さて、それからどうなったなんてのは思い出すには随分長い時間が経った。
あの世に言う『クローネ事変』は最終的な結末から言えば―――俺たちは負けた。
あれだけ有名どころを引き抜いた上に圧倒的なパフォーマンスを見せたから忘れられがちだが常務が彼女達をかき集めてから実質、二月もないままあのライブバトルに挑んでいたのだから元々が無茶苦茶だったのだ。
それでも、あのデレプロのトップアイドル相手に6対6の勝ち抜き方式で両者最後の一人まで縺れこんだ。もし、“たられば”の話を話が許されるのならば最後に緊急帰国した楓さんが間に合わなければ周子が本来最後の一人であった卯月を破りこちらが勝っていたかも知れないが―――栓のない話だろう。
そして、最初の宣言通りデレプロは存続を認められ、クローネは常務直轄からデレプロに吸収される形と相成った。
統合された当初はメンバーから愛情たっぷりのお灸(優しい表現)がたっぷりと据えられ連日連夜の飲み会に、一気に増えたメンバーと仕事の依頼で前いた時よりも更に激務と二日酔いに悩まされる日々が続いたのである。だが、まあ、誰もが笑って、競って、戦って日本どころか世界中にその灯を点けて回るくらいには活気の溢れる毎日だった事には間違いない。
それに、結果的にインターンとなった俺も準社員という扱いで更にこき使われていたので、ナイーブな事を考えている暇は一層無くなって駈けずり回っていた。
走って、奔って、はしって――――気が付けば、今、最後の一歩という所まで来てしまった。
あれから、もう3年が経つ。
そして、デレプロが始動してから数えれば7回目の聖夜が訪れて―――今夜、その歴史は幕を閉じようとしているのだ。
12月25日。世間一般で言えば聖夜と呼ばれ、神への祈りを捧げるべ清き尊き日。
本来は家族で教会に赴き祈りをささげ、ディナーを饗する厳かな日である。遠き東洋に伝わるまでにどんな経緯があったのか随分と本来とはかけ離れてしまった行事になった事を嘆かれる昨今。しかし、今日ばかりは、少なくともココに集った夥しい程の人々に関して言えば本国の巡礼者達以上に真摯な気持ちでココに集っているのかもしれない。
誰も彼もが凍える様な寒さに白い息を洩らしながらも沈痛な顔で、列をなして一点を見つめる。明るくライトアップされた巨大なドーム。そここそは彼らのゴルゴタの丘だ。
大々的に打ち出されているそのポスターや垂れ幕に映る姿は彼らにとっては遠き過去の聖人よりも自分を救って来た信仰の対象ですらあった。
だが、それは、今日終わるのだ。
現代において信仰にすら取って代わった”シンデレラプロジェクト”。
七万にも及ぶ人間が悔恨と惜寂の感情を籠めつつも、その最後のライブを心待ちにその開催を待ちわびていた。
―――――――
開演前特有の籠ったざわつきが今日ばかりは聞こえてこない異様な空気を感じつつ、慌ただしいスタッフの声すら届かない上質なカーペットが敷かれた廊下を長年連れ添った上司である武内さんと言葉を交わすことも無く常務の執事さんに案内されるままに進んでいく。
その先にたどり着いた重厚な彫刻で囲まれた高級そうな木製の扉についている取っ手すら触るのを躊躇われる輝きを灯しているのだからそこがいかに一般人に不可侵な領域であるかを知らしめる。
笑顔でその扉を指し示され武内さんが大きく息を吐いて、厳ついライオンさんが咥える金のわっかを打ち鳴らし、待つ事数秒。
「構わん、入れ」
聞こえてくる変らぬ威圧感たっぷりな声。
それだけでも痛む胃を抑えて、小さくため息を吐いて取っ手に手を掛ける。ココまで来て帰る事もいまさら出来ない。別れ際に浮かべられたアイツらの顔を糧に何とかその取っ手を押し開けば――。
暗色系でありながら煌びやかでシックなドレスにシルクのケープをはおった自分の会社のトップである美城専務は一目で分かるほど最高級である事が分かるロングソファーに気だるげに寄りかかり、足元を見ればヒールは脱ぎ散らかされている寛ぎ切った体制で俺達を迎え入れた。
近くに据えられたローテーブルには並々とグラスに注がれた赤いワインに華やかなツマミが置かれておりソレを無造作につまんで口に運ぶ姿は、まあ、なんというか長年の付き合いで見慣れたものではあるが少しだけ呆れてしまった。
「なんだ、人の顔を珍獣みたいに」
「…プロジェクトの集大成に随分とお寛ぎっすね」
「バカもん。最高責任者がいまさらあたふたしている様な状況の方が問題だろう」
言われた言葉にそりゃそうかと変に納得してしまう。そんな俺らのやり取りを苦笑して眺めていた武内さんが本来の目的を果たすために報告を行う。
「観客の収容が済みました。間もなく、開演出来るかと思います」
「そうか。…折角だ、お前達もココで見て行け。お前達にはその資格がある」
「いえ、しかし…」
「今日の為に用意したスタッフも、機材も、段取りも全てはこれ以上無いものを揃えている。もし何かあるようならば、お前や私が騒いだところでどうにもならん。―――それに、教え子の卒業だ。今日くらいは信頼して、看取ってやれ」
「……ありがとう、ございます」
そういって遠くを見つめる常務の表情は何処までも優しげで、武内さんと俺は深く頭を下げて残りの二つの椅子へと腰を掛けて無線でスタッフ達に開幕の合図を出す。
ステージの照明は静かに落とされていき、静かに、静かに―――その開幕を会場にいる全ての人間に知らしめる。
「さあ、目を見開き一片も見逃すな。お前らが魔法を掛けた原石達の輝きを。そして、これからの芸能界を346色へと塗り替えていく暁の眩さを。全てを見届け、誇れ。コレがお前達の集大成だ」
専務の小さく、歌うようなその一言と共に、会場内の明かりが一気に落とされる。
魔法の夜が、やってくる。
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「レディース!!」
「アーンド!!ジェントルメン!!」
「今日という清き日にココに集まってくれた、ファンの皆様に限りない感謝を!!」
暗転した世界に浮かび上がる三つの影。逆光に照らされたその姿の判別は出来なくてもその声を、ユニット全員がシンデレラに輝く偉業を成した彼女達の声を聞き間違える者はこの場にも、中継されているテレビの先にも、きっと誰もいない。
「今夜、ここで起こる事がきっと全てが奇跡で成り立ってる!!」
「いまだって瞬きをしたらいつもの日常に戻ってしまうじゃないっかって、信じられないくらいです!!」
「それでも、夢で終われないから必死にココまで全力で駆け昇って来た!!」
「でも、それでも、きっと」
「ココがようやくスタートラインだから!!」
凛だからこそ!最初に聞いてもらいたい曲は!!」
「「「お願い!シンデレラ!!」」」
時々不安げな弱さを滲ませる少女達の声はそれでも迷いは無く、力強く示したのは自分達をココまで押し上げてきてくれたこのプロジェクト最初期の、どこまでだって駆けていく意思を歌ったその歌だった。
宣言と共に全ての闇が払われ、眩い光がステージを包む。
焚かれたスモークが晴れ、強烈な光に奪われた視界が戻ってくる頃に並び立つのは、全てのアイドルの頂点にたった15人であった。
沸き立つ大歓声に最初に答えたのは、全ての闇を払う輝きを持つ太陽を背負った少女達。
「みんな!はぴはぴだにー!!」
「最高の聖夜にしてやっから!!アンタらも気合い入れてブっ込んできな!!」
「みんな!ありがとーーー!!」
「最高のトキメキを経験させてあげる!!」
「みんな!!忘れられない夜にしようよ!!みんなの力で!!」
彼女らがたった一言ずつ叫ぶだけで会場は嘘の様な熱気に包まれる。歌声が、ダンスが、笑顔が。全てが沈んでいたファン達の心に火をつけていく。熱狂的に高まった会場の雰囲気は留まる事を知らず温度を上げていくかと思われる程だ。しかし、そんな彼らは一瞬だけ桜の花びらが舞ったかのような幻想に戸惑う。
燃え上がる心を優しく諌める様な慈愛に満ちたその声は、季節外れの桜さえ幻視させて魅せる。花びらを背負った少女達がゆったりと躍り出る。
「みんなー!!大好きだミーン!!」
「待ったく、クリスマスまでこんなに杏が働いてるんだからみんなも怠けちゃだめだよー」
「島村卯月!!一生懸命頑張ります!!」
「う、う~。既に泣きそうだけど、全力でがんばるにゃー!!」
「うーん、今夜は最高に面白い夜になりそう!!みんなたのしんでねー!!」
その柔らかな華やかさに誰もが癒されそして喜ぶ。飛び出た魅力が無くとも、いや、無いからこそ誰よりも自分達のそばに寄り添い元気をくれる彼女達のその声は何度だって自分達を救って来た事を思い出させてくれる。
そんな、春の木漏れ日の様な優しい声に奪われていた心は、すっと囁くような、それでいて絶対的な存在感を感じさせる声に縫いとめられた。
聞いたものを心から虜にし、石の様に動けなくしてしまうほどの美しさを感じさせる魔性の声が観衆を一瞬で引きつける。
「まだまだ、全然たりないでしょ?」
「物語にだって無かった新しい世界を一緒に見に行きましょう」
「ふふ、悪くないね。…いや、すっごく良い」
「クリスマスはゆっくり済まします?ふふ、今日だけはダメですよ?」
「最高の祭囃子、聞きたいやろ?」
そして、全ての声が、踊りが溶け合って完璧なハーモニーへとなった時に会場から音が消えた。
いや、正確には七万人もの歓声が最高潮に成って時にソレは最早音として人は感知しない。全身を叩く衝撃としか感じる事が出来ない。それでも、少女達の声はかき消されること無く会場の隅まで響き渡る。掠れそうになる声を必死に繋ぎとめ、滴る汗もぬぐう事もせずに全てを伝える事に集中する。
きっと、一人ではすぐにダメになっていた。それでも、歌い続けられるのは、仲間の声が繋ぎとめてくれるから。
永遠にも思える五分も、遂には終わりを迎える。
最後のワンフレーズまで魂を込めて歌った。たった一曲を歌いきっただけで倒れこみそうになる。でも、姿勢は終わっても崩さずに気合いを入れて保つ。
満身創痍なのは観客も同じなのか、さっきまでの激動が嘘のように客席は静まり返っている。
誰もが、息を潜めて、静かに待つ。
そんな沈黙がどれだけ続いたのか、ようやく一つの影が動く。
その人こそは本当の意味での、最初のシンデレラ“高垣 楓”。
全ての始まりが、全ての終わりの始まりを告げる。
「始まりは、小さな商店街でした」
何処か遠くを見つめる様に彼女は小さく目を眇めながら小さく語りだす。
「ステージなんてとても言えない簡素なお立ち台で、音源はカセットCD、衣装は手作り。お客さん所がこっちをみる人もいないくらいなちっぽけなライブ。そこが初めての一歩でした」
「プロデューサーは何度も申し訳なさそうに頭を下げて来てくれましたけど、私はモデルだった時には感じなかった楽しさを感じていました」
「回数を重ねる度に、近所の子供と友達になって公園で遊んだり、商店街のみんなが差し入れをしてくれるようになったり、スタッフの皆と帰りに飲みに行った店でお客さんも巻き込んで歌ったり。本当に、笑っちゃうくらいに騒がしくて暖かい毎日がこのプロジェクトの根っこなんだと思います」
「そうして、ちょっとずつお客さんが増えて、テレビ局に取り立てて貰ったりなんかしてちょっとずつ歩んでいると後輩が出来ました。明るくて、強くて、ひたむきな可愛い後輩と踊るステージやイベントは目が回るくらい騒がしくて、楽しくて日々はもっと輝きを増していきました」
「そうして、いっぱいの輝きは日々を増すたびに強くなっていき、今日、こんなにたくさんの人が駆けつけてくれる程にまで至りました」
そこまで語った彼女は、遠くに向けていた視線を目の前のファン達にゆっくりと向けて静かに言葉を紡ぐ。
「そんな”シンデレラプロジェクト”は今日のライブで一旦、終わりを迎えます」
その言葉に先ほどまでの熱狂が嘘のように静まり返った観客が息を呑み悔しそうに、悲しそうに声を洩らす。
なんでなのだ、これからじゃないか、終わらないで欲しい、と訴えかけるファン達に彼女は優しく微笑んで言葉を紡ぐ。
「ありがとう、でも、彼女達という宝石を詰め込んでおくには、このプロジェクトではちょっと小さすぎますから」
その一言に、ファン達は息を呑んだ。
「最初は、小さな輝きだったのかもしれません。でも、彼女達は私と同じように仲間と、応援してくれているファンと共にちょっとずつ歩み、真っ暗な夜空でもその存在を示せるくらいに輝ける様になりました。だから、こんな小さなくくりでは無く夜空を照らす星として、彼女達は今日、このプロジェクトを卒業します」
「広大な夜空へ旅立つ私たちと、これからも一緒に歩んでくれますか?」
彼女の言葉に、全ての観客が涙をながしつつ大歓声で答える。
そうだ、自分達はプロジェクトに魅かれていた訳ではない。輝く彼女達の笑顔に、姿勢に、心に魅せられていたのではなかったか。
枠組みが無くなって羽ばたこうとする彼女達を自分たちが支えないでどうすると言うのか。それが出来なくて、何がファンだと言うのか。
その思いを載せて必死に声を上げる彼らに、彼女は微笑んで言葉を紡ぐ。
「さあ、魔法の夜は始まったばかり。シンデレラの魔性が解けるまで思い切り、踊りましょう?ふふ、良い出来です!!」
こんな時でも変わらぬ彼女にメンバーは肩を落として苦笑し、ファンは大笑いを上げる。
ソレを皮切りにしたのか大音量の音楽が流され、ソレに負けないくらいの大音声がステージに響きわたる。
「こんなときでも変わらない楓さん!!流石です!!負けられません!!燃えてきました!!ボンバー!!!」
「デレプロも、人気投票の数字なども世界一可愛いボクの前では無意味だと言う事を教えて上げます!!」
「ふふ、出鼻にあんなに見せつけられたんじゃこっちまで燃えてきちゃった。私らしくないわね」
入れ替わりに入って来たアイドルに再び歓声が響き渡り、ファン達の興奮が再び高まって行くその姿にはコンサートが始まる前の非壮感など欠片も感じさせず、ただ純粋に楽しんでいる事が窺える。全てを呑みこみ、また決意した彼らの笑顔こそがシンデレラを振るい立たせ―――再びドームは熱狂に包まれた。
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知っていたつもりだった。分かっていたつもりだった。彼女達が眩過ぎる星々だと言う事など。だが、ソレは勘違いだった。この会場の腹の底にまで響くその熱狂が否応なくソレを証明してくれる。
彼女達はまだ夜空にすら昇ってなどいなかったのだ。
その事実に全身の力が抜けてしまうように深くため息をつく俺に、専務がちょっと得意げにちょっかいを掛けてくる。
「ふん、終わりになってようやく自分の周りにいる星の輝きに気が付いたか、愚か者め」
「……悔しいながらも返す言葉もありませんね」
いつもなら皮肉や負け惜しみをいう所なのだが、最後くらいは素直に頭を下げても罰は当たるまい。そんな気まぐれで苦笑と共に返せば肩透かしを食らったのか若干だけ目を見開いた専務はクツクツと笑いを零してそのまま言葉を紡ぐ。
「長年の教育の効果が出て大変結構。―――阿保みたいな意地を張り続けるよりはそっちの方がずっといいに決まっている。何よりも、女を幸せにするのならば屁理屈ではなく真っ直ぐ言葉を紡いで全力で想いを尽くせ。それが男の甲斐性というモノだ」
「あまり女性から男よりも男らしい事を言われると耳が痛いですね」
「同感です」
「ふん、貴様らが軟弱なだけだたわけどもめ」
そういって彼女が笑う俺たちの薬指には指輪が付けられている。ソレは、俺と周子が。武内さんと楓さんが長い時間の果てにようやく出せた答えの証だ。
この女帝の有難いお言葉は余りに重くまっすぐで、正論なのであっちへこっちへと回り道を繰り返して最近ゴールした俺と武内さんの耳は非常に痛い。だが、この人でなければこんな結末は許されなかっただろう。
そういって俺たちの指に嵌められた指輪を見て笑う彼女は本当に含みなく祝っているようで、不覚にも少しだけカッコいいと思ってしまった。コレが美城式人心掌握術なのか、彼女のカリスマなのか少々判断に迷うが、どうやら自分達は上司に恵まれたのは確かだ。
「まあ、いい。お前は、これから始まる演目を見てこれからの事を考えるがいいさ。お前がかつて全てを裏切ってでも守ろうとした女が紡ぐ、世界にたった一人の愛する男の為だけに謳われる歌なのだから」
そういって彼女が指差す先には、たった一人のアイドルが降り立った所だった。
会場の熱気を一身に受け、ほんの少しだけ頬に朱が差しているが、その表情に気負いはない。
柳の様にしなやかで、雪のように彼女は静かにステージの中央に立つ。だが、彼女のさっきまでと違い過ぎる衣装にちょっとだけ会場にどよめきが起こる。
銀糸の様な髪を短く後ろに纏め、狐の様なつり上がった眦。そんな彼女が身にまとっているのはさっきまで来ていた煌びやかなドレスではなく、肩を出した特徴的なパーカーにジーンズ生地のショートパンツにしなやかな流線を描くストッキングに包まれたその足。
綺麗でもある。センスだって感じる。だが、ソレは明らかに私服に分類されるもののはず。何故ソレを彼女がいま着て来たのかが分からない。だが、この会場で、たった一人、俺だけには分かってしまった。それが、自分と初めて出会った時の服装である事を。
髪の長さ以外は何一つ変わらないそのいで立ち。だが、だからこそその瞳の奥の輝きとしゃんと伸びた背中があの頃と違う事を俺に知らしめる。
しかし、その意図を読もうとするこっちを余所に、彼女は俯いたままでまったく動かない。
ざわついていた会場もそんな彼女の様子に気がつき、ちょっとずつ音が止んでいく。
どれくらい経っただろうか。今や会場内では喋る所か、音を出すことすら憚られるような雰囲気が包み込む。
そんな中で、ようやく彼女が。”塩見 周子”が口を開いた。
『7年前、本当にバカだったあたしは家を追い出されて東京にやって来た』
『コレはその時の一張羅。コレと財布、携帯くらいしか持たんまま家出とかいま思い出せばほんまに頭おかしいよね?』
ポツリ、ポツリと語られ、ちょっとだけおどけた言葉に、ちょっとだけ会場に笑いが広がる。
『そんなんで、飢え死に寸前だった私に手を差し伸べてくれた人がいた。全然優しくもないし、口うるさいし、ケチだし、捻くれていたけど、バカみたいなお人好しな人だった』
『その人の周りには変人ばっかだったけど不思議と人がよってきて、いつだって賑やかだった。そんな楽しそうな雰囲気に当てられていつの間にか私までああなってみたいと思って、うっかりアイドルになっちゃたくらい』
続く彼女の独白は本当に楽しそうに語られるのに、何故か今度は誰も笑う事は無かった。きっと、その先に待っている答えに誰もが息を呑み待つ。それは、そう語る“塩見 周子”が―――今まで見た事もないくらいに華やかで優しい笑顔を浮かべていたから。
『だから、アイドルとしての最後もその人のために歌うよ』
『本当に馬鹿な私に、”ありがとう”だって今まで伝えられない私にずっと寄り添ってくれたあの人のために!!』
『当たり前のように明日も隣に立ってる事を疑わないでいさせてくれる…っ!心から掛け替えのないアンタのためにっ!!』
その震える言葉を皮切りに彼女は視線を上げる。
目に宿るは真っ赤に轟々と燃え盛る決意。全てを呑みこまんとする強過ぎる意志の宿った目に会場全てが引きこまれた。
『あの人が救って!! 育てて!! 守ってくれた私は世界中の誰よりも輝いているって伝えたいから!! 今度は―――私が貴方の“一番星”になって見せるからっ!!!』
その宣言に合わせて曲が流れる。
ソレは、ゆく当てのない風のような孤独で自由な少女が、どこにいてでも見失わない輝きと寄る辺を見つけた――喜びの歌であった。
会場の全ての人間が、世界がその熱量に呑まれ目を奪われている中で俺だけは小さく苦笑を零してしまった。だって―――
「もう、とっくにそんなもん超えてるよ」
彼女が歌い、舞い、微笑むだけで俺は、いや、そのずっと前。ラーメン屋で拾って何かにつけて文句を零すお前を拾ってからずっとその光に目を奪われていたのだから。
このライブが終わったら――――彼女を抱きしめて真っ直ぐにそう伝える事を俺は心の中で決意したのであった。
=後日談=
東京を発ってから三時間と少し。流れる景色はあっという間に見慣れたものに変わって行ってそのあっけなさに少々、鼻白んでしまう。あれだけ遠く思えていた故郷は実際に足を向けてみればこんなにも簡単にこれてしまうような距離だったのだ。まあ、それだって今回の様な事が無ければ踏み出す踏ん切りはつかなかったのだろうから大きな一歩には違いない。
そんな事をぼんやりと考えつつもどうしたって胃はキリキリとし、気分憂鬱なモノになっていくのは拭えない。
十年近くも喧嘩別れしてから連絡を絶っていた家族との再会。それもアイドルだのなんだのを始める時は常務任せにしていたので顔も出さずに好き勝手やって世間に顔を出しまくった上に、次に会うのが結婚の挨拶で男を引き連れて、なのである。
会う前からあの気性の激しい父と口うるさい母が爆発するのは目に見えている。……というか、本音を言えば。それだけやらかしているにも関わらず今度こそはっきりと拒絶されるのが怖いのだ。
好きにしろ、と。お前なんか他人だ、と言われてしまった時には長い年月をかけて埋めた傷とおに―さんの説得で何とか持ち上げた重い腰はもう二度と上がらなくなる自信がある。
そんなネガティブな思考は一旦始まれば止んでくれることはなく際限なく重くなっていく足取りは遂には止まってしまう。
「やっぱ、無理かも……」
「ちょっとその決断には遅かったかもな」
朗らかな陽気の中、電車を降りてからテクテクとおにーさんに手を引かれるままに歩いている中でそんな弱気を漏らした頃にはもう懐かしの実家の目の前で息は勝手に詰まって思わず握っていた手を引き寄せて彼の背中に隠れてしまう。
「お前がそこまでビビってるの地味に初めて見るな」
「な、なぁ、やっぱり今日はその―――」
からかう様に笑いながらも私の肩を優しく抱きしめる彼に遂に緊張の糸が降り切れて、怖気てしまった。
あの日、全てを否定された恐怖が足をすくませる。
あの日、自分の信じていた価値が無くなった無力感を味わいたくない。
あの日――――逃げ出した自分なんか見たくない。
そんな私が彼の袖を引いてきた道を引き返そうとした時に、懐かしい音が聞こえた。
子供の頃から何度も、何度も開け閉めして耳に馴染んだ引戸の音。それは、誰かがあの家から出てきたという証で―――目がつい引き寄せられた。
あれだけ大きくおっかないと思っていたその身体は十年という歳月から一回り小さく見えたが、その眉間に寄せられた頑固な皺。そして、自分が唯一遺伝したと思って毛嫌いしていたその白銀の髪。
それは、あの日、自分を“要らない子”だと切って捨てた憎むべき男で、小さな頃から誰よりもその背中に甘えてきた―――父だった。
「しゅう、こ……か?」
「――――」
そのしゃがれた声に固まった体と思考は何も返すことが出来ない。子供の様に俯き、立ちすくむしかできない自分の体を優しく抱き留めるおに―さんの手だけが崩れてしまいそうな私の何かを支えていてくれた。
「ワシは、わしは――――大馬鹿もんや。ホンマに卑怯やったんは、ワシじゃったんに……大切な一人娘を十年も傷つけて すまん、周子 っすまん……」
そして、その場で膝から崩れ落ちた父の瞳から零れた雫と言葉に私の中に溜まり続けていた何かは関を切った様に溢れ、堪えようもなくその小さくなった父の胸に飛び込んだ。
「ごべん!! ずっどっ、ずっど連絡もじなぐでごべんっつ!! 家出してごベンっ!! 店番かっでにさぼってごべんなざいっ!! ごめんっ!! ゴメン!!! ばがで、ばがでごべん!!!」
「ええ、もうええ。アンタが生きててよかった……。元気で、良かった。あの日、初めてサボったお前がなにをおもったかも考えんかった。お前が家を出てずっと、ずっとたってから後悔が沸いてきた。馬鹿は、ほんまに大馬鹿だったんは―――ワシじゃ」
言葉になんてできない。自分が何を言ってるのかもどうなっているのかも分からないくらいにぐちゃぐちゃになってひたすら謝る私を懐かしい固い掌で思い切り抱きしめてオトンも泣きながら言葉を紡いでくれる。
ここを飛び出してからひたすらに重ねた澱んだ感情。それを自分は恨みや憎しみだとずっと思っていた。
次に会った時は言いたい事を言い切って、思い切りぶん殴って、砂を掛けて別れを告げてやると心の中でずっと繰り返し唱えてきた。だけど、だけどソレはきっと違っていのだと今なら分かる。
私は、謝りたかったのだ。
悲しかったのだ。
許されたかったのだ。
大好きな家族とたった一度のすれ違いで、たった一言で済んだ過ちを解して、編み直して紡いでいきたかったのだと気が付いた。そして、長い十年近くも及ぶ遠回りの末にその答えに行きついた。
そこからは、私もオトンもひたすら子供みたいに大泣きして、ひたすらそこにいる事を確かめる様に強く、強く抱きしめ合った。
そんな変なとこまで親子だなと思って、また泣いた。
京都の春。晴天の響く馬鹿親子の泣き声は店から出てきた母親が呆れて止めに入るまでどこまでも続いて―――――ようやく私の長い物語は一つの区切りを迎えたのであった。
ただいま。 そんな一言をようやく私は言えたのだ。
fin
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