「む…帰って来たか」
それは那智一番機。
距離が距離なので、流石にまだ点にしか見えないが、確かに彼女の水偵だった。
「お互い、手足が付いていると揚収作業が手早く済む。こればかりは本当に有難いな」
と、日向。
本来、水上機の揚収というのは非常に手間のかかる作業であり、「艦の大作戦」といっても過言ではない。
着水地点が荒れていれば、機は転覆するかもしれない。艦の操艦による航跡で海をなだめさせてやる必要があった。
それだけならまだしも、艦上のデリックで機を吊り上げる作業は困難を極める。
これが手でヒョイと回収するだけで済むのは、艦載水上機運用の一種のブレイクスルーだった。
その為、本来成し得なかった「阿賀野型への瑞雲の搭載」のような事例が発生している。決して日向師匠の瑞雲布教活動の結果ではない筈である。
はずであってほしい。
「でも気になりますね、敵が3隻しかいないのは。」
雪風が双眼鏡を覗きながら呟いた。
それは、先刻水偵から送られてきた電報によるものだった。
発見された艦は3隻。いずれも艦影から金剛型と判断されたが、これが実に不可解であった。こちらに水爆があるのが分かっているのなら、空を確保する為には空母が必要不可欠。別行動が作戦だったとしても、空母を一隻も付けずに当たりに来るとは考え難い。
「ねぇ日向、三式弾の演習弾って…」
「ペイント弾子。中身は機銃弾と同じだ」
伊勢は相手がこちらの艦載機を対空砲撃で潰す事を警戒していた。三式弾が演習にて脅威となるのは周知の事実だった。
効果の薄い焼夷弾子であっても、当たれば撃墜判定を喰らうペイント弾に変わるだけで、それは花火どころではなく、三式弾が予見していたであろう性能――――即ち、正真正銘の対空秘密兵器と化す。
「撃ってくるのかなぁ…さぁてどうしようか、日向」
相手の手の内を読む事は勝利への最短ルートを築く事。だが、今は時間が無い。双方とも、主砲の射程圏内まで残り僅かとなっている。もう間も無くすれば、穏やかなこの海も戦場と化す。砲弾飛び交う地獄の一丁目の完全再現だ。
「やるしかないだろう?…ズイコミュ起動。」
日向は腹を括った。この状況をチャンスと取る。
制空権を確実に取れるならば、最大限活用する他に無い、という事だ。
…まあ、そうなる。
「さてと…行けっ!ズィン・ファンネル!」
ズィン・ファンネルこと放熱板ではなく、瑞雲32型。
手間のかかるカタパルトを使用せず、耐熱処理の施された甲板から大型のRATOを用いて垂直発進を行う、という仕組みである。
離床した瑞雲は空中で翼を広げ、始動した発動機が空気を震わせる。
RATOは十数秒燃焼し、内部圧の低下により推力を喪失する。
そうすれば次は水平方向の加速が必要になる。
機体の落下が始まる刹那、両主翼下に吊るされたRATOに火がついた。失速寸前の機体は機首を保ったまま、速度を得ていく。
日向は達観したような表情で、その光景を眺めていた。
「どうして離陸出来るんだ…」
この光景は見慣れた物だったが、いつ見ても「どうかしてる」、と思わざるを得ない那智だった。
これでようやく戦いの火蓋は切り落とされた。全艦は最大戦速で一路、敵艦隊へと舵を取る。が、日向には一つやっておく事があった。ズイコミュの「交信機能」は、水中だろうが御構い無しに機能する。
「(伊13。聞こえているか?)」
「…日向さん?私の頭の中に…どうやって。」
潜行しつつ待機していた伊13。日向は彼女に残る3艦を捜索させる事にした。
こちらが動いたのを相手が知れば、無論それは未確認の3艦にも伝わる。
警戒はより強まり、偵察機は逆に撃墜される可能性が高い。だから対潜装備の無い艦である事を逆手に取り、伊13を向かわせる事にしたのだ。
「(全く、明石もよくやる。伊13、残る3艦の捜索を頼む。
「了解…です。」
これで準備は整った。普段は気まぐれな猫のような電探も、今日は確かに敵艦3隻の所在を表示していた。
電探射撃。旧大戦で散々蟻酸を舐めさせられたこの戦法。だが、今ならば出来る。
敗北に敗北を重ねた今だからこそ出来る。日向は伊勢に目配せすると、主砲の旋回を始める。
「方位、仰角よし…」
2隻の大戦艦の据える3基6門の38cm砲は天を仰ぐ。
「一斉射ッ!」
刹那、12門の砲は光芒と共に周囲の空気を爆発的に揺るがした。
先行する瑞雲ファンネルは、光学航法用に装備されたカメラを用いることで、簡易的ながらも弾着観測機の役目を持つ。
打ち出された軽量「演習」弾は、通常の徹甲弾よりも大きな弧を描き、まるで意思を持つかのように仮想敵艦へと一直線に飛翔し、海面へ飛び込んだ。水柱が次々と上がっていくのが見えた。
「ほう…夾叉か。上出来だな。」
ズイコミュによるタイムラグの発生しない情報伝達により、弾着結果はすぐに分かった。我らが大戦艦二隻は、初弾にして夾叉をやってのけたのだった。
「…頼もしいな。よし、私達が肉薄する。後方支援は任せた!」
「雪風、行きますっ!」
水雷兵装を持つ那智と雪風は、敵の懐に飛び込み、強力な酸素魚雷を叩き込みに掛かる。上空の瑞雲ファンネル隊は、彼女達にとっては実に心強い存在となった。だが、敵も黙っている訳がない。砲の閃光は昼間の強い日差しにかき消されてこそいるが、敵艦隊もまた砲撃を始めたのが分かった。
「この距離でっ!」
しかし、初めは大幅にブレていた砲撃も、次第に至近弾が増え、海が荒れる。それでも2隻は突貫する。肉眼で仮想敵艦3隻の姿がはっきりしてくる頃には、魚雷発射管のスタンバイも終了していた。
「あと…少しですっ!」
無誘導の魚雷の命中率を上げるには、距離を詰める以外に方法はない。
そのため、雷撃戦は駆逐隊単位での一斉射を行うのが基本だが、「そんなものはない」。
たった二隻の水雷戦隊は、進む以外に取るべき進路はなかったのだ。彼女たちの中には確信があった。
先の初弾夾叉を、SF作品のような瑞雲隊の発艦を受け、いつしか確信は一種の幻想に変わる。
――だがその幻想は、己の慢心だということには、まだ気付いていない。
「直撃させる!」
強大な高速戦艦3隻を前に、怯むことなく果敢に挑みかかった那智と雪風。
だが、そんな彼女達を嘲笑するかのように、目の前に佇む「強大な」金剛が放った幾度目かの一斉射撃の弾道は、那智を確実に捉えていた……
「避けきれない」――那智は一瞬の間に結論を出した。爆発音。那智の視界は爆炎と閃光に呑まれていく。
だが、何かが違った。直撃した「16inch」砲弾の熱量は、演習用のそれをはるかに上回っていた。
破壊され周囲に飛散する艤装の部品。爆煙が晴れ、那智がみたもの、それは「金剛ではなかった」。
「
金剛の瞳からは、青白い光が漏れ出していた。それは艦娘の物ではない。ニィと口元を歪ませ、膝を付いた那智をあざ笑うかのように見つめるその瞳は。
「深海…棲艦…!」
※
「はぁ…はぁ…やっと着いたわ…明石、いるかしら?」
ようやくたどり着いた出撃ドック。艦娘の艤装もここに集積しており、出撃の為の諸作業はここで行うのが常だった。
中には艤装の部品が乱雑に散らばり、壁際にはちょっとした作業机があり。
その上に、小さなCRTが置かれていた。
「行った行った!この新しい瑞雲の性能っ!どうです、見ましたか!瑞雲はまだまだ使えるぞぉ!アハアハハハハ!勝てるぞぉ我が艦隊!アハハハハ!ヒャハッハァ!アハハハハハ!瑞雲バンザーイ!」
一方の明石は酸素欠乏症にかかっていた。
階段がなかったのが唯一の救いである。
おかしなテンションのままよろよろと立ち上がった明石は、足元の小さなリベットに足を取られ、盛大に転んだ。
後頭部を強打したことで、深夜テンションのまま演習を観戦していた明石は、ようやく正気に戻った。
「…」
「…」
「コーヒー、いる?」
「あ、お願いしまーす…」
缶コーヒーを2本抱えて戻ってきた足柄は、さっそく本題に入った。
「今から出撃するわ」
「ダメです」
即答だった。だが当然のことである。演習の最中に突然艦艇が増えただなんて洒落にならない大問題である。
何より相手は元帥提督の艦隊であるし、お偉いさん方も勢揃い。当然無礼は禁物であった。
「…」
「…」
「あ、瑞雲出てきたわよ」
「えっ!どこですか!?」
飢狼は一瞬の隙も逃さない。明石の気をそらした僅かな時間のうちに、自身の艤装の元に駆け寄った。艤装のコネクタを、背中に貼り付ける。続いて魚雷発射管を装備しようとした時だった。
「ああーっ!な、那智さんっ!?」
明石がとんでもない声を上げた。足柄もこれには驚いた。那智の名が出てきたからだ。
「ちょっと!?どうしたの!」
装備途中の艤装を放り出し、足柄はモニタを覗き込んだ。
「なんで…実弾?演習じゃ…ないの?」
CRTに映し出されていたのは、金剛の主砲の直撃を受け、大破した那智の姿だった。演習弾でこうはなる筈がない。
「どういう事よ…奴ら、一体何を…」
その時だった。サイレンが突如、甲高い音を上げた。空襲警報。演習中に鳴るなど、前例のない事態だった。
「双眼鏡ッ!借りるわよ!」
足柄は、床に落ちていた双眼鏡を拾い上げると、外へ急いだ。
ピントを合わせ空を凝視すると、黒い物体が幾つか見えた。点は次第に大きくなり、数十秒でその目的が分かった。
魚雷が懸架されていなかったからだ。
「どうです!?何か判りましたか!?」
「流星艦攻…アレは敵艦隊の機…かしら?」
明石は足柄からひったくるようにして双眼鏡を奪い取ると、黒い物体に指向した。そこで明石は思わず息を呑んだ。
「プロペラが回っていないのに…飛んでる…!?」
その「おかしな艦攻」を見るのにもう双眼鏡は必要なかった。5機で編隊を組み飛来するそれらは、形こそ流星のそれだが、その機首のプロペラは回転していない。
エンジン音が聞こえて来ても良い頃合いなのに、一切の音がしない。なのに飛んでいる。よく見ると、機体後方から青白い光を発している。それらの特徴は、深海棲艦の艦載機に酷似していた。
「…迎撃装置が起動しない?」
明石は悟った。鎮守府の防空警報は、探知した航空機の挙動をいくつかのゲートで処理し、それがインシデントと判断された時に鳴るように作られている。
これに敵味方の区別は無い。
だが、高角砲は違った。
識別信号が味方の物ならば、自動迎撃システムも起動しない。
あの航空機は味方の識別信号を偽ることで、やすやすと鎮守府施設への接近を成功させたのだと。
「不味いッ!」
二人の上空を通過した5機の不明艦攻は、しっかりと土産を落としていった。
「畜生ッ!どーなってるのよーっ!」
二人は、ドックごと盛大に吹き飛ばされた。
空中からは、もうもうと煙に包まれる鎮守府が見えた。