「あっ、緒方さ――緒方さん!?」
いきなり目の前に現れたサツキを見て、口をあんぐりと開け、目を見開くフーカ。
一方のサツキもどうにかフーカのいる河原に戻ったが、自分の体を舐め回すように見て心底驚くフーカに対して、困惑の色を隠せずにいる。
「んがっ……何驚いてんだよ」
「いや驚いて当然じゃろう!? だって……」
もう一度サツキの全身を舐め回すようにジッと観察すると、フーカは事件の犯人を指名する名探偵のように、サツキを震える指で差しながらハッキリと告げる。
「だって今の緒方さん――びしょ濡れの下着姿じゃないですか!」
そう、フーカの言う通り、今のサツキは上下黒の下着姿で、全身がびしょ濡れだ。頭の上には着ていた服が一か所に纏められており、どこかの民族を彷彿とさせるような状態になっている。
というのも、サツキがびしょ濡れなのは川の中を移動してきたからである。その証拠として、両手にさっき自分達が釣っていた魚を生きたまま持っており、フーカに驚かれるまで口にも一匹咥えていたのだ。
首の動きだけで放り捨てた魚の頭部に手のひらサイズの石を、サッカーボールのように蹴ってぶつけ、元気よく跳ねていた魚を気絶させるサツキ。両手の二匹も尾びれを持って頭部を足下の石目掛けて振り下ろし、一発で気絶させた。
さらに着替える気配を一向に見せないサツキは気絶させた魚を、刃物のような形状をした石を使い、その場で捌き始めた。どこでそんな石を調達してきたのか気になるところだ。
「せ、せめて服を――」
「今着たらその服が濡れるんだよ。着るにしても体を乾かしてからだ」
頭の上に一つに纏めた服を置き、ズレ落ちないように蔓で固定しているというシュールな外見で、魚の内臓を器用に取り出していく。
できないことを見ていても仕方がない。自分にできることはないかと考えたフーカは、先ほどサツキが置いていったマッチ棒で、一度消した火をもう一度点けることにした。
「火を点けるんは……こんなぁでええか」
誰かが捨てたであろう発泡スチロールのようなゴミを拾い、それに火を点けるフーカ。すぐに火の点いたそれを、さっきサツキが積んでいた木の棒――薪の中へ放り込んだ。
発泡スチロールに点いた火は薪に伝って燃え盛り、ぱちぱちと快活な音を立てて薪を鳴かしていく。一度使用した薪だったので焚き火ができるか不安だったが、どうやら杞憂だったみたいだ。
「あとが緒方さんが魚を処理してくれるんを待つだけじゃが……」
肝心の魚は、と思いながら調理をしているであろうサツキの方へ振り向くも、そのサツキは捌いた魚の一部を刺身にしてそれを川の水で洗い、その場で食べていた。生で大丈夫なのだろうか。
刺身を美味そうに食べていたサツキだが、それだけじゃ物足りなかったようで、一息つくと調理を再開し始めた。どうやらつまみ食い感覚だったらしい。
未だに下着姿のサツキだが、腹部の痛々しい傷痕もあって、少なくとも色気というものは微塵も感じられない。それどころか無駄に筋肉質な体型のせいで、女性なのに男らしく思えてくる。
フーカはサツキにいい加減服を着ろと言いたいのだが、まだサツキの体が乾いていないせいで急かすことができなかった。そのまま服を着れば肌触りも悪くなるし、服に水が染み込んで重くなるからだ。
一匹の魚を捌いて刺身にすると、今度は調理し終えた二匹目をフーカが点けた火で炙っていくサツキ。同時に全身を乾かす算段のようだ。
「やっぱり火を通すのが一番だな」
じゃあなんでさっき生刺身で食べ、たった今刺身料理を作ったんだ。そう言いかけたフーカだが、魚は色んな料理として食べられることを思い出し、すぐにその疑問を霧散させた。
ただ、自然の物を生や処置なしで食べるのはリスクがそれなりに高いことも、サツキから聞かされているので知っている。言っていた本人がそのリスクを冒していることに納得できないだけだ。
「それ、食ってみろ」
「えっ……」
そう言ってサツキが指差したのは、最初に作った刺身だった。しかも刃物みたいな石で捌いただけの、獲れたてピチピチの生刺身。さすがに骨や内臓は取り除かれているだろうが……。
食べてお腹を壊したりしないだろうか。新たな不安に襲われるフーカだが、サツキが作ったものなら一日は大丈夫だろうと少しズレた結論に辿り着き、腹を括って刺身を一枚口にする。
「もぐもぐ……」
ガラスの欠片でも噛むように、ゆっくりと刺身の食感を味わうフーカ。魚らしく独特の臭いが鼻を擽るも、川の清流の香りと厚みのある味が口の中に広がっていく。
最初は顔を歪めるほど嫌そうにしていたが、刺身の食感を味わっているうちに、いつものほっこりとした緩めの表情に戻っていた。
噛んで小さくした刺身を名残惜しそうに飲む込むと、目を輝かせてサツキに感想を述べる。
「緒方さん! これ、ぶち美味しいんじゃけど!?」
「はいはい。美味いのはわかったから落ち着け」
フーカの方へ振り向くことなく、火炙りにした魚を丸かじりにするサツキ。口を動かす度に聞こえるバリバリという音からして、骨ごと身を噛み砕いているようだ。
魚一匹をあっという間に平らげると、ようやく体が乾いたのか一つに纏め、頭の上に固定していた服を手に取り、下から順に着始めるサツキ。ここまで体が全く震えていなかったが、寒くはなかったのだろうか。
最後にいつもの灰色パーカーを羽織るように着ると、サツキはズボンのポケットからタバコの箱を取り出し、焚き火の中に放り込んだ。
「それ、中身は大丈夫なんですか……?」
「空っぽだから問題ねぇよ」
そう言って痰を混ぜた唾を吐き捨て、近くに落ちていた太くて長い木の枝を拾い上げると、何らかの音を頼りに再び森の中へ歩き始めるサツキ。
刺身を美味そうに食べていたフーカもそれを見るや否や、残りの分を慌てて平らげ、慌ててサツキの後に続く。まだ刺身を飲み込んでいないためか、頬がハムスターのように膨れてしまっている。
ハムスターみたいになったフーカには目も暮れず、サツキは拾った枝を上手く折って先端を槍のように鋭利な形状にする。こうすることで獲物に直接突き刺したり、投擲武器として使うこともできるのだ。
「えーっと、確かこっちから足音が聞こえたんだがな……」
「そげな音、わしには――」
聞こえなかった。フーカがそう言おうとしたところで、いつの間にか左にあった茂みからガサガサと、何かが移動している音が聞こえてきた。というか、自分が気づいていなかっただけで森の奥の方へ来てしまっていたようだ。
奥と言ってもそこまで深く進んでいるわけではないので、サツキの耳にはまだ川の流れる音が入っている。フーカには風によって森がざわめくような音しか聞こえていないが。
他の茂みに隠れるのかと思いきや、フーカに両手で口を塞ぐよう指示すると、フーカの脚を掴んでそのまま木の上に放り投げ、それに続いて自分も跳び乗り、途中でフーカの脚を掴んで回収した。
「んんっ!?」
「口を塞ぐのはもういい。だけど声を、音を出すな」
フーカの耳元でそう囁くと、大きな音を立てないよう慎重に、掴んでいたフーカを比較的太めの、一人くらいなら立っても折れないくらいの枝に下ろすサツキ。
言われた通り慎重に口から手を放し、ゆっくりと息を吐くフーカ。その視線は自分を雑に扱ったサツキではなく、先ほどから何かが潜んでいる茂みの方へ向けられている。
サツキは槍のように鋭い武器となった枝を構えると、それをフーカの視線が向けられている茂みに向かって投げつける。その直後、茂みの中から苦しそうな獣の呻き声が聞こえ、茂みの動きが止まった。
「…………」
「ど、どうなりました……?」
恐る恐ると聞いてくるフーカだが、サツキはそれに答えることなく木から跳び下り、一直線に茂みの方へと向かう。フーカも音の正体を確かめようと、サツキに続いて跳び下りた。
茂みに入ったサツキが枝を投げた場所に手を突っ込み、左手で獲物の胴体を、右手で枝を掴んで引き上げると、
「あらよっとぉー!」
「おぅ!?」
脳天を頭蓋骨ごと枝に貫かれた、体長一メートルはあろうかという、猪のような獣が姿を現した。
「うし、レヴェントン。火を点けろ」
「は、はいっ」
最初に猪型の獣を狩ってから数時間後。あれから二頭ほど同じ種類の獣を狩ったサツキは、日が傾き始めたのを確認して川に戻ると、手ぶらのフーカに火起こしの指示を出した。
フーカは緊張しながらも、先ほどサツキに教わったことを順番に思い出していき、サツキがいつの間にか持っていた竹のような木を借りるように手に持つ。
それを持ってきたサツキはフーカの火起こしが成功すると思っているのか、手に持っていた獣を下ろすと、石と森で拾った木の枝で、釜戸のようなものを作り始めた。
「こ、こうじゃったかのぅ……?」
まずは乾いた竹のような木の表面を、サツキから借りた刃物のような石で軽く何度も削っていき、その削りカスを一ヵ所に集めて火口という、着火に用いる燃料を作っていく。
次に削ったカスが風で飛んでいかないよう、火口に覆い被さるような姿勢で、今度は木の表面に小さな切り込みを入れ、その中心に穴を開ける。
「よ、よしっ」
今開けた穴にもう一本の木の端を合わせ、そのまま横に擦り始めた。こうすることで開けた穴に火種を落とし、火口に着火させるという仕組みだ。
力を下に掛け、ひたすら擦っていくフーカ。火種が落ちると煙が出るのでわかりやすいのだが、肝心の煙がなかなか出てこない。そんな状態が三分も続いた。
「もう点いてもええはずなんじゃが……」
そろそろ火が点いてもいい頃だ。ここに来てようやく煙が出てきたが、それでも点火する気配はない。焦げ臭くはなっているのだが……。
さすがにおかしいと思ったフーカは一旦手を止め、穴の開いた木をどけて火口を確認すると、
「う、嘘じゃろ……」
最初の辺りで落ちたであろう、黒くて小さな火種が落ちていた。
「はは……気づかんかった……!」
乾いた笑いと共に口元を引きつらせ、崩れるようにがっくりと項垂れ、思いっきり「気づかんかったぁー!」と叫ぶフーカ。
サツキはフーカの叫びに反応して視線だけを向けるも、すぐに獣の調理に掛かる。叫んでる暇があるなら何度でもやれ、と言いたげに。
フーカ自身も同じ考えだったのか、小さく息を吐いて意識を切り替えると、木の端を穴に合わせ、火種が落ちるまで擦る作業を再開し始めた。
「最初の数回じゃったな……」
最初の数回。この火起こしにおける勝負所だ。フーカはそれを思い出し、木を壊さないよう力を調整しつつ、その力を下に掛けて擦っていく。するとさっきとは比べ物にならない量の煙が出たかと思えば、火口の中心が赤くなり始めた。
「き、きたっ」
火種がある火口を両手で覆い、そこへ何度も息を吹き掛けるフーカ。こうして火種に集中的に空気を送ることで、本格的に着火させる魂胆だ。
煙の量が増え、そのせいで目の前が見えなくなってもなお、フーカは息を吹き続ける。と、ここで――
「あつ――っ!?」
――ようやく火が点いた。自分達が当たり前のように使っていたものと、同じものが。
小さいながらも燃える火が消える前に、火種を火口ごと両手で掬うように掴み、サツキの手作り釜戸にそれを放り込み、消えないよう再び息を吹き掛けていく。
そして火がパチパチと燃え始めたのを確認すると、安心しきってその場に座り込んでしまった。フーカはそのままサツキの方へ振り向き、
「つ、点きましたよ緒方さん……!」
と、酷く息を切らしながらも明るい笑みを浮かべた。自分だってこれくらいできる。そんなメッセージを込めたような、明るい笑みを。
「……やればできんじゃねぇか」
直視できないと言わんばかりにフーカから目を逸らしながら、喜びと不器用が混じったような複雑な表情で、フーカの頭を撫でるサツキ。
いつも茶化し目的で頭を撫でてくることはあるが、褒めるという意味で撫でられたことは一度もなかったので、フーカは素直に「おぉ……」と感心した。
……ただ、問題が一つある。
「く、臭いんじゃけど……」
その手が非常に獣臭かったのだ。フーカが不快さを通り越して、思わず笑ってしまうほどには。獣を調理していた最中だったので、当然と言えば当然だが。
もうこの臭いに関しては諦めることにし、サツキに褒められたという事実に喜ぶことにした。夢ではないと、頬をつねって確かめながら。
サツキは調理し終えた獣の肉を、一枚一枚串刺しにして火で炙っていく。魚の時と同じように。だが、魚の時とは違い、内臓の食えそうな部分も火で炙る。生で食べるのは得策ではないからだ。
「緒方さん。いつになりゃぁいがるんですか?」
「いがる……帰る、か」
その辺りは考えていなかったようで、顎に手を当てて考えるサツキ。が、すぐに決めたようでさっきとは違ってフーカの顔をしっかりと見つめ、口を開く。
「――お前が一人で狩りをできるようになったら、だな。そうなったらすぐにでも帰ってやるよ」
「わしが一人であれを狩れるようになればええんですね? 忘れんでつかぁさいよ?」
嫌な顔をするどころか、今回は珍しくやる気満々のフーカ。どうもこれくらいなら比較的早くできると思っているようだ。前回の無茶ぶりに比べたらマシだというのもあるだろうが。
さっそくサツキが使用した枝と同じものを拾い、それを見様見真似で折るフーカ。しかしそう上手くはいかず、ただ木の枝を真っ二つにするだけの結果となってしまった。
「えっ、あれ……?」
真っ二つになった木の枝を交互に見て、首を傾げるフーカ。納得がいかなかったようで、新しい枝でもう一度試そうとするも、
「やるなら明日にしろ。夜の森は危険だからな」
と、サツキに焼き立ての獣肉を差し出されながら止められてしまった。肉から美味しそうに焼けた音が聞こえ、思わずゴクリと唾を飲み込むフーカ。
その肉を受け取り、焚き火のそばに座り込む。その周りには火を囲うようにサツキが捌いたであろう、今も炙られている串に刺さった大量の獣肉が、焚き火の隣には獣の骨が置かれている。まるで原始時代に戻ったような光景が、そこにはあった。
しかしそんなことにはお構いなく、渡された肉を豪快に食べるフーカ。噛みにくい部分は腕の力も使って噛み千切り、口いっぱいに頬張る。
「う、美味い……!!」
そして頬張った肉をよく噛んで飲み込むと、叫ぶように呟いた。一噛みで口の中に広がる、病みつきになりそうな味わい。見た目以上に、店で食べた焼き肉よりも美味しいと言えるものだろう。
フーカの喜ぶ顔を見て満足でもしたのか、三枚ほど肉を食べたサツキはその場から立ち上がり、フーカに気づかれないよう、樹上に向かって跳び上がった。
「ぐっ……!」
フーカが焼き肉に夢中で自分がいないことに気づいていないのを確認すると、樹上に跳び乗ったサツキは苦しそうに胸元を押さえ始めた。
こうしなければ、胸元を押さえなければならないほどの痛みを感じ始めたのは昨日から。どこが痛いのかはわからないが、まるで心臓が直接何かに絞め付けられているかのような痛みだ。
最初に感じたそれは激痛そのものだったが、その時はフーカの前だったこともあり、顔が少し歪む程度に抑え込んでいた。……当のフーカには怪しまれてしまったが。
「どうなってんだ……!」
今もジワジワとくる痛みを感じているが、最初よりかはマシになっている。それでも苦しいことに変わりはなく、額には嫌な汗が滲み出ている。
痛みの原因がわからない以上、自然に収まるのを待つしかない。だけど収まらないのなら、このままランナーに挑むしかない。
それにフーカとの約束もある。まだその時じゃない。ここで弱さを見せるわけにはいかないのだ。
「クソが……」
力なく声を出し、痛みを誤魔化すように胸部を拳で叩くサツキ。
視線の先にいるフーカもようやくサツキの不在に気づき、辺りをキョロキョロし始めた。これは戻るしかないだろう。
痩せ我慢をするべく額の汗を拭き、冷静な表情を装って、樹上から跳び下りた。
よーし書けた。にしてもなんだこれ……よゐこの無人島生活の影響を受けすぎじゃねぇか……。