雪がちらつく都内を誰も彼もが明るく華やかな空気を醸しながら行きかう。それは、家族と過ごす穏やかな温かさであったり、初めての聖夜を迎える初々しさを湛えたものであったりと様々だ。
そんな中で人込みを寄り添うわけでもなく、黙々と歩いていく奇妙な男女の影がある。
まあ、端的に言ってしまえば俺と文香だ。
「……ついてきても面白い事はないぞ」
「言い出したのは私ですから、任せっぱなしにするわけにもいきません」
わりかし直截的に“ついてくるな”と言ったつもりだったが、彼女はしれっとそんな事を言ったきりで後ろをついてくるのでため息一つで諦めることにする。ほかの連中は夜も更けてきたということでそのまま寮に押し込んできたのだが文香だけは頑なについていくと言い張り、ここまでついてきてしまった。今更、なにを言ったところで引き下がりはしないだろう。
正直に言えば――――この先の事は誰にも知られず終わらせたかった。
だが、それも結局は俺の自己満足だ。
未来を、その先を真っ先に望んだ彼女にはソレに立ち会う資格があるのだろう。
深くもう一度ため息を吐いて、人込みを抜けるように路地裏に入っていく。明るい大通りとは雰囲気の中とは違う危うさを感じさせる空気。首に腕を絡める男女や、華やかな空気に追いやられるようにここに蹲るホームレスを一瞥もせずに進む足取り。不安げに袖をつかんでくる文香を引き離さないように進んでいった先にある薄汚い木戸。
貸し切りと銘打たれたそれを静かに押し開けば世間の華やかさとは切り離されたような侘しさすら感じさせるしなびた居酒屋特有の空間が時代遅れな裸電球に照らされて居る。
明かりの行き届かない狭いカウンターで一人、まずそうに焼き鳥をほうばる瑞樹さんが胡乱気な視線を投げかけ、疲れを湛えつつも苦笑を浮かべ言葉を紡いでくる。
「……二人ともお疲れ様。悪かったわね、そっちを丸投げしちゃって」
「心配する必要もないくらいに元気なもんですよ、あっちは」
「ふふ、ほんと頼もしいわ。…何か飲む?」
力ない労いに緩く手を振って否定するが目の前に芋焼酎ロックを勝手に注がれ荒っぽく置かれる。…選択権がないならばなぜ聞いてきたのか。解せぬ。
溜息一つを零してソレを舐めつつ、きつい度数に顔をしかめる文香に割水を渡して煙草に火をつけ――――ひったくられるようにソレをかすめ取られる。
「……意外っすね。てっきりすわないもんかと」
「テレアナなんてやってるとね、吸わないとやってられない事も多いのよ。―――軽蔑した?」
「いえ、恩師のせいかタバコを吸う年上の女の人フェチなんで、個人的にはあんまり」
「君、そういうとこよ?」
笑って紫煙を吐き出しながら頭をこずいてくる彼女に、肩を竦めてもう一本に火をつけると彼女も疲れたように息を吐いて小さく言葉を漏らす。
「……本当にごめんなさいね、懐柔役やら、若い子のケアまで」
「…………気づいてたんすね。武内さん側の方の思惑まで」
「伊達に年長者じゃないのよ。そういうのも含めて色々見てきたもの」
そう呟いた彼女はグラスを一気に煽って喉を豪快に鳴らす。その酒精と一緒に飲み込んだ言葉はどれほどのものか。―――想像もつきやしない。
「そのうえ、偉そうなこと言っておきながら、親友のケアだって年下の君に任せようとしてる。――――本当に、無意味に年ばっか重ねた自分が嫌になるわ」
呑み切ったグラスを静かにおろし、その中に小さな雫が注がれる。だが、俺は努めて薄汚い天井をたゆとう紫煙だけを見つめて思うままに言葉を紡ぐ。
「全部わかって、自分だってやってられないときにもっとしんどい人に付き添ってあげられるだけで十分でしょ。―――俺も年を食えばもっとましになれると思ってましたけどこんなざまです」
年を食えば、もっと如才なくやれると思っていた。
小学生の頃にはクラス中と友達になれると勘違いしてて、中学の頃にゃ高校では彼女ができると思ってた。反省を生かして慎ましく生きようと思った高校では人生で最も深いトラウマを負った。
そんな先の大学生では凝りもせずに―――こんな厄介ごとに巻き込まれた社畜バイト。
まったくもって年甲斐なんてあてになりゃしない。
精々が階段を上るのが億劫になったくらいのもんだ。
それでも―――――重ねた日々に、多くの傷に、恥じる自分ではありたくない。
この先の一生でソレを否定することだけはしたくなかった。
だから、この先にする大けがだって笑って負ってやろう。
いまさら、汚れもケガも――――1つ増えるくらい大したことじゃない。
「弱ってる女の前でそんな事いうと…本気になっちゃうわよ?」
「残念ながら年上枠は埋まってるので」
「くくっ、こんな美人に言い寄られてるのに生意気よ」
沈痛な顔をようやく上げて苦笑を漏らした瑞樹さんは俺の額にデコピンを一つ飛ばして、奥の座敷を指さす。
「楓ちゃんはあそこよ。どれだけ話しかけてもずっと俯いて答えてくれないわ――――お願いしてもいいかしら?」
疲れたようにため息を漏らした彼女にもう一度ふかく細巻きを吸って息を吐き出す。
「……もっと泣かせた時は丸投げしても?」
「カッコつかないわねぇ。まあ、その時は――――お姉さんに任せなさい」
適当に投げかけた言葉に苦笑して力強く頷く彼女ににんまりと答えて席を立つ。
続いて席を立とうとする文香を遮って一人でその閉ざされた座敷に足を進める。
ここから先は――――ちょっとばかり人にお見せするには躊躇われる内容だ。
汚れ役のみに許された見せ場なのだ。
そんな自虐を含めて、俺はその扉に手をかける。
「――――いつまで被害者面してるつもりですか、楓さん?」
憎たらし気に口の端を引き上げながら、俯く歌姫を皮肉る。
そのあまりに無遠慮な一言に沈む歌姫のその肩が微かに動くのを見て俺は――――今回の事件の始まりの原因を静かに確信した。
――――――――――――――――
後ろ手で襖を静かに閉め、俯く楓さんの前にゆっくりと腰を落として訥々と自分の中で積み重なっていた疑問や推測を言葉にしてゆっくりと紡いでいく。
「最初は、本当に武内さんの“最善”って言葉を信じかけたんですよ。実際にプロジェクトに押し込めておくよりずっと色んなことが解決しますからね。それに、国内ですら手に負えなくなっているのにちょい役とはいえハリウッドでの出演までオファーが来てたらそうせざる得ないのかもしれないと。でも、それならば、もっと上手いタイミングだってあったはずなんですよ。
大規模ライブの前に動揺を与えたくなかった?
一躍有名になって仕事が詰まってから調整するのが難しかった?
そんな理由があっても新人を迎えるまでにもうちょっとゆっくりと準備する時間があったのに、なんで今なのかがずっと疑問でした」
言葉を一旦きり、目の前に座る彼女に視線を投げてみるが普段の陽気さなど感じさせぬ冷たい表情を浮かべた彼女。――ただ、その唇は強く、血がにじむほどに強く噛みしめられている。
それこそが、俺の妄想とすら言える予想をより強くしていく。
「ずっと考えていたんです。そもそも、あの人が、そんな予想できていたような膨大な仕事量程度でいまさら全てを投げうって育て上げてきたものを手放すほどに―――素直な人間だったか、て」
「―――て」
か細く、ホントに掠れるような声が囁かれたのを無視して俺は言葉を紡いでいく。
思えばそれが一番の疑問だった。
美嘉の言ったように今まで散々に反発し、飴玉も懐柔もはねのけてきた武内さん。
それでも、ずっとやってきた。
予算がなくとも、人がいなくとも、補助がなくても、たった数人で奇跡のような成果を上げてきたからこそ許されてきた。だが、それは逆説的に誰の補助も受けなかったからこそどこまでだって好きにやってこれたのだ。“規格外のアイドル”という概念を壊してきたこの企画を支えてきた本当の強さは――――孤高であったからだ。
孤高というのは、守るものがないから強い。
あらゆる英雄は、守る物などなく突き進んできた。
そして、打倒されるのは―――いつだって弱さが、守るものが誰かに知られてしまった時だ。
あの英雄が、魔法使いがプライドを、信頼を、情熱を、約束を、信念を、すべてを投げうってまで守ろうと願うものは―――――俺は一つしか思い浮かばないのだ。
逆に、それ以外のものでは 納得なんてできやしなかっただろう。
「楓さん―――あんたが今回の件の全てでしょう?」
「やめて、ください」
悲痛な表情で掠れるような、溶けてしまいそうな声を絞り出す彼女が、俺の妄想の全てを全肯定する。
埋もれた原石に魔法をかけた魔法使い。その輝きに誰もが魅せられ心を奪われてしまう。そして、その輝きに魅せられた人々は誰かが独占することを決して許さない。
たとえ、星が求めるのが自分を見つけた魔法使いだとしても。
たとえ、魔法使いがその輝きに誰よりも魅せられていたとしても。
輝きを増すたびに、多くを魅了するたびに、その闇の帳は深く濃くなってゆく。
その皮肉さとやるせなさに、俺は今日で一番のため息を深くついた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
夢を、見ていました。
つまらない景色が、日常が、全てが塗り替わる そんな夢を。
初めは木箱のような簡素なお立ち台に、カセットCD。
誰もが目を向けない喧騒の中で歌を紡ぐ。
それでも、初めて会った時から変わらない二つの眼差しだけはまっすぐと、待ちきれないという様な熱を帯びて私を包んでくれていました。
撮影で向けられる淡々とした機械的なものではなく、自分の事を無邪気に見つめてくるその目にどれだけ振りかも忘れてしまった笑顔が思わず零れてしまった。
だから、自然と、誰が聞いていなくても“彼のために歌おう”とそう思いました。
甘く、優しく、ちょっとだけからかいたくなる彼。
その想いは自然と声に溶け込んで、風に溶けていきました。
恋敵のマネージャーに、気だるげなアシスタント君も巻き込んでちょっとずつ賑やかになる私の世界。それだけでも楽しく暖かかったのに、個性的な後輩たちが加わってさらに世界は彩りを増してゆく。
ファンの声援に支えられ、仲間と歩み、愛する人の想いを全身に受けて――そこで満足するべきだったんです。
ここまで恵まれて、登りつめて、最高潮の気分に酔いしれていた私は―――――自分が立っていた場所が“魔法”という細い綱の上だという事すら忘れてしまっていました。
だから
“愛してる” などと
全てを打ち崩す言葉を
誰よりもあの人を傷つけてしまう言葉を
最愛の人に無神経にねだってしまったのです。
それが、私が犯した罪です。
“アイドル”と“プロデューサー”。
“灰被り”と“魔法使い”。
結ばれてはならない“当たり前”の事すら―――――忘れていた。
だから、縋るように問うた願いは、時計の頂点の鐘にあっさりと打ち消された。
それが、今回の全ての顛末だ。
あの子達の涙も、無表情に私たちを見つめるあの瞳も、全て私がもたらした。
その重さは――――――「悲劇のヒロイン気分は満喫しましたか?」
無遠慮なその一言に、打ち消される。そんな資格などありはしないくせに、胸の奥から湧き上がる激情が視線を通じて目の前の彼を射すくめてしまう。
普段と変わらない気だるげに澱んだ瞳の彼が、うんざりしたような表情で深くため息を吐く。そんな何気ない彼の動作に爆発しそうな感情を必死に飲み込み再び俯く。
そもそも、彼だって自分に巻き込まれた被害者なのだ。そんな彼にこの感情を向けるなどそれこそあってはならない事なのだ。―――そう言葉を呑み込んだ私の心を彼はさらにねぶるように逆撫でてゆく。
「結局は、アンタらの中途半端な身勝手でみんなが迷惑してるって自覚ありますか?たかが“失恋”程度でここまで話を大きくして、大成功を収めたライブの気分まで台無しにして、滅茶苦茶にした本人たちが真っ先に“悲劇ごっこ”に浸って人に問題を丸投げして、冗談じゃないですよ」
嘲笑を含んだその声は、毒のように耳から入り込み
「そもそも、いい年した大人がそんな明らかに“かまってちゃん”な態度でここに引きこもってること自体ドン引きですよね。
店の扉があいた瞬間に期待しちゃいました?
“迎えにきてくれたのかも”って。
扉があいた瞬間に落胆しました?
“あの人じゃないのか”って。
我ながら嫌な所ですけど、そういうのってすげーよくわかるんですよ。
これだけ迷惑かけてるくせにそんな都合のいい“シンデレラ”って役柄にまだ甘えてる所なんて本当に見てて痛々しいですよ。
そんなメルヘン地雷女を雇った時点で武内さんも本当に見る目が―――「うるさいわよっっっ!!」
堪えていたものが―――――弾けた。
難しい理屈も、自分の罪も、全て忘れて、自分の底に押し込んでいた激情がとめどなく弾けていく。
自分の身勝手さも、あれだけ迷惑かけてもいまだ自分の方が不幸だと思い込んでる浅ましさも、これだけ引き込んでおきながら自分を捨てた男への憎しみも、いまだソレを待ち望んでいる見苦しさも――――全部、分かってるのだ。
でも、どうしようもない。
もう、魔法はとけてしまったじゃないか。
なんでもできていたのは、心が躍ったのは、あの人がいたからだ。
あの人が望むならなんだって出来た。
応えてくれなくたってよかった。
それでも―――――あの人がソレを望まないと、お前はいらないといわれたって
それでも――――あの人が馬鹿にされるだけでここまで許せないくらい愛している。
これだけ悩み苦しんだって、それだけは、残ってしまうのだ。
「どうしろってーーーいうんですか」
激情に任せて引き寄せた彼の胸元に力なく額を当てて、縋るように呟く。
「もう、だから、お願いだから、放っておいてくだ―――ッ!!」
そんな私の消える様な言葉は思い切り胸倉を掴まれることによって強制的に遮られる。
額がくっつくほどに荒々しく近づけられたその澱んだ瞳の奥は真っ赤に燃えて
「だから、いつまでメルヘンしてるつもりなんすか?」
大きくはない。それでも芯を響かせる熱を持った。――――あの人にどこか似た声が響く。
「いい年して“魔法”だの“シンデレラ”だの聞いてるほうが恥ずかしくなります。
絵本の中なら筋書きを変えちゃあ拙いんでしょうけどね、残念ながら冷たい世間様は役柄なんざ割り振っちゃくれないんですよ。
たかが男女のコイバナにそんな大層な理由付けして巻き込まないでもらえますかね?
もっと話は単純ですよ。楓さん―――アンタは武内さんが欲しいんですか?いらないんですか?」
あまりにまっすぐなその声に呑まれ――――思わず頷いてしまう。
「なら、“答えがいらない”だの“彼に捨てられても思い続ける”なんて甘っちょろい思考は捨ててください。
最善を尽くしてください。罠を張りはめ込んで、人数を集め外堀を埋めて、奇襲を繰り返して弱らせ、逃げ道を塞いで混乱させ、思考誘導し誘い込み、だまし討ちをして捕らえて、障害をすべて取り除いて初めて自分で手に入れたと胸を誇ってください。
“シンデレラ”なんてなまじ持て囃されて、相手に与えてもらう事に慣れ切ってるから相手がそっぽ向いたら立てなくなるんです。
言っておきますけど、それは卑怯です。狡猾さです。自己保身の虫唾が出る程に醜悪な怠惰です。すべての汚れを人に押し付けて綺麗でいようとする“お姫様”の傲慢です」
あまりに真っ直ぐに語られるその暴言。それでも、反論は出来なくて。
「選んでください。
綺麗なまま、大人の事情を綺麗に飲み込んで、スマートに生きるか。
全部を滅茶苦茶に、泥だらけになっても求めて死んでいくか」
強い意志の乗った言葉で揺らぐ意識は否応なく思考を奪って、一方的に用意された天秤が脳内でかしいでゆく。
だけど、混乱した思考だからこそ―――望むものへの欲望は正直で。
「わ、私は――――全部が、欲しいです」
震える声を必死に絞り出した蚊の鳴くような声。
あまりに身勝手な自分の欲望。
本来なら自己嫌悪と羞恥で蹲りたくなるはずだ。
だが、先ほどまで燃える様な輝きを持っていた瞳が、どこまでも飲み込まれるような暗さを宿し、深く横に引き上げられたその唇に息を呑み、目が離せなかった。
言い知れない恐怖に引きつる私に彼は本当に楽しそうに言葉を紡いでいく。
「そうですか、では―――――――楓さんたちには346を辞めていただきましょう」
「―――――――――え?」
私は一体、何と契約を結んでしまったのか――――今更ながらに深く後悔したのです。
('ω')へへ、旦那。今回のお話いかがでしたかね。
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_(:3」∠)_