暗黒街の法王   作:月島しいる

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02話

「ルイ聖猊下、暗くなる前に戻りましょう」

 耳元で囁く神殿騎士のクーミリアに僕は頷いて、周囲を取り巻く子供たちの頭を撫でた。

 手のひらが、仄かな淡い光を放つ。

 慈愛の力。

 数日前に顕現した御子の力は、近くの対象に慈愛を与える。

 周囲にいた子供たちは、気持ちよさそうに目を閉じた。

 慈愛の御子としての力は、これだけしかない。

 対象を意のままに操る支配の御子や、手を触れずとも対象を昏倒させる破壊の御子と比べれば随分と小さい力だった。

「善き行いには、善き結果が返ります。世界が善い事で溢れるよう、小さな行いを積み重ねましょう」

 子供たちに大神殿の教えを説いて、それから彼らの輪からゆっくりと外に出る。

 御子の振る舞いには大分慣れた。

 毎日のように神殿の教義をイーラやクーミリアから教わっていたし、子供相手に場数をこなせば演技も板についてくる。

「ルイさま! また明日ねー!」

 子供たちが大声をあげながら元気に手を振るのが見えた。

 僕もそれに手を振り返し、背中を向けた。

 そこで足を止める。

 目の前に女がいた。衛兵だった。

「ルイ聖猊下、私にもお慈愛をいただけませんか?」

 僕は注意深く彼女を観察した。

 茶色の髪に、少しだけ幼い印象を受ける大きな瞳。

 彼女の視線は、じっと僕に注がれていた。

 レイと僕の関係を嗅ぎつけられた可能性があった。

「……大いなる主の加護がありますように」

 手をかざし、慈愛の力を発動する。

 淡い光が周囲を包んだ。

「お、おい。リツカ。いきなり何を!」

 遠くから別の衛兵が走ってくるのが見えた。

 彼女は息を切らしながら、僕の前で何度も頭を下げた。

「突然の無礼をお許しください、聖猊下」

「構いません。大いなる主の加護は等しく受けられるものです」

 意識的に笑顔を作り、新たにやってきた衛兵を見る。

 その胸に刻まれた印は衛兵長のものだった。

「第五衛兵団をまとめるアンリと申します!」

 そう叫ぶ彼女を、じっと観察する。

 第五衛兵団は貧民街を中心に見回る衛兵たちだ。当然のようにルークスの死だって知っている。

 注意深く観察してみるも、彼女の表情筋の動きは自然なものだった。何らかの目的を持って僕に接触したわけではなさそうだった。

「ルイ聖猊下。とても素晴らしい御力でした」

 リツカと呼ばれた女が、慈愛の力を受けながら微笑む。

 胸に衛兵長の印はない。アンリの部下なのだろう。

 しかし、その双眸には危険な光が爛々と宿っていた。

 暗殺業をこなしている時に、何度か見たことのある目だ。

 目的のために手段を選ばず、破滅を恐れない復讐者の眼光。

 衛兵長を名乗った女よりも、遥かに危険な存在だと判断する。

「なにか事件ですか?」

 作り笑顔を浮かべながら、探りを入れる。

 衛兵長に話しかけながら、横の女に注意を向けて。

「例の連続殺人で十七人目の被害者が見つかりました。いま現在……捜索中です」

 衛兵長のアンリは、徐々に歯切れが悪そうに声を落としていった。

 ルーカスの死から、犯人はまだ捕まっていない。つまり、僕が殺したことに誰もまだ気づいていない。

 僕の殺しと、レイの殺しを彼らは同一犯と勘違いしている。

 いや、意図的に僕はそういう殺し方をした。彼女が最も得意とする殺し方を真似て、ルークスを殺した。

 僕が神殿にいる間にレイが殺しを続ける限り、僕に容疑がかかる事はない。

 レイはうまく立ち回り続けている。

「……まだ捕まっていないんですね」

 小さく俯くと、アンリは慌てたように言葉を繋げた。

「必ずや、第五衛兵団の名にかけて解決してみせます。これ以上の無法は許しません」

「ええ。期待しています」

 微笑み、それから後ろに控えていた神殿騎士のクーミリアに目を向ける。

「お待たせしました。行きましょうか」

 クーミリアが恭しく頭を下げる。

 僕はそれを確認すると、衛兵長のアンリに目礼して横を通り過ぎた。

 その瞬間、リツカの視線が僕に絡みついた。

 舐めるように、その眼球が動く。

 一瞬の出来事だった。

 僕はそれに気づかなかった振りをして、そのまま大通りを進んだ。

「ルイ聖猊下、今日もイーラ様とお会いに?」

 背後からクーミリアのどこか棘のある声。

 彼女は未だに、元娼婦のイーラを快く思っていない。

「今日は先に水タバコ屋へ向かいます。多大な恩を受けている店主にお礼を言わねばなりません」

「承知いたしました」

 そろそろアイシャから進捗を確認する必要があった。

 クーミリアを含めた三人の神殿騎士を連れて、堂々と犯罪組織"天秤"の拠点である水タバコ専門店ブレーンバーンへ向かう。

 その道中、道端に立つ見張りの者たちが疎らにいた。

「……ルイ聖猊下、真面目に見張りをしている者もいますが、半数近くの者がパンを貰ったまま見張りに立たず姿を消しています」

 クーミリアの低い声。

 僕たちは神殿からの施しという形を取りながら、大人には治安維持のため貧民街の見張りを命じている。

「仕方ありません。彼らには労働という習慣がないんです」

 貧民街にはそもそも仕事がない。

 だからこそ奪う側に立つという選択肢が常に用意され、多くの者が堕落していく。

 パンを施すだけでは、彼らが自活する事はない。

 まずは労働という習慣を作り、安定した仕事を供給する必要がある。

 命を危険に晒すことなく、パンにありつける習慣を覚えさせなければならない。

「彼らはそのうち、パンの味を覚えます。そして思うんです。明日も、明後日もこのパンを安全に食べたいと。つまらない不正をしてこの機会を失うことを馬鹿馬鹿しいと考えるようになります」

 ――支配構造とは、誰にとっても有益な存在の周囲に自然発生するものなのよ。

 かつて、イーラは僕にそう語った。

 ――力によって屈服させてはならないわ。自ら支配を望むようにしなければならないの。

 多くの貴族層に触れ合ってきたイーラは、その方法を熟知していた。

 ――ただ有益な存在であるだけで、そこに支配構造が生まれる。誰もが自発的に膝をつき、支配を望む。それが最も原始的で強固な支配の在り方よ。

 彼らはそのうち、神殿の支配を求める。

 自発的に膝をつき、支配されたいと願うだろう。

 正面に水タバコ専門店ブレーンバーンが見えてくる。

「クーミリアたちはここで待っていてください」

「承知いたしました」

 彼女の部下である二人の神殿騎士にも待機を命じ、僕一人でブレーンバーンの戸口をくぐる。

 一階のカウンターにいた大男がすぐに駆け寄ってくる。

「ルイ、一人か?」

「外に神殿騎士が三人」

「わかった。二階でアイシャ様がお待ちだ」

 頷いて、二階に続く階段を登る。

 複数のフレーバーが混ざったいつもの香りがした。

 二階の暗いロビーに出ると、パイプを咥えていた男たちの視線が集まった。

「ルイ」

 奥からアイシャが嬉しそうな顔を浮かべて出てくる。

「大事な商談の時間だ。金はいらないから全員出て行け」

 アイシャが手を叩いて客の男たちを追い出していく。

 何人かは僕が慈愛の御子である事に気づいた様子を見せ、やや動揺した顔を見せた。後ろめたい何かがあるのだろう。

「久しぶりだな、ルイ」

「アイシャ様、お久しぶりです。今日は様子を確認に来ました」

 微笑みかけると、アイシャは不敵な笑みを返した。

「進捗か。そっちは随分と派手にやってるじゃないか。もう三十人以上処分しているだろう?」

 アイシャがゆっくりと近づいてくる。

 濡れた瞳が、僕に真っ直ぐ向けられていた。

「さっき第五衛兵団の衛兵長と偶然会ったんですが、表で確認出来ているのは十七人だけのようです」

「随分と開きがあるな。レイが上手くやっている、ということか」

 すぐ傍まで来たアイシャが、そっと膝をつく。

 そして彼女は僕の手を取り、そうするのが当然であるかのように指を口に含んだ。

「"天秤"にはどれくらいの人が流れてきていますか?」

 アイシャは僕の指を咥えながら、少し考えるように目を閉じた。

「……かなりの数だ。五十は超えた。全員処刑して死体はうまく処分している」

「まだ流れてきそうですか?」

 指を深く咥えたアイシャが頷く。

 赤ん坊のように吸い付き、唾液が糸を引いて落ちていく。

「想像以上のペースです。奪う側に誘う立場の存在が早くも瓦解しかけています」

 彼女は咥えていた指を一度離して、どこか誇らしそうに笑った。

「"黒狼"は瀕死の状態だ。"酒造"は完全に地下に潜った。"物兵"は活動を止めて静観に入り、未だ傷を負っていない"天秤"が黒幕なのではないか、と疑い始めている。彼らの多くは融和を望み始めた」

 あまりにも順調だ。

 アイシャが立ち上がり、僕を見下ろしながら妖しく微笑む。

「全てうまくいっている。だから、ルイ。私は褒美が欲しいんだ」

 彼女の細い指先が、僕の胸元を撫でる。

「もう、指だけじゃ我慢できなくてね」

 彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。

 爛々と輝く欲望が、その瞳に浮かんでいた。

 そして彼女は、至極真面目な顔で言い放った。

「ルイの聖なるおっぱいを吸わせて欲しいんだ」

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