軽井沢恵と過ごす日々   作:小早川 桂

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『ずっと一緒に』

 私は春が好きだ。

 

 桜が散る様子がきれいとか、そんな高尚な理由じゃなくて、単純に別れが訪れるから。

 

 強制的に、関係をリセットできる。

 

 新たな出会いには期待したことがない。

 

 私を虐めていた奴らとのことしか考えたことなかったから。

 

 だから、私は春が好きだった(・・・)。

 

 そんな別れの季節がやってきた。

 

    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 来る学園最後の日。

 

 三年間を過ごした教室は喧騒に包まれていたけど、すでに静けさが到来していた。

 

 卒業式を終えた私たちはこの後、学園内のレストランでサヨナラ会を開く予定で、みんなはそっちに向かったんだろう。

 

 私ももちろん呼ばれているが、その前に大切な用事があったので、ここへ来ていた。

 

 夕焼け色に染められた室内に、私を呼び出した男が壁にもたれかかっていた。

 

 私は隣の机に腰を下ろすと、背中をポンと叩く。

 

「お待たせ、清隆」

 

「いや、俺も来たばかりだ、恵」

 

 私の想い人である綾小路清隆は相変わらず生気の感じられない表情で、そう返す。

 

 ……なんだか、このやりとり、恋人みたいだ――と、胸がドキドキすることはない。

 

 もう何度もしてきた応答。

 

 あたしは清隆のパートナーとして、ずっと裏で彼を支え続け(少なくとも、あたしはそう思っている)、彼もまたあたしが困っているときは手を差し伸べてくれた。

 

 そもそもが清隆の策略から始まった関係だけど、今では冗談も言い合える仲になっていた。

 

 この学園において、最も心の距離が近いのは彼と言っても間違いではないと思う。

 

「佐倉さんたちは良かったの?」

 

「忘れ物をしたから先に向かっておいてくれって言っておいた。そっちは?」

 

「同じ感じね。着いてきそうだったから、ちょっと手間取っちゃたけど」

 

「そうか。なら、なるべく早く戻った方がよさそうだな」

 

「わざわざ呼び出しておいて、しょうもない要件だったら怒るから」

 

「そうはならないから安心してくれ」

 

 あたしもメールで一方的に伝えられただけだから、詳しくはわかっていないのだ。

 

 こいつに恋心を自覚したときのあたしなら、勝手に妄想を繰り広げて、居ても立っても居られなかっただろうけど、もう三年の付き合いになれば耐性も、予想もできる。

 

 おおかた、自分の存在を伏せておくように念押しをするってところかしら。

 

 あたしと清隆の進む道はきっと違うでしょうし。

 

「俺たちはAクラスにまで上り詰めて、自由に未来を選択できるようになったのは覚えているよな」

 

「まぁね。それが学園から提示される最大の魅力だし」

 

 あたしは国内最高峰の大学への進学が決まっている。

 

 進学してから、振り落とされないように今も勉学に励んでいるところだ。

 

 元々、上のクラスを目指すうえで下手くそながら自習もしていたんだけど、三年になってからは清隆による授業を受けている。

 

 おかげで、入学当初からは想像できない成績を得ることができた。

 

 ……そのモチベーションが清隆と二人きりでいられるから、というのは内緒の話だったり。

 

「恵は結局、どうしたんだ? 大学進学のままか?」

 

「当たり前でしょ。学歴はあっても困らないし。清隆は何を選んだの? 大学?」

 

「俺は国外企業への入社を選択した」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

「驚かないんだな」

 

「あんたの実力を知っている者としては、確かに清隆は国内にいる器じゃないって思うもん。でも、よく決まったね」

 

「それだけ学園が有しているつながりが広いってことだろ」

 

 清隆は平静に返す。

 

 きっと前から海外には目を付けていたんだろう。

 

 日本ではしがらみが多すぎるし、海を渡れば確かに実力至上主義の世界があちこちに存在すると思う。

 

 まさに清隆にとっては、うってつけの場所ってわけだ。

 

「……そっか。清隆。外国に行っちゃうんだ」

 

 呟いて、ズキリと胸が痛んだ。

 

 一緒にはいれなくても、会う機会くらいはあると思っていたから。

 

 それこそ、今までとは違う。

 

 任務を全うするパートナーではなく、遊んだり、旅行したり。他にも、やりたいことは浮かび上がってくる。

 

 こっそりと、あたしが夢見ていたこと。

 

 それらは泡しぶきのように消えていく。

 

「ああ。前から考えていたんだ」

 

「ふぅん。いつから決めてたの?」

 

「二年の最後。Aクラスになるためにいろんな奴らとかかわってきて、少し価値観が変わった」

 

 清隆は手をぎゅっと握りしめる。

 

 こぶしを見つめる瞳には、かつてないほどに決意と覚悟が込められていた。

 

 ここにきて、初めて見た彼の生き生きとした表情に思わず笑みをこぼしてしまう。

 

「……で? 清隆の気持ちはわかったけど、どうしてあたしはここに呼ばれたわけ? 清隆の所信表明を聞かされただけなんだけど」

 

「……恵。俺はさっき言ったよな。価値観が変わったって」

 

「それがどうしたって言うの?」

 

「今までになかった感情が芽生えたんだ。最初はなにかの勘違いかと思ったが、どうやらそうでもないらしい」

 

 そう言うと、清隆はあたしの手をぐっと引っ張る。

 

 予期していない行動にあたしはされるがままとなり、背中には壁があった。

 

 そして、目の前には清隆の顔があった。

 

「き、清隆?」

 

 名前を呼ぶも、返事はない。

 

 彼はあたしを逃がさないように、まだ手を握ったままだ。

 

 というか、動けないに決まっている。

 

 お互いの吐息がかかるような距離で、清隆にジッと見つめられて、あたしから何か出来るわけがなかった。

 

 鼓動がどんどん速くなっていく。血が巡って、体が熱い。

 

 顔もきっと真っ赤だ。

 

「恵。お前を俺だけのものにしたい」

 

 えっ、えっ。

 

「好きだ。だから、俺についてきてくれないか?」

 

 ――あっ、やばい。

 

 そんなこと言われたら、今までくすぶっていた胸底にたまっていた感情が爆発して――。

 

「んっ」

 

 あたしは気が付けば、清隆にキスをしていた。

 

 彼のたくましい体に抱き着いて、唇を重ねている。

 

 だけど、恥ずかしさはどこにもなくて。

 

 それは彼もまた腰に腕を回して、力強く抱きしめてくれたからなのかもしれない。

 

 苦しくなって、一度離れる。

 

 だけど、すぐに今度は清隆からあたしを求めてきた。

 

 ポケットでスマホが震えている。きっと心配してくれた友達が電話をかけてくれているんだろう。

 

 でも、そんなことはどうでもいい。

 

 今は、この幸せに溺れていたかった。

 

 念願叶った、幸福に。

 

    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「……やばいかもね、これ」

 

「……だな。ちょっとやりすぎた」

 

 あれからあたしと清隆は何度もキスを繰り返した。

 

 止まったのは、清隆のスマホに連絡が入ってからだ。

 

 どうやら、もうみんな会場についているらしい。

 

 いないのは、あたしと清隆だけ。

 

「邪稚されても反論できない……」

 

「……いいんじゃないか。もう間違いじゃないだろ」

 

 そう言って、清隆は指を絡めあった手を掲げる。

 

「そ、それはそうなんだけどさ」

 

「もし不安ならそばにいたらいい。そうすればフォローもできるしな」

 

「……うん。そうする」

 

 ……やばい。

 

 意識しないと、頬が緩んでしまいそうだ。

 

 想像以上に強い清隆のアプローチに、あたしは話題転換を図る。

 

「いつから考えてたの? あたしを連れていくこと」

 

「俺が海外へ行くことを決めた時から。そのために恵の教師役も買って出た」

 

「……そんな時から意識してくれてたんだ」

 

「いつしか不可欠な存在になっていて、改めて考えて、俺は恵が好きなんだって結論に至った」

 

「なにそれ、機械みたい」

 

 ついおかしくて、笑ってしまった。

 

 清隆はどこかむっとしている気がする。

 

 こんな感情豊かな彼を見るのは、初めてだ。

 

「……それで話は戻すが、一緒に来てくれるんだな?」

 

「うん。あたしも清隆とずっと一緒にいたい」

 

「今更だが、そのセリフはいささか恥ずかしいな」

 

「初めにこう言って口説いてきたのは清隆なんだけど」

 

「……でも、嘘はついていない」

 

「うん、あたしも」

 

 そんな風に会話を交わすうちに、いつの間にか会場前にたどり着いてしまっていた。

 

 ちらりと清隆の様子をうかがう。

 

「……このままでいいよね?」

 

「ああ。どうせからかわれるのは一緒なんだ。なら、堂々としておいた方がいいだろ」

 

「そうね。……ねぇ、清隆」

 

「なんだ?」

 

「好き。あたし、清隆のこと、大好きだよ」

 

「…………」

 

 ポリポリと照れを隠すように彼は頬をかいた。

 

 返事はないけど、今はこれで許してあげる。

 

 だって、これからきっとたくさん聞けるだろうから。

 

「じゃ、いこっか」

 

 そう言うと、あたしは店のドアを開ける。

 

 あたしたちは新たな関係になって、明るい未来を描くための一歩を踏み出した。

 

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