グラブルオリジナルストーリー(主役:アンナ) 作:水郷アコホ
──アンナの炎は見た目以上にしぶとく、そこかしこに通気孔を形成しながらなおも揺らめいている。
ドリイ
「まずは消火をなさいませんと」
──炎の中でもなお際立つ深紅の光が瞬くと、各所の風穴をグラスが急速に覆い隠す。
──グラスの下で消える炎もあれば、グラスの向こうの酸素を頼りに暖かく周囲を彩り続ける炎もある。
──アンナ達が、自分達が出てきた扉の向こうを見て呆気に取られている。折角の大穴も同様の結果となったらしい。
──注意を逸らしたアンナを見逃さず、ドリイが加速と共に踏み込む矢先……。
ルリア
「し、──始原の、竜っ!!」
ドリイ
「──!」
「なるほど──悩ましい局面ですね」
──聞こえよがしにルリアが詠唱を再開した。
──死が喉元まで迫った事実にも怯まず、果敢にドリイの注意を引いている。
──自身を最前線に晒す戦いに慣れていないルリアがどこまで計算の内かは定かでない。
──しかし、団長やカタリナに用いなかった危険な技を以てしてまでルリアを無力化せしめんとしたドリイが、彼女を無視できるはずはない。
──更には大きく声を張り上げる事で、アンナ達の意識を戦場に引き戻した。
──グラスを溶かす術を持つアンナと、屋敷を巻き込む大質量を予感させるルリアとの挟み撃ちである。
ドリイ
「では、ルリア様か、ら──!?」
──ターゲットを決めたドリイが、掌から水を生成し、加速を開始したその瞬間と全く同時。
──ドリイの傍らで蹲っていた団長がドリイの下半身をしっかと抱きしめた。
──酸欠と大ダメージの合わせ技から回復したばかりで、これが精一杯だったともいえる。
──しかし十中八九偶然としても、人間の知覚を超えた挙動のその「起こり」を抑えた事は大きな成果だった。
──どんなにエネルギーを得ようと、足を固定された物体が前方に加速すれば、その挙動はほぼ一律である。
──10cmほど団長を引きずるも、大きく全身を倒れ込ませるドリイ。手の中の大質量を圧縮した水だけがルリアの全身へと飛散する。
カタリナ
「いかん──!」
──見た目は子供のいたずら程度の水滴でも、その破壊力は団長の犠牲によって照明済みだ。
──カタリナがルリアを庇うために飛び出すも、慣性の乗った水と、たった今始動した人体との競走とあっては絶望的だ。
ドリイ
「な、……クッ!」
──その時、初めてドリイの顔が歪んだ。何に対してかは定かではない。
──ドリイの手元から何度目かの深紅の光が走る。
──ルリアの足元を残して、その周囲に大質量の魔導グラスが隆起し、牡丹の如くに咲き広がった。
──ルリアを守ろうと接近していたカタリナの眼前からも、グラスが爆発的に迫る。
カタリナ
「ぐはっ……!」
──流氷の如き質量にカタリナは跳ね飛ばされ、一方でその質量が水滴の砲弾を全て受け止めた。
──重なり合い屈折するグラスの向こうで、ルリアが声もなく崩れ落ちる。
カタリナ
「ぐっ……ルリア……ルリ、アァっ!」
──呼吸の整わない腹から無理矢理に声を絞ってルリアに呼びかけるカタリナ。
──流氷も圧縮から開放された大量の水も、すぐに床面に沈んで消え、カタリナがよろめきながらルリアに駆け寄ると……。
カタリナ
「何だ、これは……口枷?」
ルリア
「ッ……ッッ……ッ!!」
──グラスがルリアの鼻と口を覆っている。
──ルリアは口枷を無我夢中で外そうとしている。明らかに呼吸を封じられていた。
ドリイ
「仮に詠唱を必要とせずとも、その状態ならば、力を使う余裕は無いでしょう」
──倒れ込んだ姿勢からゆっくりと上体を起こすドリイ。緊急手術に成功した医師のように晴れやかな笑顔がそこに戻っていた。
──渾身の力で両足を締め上げる団長を意に介さず、打ち上げられた人魚のような佇まいのまま眼鏡を直している。
──カタリナは、ドリイの言葉が聞こえているのかいないのか、ルリアの口枷を外そうと四苦八苦している。ルリアへの傷を省みず剣の柄で枷を殴打するも傷一つ付かない。
カタリナ
「クソッ、外れない……」
「ッ……ドリイ!! 幾ら何でもこんな──」
ドリイ
「カタリナ様。先程、申し上げました通りです」
「『申し訳ございません』」
──答えるドリイの表情は伺えない。カタリナには目もくれず、その瞳は再びアンナに向けられていた。
──絡みつく団長は動けないでいる。ダメージが残っているという事もあるが、ドリイを重りから解放してしまえばあの加速に誰もついて行けない。である以上、この腕を解けば一層の不利である事は明白だった。
──カタリナはルリアの窮地に冷静さを見失い、団長は膠着状態。風穴も塞がれ再び刻一刻と酸素が失われていく。絶体絶命だった。
──残ったアンナとビィはと言えば、アンナが手元で火球を渦巻かせていながら、眼前の状況にオロオロするばかり。
ビィ
「お、おいアンナ、何で撃たねぇんだよ! 早くしねぇと──」
アンナ
「で、でも……あれじゃ、だ、団長さんに、当たっちゃう……」
ビィ
「バカヤロー!
──ビィの発破掛けをかき消しながら、幾重にも高く鋭い轟音が響き渡った。思わず目と耳を塞いで
──ビィが再び目を開くと、さっきまで居た場所にアンナが居ない。
──見回すと、ビィよりも更に背後……通路と廊下を隔てるグラスの壁にアンナが叩きつけられ、その喉元をドリイが抑えつけていた。
──ドリイの表情は、プレゼントの箱を開ける子供のように朗らかだ。
アンナ
「ぅ……ぁ……!」
ビィ
「ア、アンナ!?」
「そんな……眼鏡の姉ちゃんには
──先程までドリイ達が居た方向を向き直って唖然とするビィ。
──こちらへ近づくように、四面の各所に巨大なヒビが幾つも形成され、団長はその中途でボロきれのように転がっていた。
──団長を引きずったまま、ドリイが更なる加速で壁に、天井に団長を叩きつけて振りほどき、ここまで移動した事を物語っている。
ビィ
「ウソだろぉ……」
ドリイ
「アンナ様。アンナ様もお聞きでしたでしょうか」
「私、皆様の”全力”の程を確かめたき所存でございます」
「よろしければ、アンナ様にはより一層……お互いの身を案ずる間を惜しんででも、事態の解決を模索していただきたいと──」
アンナ
「……カフッ……との……た、めッ……!」
ドリイ
「──失礼しました。これでは会話もままなりませんね」
──今にも消え入りそうなアンナの言葉は断片的にしか聞き取れない。
──ドリイは首から手を放すと、指先で素肌をなぞりながらその手をアンナの胸骨の位置に移し……。
アンナ
「ぐぅ……っ!」
──胸元からアンナを壁に押し付けた。厚さ数十cmにまで成長したグラス壁が絶え間ない悲鳴をあげる。
──思わずドリイの腕を掴んで抵抗するアンナだが、その身体はドリイに腕一本で釣り上げられ、アンナの足は爪先が辛うじて地に付いている状態。気休めにもなっていない。
──だが、その瞳は
アンナ
「全、力……は……大切な人の、ために……出せるんだ……」
「こん、な……脅し、なんかで……引き出せたり……しない!」
ドリイ
「大切な……。それは、とても興味深い仮説です」
「しかし現在のこの状況は、脅迫という手段を介したとて、全力を出すに足る条件を満たしていると考えられますが──」
アンナ
「違う……!」
「あなたに、だって……カレーニャが、いる、のに……何で……」
ドリイ
「カレーニャ、ですか? カレーニャと現在の状況とに関連性は薄いように思われますが──」
アンナ
「あるよ……カレーニャは……あなた、の……」
ドリイ
「しかし、カレーニャは既に故人です」
アンナ
「ッッ!!」
──叶うなら、その言葉を聞く事の無きよう願っていた。
──首だけになったカレーニャを拾い上げたという訳では無いのだ。
──アンナの理解の内では、何か不可思議な現象を経て、赤く汚れたカレーニャの姿が消えたに過ぎない。
──あんな大量の血が1人の人間から出てくるはずないじゃないか。最後に見たカレーニャの顔は眠るように穏やかだったじゃないか。
──例えば姿が見えなくなっただけで、あのグラスの柱の中に閉じ込められて、そして元凶のドリイを倒せばグラスから開放されて元通り……。
──団長たちと戦った、いつかの冒険だってそんな結末だったじゃないか。そんな期待をはっきりと否定された。優しく、静かに。
──瞳の焦点を失い、手の力が抜けるアンナを知ってか知らずか、能書きを続けるドリイ。
ドリイ
「少なくとも、人類の生命と死を区分する諸定義に照らし合わせましても、カレーニャの例は──」
アンナ
「何で……」
ドリイ
「はい。ご不明な点がございましたら、何なりと」
アンナ
「何で……ドリイさん……何で、カレーニャを……」
──伏せた顔の下で、ドリイの手首に
──ほんの1日だけの出会いに過ぎなくとも、一行の中で誰よりカレーニャと関わってきたのはアンナだった。
──何より、他でもないドリイが、カレーニャとアンナを無理矢理なまでに引き合わせたというのに。
──アンナの頭の中で深く重たい渦がうねり、胸の内では見慣れぬ色の炎が灯る。
──ドリイの目が一瞬、アンナから外れ、空いているもう一方の手を覗き込む。
──手の内で脈打つように灯る深紅の光が漏れぬよう、さり気なくその手を握り直した。
ドリイ
「如何なされましたか。アンナ様?」
「その心の動揺は、
──この期に及んでも諭すように穏やかなドリイの言葉が、アンナの炎に
──胸の炎は気勢を上げ、覆う胸骨の軋みを物ともせずに燃え盛る。
アンナ
「……解らないの?」
「あなたが……教えてくれたのに……」
「あなたが……ボクとカレーニャを……友達に、してくれたのに……」
ドリイ
「……”それ”は違います。しかし──」
「嘘偽りなく申し上げるなら……『早く答えを見てみたい』──とだけ」
アンナ
「……!!」
──ドリイの表情は、我が子の成長を見守る母のような、実に和やかな笑顔だった。アンナの内で張り詰めていた最後の一本が切れた。
──ドリイの腕を掴む両手の内から、僅かに橙を帯びる白い炎が噴き出した。
──ロウソクや魔法陣を媒介する普段のアンナの魔法とはかなり勝手が異なる。
──それ故かアンナの周囲で余剰した魔力が火の粉となって飛び交い、アンナ自身の衣服が端から焼け焦げていく。
──自分の魔法から自分自身を守れていない。最も強く熱く燃え盛る手も、すぐには焦げていない以上何かしらの対策があるようだが、長くは保たないだろう。
ドリイ
「──アンナ様についてだけは、確信を以て申し上げられます」
「まだ、アンナ様は”全力”に至ってはおりません」
アンナ
「ぅ──ぐ、ぁ……!」
──相変わらず、応援するかのように優しく微笑みかけながら、胸元の手を更に押し込むドリイ。
──手の炎の下……もとい、ドリイの衣服の下から蒸気が巻き上がる。袖の生地中に浸透・圧縮させた水でアンナから放たれる炎のダメージを防いでいる。アンナが我が身を削る一方だった。
──圧力が気管支に届き、咳き込むのもままならないアンナだが、その目は強くドリイを見据えて……。
アンナ
「……ありがとう──”ビィ君”。我慢してくれて……!」
ドリイ
「ビィ様……?」
「──そういえば……アンナ様……」
──何かを察したドリイの眼球が素早く周囲を見回す。
──自らの腕を掴むアンナの両手、伝って両腕、脇、足元、左右の床、念のために天井……。
──人知を超えた速度で確認し、理解に至るも、それでもなお遅すぎた。
ビィ
「オッシャ行くぜ、”カシマール”!!」
カシマール
「マカセテガッテン!」
ドリイ
「なるほど──」
──アンナに特段の興味を示している間、ビィはその背後でずっと待機していた。
──ビィに戦闘能力を見出していなかったドリイは幼いトカゲを捨て置き、背後を取られているという状況に慣れ、麻痺していた。
──そして、戦闘前にカシマールを失ったアンナの狼狽ぶりを確かめたからこそ、『アンナがカシマールを手放すはずはない』と思い込んでいた。
──アンナは、ドリイがルリアに気を取られた時点からビィと打ち合わせていた。
──ビィを引っ掴み、目を見て、再三言って頼んだ。「何が有っても、合図するまでじっとしてて」。
──そしてカシマールを託したのだ。アンナ自身がここまで全ての過程を想定できていたかは怪しい。だが、奇襲作戦は大成功と言えた。
──ビィがカシマールを盾にするような姿勢で突進、カシマールは縦横無尽に爪を振り回す。
──ドリイがアンナを押さえつけたまま半身で振り向き裏拳を見舞う。それをくぐり抜けるビィ。飛び込んだ腹部を文字通りに引っ掻き回すカシマール。
──服は裂けたが、地属性の硬質化によってダメージは浅い。
──直ちにドリイがカシマールの首部分を片手で挟み込んで捕まえ、放り投げた。
ビィ
「うおっとっとお!」
カシマール
「ヤッチマウゼ!!」
──2度3度回転しながらも体勢を立て直すビィとカシマール。
──いつの間にかカシマールが両手にロウソクを一本ずつ携えている。
──アンナが宙に振りまく火の粉を受けてロウソクが点火された。ロウソクの先端からロケット花火の如く炎が轟音と共に立ち昇る。
ドリイ
「カシマール様が真打ちを……これは予想──」
「──?」
──分析しながらもカシマールとの間に水の壁を形成するドリイ。しかし、何かに気付き言葉が途切れた。
──僅かに目を見開きながらアンナに向き直り確認する。
──アンナは自ら燃え盛らせるその手をドリイから離し、大きく広げている。その両手間とほぼ同じ直径で、2人の間に魔法陣が展開し、壁の如くに立ちはだかっていた。
──魔法陣を形成する光を、ドリイの前腕がその中ほど辺りで遮っていた。
──すっ、とアンナの胸元を押さえる腕を引くと、腕は陣に触れていた部分から先が離れ、床に転がった。
──内に炎を宿し紅く輝く陣は高熱を発し、ドリイを守る水分を突き抜け、その腕を焼き切っていたのだ。
ドリイ
「(身を挺した炎は、攻防一体の魔法陣を構築するため──)」
──自らの負傷に大して驚く様子もなく、美しいものに出逢ったかのような笑みを崩さない。カシマール達へ向き直ると、その背から爆炎が轟き、アンナの魔法陣とぶつかり合う。
──ドリイとアンナとカシマール。三者の発動はほぼ同時だった。
アンナ&カシマール
「エレメンタリーブレイズ!!」
──カシマールとアンナによる挟み撃ちに対し、ドリイは前門にて水壁で封鎖し後門にて炎と爆風による相殺を図る。腕を守る大質量の水を貫いたアンナの炎をまたも水で受ければ、水蒸気爆発による共倒れの危険があったためだ。
──渾身のアンナ達の一撃はそれでも尚ドリイと互角だった。カシマールの炎は水壁に潜り込むも貫くには至らず、アンナの炎も火勢ではドリイに勝っていたが、ドリイ本体へのダメージは軽微。
──むしろ、せめぎ合う熱風と自らでも防ぎきれない出力過剰の炎はアンナの髪に、爪に引火し、僅かづつだが焼き焦がしていた。
──急速に水分を失い痛みを訴える目に、顔を顰めるアンナ。そもそもこの技はその高火力故に、至近距離で放つような代物では無いのだ。
──前後で展開する灼熱の拮抗状態を涼しい目で再確認したドリイが、優雅に振り向いてアンナに語りかける。
ドリイ
「アンナ様。これ以上の実力を超えた魔法の行使は、アンナ様の身を滅ぼすのみならず、酸素の浪費による皆様の危機をも招きます」
「僭越ながら、戦法を転換なされるべきかと」
アンナ
「こんなの……何ともない!」
「あなたを、足止めできれば……充分……だから!」
ドリイ
「なるほど。お察しの通り、私は現在、お二方の攻め手を防ぐ事で手一杯です」
「正確には、都合何倍もの出力を容易に引き出せますが、安全に運用する技量がございません」
「追加の魔法の発動は元より、アンナ様の魔力切れを待つまで移動もままならない状況ですが──」
「アンナ様。策を仄めかしてしまうのは、よろしくないかと」
──アンナが「足止め役」である事を理解したドリイ。
──指摘されたアンナはしかし、一歩もたじろがず無言でドリイを見据えている。
──ドリイはそんなアンナを称賛するような笑みを見せて、首を前方へ戻した。
──アンナの心情がどうあれ、彼女が足止めならば、炎の轟音に紛れて団長やカタリナが迫り来る事は間違いない。
──小さなビィやカシマールは障害物になりえない。圧縮された水越しの光景は光を屈折させるが、ドリイの頭脳を持ってすれば実像との計算・修正は容易い。ドリイがその向こう岸に人影を捉えたその瞬間……。
カシマール
「イマダ!」
ビィ
「おう!」
──ビィがカシマールを放り投げた。
──ドリイの頭上を飛び越えるカシマールの手からは尚も炎が噴き出している。
ドリイ
「あら。弱りましたね──」
──言いながらも、ドリイの口調も表情も、相変わらず心底嬉しそうなそれであった。
──炎が頭上から遅い来る以上、水壁を移動させねばならない。
──水壁を移動させるには風魔法を……それもこの質量を浮き上がらせる相当の出力が必要になる。
──そしてそれ程の魔力をリスク無しに扱う技量は無く、それをしようとしない事は告白済みだった。
──ドリイは水壁の体積を落とし、削減した分で水壁を浮かべ、カシマールの炎をよりピンポイントに防ぐ形で対処する。
──この一瞬、ドリイの真っ正面はがら空きとなる。取り払われた水壁の向こうから団長が全力で距離を詰めていた。
ドリイ
「(予測被害箇所の硬質化を──)
ビィ
「まだまだぁ!」
──団長の動作を目で追おうとするドリイの視界が塞がれる。
──ビィがドリイの顔面に飛びついたのだ。味方から浴びせられる熱波に全身の体毛が逆立つも、このくらいで怖気づくようなヤワな旅はしていない。
──視界を絶たれて団長の追撃が予測できない。ドリイは硬く握られた拳を見せつけるように突き出した。
ドリイ
「団長様──お覚悟を」
──熱と酸欠で滲む視界で、アンナが言葉の意味を理解した。
──目の前を落下していくカシマールの向こう、ドリイと団長との間に位置する床・天井、壁から棘状のグラスが形成されていく。
──例えばこのグラスが見たままの棘として一直線に伸びれば、四方から団長を刺し貫く事になる。部位によっては充分致命傷となる。
──未だ少なからぬダメージを抱える団長は、周囲に気を配る余裕もなく、ドリイだけを見据えている。これに気付いていたとしても、とても止まってくれそうには無かった。
アンナ
「ダ……ダメェーーーーッ!!!」
──最悪の事態が脳裏をよぎり、思わず目を瞑って叫ぶアンナ。
──あらん限りに炎の出力を上げようと試みるも、限界は先程から既に行き着いている。
──カシマールと共に水壁も落下を始めている。
──カシマールが完全に地に伏せば足止め役はアンナ1人。ドリイが防御に回す魔力リソースが確保されてしまう。そうなれば全ては無駄に終わる。
──しかしその瞬間、有利が約束されたドリイの表情から、笑顔が抜けていた。
ドリイ
「これは──」
──ビィの身体の下で、その目は突き出した己の拳の方向を見ていた。
──深紅の光と際限なく高まる熱とが、ドリイの拳を突き破るように溢れ出ていた。
──その光に団長が気を取られた刹那、輝く拳は光と同じく、深紅色の炎に包まれた。
ドリイ
「──”やはり”……!」
──何が起きたのか。ともあれその途端、団長へと伸びていたグラスの棘が風に吹かれた砂のように崩れ、魔力の粒となって空気中に溶けて消えた。
──団長を阻む物は全て消え失せ、その両腕がドリイの両肩を掴む。
ドリイ
「アンナ様伏せて!」
アンナ
「へ……キャァッ!」
──ドリイの言葉より、目の前で起ころうとしている事態に反応し、アンナは反射的にしゃがみこんだ。
──団長の接触を許したその瞬間、アンナの眼前に展開していた爆炎も水壁も消え失せ、ドリイは団長に押されるまま背後のアンナへ迫っていたのだ。衝撃でビィがドリイの顔から剥がれ飛んでいる。
──蹲って無意識に地べたのカシマールを抱き上げるアンナの頭上で大きく鈍い音と、それに混じってややくぐもった鋭い音がした。
──見上げると、飛びかかった勢いそのままに、団長がドリイを背後のグラスに叩きつけていた。
──這い出すように慌てて脇へと退避するアンナ。グラスにヒビが入っているが、砕くには厚みに比して心許なさすぎる。
──片腕を切断され、もう一方の手は今も激しく炎上していながら、ドリイは落ち着き払って団長と向き合う。
ドリイ
「お見事です団長様。しかしながら、まだ私を無力化するには──」
──言わせる間もなく、ドリイの額に団長の頭突きが叩き込まれた。先程振り回された勢いで武器を手放してしまった団長の精一杯の追撃だった。そのまま数度頭突きを繰り返し、愚直なまでに渾身の力でドリイを壁に押し込み続けている。
──慈しむような笑みを浮かべるドリイ。アンナがハッとして再び魔力を振り絞る。全ての防御を解いた今、ドリイの迎撃リソースは万全のはずなのだ。
アンナ
「だ……団長さん……ごめん!」
──予め団長に謝罪しながら、ちっぽけな種火を少しずつ膨らませるアンナ。既に魔力も酸素も足りていないが、諦めては居られない。
──そんなアンナを見て、笑顔で頷いて返す団長。むしろ自分を確実に巻き込む一撃を決意してくれた事への期待と信頼で胸が満たされていた。そして……。
カタリナ
「頼むぞ『団長』ォーーーーッ!!」
──落ち着きを取り戻し、ルリアに託されたカタリナが、今なすべき事をなすために再び剣を取っていた。
──渾身の踏み込みで、低空を滑るかのように間合いを詰めるカタリナ。
──カタリナもまた、団長が直前に身を引いてくれる事を信じて……それでも最悪の場合をも覚悟して、剣を突き出した。
──迫りくる決定打を見定めると、ドリイは何かを感じ入るように瞳を閉じた。
──何故かこの期に及んで団長を引き剥がそうともしないドリイ。再び瞼を持ち上げると、切断された腕を団長の向こうへ伸ばす。
──その断面から溶岩色の球体が形成される。封じたい所だが、団長はカタリナの一撃のために拘束を解く訳にはいかず、アンナも打ち放つには準備が全く足りていない。
アンナ
「もうちょっと……もうちょっと……だけでも……っ!」
──意識も限界が近づき、うわ言のように祈るアンナ。
──すると、急にアンナの形成する炎が勢いを増していく。
アンナ
「わっ、あっ……あれ?」
──ワンテンポ遅れて驚くアンナ。軟球ほどしか無かった火球が、両腕一抱えほどに膨れて溶岩色にうねっている。今の自分にこれだけの炎を作る余力は無いと、自分が1番解っている。
──つい、どうした物かと困惑して団長たちを見る。団長はカタリナとの呼吸を背中越しに合わせるために集中し、それどころではない。ドリイは……アンナを優しく見つめていた。
ドリイ
「アンナ様──”○○○”」
アンナ
「え……?」
──後の方の言葉が、アンナには辛うじて聞き取れた。だが、同時に発射されたドリイの火球の音にかき乱され、それが正確かどうかは自信がなかった。そもそも、聞き取った言葉に間違いが無ければ、こんな時に口にする単語ではない。
──ドリイの放った球体は真っ赤に焼けた泥へと弾けて、しかし桶の水を放り出すように軽快にカタリナへ押し寄せる。
──思わずドリイの言葉の意味を考え込むアンナにカシマールが呼びかける。
カシマール
「アンナ! コレドースンダヨ!!」
アンナ
「え……あぁっ!? や、ど、どどどうしよう……!」
──アンナの手元の火球が制御不全で爆裂しようとしていた。枯渇していて造れるはずの無かった火球だ。早々に打ち出さなければ安定させる魔力も無いのだから、こうなる他ない。
──今のアンナの技量では発射する他ないが、既にドリイに先手を撃たれた今、団長を巻き込む程の火力は最早意味を持たない。かと言ってこのまま爆裂させれば距離のあるカタリナとルリア以外ただでは済まない。
──アンナがパニックを起こしていると、目の前で火球が水に包まれた。更には強風が巻き起こり、水に飲まれた火球は風に煽られ、グラスの壁に叩きつけられた。
──水とグラスを蒸発させながら火球は見る見る小さくなっていく。呆気に取られながら、こんな芸当の出来る心当たりに目をやると、彼女は、いつの間にか肩口にまで届くほど燃え盛る自分の片腕を、何故か面白そうに見つめていた。
アンナ
「ドリイ──さん?」
──その頃、カタリナは自らに迫る溶岩流を物ともせずに、むしろ速度を上げて突き進んでいた。
カタリナ
「アイシクル──ネイル!!」
──構えた剣を中心に長大な冷気の剣……あるいは突撃槍が形成された。普段のそれとは異なる応用技だった。
──意思を持つように自分へと収束していく不定形の熱量に、奥義を以て真正面からぶつかるカタリナ。
──冷気の剣はその身を細らせながらも持ち主を守り、溶岩を打ち破っていく。そしてついにその全てを貫き、毎日のように見慣れた背中が眼前に飛び込む。
カタリナ
「避けろぉーーーーッ!!」
──カタリナの言葉に身を強張らせた団長だが、まだ動かない。
──自らを易易と振りほどいた相手に、2度も同じ手を仕掛けている今、一瞬でも油断する訳にはいかない。
──ほんの一瞬でも長くドリイの障害となるべく、むしろ拘束を強める団長。ドリイは未だ他人事のように自分の腕の炎に見惚れている。
アンナ
「だ、団長さん! ドリイさん、もう──」
──言い終わらない内に、ドリイの拘束が解かれた。
──団長自らの意思では無かった。ドリイが団長との隙間に高圧力の風を起こして引き剥がし、同時に足払いをかけて団長のみを足元に沈めたのだ。
──反撃を警戒するアンナとカタリナだったが、カタリナの突きが届くまでのその一瞬の猶予、ドリイの取った行動は、まるで迎え入れるように両腕を広げるのみだった。
カタリナ
「な──?」
──困惑も半ばに、到底、人に向けて返って来るモノでない音が響いた。
──茨より粗く、剃刀より鋭利な氷を纏った「ルカ・ルサ」の刀身が腹部を貫き、そして背後のグラスの強度に辛うじて勝利した。
──グラス全体にヒビが走り、今や乱反射で彩られた白い塊だった。
──数秒の沈黙が流れた。呆然と決着を眺めるアンナ達。ドリイの腕の炎が鎮まっていき、連動するようにグラス壁のヒビが音を立てて広がっていく。
──だらりと項垂れたドリイの容態は伺い知れないが、その顎を1滴、赤い雫が滴った。
カタリナ
「──すぐに治療する。だから…………済まない」
──柄を握り直し、剣を引きずり出した。グラスの壁がガラガラと崩れ、炎に晒された熱気と夜闇の冷気とが、風となって混ざり合った。