。だったら……」
正門のようにブチ開けてもよかったが、二度も同じ音を立てると確実にバレるため、方針を力ずくからピッキングへと変更する。
「えーっと、鍵穴にこのピックを入れて、鍵の開く音がするまで………………おっ?」
ピッキングは初めてだったので時間が掛かると腹を括っていたが、五回ほど鍵穴をピックで弄ったところで、カチャリという音が聞こえた。
今のを鍵の開く音だと判断し、大きな音を立てないよう、静かにドアを開ける。
もし鍵が開いてなかったらやり直しだったが、今回は成功したようでガラガラと開いてくれた。こういう音は大丈夫だろうか。
ポケットから一枚の封筒を取り出し、窓から見られないようしゃがみながら、壁に沿って足を進める。キツイなこの体勢。
「よし――これで目的達成だ」
特にハプニングもなく担任の机にたどり着き、少し躊躇いながらもその上に『退学届』と書かれた封筒をそっと置く。
もうこそこそ隠れる必要はないので窓を開け、脚に力を入れて跳び上がる。
目指すは――屋上だ。
「ふぅ~……」
一っ跳びで到着した屋上、その一番高いところにて。いつものようにタバコを一口吸い、東から昇ってくる朝日をただただ眺める。
相変わらずここから見る景色は綺麗なもんだ。これはアタシの独断だが、初日の出が目じゃないくらいには綺麗な眺めだと思っている。
誰もいない下の方へチラッと視線を向けると、以前は酷かった床のヒビがほとんどなくなっていた。どうやら復旧が進んだらしいな。
「…………」
今思えば、こんな取り柄しかない屋上でもいろんなことがあった――。
入学早々、ここを占拠しようとしたらガラの悪い上級生三人にケンカを売られ、喜んで――もとい仕方なく買った結果、ハイになって一人残らず血祭りに挙げてしまったな。
しばらく経ってから屋上を私物化するべく、炬燵とお手製の旗を設置。できる限り誰も近づけないように頑張ったっけ。最終的に約一名――赤髪の侵入を許してしまったが。
その次の年――今年だな。今度は癖のある下級生にケンカを売られたからこれも買ったよ。でも上級生のときと違ってギリギリの勝利だったのは記憶に新しい。
――やっぱり、ここでの思い出と言えばこんだけしかねえわ。ほとんど寝てたし。
それでも、今のアタシにとっては大切な思い出と言っていい。アタシは今日を以って退学する。ここに来る機会はもう二度とないのだ。
……正直言って名残惜しいけどな。
学校の屋上はヤンキーの定番の一つだ。強者同士のタイマンが行われる場所として指定されることがよくあるし、単純にバカ共の溜まり場として使われることもよくある。
実際、アタシはそういう目的で屋上に留まっていた。格好のサボり場だったし、この学校のてっぺんに立っているみたいで心地よかったんだ。
でも、本当にてっぺんに立っていると実感したのは癖のある後輩をブチのめしたときだったな。あのとき見た景色はマジで心に残っている。
「おお…………いい眺めじゃねえか」
朝日が完全に昇った瞬間、右手に持つタバコの存在を忘れるほど圧倒された。たった今呟いた通り、素晴らしい光景が出来上がったのだ。
雲一つなく、雑音も邪魔も入ってこない。そんな最高のシチュエーションで、最高に綺麗な朝日を見ている。あっぱれの一言に尽きる。
「――ん?」
朝日が昇ってからどれだけ時間が経ったのか。
その壮大な景色に見惚れていると、グラウンドに生徒が入ってくるのが見えた。ユニフォームを着てるってことは……運動部か。
ていうかマズイな、もうそんな時間か。全然気づかなかった。
「……………………いくか」
今見ていた景色を忘れないよう、できる限り目に焼きつけ、さっき『退学届』を出したときよりも躊躇いながら、屋上から飛び下りる。
そして大きな音を立てずに着地し、目に見えないほどのスピードで走り、近所の家の屋根を伝って学校を後にするのだった。
「――待たせたな」
「うわっ!?」
太陽の位置からして午前九時ごろ。アタシは学校から数十キロほど離れたところにある、比較的人気のない公園でレヴェントンと合流していた。
屋根から屋根へ、木から木へと跳び移りながら移動し、ちょうどレヴェントンのそばにあった木から彼女の背後へ飛び下りたところだ。
後ろから降ってくるとは思わなかったのか、驚きのあまり腰を抜かすレヴェントン。
前にも同じようなことはあったが、さすがに二回で慣れるのは無理だったか。
「んじゃ、行くぞ」
「も、もう行くんですか?」
当たり前だ。ここにいても見つかるだけだし、用なんて何もない。
戸惑うレヴェントンを尻目に、新しいタバコを吸いながら歩き始める。
待ってくださいと言わんばかりにこっちを凝視していたレヴェントンだったが、大きなため息をついて立ち上がり、アタシの後に続く。
「緒方さん」
「なんだ?」
「ひ、一つ聞いてもええじゃろか」
どこか好奇心に満ちた顔のレヴェントンはそう言うと、意を決したように告げる。
「――学校たぁどがいなところなんですか?」
……忘れてた。そういやコイツ、義務教育的なのは経験なかったんだっけか。
学校とはどんなところ、ね。正直、わからないどころかアタシが知りたいくらいである。
勉強する場所、青春する場所等々……。一般的な解答なら浮かんでくるが、アタシ個人の答えはなかなか出てこない。
「一般的には勉強するところ……って認識だな」
「勉強……何の勉強をしとるんでしょうか?」
「さあな。ただ、アタシが知ってるのは二つ。クソみたいな執筆と運動をさせられること、友達ごっこをさせられることぐらいだ。他の奴らは楽しそうにしていたけどな」
アレの何が楽しいのか、アタシにはさっぱりわからない。前者はおふくろに散々仕込まれたからある程度はこなせるが、後者は吐き気がする。
何が友達だクソが。都合の良いときだけそう言って、用が済めばすぐに切り捨てる。例外もいるにはいるが、基本的にはこんな奴らばっかだ。
今のは全部アタシ個人の意見なんだが、レヴェントンはアタシの言ったことを真に受けたらしく、わりと真剣な顔になっていた。
「リンネの奴は何が楽しくて学校に行っとるんじゃろか……」
「個人の意見を真に受けんな」
タバコを一口吸い、天に向かって紫煙を吐く。真面目な奴だとは知っていたが、ここまでバカ正直な奴だとは思わなかったぞ。
ていうかリンネって誰だっけ……ああ、ベルリネッタのご令嬢か。確か格闘技をやってるんだったな。全然覚えてねえが。
トントンとタバコの吸い殻を落としていると、レヴェントンが何かを思い出してハッとした感じの表情で話しかけてきた。
「これからどうするんですか? わしとしては、生活のためにも新しい職を見つけたいんですが……」
「あー……そんなら一週間以内に見つけてこい。無理なら置いてく」
「そ、そげな無茶な……」
お前の生活事情なんざ知ったことじゃねえよ。テメエがそうしてる間にも、アタシは進んでいく。決して立ち止まりはしねえ。
むしろ一週間の猶予を与えたことに感謝してほしいもんだ。本当なら問答無用で切り捨てていたのだから。これも例外ってやつか?
立ち止まったレヴェントンには目もくれず、次の行き先を考えながら足を進めていく。
「どこ行きゃいいのかわかんねえな」
行くところは行ったからな。強いて言うなら北部には一度も足を踏み入れてないが……あそこには聖王教会とやらがあるしなぁ。
はっきり言って行きづらい。例えるなら力なきヒョロヒョロが、無防備で敵のアジトに突っ込んでいくようなもんだ。
……でもまぁ、今は行くとこ、そこしかねえな。気が引けるけど、そこしかねえな。
「……仕方がない。おいレヴェントン」
「は、はいっ」
「北に行くぞ」
今までミッドチルダ北部はとことん避けていたが、それも今回で終わりだ。
吸っていたタバコを投げ捨て、人に見られないよう路地裏に入り込む。
レヴェントンは……ついてきてる、か。認めたくはないが、やはり本気のようだな。まあ、アイツと違ってあまり文句は言わない分はマシか。
「はぐれたら置いてくからな」
「緒方さん、さっきからそれしか言うとらんのじゃが気のせいか!?」
残念ながら気のせいではない。普通なら冗談で終われるだろうが、アタシの場合はマジだ。
「…………はぁ」
確かに屋上での出来事を除けば、ろくな思い出なんざこれっぽっちもねえよ。行ったところで何も学べちゃいないし、学ぶ気もなかった。
そんなの、誰かに言われなくてもわかることだ。でも、それでも登校してたってことは全部が全部クソってわけじゃない。心のどこかで、そう思ってたのかもしんねえな。
ありがとうとは言わない。だけど、過ごした時間は本物だったよ。
「もう一本吸うかぁ……」
――さようなら、アタシの学校生活。