クラス全員分の机と椅子が置いてある教室で、雪ノ下さんは1人隅っこに座って本を読んでいた。
「あ、え…雪ノ下さん?」
「あ、比企谷くんだ。おはよ〜」
パタリと本を閉じてそう言った雪ノ下さんの顔はどこか得意げに見える。一方俺はというと、口を開けてポカーンと間抜けな顔をしていた。
「あっはは!どーしたの比企谷くん、そんな驚いた顔して」
ケタケタ笑いながら聞いてきた。
「あ、いやその、少し驚いてしまって…まさか同じクラスだとは思ってなかったです」
「まぁ、言ってなかったしね。…そんなことよりさ、比企谷君。私が昨日言ったこと覚えてないの?」
昨日?何か約束でもしただろうか。自分の頭の中にそんな記憶は無い。
「えっと、すみません。何か約束でもしましたっけ?」
「へー、ほんとに覚えてないんだね。ならもっかい言ってあげる」
──空気が変わった。
さっきまでの笑顔はいつの間にか消えていて、今はまるで品定めをするかのように妖艶な笑みを浮かべている。雪ノ下さんは自分の方へゆっくり歩き出した。どうしよう、体が動かない。いつの間にか目の前に雪ノ下さんがいる。なんだ、何をされるんだ。身構えた俺の体に雪ノ下さんは
抱きついてきた。
「楽に話そって言ったの、覚えてない?」
頭が真っ白だ。何も考えられない。いや、何も考えられないと考えている時点で考えることは出来ているのだが、考えがまとまらない。やばい、やばい、なんだこれ、え?なんかもうなんだこれ。同じことを2回考えるくらいには思考が止まっていた。
「ほらほら、そんなに固まってないでもっとお話しようよ」
ぱっと体を離して雪ノ下さんは言う。何秒くらい抱きつかれていたのだろうか。
「え、あ…」
「まずはさん付け無くして?」
「…雪ノ下」
「次は名前で呼んで」
「陽乃さん」
「は?」
いや、怖い…いきなり名前で呼び捨て出来るわけないでしょ…しかし目の前の陽乃さん、笑顔なのは笑顔だが目が笑ってない。マジで怖い。これは呼ばないとやばいやつだ。
「……陽乃」
「そう、それでいいの。今度からそう呼んでね。あと敬語も外してね」
「はぁ、わかりまし……わかったよ」
名前で呼ばせることになんの意味があるのか、さっき抱きついてまでそれを伝える必要があったのか、とは聞かなかった。
自惚れも大概にしろと、あれは彼女なりのコミュニケーションの取り方だと、そう自分に言い聞かせて聞くのをやめた。
「じゃあ、改めてよろしくね!八幡!」
「いやいやいやいやおかしいでしょ?なんで雪ノ下さんが俺のこと名前で呼ぶんですか?」
「は?」
まずい、またやらかした。言い直そう。
「いやいやいやいやおかしいでしょ?なんで陽乃が俺のこと名前で呼ぶの?」
「全部言い直すとは思わなかったよ…だって、自分だけ名前で呼ばせてこっちから呼ぶ時は苗字に君付けだなんて、不公平じゃない?」
「いや、別に俺は今まで通りでいいよ」
「ふーん、まあそれでももう決めちゃったし八幡って呼ぶね!」
「そうか…」
別に悪い気はしないが、家族と幼なじみ以外に名前で呼ばれたことが無かったので、むずかゆい気分だ。
そう2人で話していると、外から話し声が聞こえてきた。もうみんな登校してくる時間だな。俺と陽乃は何事も無かったかのようにそれぞれの席に着いた。
「それでは、早速だがクラス委員と係を決めていこうと思う」
1時間目のホームルームはクラス委員決めらしい。まぁ、早めに決めておかないと後が滞るし妥当だろう。
余談だが、朝のショートホームルームで俺の自己紹介タイムがあったのだが盛大に滑った。いや、何か面白いことを言ってシラケたとかではなく、ただ淡々と名前と前の中学となぜ入学式に参加出来なかったのかを言っただけだったので、とてもつまらないやつだと思われただろう。まぁ、間違ってないからいいんですけどね。
まあいい、どちらにせよ俺はクラス委員などやる気無いし寝たフリしとくか。起きたら勝手に余った係とかに割り振られてるだろう。
……なんとなく陽乃が気になって陽乃の方を向いてみたら、案の定引っ張りだこだ。いろんな人から男女問わず引く手あまたと言った感じである。そんな陽乃を見ていたらまた違和感に襲われた。なんなんだこれは。
ていうか、こんな適当な感じでいいのん?っと、クラス担任の平塚先生の方を向くと、ニコッと微笑まれただけで何も言われなかった。生徒の自主性に任せるというやつだろうか。
ちなみに同じく入学式を休んだ陽乃も朝のショートホームルームに自己紹介をしたのだが、なぜ俺とここまで差がついてしまったんでしょうか…。まぁあれだな、俺の後に陽乃が自己紹介したから余計良く見えたんだろう。引き立て役だ、俺は。などとつまらないことを考えながら引く手あまたの陽乃の方を見ていたのだが、よく見たら誘いを全て上手く断わっていた。
そして一瞬こっちを見て
「はーい、わたしルーム長やりまーす!」
『おおー!すげー!』
『さすが雪ノ下さん!』
立って手を挙げてそう言った。周囲からは歓声が巻き起こる。なんというかもう完全に陽乃の独壇場だ。ルーム長はクラスをまとめるという名目で色々とめんどくさいことをやらされる、恐らく1番めんどくさい役職だ。ルーム長は男女各一名と決まっているので、さきほどまで陽乃の方へ集まっていた男子達は俄然やる気である。
「で、男子のルーム長は私が決めたいと思いまーす」
陽乃は有無を言わさない言い方でそう言った。普通ならこんな傲慢な言い方をされればクラスから疎まれるものだが、陽乃のカリスマ性によってむしろさらに盛りあがっている。俺が選ばれるんじゃないか。もしかしたから俺が。そんな表情が見て取れる。
「男子のルーム長は…」
みんなが息を呑む。
「比企谷君にやってもらいまーす!」
「え?」