グラブルオリジナルストーリー(主役:アンナ)   作:水郷アコホ

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37「手記01」

 この日の事は何もかも、今でも鮮明に思い出せる。

 横たわったお祖母様が「泣くのはお止し」と皆を慰めていた。

「私ゃやれることは全部やった。悔いなんか無いよ」って。

 お父様は、「でも母さん、こんなのはあんまりだ」って、ボロボロ泣いていた。

 お父様が泣いてる所なんて始めてみた。

 

 

 

 お祖母様が亡くなられたのは、私が6歳の頃。この日が全ての始まり。

 今でも、私が世界で一番愛し、尊敬する人。誰にでも優しくて、一生懸命で、時にはお父様達が呆れてしまうくらい。

 でも、だからこそ、お祖母様はこの島に喰い殺されてしまった。

 

 

 

 私が物心ついた3歳の頃には、魔導グラスはこの島の半分以上に普及し、誰にも欠かせない物になっていた。

 その頃はまだ良かった。

 プラトニア中がお祖母様を尊敬していた。皆が魔導グラスに大喜びしていた。

 本を一度に何百冊だって運べる。火にかけないで料理を温められる。食べ物をいつまでも腐らせず保存できる。浮力に頼らず空が飛べる。

 なのに、たった3年の間で何もかも変わっていった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──老婆がスーツを来た老人たちの前で魔導グラスを掲げ、老人たちは不満そうにそれを眺めている。やはり黒塗りの人物達。

 ──プラトニア図書館の展望フロアだった。アンナの記憶では、イメージに相応しい情景はここだったようだ。

 ──アンナは皆と食事したテーブルに座っている。隣には先程の場面にも居た女の子。

 ──しかし老婆は厨房からグラスを披露し、老人はトレーを手にカウンター越しにそれを眺めている。夢は不確かだ。

 

 

 

 魔導グラスはオブロンスカヤの直系にしか造れない。造れたとしても、すぐに元の魔力に戻って消えてしまう。

 そんな事、我が家では常識だった。婿入りしたお祖父様は全く造れなかったし、嫁いできたお母様もただのグラスの塊しか造れず、一分も保たずに消えてしまった。

 でも、プラトニアは認めなかった。

 誰かが言い出したらしいの。「オブロンスカヤにだけ出来るのは、何かコツがあるんじゃないか」。

 だからお祖母様は、島の偉い人達の前で実際に1からグラスを造ってみせた。

 そしてオブロンスカヤにしか造れない理由は自分達にも解らない事を説明した。

 

 

 

 グラスを造った事のない貴方に、どんな例えを出したら解ってもらえるかしら。

「どうやって涙を流してるの? 流してみせて」って言われたらどうかしら。

 貴方が自在に涙を流せる人でも、「こうやったら誰でも流せるよ」って簡単に説明できる?

 涙が解りにくいなら、手足の動かし方とか? とにかく、どこかで言葉で説明しきれない、感覚のお話になるの。

 お祖父様やお母様みたいに、グラスを造るだけなら出来るって人達も居た。

 その人達も「絶対にこうしたら出来る」って説明は難しいって、そこは認めてくれたらしいわ。

 

 

 

 でも当然、駄目だった。

 グラスを安定させるためにオブロンスカヤの体の一部が必要って事が、どうしても納得がいかなかったらしいの。

 お祖母様やお父様の話では、偉い人達はすっかり「秘密がある」って信じてしまっていたそうよ。

 どうしてもグラス産業で儲けたかったのかしら。

 先進的で平等を売りにしてるプラトニアで、生まれで最初から決まってるなんて事、認めたくなかったのかしら。

 でも多分、そんな難しい事抜きに「そうだったら良いなあ」ってだけだったんでしょうね。

 偉い人達は、グラスも魔法も専門じゃないもの。

 解ってくれないお役人に、お祖母様は何度も説明に行って、高まる需要に応えて新しいグラスも作り続けて。

 最期の1年くらいは、ろくにお話も出来なかった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──図書館地下の実験室。扉を少しだけ開いて、一組の男女が通路を覗き込んでいる。

 ──何故かその後ろ姿は、ニコラと館長のものだった。2人の邪魔にならないようにアンナも扉を覗き込む。

 ──通路では婦人がしゃがみ込み、つば広の帽子を被った女の子に目線を合わせて、その肩を優しく両の手で包み、何か言い聞かせている。

 ──斜向かいの扉も僅かに開いている。隙間の向こうは真っ暗闇で、幾つもの目玉だけが婦人と女の子をジロジロ見つめている。

 

 

 その内に、島の人達も噂した。「オブロンスカヤが作り方を教えようとしない」って。

 仕方ないんでしょうね。オブロンスカヤはすっかりお金持ち。魔導グラスのせいで仕事が潰れた人もいる。

 一般市民サマでは私達をガメついとしか思えないのだろうし、親戚の貴族も飛び抜けて儲けるオブロンスカヤが気に入らない。

 あっちこっちでお祖母様達を”許すな”って叫ぶ人達ばかり。

 私が出かける時はどこへでもお母様が付き添って、私に大きな帽子を被せて、絶対に取ってはいけないと何度も言っていた。

 

 

 

 最初は私達に味方してくれていた人達も、陰口や嫌がらせを受けてどんどん離れていった。

 オブロンスカヤの親戚筋と言うだけで有る事無い事言い触らされて、家族以外に口を利く人も無くなった。

 そうして、とうとうお祖母様も倒れてしまった。

 

 

 

 ──場面が老婆の横たわる寝室に戻る。

 ──男性がベッドに縋り付いて無き、女性は床に跪くように座り込み顔を手で覆い、老爺が目元を押さえて顔を背けている。

 

 

 お祖母様が、最期に言い遺したの。

「本当ならこんな事、いつでも放り出して良いんだよ」。

 そこから先も何か言いたそうだったけど、誰にも聞き取れないまま、静かに息を引き取った。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。夕食会で使った食堂。3人の大人と1人の子供が食事をしている。会話をしている様子はない。

 ──アンナは女の子の向かいの席に座っている。

 ──アンナの前にも食器が並ぶが、置かれている料理は質素な物ばかり。

 ──否、ある意味、質素と呼ぶのはとんでもない。アンナがお婆様から教わった、森の木の実と草花だけで作った料理だ。

 ──そう言えば、団長たちと旅をするようになってから、久しく作っていない。

 

 

 

 お祖母様が亡くなってからは、皆どんどん遠慮が無くなっていった。

 お祖母様が生きていた頃は、この島を支える大発見をした人だからって気後れがまだあったらしい。

 それに、お祖母様は誰に対しても堂々として、簡単に折れるような人じゃなかった。

 お祖母様に言い負かされた人達も元気を取り戻して、遺された私達は、お祖母様ほど強くはなれなかった。

 

 

 

 お父様がグラス産業を相続なされてすぐ、お父様は法廷に呼び出された。

 もう誰も「オブロンスカヤは造り方を隠してる」って疑わなくて、市民団体がお父様を訴えた。

 お父様は疲れ果てて、訴えがあるたび示談で済ませ、引き下がらなければ裁判所の命令に従った。

 一番グラス造りの上手いお祖母様が亡くなって、お父様1人だけで島を支えていたのだから。

 訴える団体は幾らでも増えた。親戚の貴族もついでに汚職やスキャンダルをほじくり返されてカンカン。

 毎週のように法廷に出向いて水掛け論。親戚が家まで押し寄せて文句の嵐。嫌にもなるわね。

 

 

 

 貴族のはずの我が家は、服を売ってパンを買うようになった。

 沢山の示談金に、経済と福祉のためだからと国がグラス産業の収益を管理する事を決めたから。

 貴族としてのお仕事はとっくに干されて、魔導グラスだけが頼りだったのに。

 あれから何年も経つのに、未だに信じてる人がいるのよね。「貴族は人を働かせて食べている」なんで嘘っぱち。

 仕事もしないで認められる身分なんて無いのに。オブロンスカヤの下で働かせられる人間なんていないのに。

 でもおかしいのよね。当時の新聞読めば解るけど、何も大して変わってなかったの。

 我が家への抗議のデモも、国内にこんなに貧困に苦しんでる人が居るって報道も。

 福祉のために吸い上げた我が家のお金、どこに行ったのかしらね。

 それとも、物質的な豊かさで心の豊かさは満たせないってやつかしら。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──アンナは女の子と手を繋いで、屋敷の廊下……カレーニャの寝室の前に立っている。

 ──何気なく見つめる前方、記憶ではドリイの部屋にあたる扉の前で、婦人がその手に持った何かをじっと見下ろしている。

 ──どうやら新聞のようだ。隣の女の子の顔は相変わらずよく見えないが、彼女も新聞が気になるようだ。

 

 

 

 あの頃の新聞と言えば、今でも覚えてる。

 示談金が払えなくて、先祖代々の思い出の品を競売に出すよう言われて、お父様達が抗議したらしいの。

 次の日。普段お母様が見せないようにしてた新聞の見出し、その日だけはチラッと見えてしまった。

「オブロンスカヤ、気にするのはカネばかり」

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──カレーニャの邸宅に初めて通された時の応接室。アンナはその時と同じソファーに座っている。

 ──床一面に大きく乱暴に文字が書かれた紙が散乱している。

 ──紙いっぱいに1単語程度。なのに何と書いてあるかは読めない。

 ──ただ、その紙の一枚一枚を見る度、とてつもなく陰鬱な気持ちになる。

 ──女の子はアンナの隣で、個室の並ぶ通路に並んでいたあのランプの1つを両手に持って、男性に見せている。

 ──窓の外に、展望フロアの場面で見た老人たちが並んで不満そうに2人を眺めている。バルコニーでもあるのか、宙に浮いているのかは定かでない。夢は不確かだ。

 

 

 

 話を戻しましょう。

 8歳の頃、私は初めて魔導グラスを動かした。

 お父様は忙しくて自宅のランプに魔力を補充する暇も無かったから。

 幼い私は誇らしくって、お父様に胸を張ってその事を報告した。

 お父様は痩せこけた顔で笑ってくれた。髪はお祖父様みたいに白くなったのに、肌は少し青黒くなってた。

 

 

 

 ──女の子がランプをテーブルの上に置くと、男性は立ち上がって足早に部屋をでた。

 ──いつの間にかテーブルの上には、例のショーウィンドウの店で見たグラスの小物が所狭しと並んでいる。

 ──男性が応接室に戻り、機械人形のように足早にギクシャクとやって来て、テーブルの小物を両腕で一遍に抱えて、またギクシャクと部屋を出る。それが何度も繰り返される。

 

 

 

 それを切っ掛けに、私も少しづつ魔導グラスを造るようになった。

 この隅々まで人の手が入った大きな島の、全土にグラスが行き届いていた。

 納期が遅れれば、こぞって売り渋りだとかインフラ長者の脅しだとか言われて、国からもせっつかれる。

 私が起きている間、お父様が眠っているのを見た事が無かった。お父様は余り目を合わせてくれなくなった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──動けなくなったアンナが仲間に介抱してもらった、例の路地裏だった。

 ──アンナは横になっており、女の子がアンナの額に布を置いている。

 ──アンナが起き上がって布を取ると、その布は見るからに乾いていて、温度など感じない。

 ──だがアンナの脳は、それを解っていると同時に、この布は濡れてよく冷えていると認識していた。夢は不確かだ。

 ──視界の端に人影がちらつき、ふと見てみる。婦人と老爺が血を流して倒れていた。

 ──倒れる2人の傍らに男が1人立っている。男のモデルはカレーニャ達と初めて出会った時に割り込んできた浮浪者……に、似ている気がする。

 ──何しろあの時は気が動転していたので、記憶も不確かだ。

 

 

 

 もうすぐ9歳の誕生日。そんな日に、お母様とお祖父様が亡くなった。

 心労ですっかり衰えたお祖父様をお医者に診せるため、お母様が付き添って出掛けた。

 その帰りに、何の面識も無い男に襲われた。

 私達は会った事も無くても、向こうは私達を知っていた。一家揃って”札付き”だから不思議じゃない。

 男はグラス産業で職を失くし、家族に逃げられ、家も失ったそうだ。

 プラトニアには死刑が無いから、どうせならやりたい事して刑務所でゆっくり暮らそうとしたらしい。

 法廷でわめき散らして無事に終身刑を言い渡されたそうだから、今もよろしくやってるんじゃないかしら。

 囚人は捕まった理由で上下関係が決まるって聞くし、すっかり牢屋のヒーローだったりしてね。

 

 

 

 犯人が立ち去ってからもお祖父様達は息が有ったらしいし、騒ぎを聞いた人も結構居たらしい。

 でも、通報があったのは2人が亡くなって、すっかり硬くなってから。

 犯人の犯行を証言した人が、何で通報しなかったか聞かれて答えた。

「だって、被害者はオブロンスカヤだったんですよ」。

 

 

 

 私、ちゃんと調べたのよ。

 この頃はまだ、オブロンスカヤが島の支えになっているのは事実だからって穏健派も居たらしいの。

 そしてこの証人について取材したって当時の記事に間違いなければ、証人も穏健派。

 でもそんな考え、私達を許さない人達からしたら裏切りだもの。きっと家族や友達にそういう人が居たのね。

 今じゃ穏健派なんて名前すら無いのもしょうがない。

 モラルでどう思ったって、自分が現場で選択を迫られたら、自分の人生ふいにする覚悟なんて簡単には出来ない。

 しょうがない。しょうがない。しょうがない。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──図書館の1階広間。グラスが暴走した後のあの荒れ果てた中で、2つの人だかりが出来ている。

 ──1つは誰もが物を振りかぶり足を持ち上げ、何かに殴る蹴るを繰り返している。

 ──暴行を受けているのはグラスの鳩だった。暴走の前触れのように時折痙攣しているが、いつまでも飛び立つ気配がない。

 ──もう1つは、そんな暴行集団に汚い物を見るような視線を送り、何かを撫でくり回したり物をあげたりしている。その中には、昨日のグラス暴走でしょっ引かれた老婦人も居る。

 ──寄って集って慰み物にされているのは女の子の人形だった。かなりいい加減な造りであちこちほつれている。老婦人は魔法の教科書を読ませようとしているらしい。

 ──本物の女の子は、広間の椅子に腰掛けたアンナの、その膝の上に座って大人しくしている。

 

 

 

 お祖父様達の悲劇があって、流石に少し考えが変わったみたい。

「正しい側で居るには、”ほんのちょっと”やり過ぎたらしい」って。

 事件の後、判例が出来たのを良い事にオブロンスカヤから毟り取ろうとする訴訟の順番待ちが幾つもある事とか、色々バレたのも有るかしら。

 元から余りデモとかに加わらず、積極的に我が家を貶さなかった人達と、少しのがっつり貶してた人達が言い出した。

「”愚かな”人達のように”可愛そうな”親子を貶めるような事は出来ない」。

「私達はオブロンスカヤを辱めた事など一度もない。ましてや幼い女の子を悲しませるような事など」。

 子供ってお得よね。

 可愛そうな子供が居さえすれば、自分がその親の財産ブン捕る署名に参加してても、「一家を牢獄へ」なんてカード掲げてた事も、全部棚に上げて”優しい大人達”になれるんだから。そりゃあ子供は貴重な財産よね。

 きっと皆、9歳の頃の自分がどんなに賢くて行動力が有ったか、忘れているのね。

 私はちゃんと覚えてるし、記録も調べられる限り調べ上げたのに。

 

 

 

 そうしたら、ますます皆はオブロンスカヤを憎んだ。

 愛しの妻が「カレーニャが可哀想」なんて馬鹿げた事を言い出すのは、オブロンスカヤが汚く情に訴えたからだ。

 愛しの夫が「カレーニャが可哀想」と言った自分を殴って離婚したのは、オブロンスカヤが夫を変えたからだ。

 これ、当時の週刊誌の引用だからどこまで本当か知らないけどね。

 でも大した予言だった。結局、貶すのも甘やかすのもオブロンスカヤが気に入らないからでしょうね。

 今のプラトニアを見れば解るでしょう。陰口ですら「悪しきオブロンスカヤに裁きを」なんて言わないプラトニア市民が居るなら、厳重に保護してやりたいくらい。

 文句が減って当たり前。ちょっと名前を出せば、どんな言い分でも、貶せば責められ護れば責められ、そうしてお仲間から吊るし上げられるのだから。

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──アンナが服を着せ替えさせられたブティックの試着室前。

 ──アンナは試着室の扉を背にして立ち、広い店内を眺めている。

 ──目の前では女の子がそこら中にフラスコやら如何にも安物な茶器やらを散らかして、紙の山をクッション代わりに魔術書を読み耽っている。

 ──尻に敷き、靴底をなすり付ける紙には女物の服が幾つも描かれている。

 ──ふとアンナが背後を確認すると、ファッション誌の切り抜きらしき絵と女の子の手書きと思しき拙い絵とがピンで留められ、その上からも更に絵やら切り抜きやら重ねてピン留め、試着室の扉が完全に隠れてしまっている。

 ──張り出されているモデルは誰もが豊かな黒髪で、艶っぽく波打ち、ファッションモデルに相応しい見事なプロポーションだった。

 

 

 

 お父様は、とうとう私と話もしなくなった。

「幼い娘を働かせている」と文句を言われたらしくて、お父様は私の造ったグラスを売るのを止めた。

 お祖父様みたいな身体で。お祖父様より痩せて骸骨みたいなお顔で。また独りぼっちで働き始めた。

 きっともう、まともな判断力も無くなっていたのでしょうね。あの頃の私にはそんな事解らないし、解っていたって、きっとどうしようもなかった。

 忙しくて、忙しくて。食事も睡眠も、本当に出来ているかも解らないくらい。

 お父様に会えるのは日に多くて3度、私からお茶を淹れて仕事部屋に届けに行く時くらい。

 だから、どんなに安くて古い茶葉でも美味しく淹れられるように頑張った。

 

 

 

 独りになった私には時間がたっぷりあった。

 家事は魔導グラスに魔力を入れてやれば良い。恐ろしくって家庭教師も付けられない。

 迂闊に外にも出られないのは、幼い私でも解ってた。だからお祖母様の蔵書を読んで、自分で勉強した。

 魔導グラスの仕組みは魔法と全然違うと聞いていたけど、どう違うのかは知らなかったから。

 魔法とか、錬金術とか、魔導グラスの事を知るためにも色んな事を勉強した。

 あの頃は、魔導グラスが不便だからお父様を苦しませているのだと思って、沢山勉強した。

 魔法の勉強以外の時はお茶の事を勉強して、お茶の事ばかり考えた。

 お父様のために何が出来るか、お茶以外には何も思いつかなかったから。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──ここはどこだろう。なんとなく、カレーニャの屋敷の一室だとは思う。

 ──石造りが剥き出しの水はけ優先の内装、質素で大きな木のテーブル。

 ──大きな家ならどこにでもあるような炊事場だった。部屋の隅の竈や食器棚は、長年使われた形跡がない。

 ──テーブルの上には空の麻袋と、パーティー用のパイを焼くような大きな器。器には大量のグラスの破片が盛られている

 ──グラスの破片から、カレーニャのグラス球を割った苦い思い出が蘇る。

 ──桶の水をぶちまけたような音がした……気がする。

 ──音がした気がする方を振り向く。部屋の出入り口前に女の子と、恐らく男性。

 ──男性らしき人影は土下座するような姿勢で、テーブルの陰になってよく見えない。

 ──女の子はテーブルの死角から外れ、男性らしき人影のすぐ近くで男性を見下ろしながら、ぽつねんと立ち尽くしていた。

 ──気がつくとアンナも自分の足元を眺めている。

 ──男性の方から広がる赤黒い……ほぼ黒い液体が自分の靴を濡らして通り過ぎる様を、何故か驚きもせず見つめていた。

 

 

 

 深夜、お父様は突然どこかへ出掛けて、そして帰ってきた。

 丁度その夜、その頃の私が淹れられるお茶の中でも、会心の1杯が造れた。ドアが開く音に大喜びで出迎えに行った。

 お父様は、手押しの井戸から汲み上げるようにジャバジャバ血を吐いた。

 私の目の前で、その痩せた身体のどこにそんなに入ってたのか不思議なくらい。

 何だか「こんなものか」ってくらいの驚きしか無くて、それでもどうして良いか解らなくて。

 お父様を揺すっていたら、一言だけ。

「どんなに辛くても、魔導グラスを憎んじゃいけないよ」と。

 いつからか見せてくれなくなった、優しい笑顔で。

 それからもう、揺すっても呼びかけても動かなくって。血塗れのまま外に飛び出して、お医者を探して街を駆けずり回った。

 帰ってきた頃には血も乾ききって、お父様は冷たくなっていた。

 

 

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