暗黒街の法王   作:月島しいる

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03話

「ルイ聖猊下、どうされました?」

 ヒリヒリする胸を抑えていると、クーミリアが心配そうに顔を覗き込んできた。

「いえ、なんでもありません」

 何でも無い風を装って、僕は馬車から下りた。

 その後からクーミリアと他の神殿騎士たちが続々と降り立つ。

 ルークスの死後、クーミリア以外にも二人の護衛がつくようになった。

 義父とはいえ、近しい存在が殺されたとなると神殿騎士たちも慎重にならざるを得ない。

 神殿騎士たちに囲まれて生活するようになった今、レイが殺しを続ける事によって僕に容疑が向けられる事はなくなった。

 大神殿の前に停められた馬車から降りた僕たちは、そのまま正門を抜けて庭園へ入った。

 立哨していた神殿騎士たちが即座に頭を下げる。

 それに笑顔を振りまきながら、僕は庭園の中で見慣れた姿を探した。

 彼女は、すぐに見つかった。銀色の髪は目立つ。

「今日も庭いじりですか?」

 後ろから声をかける。

 すると、破壊の御子ベルタはいつもの涼しい笑顔を浮かべて振り返った。

「やあ、ルイくん。やる事がなくてね」

 彼女はそう言って、冗談っぽく肩を竦めてみせた。

 法王選に勝つ気がない彼女は、毎日のようにこうして庭園に出て時間を潰していた。

「そういうルイくんは、今日も貧民街に?」

「はい。様子を見てきました。子供たちの栄養状態は、最悪の状態を抜けたと思います」

 ベルタの青い瞳が、優しそうに微笑む。

「ルイくん。君は御子の初開式の時、自信がなさそうだったね。成すべき事がわからない、と不安そうにしていた」

 けれど、と彼女はゆっくり立ち上がった。

 一つ年上の彼女は僕よりも少しだけ背が高い。

「今の君は、立派な慈愛の御子だと思うよ。フランも心の中では認めているはずさ」

 ベルタの手が、そっと頭に伸びた。

 まるで弟を褒めるように、彼女の手が僕の頭を撫でる。

「だったら良いのですが」

 微笑みを返しながら、思う。

 慈愛とは一体何なのだろう、と。

 大いなる主は、僕を慈愛の御子に選んだ。

 元暗殺者の僕を。

 眼の前のベルタの方が、よっぽど慈しむ心を持っている。

 彼女こそが慈愛の御子になるべきで、僕のような影の世界で生きてきた者が破壊の力を得るべきだった。

「それと」

 ベルタの目が、心配そうに僕を覗く。

「無理をしていないか」

 ルークスのことを言っているのだとすぐに分かった。

 父を失った僕を、彼女は心配している。

 僕がこの手で殺したというのに。

 彼の血を吸ったナイフを、未だ腰に装着しているというのに。

 善人の彼女は、僕を心配していた。

「大丈夫です。枢機卿団の方々もいらっしゃいますし、侍女のアリアもいます」

「そう……それならいいけれど、無理をしてはいけないよ」

 微笑む彼女の眦は、どこまでも慈愛に満ちていた。

 

 

 

「ルイさま、お帰りなさいませ」

 私室に戻ると、侍女のアリア・ミラーが頭を下げた。

「ただいま」

 微笑んで、それから鏡の前に立つ。

 すぐにアリアが法衣を脱ぐのを手伝ってくれた。

「ルイさま、いつも腰にナイフをお持ちですよね」

 法衣を脱ぐ時、アリアは何気なくそう言った。

「何があるか分からないからね」

「お優しいルイさまには似合いませんよ。怪我をしないようにしてくださいね」

 無邪気な笑顔を向けてくるアリアに、思わず苦笑が漏れた。

「大丈夫だよ。ナイフの扱いには慣れているから」

「そうなんですか?」

 不思議そうな顔をするアリア。

 僕は法衣を脱ぎ終わると、出来るだけ優しい声色を作った。

「アリア。少しだけ、一人にさせてくれないかな」

「はい。承知いたしました」

 頭を下げて出ていくアリアを、鏡越しに見送る。

 それから、鏡の中の僕に視線を移した。

 見慣れた顔が、そこにいた。

 殺人者の顔だ。

 そして、慈愛の御子の顔だ。

 鏡の向こうの世界が、歪んでいく。

 血に濡れたルークスの生首が、僕の後ろに浮かんでいた。

「ルイ。なんで俺を殺したんだ?」

 肩越しに語りかける彼は、ひどく悲しそうな顔をしていた。

「俺たちは、いい親子だったじゃないか。俺たちは、うまくやってきたはずだ」

 そうだ。

 あなたは、いい父親だった。

 僕たちはうまくやってきた。

「俺は昔から、根っからの悪いことはできなかったんだ。してこなかった。俺はそういう人間だったんだ」

 そうだ。

 あなたの魂は根本的な部分では善に傾いていた。

 他人から奪うより、与えることに生きがいを感じる人だった。

「なあ、俺は殺されるほどの悪いことをしたのか? 俺は薬を売ってきただけだ。生きるのが苦しいやつだっているんだ。薬に助けられてるやつだっているんだ。知っているだろう?」

 知っているよ。

 死を選びそうな人たちが、最後に縋り付く手段だって事もわかってる。

「なあ、俺はそんなに悪い生き方をしたか? ルイ。なんで俺を殺しちまったんだ?」

「ルイ」

 不意に、ルークスの声を掻き消すようにレイの声が響いた。

 気づけば、鏡の向こうに浮かんでいたルークスの生首の代わりにレイが立っていた。

「ルイ。やめるんだ」

 彼女が、近づいてくる。

「ルイ。考えるな」

 後ろから、彼女の腕が僕の身体に巻き付いた。

 背中に感じる体温が、僕の意識を急速に現実へ戻した。

「いいか、ルイ。殺しをやっているのはボクだ。キミじゃない。キミじゃないんだ」

 耳元で早口で捲し立てるレイに、僕は思わず笑った。

「命じているのは僕だ」

 振り返る。

 もう幻は見えない。

 そこには確かに、レイが立っていた。

 彼女は注意深く観察するように僕の目を見ていた。

「ルイ。鏡に向かって何をしていた?」

「何も。ただ見ていただけだよ」

 いつもの笑みを浮かべて、彼女に労りの言葉をかける。

「お疲れ様。順調みたいだね」

「ああ、順調だ。暗黒街の治安は確実に良くなっている。ルイ。良くなっているんだ」

 彼女は強調するように繰り返した。

「そうだ、ルイ。問答をしよう」

 問答。

 僕たちが昔から繰り返してきた遊びだ。

 初めて殺しをした時から、何度何度も繰り返してきた。

「一つ。食べるためにカエルを殺すことは悪か?」

「違う」

「二つ。カエルが痛みを覚えないように岩に頭を打ち付けて、気絶させてから皮を剥ぐのは悪か?」

「違う」

「三つ。皮を剥いだカエルに味付けする為に塩を撒いた時、カエルの死体は苦しそうに筋肉が何度も震える。これは悪か?」

「違う」

 いつものように、僕らは繰り返す。

 淀みなく、答えていく。

「四つ。生きるために人を苦痛なく殺すのは悪か?」

「違う」

「五つ」

 最後の問答。

「悪を殺すのは悪か?」

 繰り返してきた問答。

 僕はいつものように答えた。

「違う」

 答えてから、考える。

 僕は悪と善のどちらに立っているのだろう。

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