他人からすればオレの部屋というのは何も面白みがなく、質素なものらしい。
オレに言わせれば、必要性がないので別に問題はないように思える。そう答えると「つまんねー」と言われた。
それが数か月前の話。
だが、今はどうだろうか。
カーペットにハート型の大きなクッション。隅には雑誌を保管するラックが置かれており、ベッドには無造作に水色のパーカーが放り投げられている。
オレは二つのマグカップに淹れたての紅茶を注ぐと、リビングで映画鑑賞を楽しんでいる彼女の前に差し出した。
「…‥軽井沢。お前、私物を持ち込みすぎじゃないか?」
「ちょっと静かにして。今、いいところだから」
マジトーンで怒られてしまった。
……ここはオレの部屋なんだけどな。
とはいえ、逆らうのは吉ではない。おとなしく隣でオレも見ておくとしよう。
流れているのは先日、愛里たちと見に行ったのと同じもの。
レンタルしてきたみたいで、それだけを手に部屋へと転がり込んできた。
身分の差から隠れて交際を続けていた主人公とヒロインはキスをして、皆に祝福される。
ありきたりな終わり方だが、女子に好評だったのを覚えている。
だがしかし、メンバーの中で唯一面白くなさげな顔をしていたのが軽井沢だ。
なのに、もう一度わざわざオレの部屋で見た意味。
なんとなくではあるが、察していた。
エンドロールが流れ、すべての映像が流れ終えると、軽井沢はうんっと背を伸ばす。
「あー、終わったぁ」
そのままオレの方へ倒れこむと、自然と膝枕をする形になる。
彼女の整えられた金色の髪がくすぐったい。
「清隆。撫でて」
彼女のお願いにため息で返すと、仕方なしに軽井沢の頭を腰まで伸びる髪に沿って撫でる。
以前までなら考えられない行動。
だが、オレたちの関係性はまた変わったのだ。
協力者から恋人同士へ。
利害など関係なしに相手の力になる。オレと軽井沢はいつの間にか、そういったつながりになっていた。
ただ、曖昧なきっかけでもはっきりと言えるのは。
オレは軽井沢恵を心から好きだということだ。
「軽井沢」
「二人きりだけど」
「……恵」
「なに、清隆?」
「来年。必ずお前と堂々と外を歩けるようにするから。もう少しだけ待っていてくれ」
そう言うと、恵は頬を紅葉させ、小さく相槌を打つ。
空いている手を重ね、上から握りしめた。
そう。現段階でオレと恵の関係が明るみに出るのは非常にまずいことだった。
Dクラスにとっても。軽井沢恵にとっても。
だが、こうやって今日はオレの部屋を訪ねるという大胆な行動を取れているのには理由があった。
寮内一斉の水道点検だ。
事前に通告された時間帯は水の供給がストップされる。
そのため、どの生徒たちも自室におらず、町へと繰り出しているだろう。
人の数がまばらであれば、それだけ負うリスクは少ない。
リスクと私欲。
オレは生まれて初めて私欲を優先した。
1か0。
そんな世界が嫌で、抜け出してきたオレが手に入れた大切な存在。
「……そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」
我慢比べに負けた恵は目をそらす。
存外、彼女は照れ屋だ。
みんなに持たれているイメージとは裏腹に清純な性格をしていて、仄暗い過去を持つ。
それらもまた軽井沢恵を形成する魅力の一つなのだと思う。
ただオレが惚れて、盲目になっているだけかもしれないが。
「それで今日はどうする?」
「んー、朝までいるつもり。三時くらいに自室に戻ろうかな」
「シャワーは?」
「借りる。もう終わってる頃だし、水道止まってるの」
時刻は深夜12時を回っていた。
楽しい時間は早く過ぎるとはよく言ったものだ。
毎日が退屈だったあの頃は永遠のように感じられたのに。
「そうだな。だが、着替えは持ってるのか? 何も持ってきていなかったよな?」
「清隆のシャツでいい」
「え? でも、匂いとか」
「清隆のシャツでいいの」
有無を言わせない迫力を感じ、オレは素直に引き下がる。
女子高生はこういうのに敏感なのかと思っていたが、杞憂だったみたいだ。
「それじゃあ、オレの置いておくよ。さすがに下着は」
オレのは貸せないぞ。
そう伝え終わる前にクッションを顔面にぶつけられた。
物を投げ終えたフォームの恵。
「変態」
ただの悪口なのに、なぜか興奮した。
「冗談だ。オレも常識くらい持ち合わせている」
「あんた、いつも真顔だからまだわからない時があるのよ。……そういえば、あたしといるときも笑った顔、見たことないかも」
「そうか。オレ的には笑っていると思うんだけどな」
「本当に? 嫌とか思ってない?」
さっきまでの強気な態度とは正反対に瞳にのぞける不安。
軽井沢恵の本質。
寄生虫であると。
誰かに依存しなければ生きていけないと思い込んでいる可哀想な少女。
長く、長く刷りこまれた意識はそう簡単に消えはしない。
けれど、それでもいいとオレは思っている。
ずっとオレがそばにいてやればいい。
ただそれだけの問題だからだ。
「ああ。オレは恵が好きだからな」
そう言って、オレは恵を抱きしめる。
腰に回した腕に力を込めれば、折れてしまいそうに錯覚するほど気力がない。
「……あたしも好き」
恵は体を預けるように寄り添ってくる。
どうやら本当に落ち込んでいるようだ。
ここはオレのジョークで場を和ませることにしよう。
「そうだな。ここはお互いの気持ちを確認するためにも一緒に入るか?」
オレの言葉に恵は顔を上げる。
ほんのりと朱色に染めた頬。
動揺に揺れる瞳。
震える唇が紡ぎだした言葉は、オレの予測するのとは違う結果を生み出した。
「……いいわよ」
「え?」
「あたしには清隆しかいないから。それに気持ちに嘘をつきたくない。いつかそういうことをする日が来るとも思ってた。それが今日だけって話。まぁ、最初が浴室っていうのもあれだけど……誰かに聞かれるよりはそっちの方がいいよね」
恵はオレの腕を引っ張ると、そのまま浴室へと連れ込む。
バタンと音を立てて、ドアが閉められる。
ここだけ外の世界と隔離された。
「……ドキドキしてきた」
それはオレのセリフなんだけどな。
間違えてお酒を飲ませてしまった、ということもなさそうだ。
目の焦点は定まっている。匂いもしない。
つまり、正気で恵は行動しているということ。
「あんまりジロジロ見たら怒るから」
そう言って彼女は服を脱ぎ始める。
腹部から徐々にあらわになる白く、きめ細かな肌。
外見に気を使う彼女の腰にはくびれが出来ており、間違いなくモデルよりも完成されたラインを作り上げていた。
そのまま眺め続けたい絶景だったが、めくりあげられるセーターが脇腹辺りに差し掛かったところで、オレは目を閉じる。
恵には人に隠している傷がある。
そこには彼女の嫌な思い出が詰まっており、負の遺産ともいえるだろう。
オレと彼女の関係を築き上げたのも、この傷があったからというのは少しばかり皮肉が効いている。
どちらにせよ、あまり見られて気分のいいものではないはずだ。
「……そういうところ優しいよね、清隆って」
「最低限の礼儀だ。誰だってこれくらいはできるさ」
「男子って女子の裸を見たら、襲い掛かるものなんじゃないの?」
「自分で言うのもなんだが、オレは一般から離れているらしいからな。参考になるかはわからないが……オレはかなり我慢しているぞ」
池たちがよくグラビア雑誌を見て、話していたがいまいちオレにはわからないでいた。
だが、今ならあいつらが騒いでいたのが理解できる。
オレは間違いなく軽井沢恵に性的興奮を覚えているからだ。
「……それはあたしの体に魅力があるってことでいいわけ?」
「恥ずかしいが、まさにその通りだ」
「そう。……じゃあ、いいわよ。眼を開けて、好きなことしても……」
「ほ、本当にいいのか?」
「いいからっ。あたしも恥ずかしいんだから早くして」
「わ、わかった」
目の前に一糸まとわぬ恵の姿がある。
そんな風に想像しただけで体が熱くなるのを感じる。
……よし。
希望と、欲望を込めて瞼を開けた。
「……あれ?」
しかし、視界に飛び込んできたのは、予想と反してさっきまでと同じセーターを着ている恵だった。
脱いだ形跡など、どこにもない。
そして、彼女がニヤニヤと無邪気な笑みを浮かべているのを見て、ようやく気付いた。
「大成功~」
小悪魔はピースをすると、嬉しそうにオレの顔をのぞき込んでくる。
「どう? あたしの名演技は。本気だと思ったでしょ?」
「……ああ。騙されたよ。もてあそばれた」
「最初に仕掛けてきた清隆が悪いのよ」
ガクリと肩を落とす。
よくよく思い返せば服を脱ぐ音も、下着を外す音もしていなかった。
してやられたというわけだ。
「はぁ……」
「なになに。そんなにショック受けてるの? 冗談に決まっているじゃない。変態の清隆さん」
「オレもかなり緊張したんだからな? 覚悟を決めたり、いろいろと……。それをもてあそばれた……」
「……そんなにあたしとそういうことしたかった?」
その質問に正直に言おうか、はぐらかそうか。
どちらを選ぶべきなのか、迷って……オレは素直になることを選択した。
「したくないと言えば嘘になるな」
「したかった?」
「……したかった」
「最初からそう言えばよかったのに。……素直じゃないんだから、バカ」
不意に、ぐいっと袖を引かれる。
抵抗なく、前へと傾く体。
重なる唇。
一秒にも満たないやわらかな感触。
何をしたのか、訳も分からず尋ねようとすると、人差し指で止められる。
「今はこれだけ。そういうのはここを卒業してからだから。……ほら、早く出て。いつまで見てるの。これ以上は料金が発生するわよ」
恵に背中を押されて、オレは追いやられる。
緊張感が解けると、情けなくもその場に座り込んでしまう。
恋とはなんと恐ろしい代物なのだ。
まさかオレがこうも骨抜きにされるとは。
全く情けない。情けないが……。
「やっぱりかわいいな、オレの彼女」
この気持ちに溺れているのも悪くはない。
不思議とそう思うのであった。
読んでいただいてありがとうございます