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今日も私は好きに筆を執るのです←
ほんのりと冬の匂いの中に春の土臭さが混じるようになった立春も過ぎた日の事だ。
「あ、もうこんなに桜の芽が膨らんできてますね。桜の季節にもう一度来て見比べてみるのも面白いかも」
柔らかな日差しが差し込む都内の大規模公園の中に柔らかな声と無機質なシャッター音が風に舞ってくる。何を迷ってるのかは分からないが取った写真を何度も見比べてしばし、納得のいく出来になったのかようやく満足げに頷いて横から覗いていた俺に無邪気に振り向く。
「咲き誇る時期ももちろん綺麗だと思うんですけど、こうして寂しい景色の中でちょっとずつ育ってるのを感じさせる瞬間も負けないくらい綺麗だと思いません?」
「……見かけによらず渋い考えだな」
「ふふ、おばあちゃんっぽいですかね?」
答えにもなっていない言葉におどけるように応じた彼女も実際の所は返答など求めていないのかもしれない。なにせこれは彼女曰く“お散歩”だというのだから、感じたものも思ったこともただの気晴らし以上の意味はない。
そんな意味のない見つけたものを既定の枠内に収めるだけの時間に誰に何を言われても気にはしないだろう。
それでも、個人的でありきたりな事を述べるのならばやはり自分は咲き誇った瞬間が好きである。厳冬を乗り越えて春が訪れた事を分かりやすく示し、誰もが目を見開く鮮やかで儚い一瞬に息を呑む。“花に嵐の例えもあるぞ”なんてこじゃれた詩もあり、それは別れを示すものでもある。だけれど、結局―――花は人と違って何度だって同じ場所で咲くのだ。
その人に成しえない部分に感嘆と、嫉妬と、素直な賛美が零れる。
「暗いですけど…随分とロマンチックな考えもされるんですね?」
「一応、たまには私立名門文系ぽい所も出しておこうかと」
「台無しです」
そう笑いながら腕を組んで歩みを進める彼女に溜息を零す。
年の割に落ち着いた雰囲気で柔らかなウェーブのかかった髪の毛をたなびかせて隣を歩く“高森 藍子”が首から下げるのは見た目にそぐわない厳ついカメラ。彼女の趣味であるこの散歩に付き合わされるが、存外に悪くない。
空は快晴、空気は緩やか。季節は春に向けて草木がすくすくと生い立つ景色は気持ちを随分と晴れやかにして、普段はゾンビなんて揶揄される俺“比企谷 八幡”ですら醸し出されるゆるふわ空間に凝り固まった理性を解かれてしまいかねない勢いである。
―――――後ろで木陰から射殺さんばかりの視線と歯ぎしりを鳴らす危険人物がいなければの話ではあるが。
血涙と殺気を込めてこちらを睨む彼女の名前は“本田 未央”という。
人気アイドルグループ“デレプロ”の一員にして、バラエティ・舞台・歌・グラビアなど様々な活動で名を轟かせるまごうことなきトップアイドルでその頂点に立ったこともある逸材である。ただ、呪詛と共に隠れてる木の幹を握りつぶすその悪鬼のような表情は普通にやべー奴だ。
何を隠そう、その危険人物。隣でご機嫌に語り掛けてくる藍子の彼氏という名の連れ合いであり、プロジェクトを巻き込んだ大恋愛の先に結ばれたカップルの片割れなのである。同性での恋愛や、アイドルという職業倫理。その他の多くの葛藤を乗り越えた二人ではあるが現在、片方は鼻歌交じりに別の男と腕を組んでデート。片や、血涙を流しつつの尾行というカオスな状況。
そんな二人に巻き込まれた状況に俺は小さくため息をもう一度深く息をついて思い返す―――――こんな状況に至った経緯を、だ。
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「比企谷さん、ちょっと来週あたりに何処か遊びに行きませんか?」
いつも通り膨大な書類に囲まれている俺にそんな声がかけられたのはまだ肌寒さが残る日の事だ。いつもは大型の犬のように全身での突貫と共に耳元で喚く大槻達とは違った柔らかいながらも凛とした声。ソレは人が常時いて雑多な音が溢れているこの事務所の中でもことさら良く響き、一拍遅れてマグカップが割れる音が何処かで響いた。
なぜか背筋に走った緊張に息を呑んでしまう。
短い人生だが小町や雪ノ下達との交流。その上、女性の多いこの職場においてその声は随分と聞き覚えのある不吉な声音だ。いっそのこと怒りも露わに怒鳴ってくれた方がずっと心穏やかに受け入れられただろう。
これは、手に負えないくらいにブチ切れている時特有の声である。
緊急事態につき救援を上司である上座のデスクの武内さんに送るとわざとらしくちひろさんの元へと近づき“緊急”とハンコを押された封筒を開封し、これ見よがしに難しい話をし始めた。反対を振り向けばパーテーションの向こうから覗いているアイドル達は一斉に顔を引っ込められる。
残されたのは微笑む藍子とパーテーションの向こうでわなわなとこの世の終わりのような顔を浮かべた未央だけである。――――お前ら全員覚えてろよ。
「……悪いけど、予定はびっしりで―――「じゃあ、何時なら空いてますか?」――――いや、ちょっと何とも――――「空くまで待ちます。所で、ここの所ずっと働きづめでちょっと一息入れた方がいいと思うんですけど……武内さん、上司としてはどう思います?」
「……はい、あまり根を詰めても―――効率的ではありませんから。」
「ふふ、そうですよねぇ。比企谷さん、という訳で週末はちょっと息抜きに二人きりで出かけましょう」
しこもことスケジュール表を開き週末に空いてる予定を無理やり埋めようとキーボードと携帯に伸ばした手は刺すように畳み込まれた言葉と上司への外堀を埋められたことによりバッサリと遮られる。
あっさりと部下を売り払った偉丈夫を“どの口がソレを囀ったんだこの仕事サイボーグが”と思いを乗せて睨むが“笑顔です”とかふざけた事を口だけで伝えてくるので死ねばいいと思った。
ともあれ、だ。この部署の最高責任者が休暇を認めた以上は何があっても覆りはしないだろう。ついでに言えばスケジュール的にもほぼ付き添い程度の現場送迎程度の内容だったので開けたとしてもそこまで致命的になる訳では無さそうな感じである。
微笑んで無言の圧力をかけてくる藍子と捨てられた子犬みたいな泣きそうな顔をする未央を見比べて、もう一度深ーくため息を零し観念する。少なくともココで粘って時間を取られるのも、“彼氏と行けよ”なんて地雷を踏みぬいて戦死するのも御免こうむりたい。男子たるもの諦めも肝心なのである。…飼いならされているともいう。
「………あんま遠い所は勘弁してくれ」
「もちろん―――ただのお散歩ですよ」
そんな満面の笑みで彼女は時間と集合場所を高らかに伝える。
まるで、俺にではなく―――どっかの誰かに聞こえよがしに、である。
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「で、何がどうしてこんな面倒ごとに巻き込んだんだ?」
「んー? ふふふ、そうですねぇ…」
そんな回想をしつつ公園に併設されたオシャレな喫茶店で昼飯のオシャレなエビのパスタをグルグル巻きつつ問いかけると彼女も貝がたくさんのクリームパスタを同じようにグルグルと巻き付けつつ楽し気に答えをはぐらかす。
その笑顔はあの事務所で誰もが恐れた薄ら寒さはなく、ただただご機嫌さを表している。これが散歩の効果だとするならばもう世の女性には四六時中散歩していて欲しいまであるのだけれど―――そんなわけはないので降参して直接聞いてみることにした。
この茶番が明らかに三つ隣の席でべそべそ泣いている馬鹿に対しての当てつけだとは分かるのだけれども、ここまで徹底的にするとは、どんな逆鱗に触れたというのか後学のためにぜひとも聞いておきたい。
「―――私って結構、独占欲が強めじゃないですか?」
「……いや、まあ、聞いてる限りだとそうらしいな。知らんけど」
丁寧に丸めたパスタをゆっくりと飲み込んだ彼女がのんびりと脈絡もない事を呟くのに一拍遅れて返事を返す。
まあ、聞いてる限り見てる限りでは未央と付き合ってからは温厚そうな普段の性格と行動からは考えられないくらいに結構独占欲が強い事はよく耳にする。噂では他の女子と遊びに行った時は小まめな連絡を怠ると機嫌が大層に曲がってしまうと愚痴っぽい惚気を聞かされたことがある。
恋人どころか友人とのメールもほぼせず、日々、業務関係のメールをやり取りしてる自分にとっては思わずノイローゼになりそうだと思いつつも本人が嬉しそうにしてるのならば口を出すこともないだろうと言葉をのみこんだが…まあ、正直、引くくらいに重めの女という事は結構プロジェクト内で有名だ。
だが、最近は未央も心得てきたのかそういったフォローは上手くしている(本人談)らしく、別の女や男友達と遊びに行ったりしたという話は聞かない。
それがどんな経緯でこんなことをしているのか分からずに続きの言葉を待っていると、彼女は少しだけ照れたようにはにかんで言葉を続ける。
「でも、未央ちゃんって私が誰と遊んでも気にしないで“楽しんできてね~”なんて笑顔で送り出すんですよ。――――それって、私だけが空回ってるみたいで悔しくないですか?」
「――――――――oh、」
っべーわ。マジで年頃の乙女っべーわ。
可愛くはにかんで何言ってんのコイツ。なんでそんな澄み切った眼でぶっ飛んだ結論に到着してんすか。思わず欧米風な溜息しか零せなかったよ。いや、でも聞いたことがある。世には“束縛してないって事はそこまで自分って大切にされてないんじゃない?”とか考えて病んじゃう娘がいるらしい。そんで望み通り束縛すると病んじゃうという話も。なんなんだお前ら、りあむを見習え。あの糞雑魚メンタル病んでも炎上しても秒で復活するぞ。
「あ、いま、“めんどくさー”っていう顔しましたね!!世の中、結構これで失敗することだってあるんですから!!―――――と、まあ、自分でもあれだなーと思いつつも未央ちゃんに心配してほしくて勢いで企画してみたんですけど……もう大分いい感じにラブを確認できたので今日の目的は大成功ですね!!」
「……いや、めんどくささを通り越して恐怖だわ」
ちらりと三つ隣の席に忍んでいるつもりの未央に視線を送れば口と鼻から噴き出したであろうコーヒーが滴り首元が盛大に汚れている。ついでに言えばその目は未知の生物を発見したかのように恐怖と衝撃に慄いている。
誠に遺憾ながら、全く同じ気持ちなので安心してほしい。
俺の視線に気づいたのか、元々から聞こえるように話してその反応を読んでいたのかは知らないが悪戯気な笑みを浮かべた彼女が満足そうに最後の紅茶を飲み干して席を立つ。
「痴話喧嘩に巻き込んじゃってごめんなさい。でも、笑って済ませられる共通の知り合いって比企谷さんしかいなくて――――今度何か奢ります!!」
花が綻ぶように微笑みながら呆然とする俺を残して彼女は軽やかに恋人の元に歩いてゆく。
その背を見送りながら
女の子は 甘い甘いお砂糖と スパイス そして素敵な何かでできている。
そう俺に教えてくれた後輩を思い出す。
そして、狼狽しつつ彼女に纏まらない言葉のまま冷や汗交じりに唸る彼氏。
カエルのように汗でべっとりで カタツムリのように逃げる足もない。
それでも、愛しい女の子が歩み寄ってくれば子犬のごとくちぎれんばかりに振るしっぽと喜びを隠せない。
なるほど、子守唄っていうのは存外に真実を汲み取っているのかもしれない。
そんな現実逃避をしつつ、俺は店を仲睦まじく出ていく二人を見送って小さく笑ってしまった。
男側ってのはいつまでたっても 女の子には敵わないらしい。