デレマス短話集   作:緑茶P

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今でも、仕事で選ばざる得なかったあの選択を夢に見て後悔します。

利益と義理。理想と現実。

人生は様々な選択を常に迫られます。

どうか、皆さまの選択が悔いの無いものである事を。


~御値段の価値~

 

 

あらすじという名のプロフ

 

比企谷 八幡  男  21歳

 

 大学の先輩に美味しいバイトだと唆され付いてった先が346プロだった。逃げようとするが時給の良さとチッヒの甘言に唆され隷属された。ちょろい。丁度、シンデレラプロジェクトによるアイドル部門立ち上げの事務処理などをしている時に武内Pに効率の良さを認められ、引き抜かれる。

 最初は何人かいた社員・バイトは激務・諸事情に耐えかねて徐々に消えていき、その度に便乗しようとしてチッヒに(社会的に)殺されかけている。気付けば、プロジェクト初期メンバーとして芸能関係のあらゆる事に精通して普通の社員より働かざる得なくなった。

 送迎(バイク&ハイエース)・発注・スケ管理・人員配置など上司二人の補助がメインだったが年数を増すたび丸投げされるようになった。やだ、優秀。

 大学1・2年でかなり単位を無理して取ったためゼミ以外は卒業まで週1で出れば間に合う計画だったが最近は346の激務のせいでその貯金も無くなりかけている。前期は教授4人に土下座した。そろそろやばい。

 

 アイドルからは最初は腐った目のせいで引かれるが、予想の斜め下ばかり突いてくる会話と根は真面目で誠実であることが伝わると徐々に心は開かれる様だ。また、前向きで頑張り過ぎなアイドルにとっては彼のやる気のない反応が程良い息抜きになる事もあるらしい(だいたい怒られてるが)。ただ、将来のユメが専業主婦と言って憚らないのでよく女の敵だのクズだの呼ばれている。

 

 

小早川 紗枝   女  16歳

 

 色んな諸事情によって芸能関係の繋がりがかなり厳しくなっていた”デレプロ”に可能性を感じて接触してきた”小早川コーポレーション”の一人娘で東京支部の代理人の役職にも着いている偉い人。京都の老舗呉服から発展してきた大企業でもあり、西のアパレルの巨雄の彼女の協力の条件として提示した”動員4万人以上のライブを1年以内に成功させること”を達成する事によりスポンサー・衣装関連で大きく協力を得ることができた。その中で、彼女も広告や自分のデザインの機能性を測ると言う名目でメンバー入りを果たしている。

 穏やかで柔らかい物腰は万人に好かれるが、怒らせると意外とねちっこく根に持つ。特に発育関係をいじるのは最大の禁忌。

 

 

――――――――――――――

 

??「おい、そこのアンタ。ちょっと待て」

 

八幡「……(スタスタ」

 

??「おい!お前だよ!!アホ毛の根暗そうなあんた!!」

 

 高飛車な声に呼び止められた哀れな社員に同情しつつも歩みを進めていると再度その耳どころか頭に響く声が聞こえる。煩わしいからさっさとその根暗そうな社員に対応をしてほしいと願っていると肩を掴まれる感覚に強制的に振りかえさせられる。おかしいな、俺のどこにそんな要素が?

 そんな疑問に首をかしげつつ振り返った先には豪奢な金髪を編み上げ、強い意志を――いや、どっちかっていうと飢えた獣に近い張り詰めた何かを感じさせる瞳が目に入った。あまりに目立つその外見の彼女はスーツを着込んで様になっちゃいるがどうしたって同年代以下にしか見えない。そのアンバランスさが、どうにも危なっかしく感じる。

 

八幡「…えっと、どちら様?見ての通り忙しいし、用があんなら受付に言って貰った方がいいと思いますけど?」

 

??「あん?この”桐生 つかさ”を知らないっての?はーあ、それ冗談でも笑えな過ぎて逆に面白いわ」

 

 …危なっかしいというより完全に危ない人だった。呆れたように溜息をつく彼女に戦慄を覚え、忙しさと嫌そうなオーラを全開にして必死に会話を打ち切ろうとするも彼女は先手を打つかのように口を開く。鋼メンタルかよ。なに?心は強化ガラスかなんかで出来てるの?

つかさ「まあいい。ちょっと”デレプロ”ってとこの事務室に案内してよ。受付やメールじゃいつまでも応答してくれないみたいだから”GARU 代表取締役”の私が直接来てやってんの。おわかり?”デレプロの比企谷”さん?」

 

 溜息と共に嫌味でも返してやろうと飲み込んだ息は唐突に変った彼女の雰囲気に行き場を無くして、力なく漏れ出る。最近、随分とアプローチを掛けて来ると聞いていた服飾ブランド関係の社長を名乗るのが目の前の彼女だと言うのも信じられなかったが、獲物を追い詰める様な視線は間違いなく自分を楽しげに睨んでいる。

 

 つまりは、自分の様な木っ端バイトに声を掛けて来たのも偶然では無かったという事だろう。

 

 好戦的な笑顔のその少女がもたらすであろう厄介事に俺はもう一度小さくため息を漏らす。

 

 勘弁してくれ。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

武P「お待たせ致しました。”シンデレラプロジェクト”プロデューサーの武内と申します。桐生さんの御噂はかねがね聞いております」

 

つかさ「ああ、あれだけ熱烈にアプローチしたのにここまで待たされるとは思わなかったよ。お蔭でこんな強硬手段に出たのはお合いこって事で勘弁してくれ」

 

武P「ええ、その件に関してはこちらにも非がありますのでお気になさらず」

 

ちひろ「…」

 

 そんな不遜な態度で答える彼女にチッヒの頬が引き攣るのを感じる。それに気づいていない訳でもないだろう武内さんは泰然と受け答えるが、部屋の空気は張り詰めきって随分と息苦しく感じて居心地が随分と悪い。

 

ちひろ「…社長自ら御足労願って頂いたのは大変申し訳ないのですが、当方としてははっきりと意思表示をさせて頂いていたものと考えておりましたので、てっきりお話は終わった物だと考えていました。そのうえで、こうした対応に乗り切ったのは…どういった御趣向なのでしょう?」

 

つかさ「あん?その件は合いこにってことになったの聞いてなかった?勝手に話を終わらせたつもりになって、話を打ち切るのは三流の証拠だ。アンタのメール・電話対応がこの事態を引き起こしてんのを自覚しろよ、三流」

 

 

”ビキキッ”

 

 

 張り詰めた空気に明確な棘が含まれたチッヒの声はかき消すような彼女の声に上書きされた。あれ?いま、なんか湯のみに勝手にヒビ入った音聞こえたけど何?殺気で陶器って割れるもんなの?笑顔のまま青筋を浮かべるチッヒと心底呆れた様な桐生社長の視線の交錯。関係無い俺まで胃が痛くなって来た頃に武内さんが小さく息をつき、間を繋いでくれる。

 

武P「その件を掘り返すほどお互い時間も無い事ですので、本題に入りましょう。頂いたメールの要望はプロジェクトの”舞台衣装等の新規発注 及び 継続契約”との事でしたね。同封して頂いた弊社の起用によるメリット・デメリットと経費対策における資料は実に興味深い物でした」

 

つかさ「はは、トップはマトモに話ができそうで安心した。それにあれの価値を理解してくれるくらいには興味を持って貰えて素直に嬉しいよ。そこそこ気合いを入れて作った甲斐もあったってもんさ。で、勿体ぶらずに感想を聞かせてくれ。あれを見てウチの会社をどう感じた?」

 

 その声に、さっきの不機嫌さが嘘のように快活な笑顔に挑発する様な獰猛な凄みを持たせて彼女は武内さんに意識を向ける。芸能関係の人間特有な迂遠さというのはどうにも彼女は持ち合わせていないらしい。

 

武P「…返答の理由ではないのですね?」

 

つかさ「ああ、貰った結果は既に読んだよ。その上でまずはアンタの感想から聞いて調整してくべきだ。それが出来るからこんな強引な手段さ」

 

 その息もつかせぬ傲慢な言葉に武内さんは苦笑を洩らしつつも、少し思案して言葉を紡いでいく。

 

武P「…そうですね。現状、プロジェクトの衣装関係は”小早川コーポレーション”の独占状態。この状況で緊急時のリスクマネージメントと貴女の会社での衣装における重要性による発注先の区別化による経費対策。複数回の使用を考慮しない飛び込みの依頼用の衣装への経費削減と特急対応の作成日程の短縮。品質と値段が相応のコーポレーションのデメリットを補う提案は、正直に言えばとても魅力的な提案です。――よくこちらの実情を調べている周到さから、貴社の実力も窺える」

 

つかさ「ああ、やっぱ一流同士ってのは心地いいな。無駄がなくて素晴らしい。それに、そこまでは最低条件で、飛ぶ鳥も落とすデレプロにこっちから出せるメリットの部分さ。本題はそっからの発展の部分の感想が聞きたい。”『デレプロのメンバー』を意識した副次ブランドの作成"ってのを是非、ウチで作らせてくれ。アンタの集めたアイドルのキャラは最高だ。今まで誰もが無意識に持っていた意識をぶち壊した独自性。ソレに憧れた世間は最高の市場だ。値段の釣りあげなんかしやしない。そこらの女学生がちょっと頑張れば届くような値段で提供しよう。最高の広告と利益、そして夢を与えられる。――コレを断る理由がなんなんのか。ソレを聞きに来たのさ」

 

 武内さんの言葉に心底安堵したように、言葉を紡ぐ彼女は獰猛な目を輝かせて彼女の構想を語る。まるで、ソレは、初めて対等な何かを見つけた寂しげな獣の様で。爛々と興奮したその声は、何故か必死さを感じさせる。

 

「ソレは―――「えらい楽しそうなお話やなぁ。ウチも混ぜてくれませんやろか」

 

 迷ったように言葉を選ぶ武内さんの声は穏やかで、静かなその声に遮られる。

 

 事務室の扉には朗らかに微笑む”小早川 紗枝”が、小早川コーポレーションの代理人にしてアイドルである彼女が、そこにいた。

 

 ただ、その瞳は白刃の様に美しくも残酷な光を宿している。

 

 

――――――――――

 

 はてさて、乱入に次ぐ乱入で部屋の空気は最悪だ。各国が集まる首脳会議だってもうちょっと穏やかだと思えるくらいには。なんなら部屋の隅に佇む俺はそろそろ体調不良で退席しても良いんじゃないかと思えるレベル。そんな張り詰めた空気の中で小さくため息を吐く彼女に注目が集まる。

 

つかさ「…やれやれ、だ。理由ってのはコレが原因だって考えていいもんかね?だとしたら相当に下らない」

 

紗枝「あら、つれへんこといわんでおくれやす?底がしれてまいますえ?」

 

 たったその応酬だけで更に空気が引き攣るのだから勘弁してほしい。だが、下手すれば数億にも上る利益の取り合いなのだからどっちも立場上引きさがる訳にはいかないだろう。つまり、どっちかの敗北が決まるまではこの空気は続行する。いっそ殺してくれ。

 

つかさ「どうせあんたにも書類は渡ってるんだろうから無駄な問答は無しでいいだろ。何が問題なんだ?アンタの会社との利益も住み分けもしっかり考慮した。補い合えるwin-winな関係。それに発展系だってアンタのトコでやったら予算が掛かり過ぎて一般人には行きわたらない。広告・宣伝効果だって半減だ。”過ぎたるは…”なんとやらって奴だろう?」

 

紗枝「数字だけを追うんなら、そうかも知れまへんなぁ。ただ、逆境やった”デレプロ”を衣装作成・スポンサーとして支えて来たウチとしては軌道に乗って来たときにやってきたハイエナにわざわざ餌を与えてやる理由もみつかりまへんなぁ?」

 

 嘲笑う様な桐生に、凍える様な目線を向ける紗枝にはいつもの様な穏やかさは無くひたすら冷たい毒を吐いていく。

 

 まあ、言い分としてはどっちも間違ってはいない。

 

 厳しい条件を課せられたとはいえ、紗枝が協力してくれたおかげで様々な事が解決して今があるのは間違いない。そんなときにメリットを提示しつつも利益を掻っ攫うような輩が出てくれば砂を掛けて追い返すのは当然だ。ソレを咎める資格なんて俺たちにはありはしない。それは彼女が主張すべき確固たる理由だ。だが、ソレと同時に、その辺の機微を除いて考えるならば桐生が言った主張も間違いでは無い。

 

 手の届く理想というのは分かりやすい。憧れを掴むために伸ばした手が掴んだソレをファンは大いに喜び自発的に喧伝してくれるだろう。それが切っ掛けで多くの人が”デレプロ”を知り、その知名度は更に昇り詰めていく。そのメリットはあまりに大きい。ソレに目をつけた桐生の経営眼は本物で実行に移せば間違いなく成功させてくれるだろう。それだけの才覚を彼女は武内さんとのやり取りで見せてくれた。

 

 義理か、利益か。

 

 結局はそれだけの話だ。

 

 きっとどっちを取ってもプロジェクトとしては悪くない結果になる、とは思う。

 

 そんな事を考えていると、黙考していた武内さんが小さく息をつきこちらを向き言葉を紡ぐ。

 

武P「…ふむ、ちひろさんは反対の様ですが―――比企谷君はどう思いますか?」

 

 唐突なその質問に面を喰らう。たかがバイトに何を聞いているのかこの人は理解しているのだろうか?少なくても億は動く話に自分が意見を挟むべきではない。そう思って辞退しようとするも、武内さんは苦笑してソレを遮る。

 

武P「いえ、正直自分も迷っているのです。どちらの言い分も分かりますから。それでも決めねばならない事であるならば、ここまでプロジェクトを支えて来たお二人の考えを聞きたいと思うのです。――なので、君の意見を忌憚なく言ってください。最終決定は、私の仕事です」

 

 本当に困ったように笑うその顔は少々ズルイ。これでは、断りづら過ぎる。

 

 溜息を一つして、考えを脳内で纏める。

 

 刺さる様な二つの視線を努めて無視して考える。

 

 

 俺は――――――

 

➔ ・義理を取りたい。

 

  ・利益を追ってもいいと思う。

 

 

 

―――――――

 

 

八幡「俺は正直、乗り気ではありませんね」

 

 ぱっと表情が綻ぶ紗枝と、忌々しげにこちらを睨んでくる桐生。なんとなく後味の悪さを感じはするが選ぶとはこういう事だ。今は思った事だけを伝えるべきだろう。

 

 言っといてなんだが、別に義理という観点だけで選んだ訳でもないのだから。

 

 確かに紗枝の会社で発注している衣装はかなり値段が張る。しかも、緊急時に対応してもらう時は倍と言っても過言ではない。だが、相当無茶な工程を頼んでもその品質は一切落ちた事もないし、割増料金のほとんどは無茶を聞いてくれた職人への詫びの贈り物へ当てられている上に、わざわざ紗枝が直接ソレを届けて俺たちの代わりに頭を下げて回ってくれている事を俺は知っている。

 

 そのうえ、ウチの個性的過ぎるメンバーの要望やイメージを聞きだして職人との技術的な折り合いをつけて理想に最も近い形にしてくれているのは彼女が寝る間も惜しんでデザインをしてくれているからだ。もし、この工程が抜けて初見のデザイナーが代わる代わる行っていたら品質の問題ではなく、求める物自体が変わって行ってしまい最高の状態には程遠くなるに決まっている。

 

つかさ「―――それなら私が直接」

 

八幡「闇に呑まれよ。今宵の饗宴の宴は漆黒の天使が闇世に舞い降り、その絶声にて友と舞い踊る。さすれば月も微笑まん」

 

つかさ「は?」

 

 失格だな。今の訳は『お疲れ様です。今回のライブは私がワイヤーで降りて来た後に皆さんと歌う!!みたいな演出をしてくれたら私嬉しいです!!』だ。熊本弁ビギナーもこなせないようではウチのアイドルの要望どころが日常会話もままならん。

 

つかさ「ちょっと待て!!あれは神崎のライブ用キャラの演出だろう!!そんなの日常で―――嘘、だろ?」

 

 唖然とする彼女にちょっとだけ同情する。伊達にデビュー当時に散々に色モノ集団と笑われて来た訳ではないのだウチは。それに、勝気な彼女の口調では内気気味なメンバーは萎縮して思う様にイメージを伝えられない可能性だって高い。少なくとも俺は短い時間で接した彼女との感触ではそう思う。聞き上手で朗らかな紗枝だからそれが可能なのだ。

 

 そこまでだって十分な理由ではあるが、そもそも、そんな急な発注を掛ける様になってしまうのはこちらの不手際だ。ただでさえ事務方が絶望的に足りない中でそんな繊細な作業にリテイクが掛かればそれだけでその企画はおじゃんだ。骨折り損になればいい方で、プロジェクト全体に影響する。その事を考えるならば衣装に掛かる経費も、紗枝に拝み倒す俺の軽い頭も安い出費だ。

 

 なんなら、どうしても人出が足りなければ佐藤にでも酒を掴ませて作業させてもいい。

 

つかさ「―――」

 

紗枝「いや、そこまでされると逆に迷惑やけど…」

 

 紗枝のちょっとだけ冷ややかな視線を心地よく感じる自分がいるのでもう駄目かもしれない。まあ、そんなわけで、発展系のブランドだなんだは俺には分からないが、現状では紗枝の機嫌を損ねる方が致命傷だ。そのブランドだって紗枝の所で作れない訳ではないのだから値段は何とかしてくれると信じよう。

 

八幡「…で、いいすかね?」

 

 思ったよりも延々と語ったせいで喉が酷くかわく。その上にちょっと恥ずかしい。チクショウ。

 

 そんな俺の気まずそうな顔を見ていた武内さんが微かに笑って目を閉じ、一拍。桐生へと視線を戻す。張り詰めた空気は数瞬だけ続き、疲れた様な溜息を彼女が漏らす。

 

つかさ「っち。折角、私に着いてこれそうな面白い素材を見つけたってのに期待外れだな。残念だよ」

 

武P「個人的には非常に一考の余地はあると思いました。ですが、彼の言う様にその企画はまだ少しこのプロジェクトには早かったようです。また、時期が来ましたら是非お越し下さい」

 

つかさ「時期が来たら――か。都合のいい言葉だ」

 

 そう寂しそうに小さく呟いた彼女は差し出されたその手を払って出口へ向かう。

 

つかさ「精々、小さい世界で満足してるといいさ。私はもっと――上に行く」

 

 その背は、最初に感じた威圧感は無く随分と小さく見えた。その心苦しさすら身勝手な感傷なのだろうけど、選ぶとはこういう事だ。手放したくないモノを抱えるのに手はいつだっていっぱいで――全ては拾いきれない。そんな独白を誤魔化すように武内さんに水を向ける。

 

八幡「良かったんですか?こんなバイトの思いつきで決めちゃって?」

 

武P「立場はどうあれ、君の言葉は真摯で価値がありました。思いつきなどとは程遠い。そして、決めたのは私です」

 

 そういって微かに笑う彼に一礼して、部屋を出る。これ以上いる意味もないだろうし、途中でほおってきた仕事もそのままだ。体を包む倦怠感に溜息をついて歩き出そうとすると、背中に何かがひっつくのを感じる。

 

紗枝「…」

 

八幡「…なんだよ?」

 

 問いかけても無言の彼女にどうしていいのか分からずこっちも動けずに固まってしまう。別に今さら女の子の感触や匂いにときめくような歳でも――無いわけでもないが、無言でこうされると嬉しさよりも不安が勝ってくるのが不思議な所だ。

 

紗枝「ちゃんと、見ててくれとるんやね(ボソッ」

 

八幡「なんて?」

 

 小さく彼女が何かを呟いたのは分かったが、なんと言ったのかは聞きとる事が出来なかったために聞き直すが彼女は俺を押し出すようにして離れてしまう。

 

紗枝「なんでもあらしまへん。浮気せずにできたご褒美には十分でしたでっしゃろ?」

 

 悪戯に成功したような彼女の顔にはさっきの険しさは無く、その笑顔にちょっとだけ救われて俺は苦笑をもらして軽口を開いてみる。

 

八幡「そういう事はもうちょっと育ってから言うんだ―――イデッ!!」

 

 間髪いれず木製の下駄が俺の足を的確に踏み抜き、思わずうめいてしまう。

 

紗枝「ちょっとカッコいい所みせはったと思ったらコレなんやから――ほんま、しょうの無いお人や」

 

 目じりをよらせてこちらを睨む彼女は小さくため息をついて、そう柔らかく呟きそっぽを向いて歩き出してしまう。

 

 その可愛らしい仕草に痛みも忘れて笑い、問いかける。

 

八幡「愛想も尽きたか?」

 

 くすりと、そんな気配を漂わせて彼女は首だけ振り返って言葉を紡ぐ。

 

 

 

―――幾久しく、”内助の功”期待しとって?―――

 

 

 

 その表情に、不覚にも顔が赤くなってしまったのは気付かれない事を祈るばかりだ。

 

 

 


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