一瞬の静寂を挟んだ先に呼ばれた名前。
それは、遠く実感が湧かず誰のものだったかなんて間抜けな事を考えてしまって、会場中に湧き上がる大歓声と両隣で拳を握り締めてその瞬間を待っていた幼馴染と親友が目に涙を溜めて苦しい程に抱きしめてくれた所でようやく思い至った。
“北条 加蓮”
無機質で味気ないあの建物の中でいじけて斜に構えていた何てことの無い少女の、“自分”の名前。そして―――――この世界に新たに生まれた、頂点の名前。
涙も、歓喜も、今までの苦々しい想いが報われた事も、色んな感情が破裂してしまって完全に思考が止まってしまって妙に冷静な頭の中で2位だった文香さんの短いスピーチが終わり華々しい照明が自分に向けられた時に最初に目に留まったのは、この広大な会場にいる莫大な人の視線だった。
喜怒哀楽と焼かれるような熱。それら全てが自分一人に注がれる“重さ”が全てを燃やし尽くした体に質量を持ってずっしりと圧し掛かるのを感じる。
そう、そうだ。
追いかける側から、私は追いかけられる側にこの瞬間からなって、ここにいる全ての凄い仲間達の熱量を全て背負って世界中の人達の前で、それに相応しく在らなければならない義務が埋まれたのだ。その事実に、一瞬だけ息を呑み―――二人の親友から強く手を握られ声を掛けられた。
“結構、重たいでしょ? そこからの景色って”
一足先にそこにたどり着いて、いまだにそこにあり続ける友が挑発するように口の端を吊り上げて笑う。
“加蓮なら、大丈夫だ!”
どんな時でも自分の傍にいてくれた幼馴染が、無邪気に笑って背を押し出した。
その言葉に真っ白く灰になっていたモノの中に新たな熱が生まれたのを感じて、私は静かに一歩を踏み出した。その先に、観客席からもステージの上からも全ての視線が集まったのをゆっくりと見回して息を吸い込む。
その小さな熱がひりつくように大きくなった行くのを感じつつ思う。そうだ。もう自分はあの病室で四角い枠の世界を羨ましがっていた少女なんかじゃない。憧れていた世界は綺麗なだけでも、楽でもなかったけど―――今ここで私は生まれ変わって、もっと新しい世界に挑戦する資格をようやく得る事が出来たんだ。
心の灰が深く吸った呼吸で払われ、新たな卵が姿を現して―――殻を打ち破り、燃えるような炎の翼をもって、もっと高くへと気高く日輪の先へと飛び立った。
ここが―――――ようやく始まりだ。
『ありがとう……大切なみんなと連れてきてくれた景色。キラキラ煌めく、最高の贈り物だよ!!』
これから広がるもっと遠い景色を駆け抜けて見せる事を誓った一言を受け入れてくれるように世界はこの日で一番の轟きで応えてくれた。
こんな世界に連れ込んだ“あの人”の事も、いつか必ずこの光であの寂し気に笑う顔と影ごと照らして、引きずり出して見せると―――私は心の中で小さくほくそ笑んだ。
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と、決意を新たに新世界に踏み込んでから早一月。
「づ、づが、れだ~。 もう、一歩もうごけないぃぃぃぃ」
早くも新たに生まれた不死鳥の羽は見るも無残にぼっろぼろの、すっかすかになって哀れな残骸を事務所のソファーで晒していたのでしたとさ。
あれから、ただでさえ忙しかった私のアイドル生活は更にその激しさを増して朝昼晩と撮影にドラマの収録にCM。テレビに雑誌、ラジオ。色んな所への挨拶回りに、病院や施設への訪問。それに加えて、それが終わった後には新曲やレッスンに方針確認などでもうアメリカ大統領も真っ青なタイトスケジュールがみっちりと組まれている。
いや、ありがたいんだけどね? それでも、厳選して最小限のスケジュールにしてくれてるのも分かるんだけどね? それでも、マジで心が折れちゃいそうには過密でハードな訳なのよ。歴代シンデレラの先輩たちに言わせれば“すぐ慣れる”とか言ってたけどあの人たちこんな生活を平気で熟してたのか……パないわ。というか、渋谷。“全部一発で決めれるようになれば時間もできるよ”とかニヤニヤしながら言ってきたお前だけはぜっゆる。
「おい…パンツ、見えるぞ……」
「みたきゃ好きにみれば~。世間も羨むシンデレラのぱんてーだよー」
そんなぐでっと自堕落を表すような感じでだらしなく寝転んでると向い側のソファーで同じくらいボロボロになって体を投げ出してるゾンビ…もとい、アシスタントの“ハチさん”がいつも以上に気だるげな声で窘めてくる。だが、極限状態でなければからかって構って貰おうとも思えるけど、今は心底にどうでもいい内容だったので何なら捲れかけのスカートも放置してもっと深く体重を預けるに留めた。
義務的に言っただけで彼も特に大事には思っていないのかそのままソファーに沈み込んだ。一日中、それこそ現場入りする私以上に仕事が山積している彼はもっとひどい有様で皺だらけのシャツに深い隈といつも以上に澱んだ瞳。トレードマークのアホ毛もいつものハリがない。これで他の娘のスケジュールと仕事の管理や発注も熟しているというのにアルバイトだというのだから世の中分からない。
ちなみに、移動・打ち合わせ・調整・護衛など諸々の事情で一日中私に張り付いている彼の上司二人はもっとヤバいらしい。姿を最近見ていないだけに逆にあの二人がいつ眠っているのかが分からない位に飛び回っているという。化け物かな?
だが、今、私がもっとも不満に思っているのはもっと別の所にある。
「いや、違うよ。ちゃうねん。―――私が思い描いていたのはこういう現実的なアレじゃないんだよ」
「………疲れてるから茶番なら後にしてくれ」
「そういうとこ!! そういうとこだよ、ハチさん!!」
最後の力を振り絞って力強く立ち上がった私が机を叩いて講義するのを煩わし気に手を振るだけの彼に詰め寄って溜まった鬱憤発散ついでに熱弁を振るう。
ほら、こう、もっとドラマティックな感じだと思うじゃん?
病弱な少女が偶然出会った青年を追いかけてアイドルになって、ついにはその頂点に至ったってもうどっから見ても鉄板モノのラブストーリー。それで、最近は会う事もご無沙汰だった想い人がしばらく専属でついてくれるっていうから最初は飛び上がりましたとも。恋敵のまゆや凜、その他大勢に満点ドヤ顔もかましちゃったよ? 甘々な二人の時間が出来たと思う訳じゃん?
ところがどっこい、もうねビックリするくらいにドライでビジネスライクな時間しか流れないわけですよ。というか、二人っきりになる時間とか全然ない。どこに行くにもメイクさんや関係者の人がぞろぞろバンに乗ってセットで動くし、私の移動中と休憩時間はずっと電話や打ち合わせでこの人が仕事してるし……というか、当たり前の話だけどこれどっちかっていうかご褒美でこうなった訳じゃなくて監視と護衛目的でこの人つけられてるだけですわ。
いや、ちょっと――――夢見る少女も擦れた大人になる案件ですわ。泰葉ちゃんかよ。
「―――――結論は?」
「もっと、甘やかしてください。というか、どっか遊びに連れてけ」
めんどくさそうに掴みかかる私に端的に聞いてきた彼にこっちも即答で応える。ついでにソファーに寄りかかる彼にもたれる様に圧し掛かって小悪魔の誘惑。当ててんのよ?少しは反応しろ。ため息吐くな。
「経験上、もう一月もすりゃ落ち着いてくるからその時まで我慢しろよ。というか、遊びに行く余裕があるなら俺は寝る」
「あ、それいいね。昔の入院中みたいに二人で一日寝っ転がりながらゲームしていちゃつくのもいいかも。―――というか、ふーん……そんな事いっちゃうんだぁ」
「アレはお前が勝手に人の病室に居座ってただけだろ……なんだよ?」
「文香さん、心さん、時子様、美嘉、奏―――私が知らないとでも?」
あしらう様に圧し掛かる私をいなして膝の上に寄せた釣れない男の一言にジト目を向ける私に彼は怪訝な顔を浮かべる。そんな彼に小さく、聞こえる様に呟けば彼の体はびくりと小さく震えた。その正直者な男の太ももを抓りながらニッコリと微笑めば、彼は苦々しい顔をして目線を彼方に逃がす。
「傷つくなぁ、せっかく血反吐吐く思いでここまで来たのに意中の人が全然違う人ばっか寝る時間も削って慰めに行ってるのにほっぽかれて……ね、どう思う?」
「……いや、それとこれとは話が」
「そういうの、今いいから」
「――――杏か紗南にでもいいゲーム聞いとくわ」
「ん、二人で楽しめるいい奴ね」
渋々といった感じで頷く彼に満面の笑みで応えてやると深いため息が返ってくるのが愉快で笑ってしまう。まぁ、今回はここらへんで勘弁してあげよう。
さっきの言った面子だって、それ以外だってライバルが多いのは織り込み済み。その上、こっちは甘くはないと言ったって独占しているのは確かなのだから少しばかり譲ってあげるのが正妻の貫禄というモノ。……ただし、“二人で月見酒なう”とか煽ってきたナンバー2。てめーは駄目だ。
そんなちょっと先のお楽しみを得た所で気も緩まると一気に体に気だるさが戻って来て、瞼が重くなっていく。彼の膝から感じる温もりと、彼特有の香りがソレをもっと加速させていく。だが、本当に久しぶりに味わうこの暖かさが遠のくのが惜しくて子供のようにその睡魔に抗っているとゆったりと頭に骨ばってひんやりしたそれが添えられた。
「とりあえず、今はちょっとでも休め。忙しいのも、人気なのも、楽しいのも分かるけど―――お前がぶっ倒れたら元も子もねぇ」
「んふふ、それって“アイドル加蓮”の心配? それとも、“病弱な北条”の心配?」
優しく梳かれる手と言葉に、意地悪を言うのは不安だから。
答えは分かってても、声にして貰わないと怖いから。
そんな身勝手な問いにはいつもの様に軽く窘めるようなデコピンだけが答えとして帰ってきて―――それだけで十分に伝わってくるから。私は全身の力を抜いてその温かさに身をゆだねた。ソファーよりも固くて、甘やかすような機能はついてないけど、不器用なぬくもりだけは一級品。
少なくとも、これを誰かに譲る気にはなれない位にはここは私を癒してくれる。
押し寄せる微睡に彼を感じつつ、朦朧とした意識で言葉を紡ぐ。
「みてて、 何度だってかがやくから……。貴方とファンがいれば、 何回だって飛んでみせるから―――――傍にいて」
その回答は、いつもの様にないけれども―――その悲しそうに、眩しそうに苦笑を漏らす貴方の闇だって払うと心に誓って
私は今日も命を燃やし切った自らの灰に孵ってゆく。
火の鳥は、何度だってそうして輝くのだろうから。
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