弦を弾けば、音が出る。
連ねて並べて拍子を取れば、メロディーになる。
長年に渡って愛用したギターは手によく馴染み、寝ぼけて夢の中でまでかき鳴らし鍛えた指は正確にそのコードを奏でて一端の“曲”に仕上げてくれるのを聞き遂げて―――口をへの字に曲げて私は小さくこめかみを掻いた。
当たり前の話だけれども、繰り返しになるけれども―――弦を弾いて、連ねて、拍子を取れば“曲”になる。
そんな小学生どころが幼稚園の子でも分かり切った話で、わざわざいう事なんかじゃないのは百も承知。だが、それでは足りない。
仮にも、プロのギタリストで歌に携わっている人間にはもっと別のモノが必要だ。
正確無比な音符を奏でるだけならば機械に頼ればいい。
音程でも、揺らぎでも、癖でも、あるいはそういうモノ全てをひっくるめて現れる“魂”って奴にこそわざわざギャラを払って聞きに来る人間の腹の底に灯を灯すんだと私“木村 夏樹”は考える。
いや、正確に弾けるのも聞き分けられるのも最低限の素養だというのを否定するわけでは無いけどな?
今日の自分の音にはどうしたってそういうモノが感じられないのだからしょうがない。
そんな誰に言うでもない言い訳を脳内で呟きながら私は愛しの相棒“アイバニーズ”を脇にそっと置き、ぐでっと一人でソファーにのさばった。
時折、あるのだ。こういう日が。
いつもは一日中弾いていても飽きないし、試行錯誤を繰り返す喜びやいい感じの音が出た時なんて思わず自画自賛で浸ってしばらくトリップしてしまうくらいに没頭するのだが、どれだけやっていてものめり込めずに弾いた音はどこかで聞いた事のあるツマラナイ物しか生み出されない日が。
こういう時に躍起になってしがみついた日は碌なことが無い。
参考や気分転換にお気に入りのナンバーやライブDVDを見ても苛立ちが募るばかりだし、肝心の自分の音にはピクリとも心の琴線が動かないからひたすらにやるせなくなる。
うむ、今日はやめとこう。経験的にも、感覚的にも泥沼になってく奴だコレ。
そうと決まれば気分転換に舵を取るのだが、ここでも問題がある。大体こういう時には私のメイングループである炎陣のメンバーに白羽の矢が立つのだが都合の悪い事に他のメンバーはそれぞれが仕事や趣味の用事でいない。その他といえばカワイイ妹分であるだりーに声を掛けたりするのだがアイツの場合はすぐにロック方面に流れるので今日は鬼門だ。
その他で言えば、菜々さんがバイトしてる喫茶店にでも顔を出すのだが今はちょうど昼時であんまり構って貰えない可能性が高い。
………こうして考えてみると、山ほど同僚のいるこの事務所なのに私の交友関係ってなんだか狭いな。
あっという間に暇つぶしの相手探しに行き詰った私がなんだかジワリと自分の世界の狭さに苦みを覚えている中で聞き覚えのある声が廊下の方から聞えてきた。
気だるげで、張りが無い声なのになんだか妙に通る不思議な声。
その声になんだか変な安心感を覚えたのと、むくりと悪戯心が鎌首をもたげたのを感じと同時くらいに事務所の扉が開く。
「ええ、はい。そっちのトラプリの企画に関してはつつがなく。問題は来月に迫ったクローネ関係の広告なんですけど――――って、おい?」
「あ、もしもし? プロデューサーさんかい?」
『その声は……夏樹さんでしょうか?』
ソファーにだらしなく寝そべる私に肩眉をあげた程度で素通りしようとするお気に入りのアシスタント“ハチ”の背に忍びよりスルリとその手から携帯を抜き取って気さくに声を掛ける。そうしてしばしの間があって電話の向こうで自分達を親友から託された偉丈夫の“プロデューサー”が探る様に名を呼んできた。
内匠の奴と違ってこんな時まで折り目正しい彼に苦笑を零しながら、ダメもとで“おねだり”って奴をかましてみる事にする。
「あー、急な上に不躾な事は分かってるんだけどさ……その、いまからハチ公の事を借りてっていいかな? 今度の新譜がどうにも上手くいかなくてコイツの意見が聞きたいんだ」
『…………しばし、お待ちください』
コツは困ったような笑顔と声。それに、ほんの一匙の薫らせる程度の真実。
その言葉と声色に返ってきた固い声。
横から文句を言おうと乗り出してきたハチの口をスマートに鷲掴みで黙らせて待つ事、数十秒。他の端末であれこれと確認作業をしていたであろうプロデューサーが困った様な笑いを含んだ声で答えを出した。
『今後は、できれば事前に相談して頂ければ助かります』
「てことは?」
『次の新曲、期待させていただきます』
遠回しなそのGOサイン。それがあの男の親友なだけあってやはりこの人も相当にロックな魂を持っている事を私に教えてくれて思わずキスしてやりたくなる。色々あったが、アンタもやっぱいい男だ。この“木村 夏樹”が太鼓判押してやるぜ!!
「Thank you. Wizard♪」
「星の輝きあっての我々ですから」
精一杯にカッコつけたネイティブな発音に短くもぽえみーな返答で答えたボスはそれだけ言って通話を切る。多分だが、いまからこの胡乱気な目で私を睨んでる男がこれからする予定だった業務にあれこれと調整に動いてくれているのだろう。本当に、自分の思い付きで振り回して申し訳ないがこの埋め合わせは今度にさせて頂こう。
次は、もっと大変な本命を口説き落とさなければならないのだから。
「という訳で――――今からちょっとデートしようぜ、ハチ」
「……いや、なんでそんなイケメン風のアゴくいで押し通せるとおもっちゃったのん?」
ごり押しで行けるかと思ったが駄目だった。ノリの悪い奴だ。
「い~い~だ~ろ~! 他の娘とはよくデートしてんじゃんかよ~!! たまには私にも付き合えよ~!!」
「駄々っ子になれって意味じゃねぇからな!? 大体、他の奴だって好き好んでいってねぇし、このまえにお前ら炎陣メンバーに焼肉奢ったばっかだろうが!!」
「いや、あれは別口じゃん? それに、今日はマジで何にもでてこねーんだよぉ。ちょっと気分転換に付き合うだけでいいからさー、どっか遊びに連れて行ってくれよぉ。上司の許可付きで遊びに行けるとか最高じゃん?」
「そのせいであのパーテーションの向こうからひしひし圧力感じてるんすけど?」
子供のごとく駄々っ子で押し切ろうとしたのだが、より激しいツッコミを喰らってしまった。そして、言われて気が付いたがパーテーションの向こうでこの寸劇を逃さず聞いているであろう鬼会計“ちひろ”さんの不機嫌オーラが空間を歪めているのを感じて思わず苦笑い。
まあ、まあまあまあ、こういう時にこそ実績というのがモノをいう。
ウチのグループから出してる曲の原案は結構な数を私や涼。その他、音楽に精通したメンバーが提供しているのであの言い訳だって嘘でない限り文句は公に言われる事は無いだろう。そのとばっちりをハチが受けるのは心ぐるしいがココまで来たなら私の欲望を今日は優先させて頂こう。
音楽に犠牲とはつきものなのだ。悪いね、パーテーションの影から睨んでる美優さん。
新しい新譜は気合入れるから、今日はちょっとずる休みさせて貰うよ。
いまだにあーだこーだと文句を零すハチの手を無理やり引っ張って私は意気揚々と愛車の停まっている駐輪場へと足を向け、さっきまで何をつま弾いてもときめかなかった自分の胸の内がワクワクしているのを感じつつこの後の予定に胸を高鳴らせる。
さてはて、何時だって出会った時から自分の予想を上回ってきたこの男が今日はどんなメロディーを自分にもたらすのかが、いまから楽しみでしょうがない。
気だるげな男を引き連れて、今日ばかりはトレードマークのモヒカンも崩した素の自分で――――楽しい楽しいデートを満喫させて頂こう。
音楽? そんなの全力で遊んでりゃその内に出てくるだろ?
人生楽しんでない奴のロックなんざ、聞く価値も無いね。
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「と、いうわけで―――どこ行く?」
「その質問、男にとって鬼門なんだよなぁ……」
とある馬鹿に事務所に入った瞬間に拉致られた哀れなアルバイト“比企谷”です。どうぞよろしく。
という訳で、上司との電話での打ち合わせ中に無理くり連れ出された先の駐輪場。社畜仲間の怨嗟の籠った瞳を背にたどり着いたこの場所で俺はデート行く前に絶対聞かれたくない言葉を投げかけられているのであった(ばばーん ……なんだこれ。
というか、そういうのはこの無駄にイケイケの“カタナ”のキーを渡してくる前に聞いて欲しかった。跨った後に後ろから腕を回された状態では逃げられない。
それを差し置いてもこの質問は余りに男にとって酷なモノだ。
意に沿わない場所を言えば反発やダルテンションでチクチク刺され、よしんば当りを引けても次回からも外せないプレッシャーを与えられるし、なんなら自分の興味のない場所が高確率で正解なのでどっちにしても地獄の問いなのである。
ただソレは本命の女の子を連れての場合である。
このロックな友人駄々っ子の要請や趣向を彼氏ならば気にしなければいけないという縛りが俺にはない。どうせ仕事が免除されたというのならば俺の趣味全開の場所を提案されたとしても文句は言わせない。なんなら、文句をいえば夏樹をココで叩き落としてでも行く所存だ。
「……ガ〇ダム」
「へ?」
「お台場にガ〇ダムを見に行く。降りるなら―――今、降りろ」
「―――その次は?」
「ラーメンだ。あそこしか食えないとは知りつつも未だ行けていないリア充の巣窟“お台場”のラーメン。今日という日にしか味わう機会は無いだろう……」
「―――――わたし、どっちも滅茶苦茶好きだが?」
………あれぇ、通っちゃった?
いや、まあ別にいいんだけど。なんだろう、どうせなら一人で楽しむ気まんまんだったから少しだけ肩透かしである。というか、意外と俗な所を好むねスーパーロックンローラー。
「いやまあ、それでいいならいいか……。落ちてもわざわざ拾いにはいかんぞ」
「なんだ、もっと密着しろってか? このドスケベめ」
ニンマリと笑いながら軽口と共にむぎゅりと押し当てられるふくよかな夏樹の胸部。普段はリーゼントに革ジャンと男勝りの格好で気が付きにくいが髪を下ろして普通の服に身を包んだこいつはかなりの別嬪ダイナマイトである。ただ、ソレを自覚してこういう振る舞いをされると素直に頷くのもなんとなく癪だ。
「だまれ、貧乳め」
「殺すぞ? お前、あれだろ。巨乳に囲まれ過ぎておかしくなってんのかもしんないけど83ってデカいからな? 言っとくけど、GだぞG?」
「……いや、ゴメン。そこまで気にしてるとは思わなくて。冗談です。デカいっす」
耳元でドスの効いた声でオラオラする夏樹の恐怖から逃れるためにエンジンを回し、バイクを急発進させては見るががっしり腰を掴んでいる彼女を振り切る事は叶わず―――お台場までの短いドライブを俺は冷や汗びっしょりで過ごす事になったのはここだけの話である。
………これ、普通に仕事してた方が心労は少なかったんじゃね??
_(:3」∠)_増えろ、閲覧者という神