01話
「帝国って、どんなところなの?」
色街に幼い声が響いた。
声変わりする前のルイだった。
まだ幼かった頃のルイの視線の先には、無愛想な用心棒のロイがいた。
暇そうにしていた彼は、娼館アインズヘルムの外壁に背中を預けながら考え込むように視線を落とした。
「……そうだな。禄でもない場所だったよ」
「酷い国なの?」
「ああ。虐殺皇帝と呼ばれる狂人が国を治めていてな。気まぐれで殺しを実行する奴だった。戦場でもない宮殿で理由もなく命が消し飛んでいくんだ」
ロイの声には覇気がなかった。
「俺は皇帝直属の遊撃部隊にいた。大半が高位の魔術師で構成された部隊だ。でも、王国との戦争なんて起きなかった。平和な国で、俺は毎日のように身内同士の虐殺を見てきた。意味もなく見知った首が落ちていくんだ。頭がおかしくなりそうだった」
「……法王様は何も言わないの?」
「宮廷の魔術師たちが信仰しているのは星の導きだ。この教国の教義なんて帝国じゃあ何の意味も為さない」
吐き捨てるように言った後、ロイはおかしそうに笑った。
「そうだ。知ってるか、ルイ。お前たちが信仰している大いなる主とやらは、北方の国々じゃ悪神って呼ばれてるんだ」
「あくじん?」
「悪い神様なんだ。戯れに災いを巻き起こすし、人の営みなんて何も考えてない。そういう大きな存在の事だ」
いいか、とロイは言葉を続けた。
「絶対なんてものは、どこにもないんだ。神なんて呼ばれていても場所が変われば悪魔扱いされている事だってあるし、皇帝と呼ばれていても相応しい振る舞いをするとは限らない。価値観なんて簡単に変わっていって、普遍的に正しい事なんて何もないんだ」
ロイの疲れを含んだ眦が、じっとルイに向けられる。
彼は噛みしめるように、もう一度言葉を繰り返した。
「本当に正しい事なんて、何もないんだ」
──────────2章 膨張する闇
「これで十七人目か」
衛兵長のアンリは咽返るほどの血の匂いに顔をしかめながら、足元の死体をじっと見つめた。
その後ろから、彼女の部下であるリツカが顔を覗かせる。
「同じ手口ですね……喉をばっさりです」
「今回の被害者も裏稼業の者だ。同一犯と見て間違いないだろう」
アンリはそう言って、ゆっくりと周囲を見渡す。
宿屋の一室。
机の上には飲みかけのエールがあった。零れた様子はない。
「周囲には争った形跡がない。頸動脈を正確に一撃で切り裂いている。顔見知りの犯行としか考えられない」
「顔見知りですか。でも、被害者の所属組織はバラバラですよ。そんなに顔の広いやつが自ら手を汚すなんて考えられません」
リツカの反論に、アンリは小さく息をついた。
ここ最近続いている連続殺人事件には、不可解な点が多すぎた。
それが初めて確認されたのは、慈愛の御子の義理の父、ルークスの死だった。
それから立て続けに十六人が似たような死に方をしている。被害者はいずれも裏稼業に携わっていた大物だった。
はじめは犯罪組織同士の抗争ではないかと疑われた。
しかし被害者が属する組織はバラバラで、いずれも手口が同じことから報復合戦ではないと結論づけられた。
たった一人の狂人が、裏街の大物を次々暗殺していっている。そうとしか思えなかった。
「"黒狼"と思われる被害者なんてこれで七人目です。短期間でトップをこれだけ殺されたら壊滅じゃないですか、これ」
リツカがどこか楽しそうに言う。
その態度は、対岸の火事を眺める野次馬のようだった。
「……ルイ聖猊下のお父上も亡くなられているんだぞ。早く真相を掴まなければ我々の立場も危うい」
「わかってます。でも、こいつら死んで当然ですよ。貧民街なんて焼き払っちゃえばいいんです」
「お前の考えに口出しをする気はないが、発言には気をつけろ」
アンリは釘を刺して、それから立ち上がった。
これ以上ここにいても、新しい発見は望めそうになかった。
「行くぞ。死人はこれ以上語りそうにない」
「こいつら、生きてても死んでても役に立たないですね。最後ぐらい役に立てばいいのに」
嘲笑うように死体を見下ろすリツカに、アンリは注意しようか迷って、結局やめた。
リツカは両親を"黒狼"に殺されている。今更注意したところで、彼女の態度は変わらない。
彼女は、暗黒街を憎んでいる。
「……リツカ。お前は犯人像をどう考える?」
「女じゃないですか? 争った形跡がないってことは油断してたってことです。娼婦か何かに偽装しているのかもしれません」
「娼婦か……」
「被害者はいずれも裏稼業の大物です。ただの安っぽい娼婦じゃなく、高級娼婦かもしれないですよ」
アンリは死体の転がっていた部屋から出て、廊下を見渡した。
人が出入りできるような大きな窓はない。
それにここは宿の二階だった。外からの侵入は考えづらい。
「犯人はこの廊下を通ったはずだ。多数の目があって殺しに向いている場所じゃない。でも、ここを殺害の場所に選んだ。何故だ?」
「自信家だからでしょう。殺しに絶対的な自信を持っている。自分だけはヘマをやらないって思い込んでる。きっとそういう奴ですよ」
リツカはそう言って、つまらなさそうに欠伸した。
「あるいは、殺しの数に目標があるのかもしれません。短期間に十七人も死んでるんです。場所を選ぶ余裕がなかった。なにか急ぐ理由があった可能性があります」
「急ぐ理由か。それはなんだ?」
「わかりません。そういう殺しの契約だったのかもしれないし、そういうルールを自分に課しているだけかもしれない」
「独自の価値観で動いている可能性はあるな。合理的な理由による殺しではなさそうだ。狂人の仕業としか思えん」
階段を下りて一階の受付に目をやる。
怯えた老婆がアンリたちを見ていた。
「後で死体を回収させる。それまで誰も中に入れるな。いいな?」
「はい。衛兵さん、私は本当に何も見ていないんです。何も聞いてもいないんです。お昼になっても出てこないから様子を見に行ったら既にあんな状態で……」
「分かっている。あなたを疑っているわけではない。あれはプロの犯行だ。長生きしたいなら忘れろ」
アンリはそう言い残し、リツカを連れて外に出た。
すぐ前を子供たちが元気に横切る。
思わず後ずさり、それから子供たちが走っていった方向に目を向ける。
「あれは……」
視線の先には、慈愛の御子ルイの姿があった。
貧民街の子供に囲まれる御子と、すぐ傍に三人の神殿騎士。
そして、街のいたるところには大人たちが見張りをするように立っている。
怪訝な顔を浮かべたアンリに、リツカが説明するように口を開いた。
「パンを施す代わりに、街中に見張りを立たせているようです」
「見張りを?」
「職のない大人には簡単な仕事を与え、子供には学習する場を与える。人間が人間たろうとするには居場所が必要なのだと、ルイ聖猊下はそう説かれていました」
「……神殿による民への施しは無償の愛であるべきだ。ルイ聖猊下は、民に対価を求めているのか」
神殿の教義と異なる御子の行いに、アンリは思わず渋い顔を作った。
それから、ふとリツカを見る。
彼女の昏い瞳が、アンリを見上げていた。
「アンリ様。ルイ聖猊下は貧民街の生まれです。貧民街のクズどもが暇を持て余していると禄な事にならないってよくご存知なんですよ」
燃え上がる憎悪がその瞳に浮かび上がり、それからどこか虚空を見つめるように動く。
「貧民街のクズどもに、無償の愛なんて必要ないんです」
「……リツカは、既に投票先を決めているようだな」
「ええ。貧民街を統治できるのは、貧民街を熟知したルイ聖猊下だけです」
貧民街の統治。
リツカの言葉に、ふと妙な発想が頭に浮かんだ。
御子や法王とは別に、この無法地帯である暗黒街の統一を目指す何者かがいて、そいつが既存組織の大物を殺し回っているのではないか。
「……まさかな」
大神殿ですら手を焼き、無数の犯罪集団が日夜跋扈しているからこそ暗黒街と呼ばれているのだ。
どこか御伽噺めいた自らの発想にアンリは苦笑すると、子供たちの笑い声が聞こえる表通りをゆっくりと歩き出した。
「崩恋 ~くずこい」が完結しました。
「樹界の王」を新たに投稿しました。
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