二学期の中間試験が迫っていた。
如月椎が登校すると、先に来ていた弥生が机の上にノートを広げて勉強していた。
「数学?」
ノートを覗きこむと、椎の存在に気付いた弥生が顔をあげる。
「おはよう」
「うん。おはよう。弥生って数学得意じゃなかったっけ?」
「だから、確実にとれるように勉強してる」
弥生はそう言って、ノートを捲る。
左側に数式が、右側に公式が並んでいた。
綺麗にまとめられている。
「椎はテスト勉強してるの?」
「まだしてないよ」
即答すると、弥生は微かに眉をよせた。
「今日、一緒に勉強する?」
「図書館で?」
「そう。いつも通り」
いつも通り。
弥生の言葉通り、試験前に一緒に勉強したことが何度かあった。
弥生との関係が変わってしまう前の話。
それが酷く懐かしく感じた。
「うん。じゃあ、お願いしようかな」
昔の弥生に戻った気がして、それが嬉しくて、椎は迷わず頷いた。
弥生が小さく笑みを浮かべる。
直後、教室の引き戸が開き、優香が顔を見せた。
椎と弥生が一緒にいるのを見た途端、僅かに動きを止めて、真っすぐ近づいてくる。
「おはよう。二人ともどうしたの?」
机の上に広げられたノートを見て、優香が首を傾げた。
「勉強中?」
「あ、放課後、図書室で勉強会しようって話してたところ」
椎が説明すると、優香はノートを見つめながら、へえ、と声をあげた。
「神無月さんって、数学得意なんだね。私も教えてもらっていい?」
「……別に構わないけど」
弥生が素っ気なく答えると、優香はにこりと笑みを零した。
「ありがとう。じゃ、今日は三人で勉強しよっか。ねえ、椎くん?」
「え、あ、うん。そうだね」
同意の言葉を口にした直後、優香が手を掴んでくる。
「椎くん、ちょっと話があるからこっち来て。神無月さん、ちょっとごめんね」
「え?」
優香の意図を理解する前に廊下まで引っ張られる。
まだ人が少ない廊下で、優香が睨みつけてくる。
「椎くん、私、昨日言ったよね。神無月さんは椎くんの事が好きかもしれないって。それが不安だって」
小声でゆっくりと言う優香に、椎は視線を外した。
「ごめん」
「いいよ。私も、ごめん。でも、神無月さんと二人っきりになるのは止めて欲しいな。椎くんだって、私が他の男の子と二人きりで勉強してたら嫌でしょ?」
「うん……軽率だった」
ごめん、と椎が繰り返すと優香は溜め息をついて、呟いた。
「椎くんって、たまに無防備すぎて本当に怖いんだよね……」
◇◆◇
放課後。
約束通り椎は弥生と優香と一緒に図書室へ向かった。
傑も誘ったが、今日は基礎練をやる、と断られてしまった。
「人、いないね」
図書室に入って開口一番に優香がポツリと呟いた。
色褪せた本棚が並び、室内には図書室独特の匂いが充満している。
並んだ長机には誰もいない。
つかつかと弥生が机に向かう。
椎と優香もそれに続いた。
「何からやる?」
机に鞄を置き、中を漁りながら弥生が言う。
「ボクは数学からがいいな」
「私も」
優香が賛同の声をあげる。
弥生は黙々と数学の教科書とノートを取り出し、机の上に広げた。
椎は弥生の正面に座ると、同じように鞄から教科書とノートを取り出した。
その間に、優香が隣の席に腰を下ろし、身を寄せてくる。
「まず、どこが苦手なのか見る為に基本問題一通りやって」
弥生がそう言って、問題文が書かれたページを示す。
椎は頷いて、黙々と問題を解き始めた。
「ねえ、椎くん」
隣でペンを走らせながら、優香が口を開いた。
「ん?」
「次の土曜日、デートしよっか。付き合ってからもう一ヶ月経つんだよね」
椎は思わずペンを止めて、顔をあげた。
向かいの弥生は、表情のない顔で教科書を見つめたまま動かない。
「……もう一ヶ月経つんだね」
当たり障りのない言葉を返して、再び問題の続きを解く。
集中できない。
「うん。あのね、土曜、私の家、誰もいないから」
シャーペンの芯が折れた。
思わず、手が止まってしまう。
「そう、なんだ」
カチカチ、と芯を出す音が静かな図書室に妙に大きく響いた。
「あ、そうだ。神無月さんに言い忘れてたことがあったんだ」
優香が明るい声をあげる。
「私ね、テニス部のマネージャーになろうと思うんだ」
時間が止まった気がした。
「椎くんの彼女としてね、部活でも椎くんを支えたいなって思って」
優香の楽しそうな声が、静かな図書室で妙に浮いていた。
思わず向かいの弥生の顔を盗み見る。
そして、椎は動きを止めた。
神無月弥生は、嗤っていた。
唇を歪め、楽しそうに嗤っていた。
「……何がそんなにおかしいの?」
優香の声のトーンが低くなる。
弥生は、別に、と短く言って、それから吹きだした。
「そうやって頭の中の予定で浮ついてるから、私の勝ちで終わるんだ」
「勝つ?」
優香が怪訝な顔で聞き返す。
弥生は笑い声を抑えるように手を口に当てて、肩を震わせていた。
そんな笑い方をする弥生を見るのは、初めてだった。
「もちろん、テストのこと」
弥生は最後にそう言って、それからいつも通りの無表情に戻った。
隣の優香は不快そうに顔をしかめていたが、何も言わなかった。
後には嫌な沈黙が残り、椎は無言で問題を解き続けた。
ノートがもう残り少ないことに気づいて、帰りに新しいノート買わなくちゃ、とぼんやりと思った。