(・ω・)さー、今日も暇つぶしにどうぞよんでってーん。
さてはて、季節は春も過ぎ去り若草萌え空気に湿り気を帯び始めた時期のこと。
煙草というのは長らく吸って気が付いたがどうにも銘柄だけでなくその日の気温や湿度、体調なんかで味が変わるらしい。
恩師の真似をして吸っていた七つ星の銘柄は元々少し甘い匂いと、重めの煙が特徴的であるのだが、カラカラに日照りで干されている煙草はほんのり辛かったり、逆に湿り過ぎているとくどかったりと色々ある。……たまに当たるビックリするくらいマズイ煙草は一体なんなんだろうね?
閑話休題。
なにはともあれ、クタクタに疲れている体と頭。春過ぎの上着無しでもちょうどいい気温と湿った空気に充てられた煙草は格別に甘く、ふくよかで実に満たされた味を俺の肺に齎してくれた。
吐き出した息に交じった紫煙は緩やかに路地を登っていき、吸う空気はその余韻をじんわりと伝えてくれる。そんな過不足ない時間をボンヤリと目で煙を追う事で満喫していると耳障りな防火扉の開く音で俺の至福の時間は終わりを迎えたのであった、とさ。
「………本当にこんなトコに居た」
「契約解除の手続きならちひろさんの方が早いぞ」
「―――っ、ホントに…ムカつく奴」
軋んだ分厚い扉の先から現れたのは黒く艶やかな長髪を腰まで伸ばしたスタイルの良い少女“渋谷 凛”。
自分のバイト先である芸能事務所に最近2期生として入ってきたウチの一人であるが、その整った顔に浮かぶ不快そうな表情の通り仲良くやれているわけではない。
まあ、入会早々に『煽ってきた人間』というのを差し引いても見るからに根暗でズボラそうな大学生――というか異性に対して年頃の少女が抱く印象から考えれば実に適正な反応ともいえる。物騒な世の中、いつだって警戒心は忘れず身に着けてて花丸あげちゃうぜ☆彡
そんな彼女がわざわざ俺を探してこんなトコに来たという時点でいよいよ“辞める”気になったのかと思い煙草を片手に続く言葉を待っているのだが彼女はその扉の前から動かないままジッとこちらを睨むばかりである。
「……なんだよ?」
「……………コレ、見て」
焦れた俺の一言に今度こそ苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべた彼女。だが、それでも何かを呑み込んだのか彼女はその制服のポケットから携帯を取り出してそれを突き出して見せつけた。
その小さな画面に映り込むのは軽快な音楽と共に合わせて踊り、歌う彼女の同期達。
先々週に行われた彼女たち新規メンバーに先輩アイドル達が行った“洗礼”の効果は実に顕著に表れていて、拙く幼かった彼女たちのダンスは見違えるほどの練度を誇っている。
誰もが的確に振り付けをこなし、パートは安定して歌い分けられ――何よりもその顔からはお遊戯会のような緩さは全て取り払われて引き締まっている。
活動を始めて3か月そこそこだと考えれば破格の成長。
それを見せつけている彼女の顔は―――どうにも自慢しに来たといった誇らしげなものではない。
「どう思う?」
「………………曖昧な問いだな」
「思ったまま、言ってくれればいいから」
そういうのが一番困る。大体の場合が正解することは困難で、失敗した場合はなんのメリットもなくこちらに復帰不能なペナルティが課される魔の問いだと自覚があるのかないのか……まあ、ヘイト値に関しては今更なのでしったことではないのだけれども。
「ミスもない。ズレもない。―――まさにお手本のような動きだな」
「………それで?」
なるほど、聞きたいのはソレか。
探る様にこちらを覗き込んでくる彼女の意外なしたたかさに呆れながら俺はもう一度ゆっくりと短くなった細巻きを吸い込んで味わう。
わざわざ言いにくく、認めたくない最後のワンピースを他人に指摘させようとする手管は小賢しくも感じるし、その年頃特有の自意識の高さは微笑ましくすら感じる。
だが、俺がそうだったように。
あの間違い続けた青春で大怪我した“俺達”がそうだったように。
出てしまったどん詰まりの「解」を何度でもぶち壊してくれる人間がきっと人生には必要なのだ。
そんなハズレ籤を―――せめて厭らしく笑いながら引いてやる。
これも責任のない年長者の務め、という奴だろうから。
「完璧でツッコミどころがなくて――ついでに言えば“見所”すらも欠片もありゃしないな」
「――――っ!! ……そう、だよね」
俺の軽薄に吐かれた言葉の毒に顔を怒りに染めて睨みつけてきたのも一瞬。だが、必死に何かを呑み下した彼女は自らで飲み込み切れなかったその“問題点”をようやく絞り出すように認めて、悔し気に俯いた。
呑み込んだのはプライドか、怒りか、自分たちの努力への失望か。
分かりはしないけれども。分かった振りなんて死んでもしてやらないけれど。
頬くらいは反射的に張られる覚悟をしていただけにそのただただ悔し気に俯いてしまう姿が痛ましく、後味が非常に苦々しい。
自分たちの憧れであった先輩アイドル達の圧倒的なパフォーマンスに自分達が『お遊戯』の域を超えていなかった事を思い知らされた後に挫けることなく奮起して努力をしてきた彼女たち。
慣れない学業との両立と仕事とレッスンに苦しみながらもたった一曲とはいえ短期間でメンバー一丸となってこのクオリティにまで磨き上げたのに―――いや、磨き上げたからこそその差に絶望をしてしまうほどの隔たりがあったことに気が付いてしまう。
ただ、ミスがないだけなのだ。
そこに熱狂はなく、喝采もなく、誇らしさも、歓喜もない。
あのふらっとレッスン室にやってきて着の身着のまま躍っただけで自分たちの目と心を奪っていった彼女たちの“ライブ”とは余りに隔絶したその差がどうやって埋めるべきなのかを完全に見失ってしまった。
そんな認めたくない一言を、認めたくて彼女はせめて嫌な役目を心痛まない自分に指摘して貰いに来たのだ。
それでも、彼女はその葛藤を呑み込んだ。
手段はどうあれ呑み込んだのだ。
ならば、後は進むにしろ諦めるにしろ自分たちで決められるだろう。
今度こそ契約解除の準備を何人か進めなければいけないだろうな、なんて憂鬱に想いながらも打ちひしがれる彼女の脇を通って一人にしてやろうとするのだが―――すれ違いざま裾を掴まれ引き留められた。
「………なんとか、してよ」
「は?」
「アンタ、“アシスタント”なんだから何とかしてよっ!」
「はぁっ!? どういう理屈なのんそれは??」
小さく、掠れるような声の後に犬もかくやという位に犬歯をむき出しにして俺の裾を握りしめて癇癪を起した彼女にこっちが面を喰らってしまう。
「プロデューサーが最初の顔合わせで言ってたじゃん―――“困った事があればアンタに相談しろ”って!! こっちは困ってんだから何とかしてよ!!」
「それは仕事の調整とかそういう意味だろうがっ! そもそもダンスとか未経験の俺が何をアドバイスしろってんだよ!!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさーーいっ! 何とかしろって言ってるんだから何か考えてよ!! お給料貰ってんでしょ!! 人の事を勝手にスカウトしてきて置いてそのあとは知らん顔なんて通るわけないじゃん!!」
「スカウトしたのは俺じゃねぇ!!」
「プロデューサーが滅多にいないんだからアンタが代理でしょ!!」
さっきまでのしおらしさは何処へやら、目尻に涙を溜めた彼女を引き離そうと裾を引っ張るがついには駄々っ子みたいにその場にうずくまって引き止めに掛かってきた彼女に根負けするまでその喧騒はしばし続いたのである。
こうして俺は再び余計な業務を抱え込み、また大学の単位履修に頭を抱える事に相成ったのであった。
ちなみに俺のシャツはちょっと伸びたし、渋谷が駄々っ子になりしゃがみこんだ時に見えたパンツは青だった。
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最初は偉丈夫のプロデューサーが熱心に勧誘してきて『夢中になれるモノ』なんてもののきっかけが見つかれば良いなと思って受けたスカウトであったけれど、知り合った仲間たちはみんな個性的で面白かったし、初めて見たライブというのも胸が熱くなった。
それを目指して頑張ってきた中で当の憧れであったアイドル達に実力差を叩きつけられて煽られた“あの日”から本当の本気で頑張ってきたつもりだ。
お互いの悪いとこも、良いとこも。苦手な所も、得意な所も。
全部をしっかり話し合って、何度も何度も改善策をみんなで話し合って完成をしたあの一曲を完璧にやり切った時には全員で喜び、抱き合った。
だけれども、もう私たちは“その先”を知ってしまっている。
ミスもなく、完璧に踊り切り抱き合っていた私達。でも誰ともなく声は小さくなっていき、振り切れていたテンションは撮影していた動画を見直す頃には完全に冷たく重苦しいモノになってしまっていた。
何度見ても、どう贔屓目に見ても―――“ミスがない”というそれだけのパフォーマンス。
みくや李衣菜が場を盛り上げようと明るく振舞い、美波がここまで来たことを激励して皆がそれに応えようとしてはいたが空回りする声と笑顔はやがて小さくなっていき遣る瀬無い雰囲気のまま解散となった。
何がいけなかったのか?
何が悪かったのか?
ミスもなく、完璧にやり切ったにも関わらず至れないのであれば―――もうどうしようもないではないか。
そんな絶望に誰もが苛まされていたのがハッキリと分かってしまう。
誰もが底冷えするような笑顔でやり過ごし、足早に解散していくのを見送りながら夕闇に染まりつつある空を見て自分に問う。
もう、いいんじゃないか?――――“やるだけやったじゃん。”
あれだけやってダメならその程度だったてことでしょ?――――“そうかも。”
結構大変だってわかったし、引き際だよ?――――“ ”
花子の散歩とか、家の手伝いとかやることあるしさ?――――“ ”
別に熱くなるほどのことじy―――――“うるさいっ!!”
勝手に自分の事を決めつけてくる“自分”を思い切り睨みながら心の中で叫ぶ。
“そういうの”が嫌で、そんな自分が嫌であのスカウトを受けたんじゃないか。
しった風な顔で、怪我をするのが怖くて、醒めてるふりして傷がつかない様に全部から距離をとって眺めていただけのヤな奴。
でも、自分はもう知ってしまったんだ。
そんな自分にはない想いを抱えて走っている人の熱を。
養成所で一人になっても諦めなかった“卯月”。
なんでも興味をもって体当たりで挑んでく“未央”。
自分の世界を絶対に曲げないで貫く“蘭子”。
臆病なのに一生懸命な“智恵理”。
他にも、みんな、いっぱい。誰もがその命を燃やして本気で生きている。
そんな生き方を見て、知って、触れてしまったから―――あの熱がこんな切ない終わり方を迎えるなんて今の私には絶対に許容できない。
だから、私は “渋谷 凛” は走り出した。
自分たちで積み上げたもので足りないのであれば、何かを引っ張り出すために。
そのせいで今まで積み上げたものが一度全部壊れてしまうとしても。
あの努力の全てが泡と消え去ってしまうとしても―――そんなちっちゃなプライド飲み下して見せるとも。
脳裏に浮かぶのは大嫌いなあの昏い目をした男。
人の勘に触り、やる気をそぐことばかりを言うアイツではあるが――彼が零した言葉の数々が今の状況を予見したモノであるとするならば、解決策だってあるはずだと仄かな期待を抱いて私は彼が良くいるという喫煙所へと足を向けたのだった。
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さてはて、渋谷のせいで厄介なタスクを抱え込んでしまい深くため息を付く。そもそもがただの大学生のバイトにどうしろというのだ、こんな問題。
そんな事を頭の中で何度も何度も愚痴りながらも、とりあえず明日また全員を集合させとけとかその場しのぎな指示を出して帰らせた渋谷。
なんとかあの狂犬を納得させる解決策を捻り出そうとして――閃いた。
W大に小細工と運と文系のみで入学した脳みそは伊達ではない。
そんな自画自賛をしながら俺は携帯を取り出して掛けなれた番号を呼び出したのであった、とさ。