グラブルオリジナルストーリー(主役:アンナ) 作:水郷アコホ
──団長達が親子を狙うグラス人形たちに遭遇していた頃、ブティックではカタリナがニコラの捜索を続けていた。
──予想通り、店内のグラスの数は少ない。否、むしろ少なすぎる。
──店内の半分以上を調べ終えたはずなのに、先程洒落た造りのトロッコ型グラスを叩き割り、それでようやく3体目。
──どこかにもう少し固まっているのかも知れない。もしその渦中にニコラが居たら……。
──逸る心を抑えつつ、カタリナは部屋を1つずつ、無事に残っている服だらけのラックの隙間まで念入りに確かめていく。
──避難した店員の話では「奥に逃げた」との事だが、そこから難を逃れてどこかに身を潜めているかもしれないからだ。
──構造も詳しくないのに、いきなり最奥まで踏み込んで不発となれば、玄関と裏口両方面を調べ直す事となり、手間も危険も倍増する。
──また、余りにも見当たらないグラス達がどこかに紛れ込んでいるとも限らない。グラスとニコラ、どちらかを見過ごして両者が鉢合わせるような事態は避けねばならない。
カタリナ
「ニコラ殿! 居るか! 無事なら返事をしてくれ!」
──何度目かの呼びかけを試みながら汗を拭うカタリナ。返って来る音は無い。
──こう言った場所は、熱がこもりやすく、音が響きにくい。
──無事であったとしても、隠れている場所によっては未だこちらに気付いていないかもしれない。
カタリナ
「(魔導グラスに飲み込まれていたら跡形も残らない……頼む、せめて身に着けていた品の1つでも……)」
「くっ……馬鹿を言え!」
──何度目かの弱気を振り払い、自らを叱咤する。
──もちろん救出するつもりだが、何の収穫も無い現状は着々と焦りを募らせていく。探す場所ももう残り少なくなってきたその時……。
カタリナ
「あれは……何の光だ?」
──真夜中の屋内。照明は大半が破壊されている。幸いにも出火を免れたばかりに、店内は所々に差す月光と奇跡的に残った数える程度の照明の灯以外、暗闇に慣らした目だけが頼りだった。
──その中で、明らかに炎とも天体とも異なる異質な光が遠くに見えた。積み上がった瓦礫と衣類の向こうから木漏れ日のようにこちらへ伸びている。
──火のような揺らめきのない人工的な光量。しかしながら時折、明滅を繰り返している。切れかけの蛍光灯を思わせるが、この空の世間一般にそんな技術は存在しない。カタリナには全く異質な瞬きだった。
カタリナ
「何かあるなら──まずはそこから確かめる!」
──己に言い聞かせるように口に出して、瓦礫を乗り越え突き進むカタリナ。
──幸い、散乱した備品以外に前進を邪魔する物も無く着々と光源へとたどり着く。
──そして、光がどこかの部屋の中から漏れている事が解る。それと同時に、ハッと身構えた。
──光源とカタリナとの境で不自然に光を反射し、あるいは屈折させる物体がある。それも複数。
カタリナ
「魔導グラス──やはりまだこんなに……!」
──グラス達は部屋の前に
──慎重に距離を詰めていくカタリナだったが……すぐに違和感に気づいた。
──光に照らされたグラスのどれもが微動だにしていない。床にはグラスの鳩が転がってさえいる。
カタリナ
「……停まっている?」
──剣先で小突いてもビクともしない。より強く押してみれば、バランスの悪い物は簡単に倒れてしまう。
──不自然に機能を停止したグラスにしばらく気を取られていたカタリナ。ふと顔を上げると、カタリナが来た方とは反対側……光る部屋を挟んだ向こうの通路から、まだ稼働している別のグラスの鳩が近づいてくる。
カタリナ
「しまった……!」
──光を放つ例の部屋まではまだ距離がある。
──その部屋の中にニコラが居るとすれば、救助する前に邪魔なグラスを踏み越えねばならない。
──その間に鳩がニコラを捕捉したなら、自分の方が確実に遅れを取る。
──だからと言って黙って見ている訳にも行かないと、殊更に音を立てて注意を惹きつけながらグラスへ突き進まんとするカタリナ。
──しかし2,3歩進んだ所で足が止まった。
──飛んでいた鳩が、殺虫剤を浴びた羽虫のように突如、地面に転がり落ちたのだ。
カタリナ
「──何が起きた?」
──落ちたグラスに歩み寄り、拾い上げるカタリナ。別段、変わった所は無い。
──記憶を頼りに、グラスが動きを止めた辺りに掲げてみる。そこで「もしや」と勘付いた。
──グラスが飛んでいたその位置は、停止したグラス人形の頭部分のすぐ真横。そして鳩は、その位置に掲げた時だけ、グラス同士の反射と屈折の繰り返しの末にその身に僅かに光を照り返していた。
カタリナ
「光を浴びて……停まった?」
──限りなく乳白色だが、微かに虹色を湛えて見えるその光は、今も扉を失った部屋の向こうから漏れて、カタリナの頬をも淡く照らしている。
カタリナ
「ここは──確か、試着室……」
──周囲に散らばる備品と、出入り口や壁との位置関係に見覚えが有った。
──カレーニャがアンナを拘束して連れ込んだ例の試着室だった。
──室内の光景が妙に眩しく像を結びづらいのは、恐らく壁に張られた鏡が光を反射し合っているからだ。
──この中にニコラが居てくれるなら……。
──光の正体が鬼でも蛇でも望む所と、カタリナは躊躇う事無く室内へと乗り込んだ。
カタリナ
「ニコラ殿! ニコ……ッ?」
「これは──何が、起きたんだ?」
──光に目が慣れ、試着室の惨状に息を呑むカタリナ。
──ひしゃげたラックの数々に衣類が蔦のように捩れて巻き付き、そこかしこに転がっている。
──室内にも複数のグラスが屯しているが、やはりこれらも機能を停止して無粋なインテリアと化している。
──しばらく明滅していた光が段々と弱くなっている事に気付くカタリナ。
──光が小さくなれば、自ずと光源も特定しやすい。目で追っていくと、試着室の入り口真正面の一部。集中したグラスの群れに遮られたその向こうから、光が放たれている事が解る。
──3m級のグラス人形達が膝を突いて停止し、光源を弾き捻じ曲げ続けている。これが邪魔で潜り抜ける余地がない。剣で人形を叩き割ると……。
カタリナ
「居た──ニコラ殿!!」
──頭から血を流し、壁に力なくもたれるニコラを発見した。光はその手のピンキーリングから発せられていた。
──駆け寄り、揺り起こしたい衝動を抑えて容態を確認するカタリナ。
──気を失っているようだが、息はしている。目立った異状もなく、脳を損傷していない限りは大事無い。
──他に足首が腫れ上がっているが、こちらも骨に異常は無い。歩行は困難だろうが、回復魔法で処置すれば後は肩を貸せば良いだけの事だ。
──軽く頬を叩きながら何度か呼びかけると、ニコラが薄っすらと目を開け、瞳が指輪の残光を頼りにカタリナを捉えた。
ニコラ
「カ……タリナ、さ──ぅ痛っ……!」
カタリナ
「動かない方が良い。額と足を怪我している。すぐに応急処置をするから、じっとしているんだ」
──ニコラの意識が明瞭なのを確認すると、すぐさまニコラを寝かせ、散乱した服を漁るカタリナ。
──場所が場所だけに、上等かつ比較的清潔な布が揃っていた。指輪の光が蝋燭程に頼りなくなる中、なるべく損傷の無い服の裏地を切り抜く。
──切り取った布をニコラの足に巻きつける。本来なら魔法で施術してからが望ましいが、指輪の光を失ってからでは手間になる。
──処置を終えた頃には指輪の光はタバコの先程になり、この密室では互いの顔も伺えない。
──しかしカタリナが回復魔法を展開すると、治癒の光がニコラの顔を再び照らした。
──そしてニコラがカタリナの顔を見つけるや否や、口を開いた。
ニコラ
「カタリナ様……逃げて、下さい……グラスが……」
カタリナ
「逃げるものか。立ち向かうためにここまで来たんだ」
「それより、話せそうならこの状況を説明してくれないか。何故グラスに囲まれて無事で済んでいたのか。そして、何故どのグラスも停止しているのか」
ニコラ
「それは……お客様を助けるために──」
カタリナ
「それは聞いている。君が身を挺して助けた店員達からな。よく頑張ってくれた」
「君が囮になって店の奥へ去って──そこからが解らない」
ニコラ
「あはは……恐れ入ります。その後は確か──」
「私、グラスから身を護るために、ラックを盾に、引っ張りながら逃げたんです」
「その間に、この部屋は殆ど壊れてなかったのを見つけて、持ってたラックでバリケードを作って、逃げ込んで──」
「でも、グラスにドアごと破られちゃったみたいで──ドアが頭にガーンってなってからは、目の前が暗くなって……あ、そうだその時に足もアイタタタッ!」
──咄嗟に自分の足元を確認しようとして、そこでようやく足の負傷に気付いたらしく悶えるニコラ。
──こんな状況だが、「これは大した事は無いか、よっぽどの重傷かだな」と冗談半分に思うカタリナ。ニコラを押さえつけ、おとなしくするよう促す。
カタリナ
「だから動くなと言ってるだろう。さっきも言ったが、君は頭と足を痛めている」
「この場で完治とまでは難しいが、ちゃんと処置しておけばすぐに治るさ」
ニコラ
「あ~たたた……お手数かけます……」
──確かにニコラの言った通り、見回すと真ん中辺りから2つに畳まれた扉の残骸が近くに転がっている。
──今しがた服を拝借したラックも、改めて見てみれば、ニコラが怪我をした足首の傍に横たわっていた。
──確認している間に頭の傷はほぼ癒えた。続いて足を治療しながら質問を続ける。
カタリナ
「それで、グラスが停まっている件だが──」
ニコラ
「それは……あはは。何故なのか、私にもさっぱり──」
──途端に露骨に目を逸らすニコラ。それを映し出す程度には、治癒の魔法は充分な光量があった。
カタリナ
「自分が身に着けている物が原因だとしても──か?」
ニコラ
「あ……い、いえこれは、その……あはは、は──」
──ニコラもこの島の住民である以上、何か訳ありなのだろうと察するカタリナ。小さく溜息を吐いて切り口を変えてみる。
カタリナ
「──ところで、例の話はドリイ殿から聞いた」
ニコラ
「あ……そう、ですか……」
──昨日の店員達の会話の一件の事だとすぐに察したニコラ。誤魔化すためとはいえ充分に活力を感じさせていた作り笑顔がシュンと消え失せた。
カタリナ
「カレーニャがどのような半生を送ってきたかも、大まかにな。この騒ぎをカレーニャが主導しているのもこの目で確かめたし、その心境も垣間見えた」
ニコラ
「……」
カタリナ
「今、私達はカレーニャを止めるために戦っている」
「私達は余所者かも知れないが、もう無関係では居られない。……出来れば、全て話してくれないか」
ニコラ
「…………」
──あくまで穏やかに語りかけるカタリナ。返答はなく、長い沈黙が流れた。
──そろそろ足の治療も終えて店員達の避難する路地へ連れて行こうかと考えた頃、不意にニコラが口を開いた。
ニコラ
「カレーニャの……お祖母ちゃんの物なんです」
カタリナ
「む?」
ニコラ
「この指輪──カレーニャのお祖母ちゃんが造って、私の両親に送ったものなんです……餞別にって」
──完全に光を失ったピンキーリングを、カタリナの手の光に当てながら眺めるニコラ。
ニコラ
「カレーニャのお祖母ちゃん──ナタリーさんって言うんですけどね」
「ナタリーさんの生きてた頃は、みんな堂々と、今とは想像も付かないくらい、魔導グラスとオブロンスカヤにひどい事ばかり言ってたんです」
「その内に、オブロンスカヤと関わりのある人たちまで悪者呼ばわりされて──話をしたってだけで厳しく責められる人も居たくらいで……」
カタリナ
「そういえば先ほど、君が助けた店員から聞いた」
「君のご家族はオブロンスカヤの家で働いていて、仕事の関係以上に家同士で親密にしていたと」
ニコラ
「はい。ナタリーさん、まるで私の本当のお祖母ちゃんみたいに優しくて──住み込みの使用人の子なんて働き手にもならないのに、カレーニャと一緒に遊ばせてくれて、色んな洋服の絵を描いたり──本当に幸せでした」
「でも、私達まで嫌がらせを受けるようになって……ナタリーさん達の方から、ウチにお暇を出されたんです」
「使用人ですから、家の人より外を出歩く事も多くて。このままだと、出掛けた先で酷い事も起きてしまうかも知れないからって」
カタリナ
「それを、受け容れざるを得ない程だった──と言う事か」
ニコラ
「あの頃は解らない振りしてましたけど──買い出しの帰りとかの度に、同じ人がお屋敷の前まで後ろを付いて来てたりしてましたから」
──カタリナは答えず、治療の仕上げに専念した。苦笑して見せるニコラに、返す言葉が見つからなかった。
ニコラ
「お屋敷を出る日に、ナタリーさんが私のお母さんに、この指輪をくれたんです」
「『もしもの時のために、どんなに苦しくてもこれだけは手放しちゃいけない』って」
「お母さんが亡くなる時に、私にこれを託して、指輪の力を教えてくれたんです」
「指輪に嵌っている石、魔導グラスなんですよ。『魔導グラスが持ち主に危害を加えようとした時、それを弾き返して無理矢理グラスを停止させる』──そういう力があるグラスなんだって」
カタリナ
「そんな物──こんな時になって力を発揮するような物を……?」
ニコラ
「もっと便利なのだと、造る時間とか無かったかもですし、人に見られたら盗まれちゃうから──ですかね?」
──バツが悪そうにフォローを入れようとするニコラ。
──言葉の意図を大分取り違えられているが、指摘するのは諦めた。
──身の危険……それもオブロンスカヤ自身が造った物で齎される被害。そんな事態が当然のように付き纏い、麻痺してしまうほど、ニコラ達までもが追い込まれていたのだろう。
──グラスに襲われるなど当たり前。怪我をして、気を失って、間近までグラスが迫るギリギリになってようやく発動する。そんな物しか託せなかった事を問われている。そう自然に解釈できる半生など、カタリナの想定をとっくに通り越している。
──処置を終えると、カタリナは肩を貸すどころか、ニコラをおぶって移動を開始した。
──歩き出すと、背中で恥ずかしそうに抗議の声があがる。
ニコラ
「あ、あ、カタリナ様! 自分で歩けますんで!」
カタリナ
「まだ魔導グラスが残っていないとも限らない。逃げるにも戦うにもこの状態が1番素早く動けるんだ。悪いが我慢してくれ」
ニコラ
「い、いえいえ! カタリナ様のお陰で、私もう今すぐにでも走り出せそうなアギヒィッ!」
──カタリナがニコラの
──治療を施したとはいえ、アレもコレも直ちに魔法で治せれば専門の医者などこの空に必要ない。現状ではこれでも大分治まっている方だ。
──これ以上ニコラの足を揺らさないよう持ち直して、再び歩き始めるカタリナ。
カタリナ
「なるべく刺激しないように移動するが、多少の痛みは耐えてくれ」
ニコラ
「うぐぅぅ……あ、あのでは、せめてお店を出たら、降ろしていただければ──」
カタリナ
「何故だ?」
ニコラ
「へ……?」
「い、いえいえいえ、何故も何も、カタリナ様達も他に目的があるはずですし、お義母さん達が避難してる場所が近くの”秘密の会議所”なのも想像つきますし──」
「あ、それに、痛いって言っても歩くくらいならちゃんと出来ます! これは本当ですとも! 余計なご迷惑は──」
カタリナ
「駄目だ。降ろせない」
ニコラ
「何故ぇ!?」
カタリナ
「──解らないか?」
──ニコラからはカタリナの後頭部しか見えない。しかし、口調がどこか冷たい事は感じ取れる。
──カタリナが何を思っているか本当に解らず、気まずくなるニコラ。
ニコラ
「あ……あれ? あの……わ、私、何か気に障るような事を……?」
カタリナ
「怒っている訳じゃない。ただ──」
「答えてくれ。君は何故、店の奥へ逃げた?」
ニコラ
「え……? それは、ただもう無我夢中で──」
カタリナ
「君は身に着けた指輪の効力を知っていた。だから囮を買って出たと思っているのだが、どうだろう?」
ニコラ
「それは──確かにあります。だからすぐにグラスに捕まったりはしないだろうなって思ってました……」
「でも、それよりも私は皆の安全を──」
カタリナ
「そうじゃない。確かめたいのは、君は自分の身の安全に多少なりと自信があったと言う事。そうだな」
ニコラ
「ええ、まあ……それが何か……」
カタリナ
「それじゃあもう一度だ。何故、店の奥へ逃げようと思ったんだ」
「──いや。その様子だと、君自身は本当に考えるよりも体の動くまま、そうしただけなのかもしれないな」
「質問を変えよう。君は、『逃げ場を自ら潰していくような自分の行動を、疑問には思わなかったのか』」
ニコラ
「え……?」
──試着室で見つけた時、カタリナの脳裏に一抹の疑問が過ぎった。
──ニコラの反応を見る程に、段々とカタリナの抱くそれは確信に変わっていった。
──整頓されているとは言え、店内は大量の物に溢れ、大きな建屋は素人が見ても頑丈さが伺える。
──そんな店の裏口側でもない、奥の奥へとニコラは逃げた。お陰でカタリナも随分労力と時間をかけた。
──更には窓1つない試着室に立て籠もった。一度発動した指輪の光は稼働を続け、今にも魔力切れ寸前だった。
──店員の証言では、後から侵入したグラス人形が、他のグラスを閉め出した部屋をこじ開けて回ってこの騒ぎとなった。魔導グラスがバリケードを破壊する事は充分想定できたのに、ニコラは手持ちのラックと指輪1つだけを頼りに、いつ終わるとも知れない騒動の中で籠城を決め込んだ事になる。
ニコラ
「で……でもホラ、少しでも時間を稼がないとって──」
カタリナ
「その果てに、だ。時間を稼ぐだけ稼いで、試着室の外でグラスの好きにさせて……その後、君はどうするつもりだったんだ。君を心配する育ての親を残して」
ニコラ
「そっ……それ、は……その……」
──振り向かないカタリナにニコラの顔色は伺えない。しかし声で解った。
──ニコラは理解した。カタリナの詰問の意味を。そしてニコラ自身にも恐らく自覚の無かった、その行動原理を。
カタリナ
「まず1つ。君を助け出す事を、君の義母上と約束している」
「そしてもう1つ。君は……」
「君は、どこか”危なっかしい”」
「だから、君がアジトに迎え入れられるのを見届けるまで、君の元を離れない」
ニコラ
「──……」
「か……考え過ぎ……ですよ」
──ニコラの声が震えている。
ニコラ
「たまたま試着室に行き着いただけですよ。アッチからグラスが来てるからコッチに逃げよーって、それで、たまたま……」
カタリナ
「なら──」
──カタリナが立ち止まり、振り向いた。
──お誂え向きに窓の近くを通りがかり、丁度月明かりが綺麗に差し込んでいた。
──背後のニコラの顔を確かめる。ニコラは目を泳がせ、カタリナの視線にも気付かないままブツブツと弁解を続けている。
カタリナ
「ニコラ」
ニコラ
「はひゃいっ!」
カタリナ
「私の目を見て、正直に答えてくれ」
「もし君の望み通り、店先で君を降ろしていたら……君はどこへ向かった?」
ニコラ
「ど、どこって……」
カタリナ
「もし私が、そんな君を密かに尾行していたら、私は”まっすぐに”路地へ向かう君を、見送っていたか?」
ニコラ
「それ、は……」
カタリナ
「『グラスが隠れ家を探しているかもしれない』とか、『たまたま近くを通りがかっている人が居るかも知れない』とか。そんな考えに突き動かされたりしないと、ここで私に誓ってくれるか……?」
ニコラ
「…………」
──10秒、20秒と沈黙が続く。ニコラが何度、無意識に目を泳がせても、戻ってくれば微動だにしないカタリナの目が深く強く射抜いてくる。
──やがて、ニコラが「うぅ」と力なく呻いて、ゆっくりと頭をカタリナの背に埋めた。前面に回した腕がカタリナをぎゅっと締め付ける。
──それを答えと判断し、カタリナは再びゆっくりと歩き始めた。
──その後ろでニコラがぽつぽつと語り始める。いつの間にか、声に涙が混じり、時折しゃくりあげている。
ニコラ
「私……ずっと、ずっと無視して来たんです……カレーニャの事……」
「家族を……殺されて……お金も、取り上げられて……ドリイさんの前の、保護官の人達の事も……全部、全部知ってたのに……」
「お義母さんに、この仕事を任されて……カレーニャが来るようになっても……何にも……し……知らない振りして……」
──カタリナは黙って、昨日のこの店での件を思い返していた。
──最初にカタリナ達に接客し、ニコラに後を任せ、そして帰り際に陰口を溢していた、あの女性店員が育ての親だった。
──陰口の訳を確かめさせるように勿体付けて、そのくせ自分が仄めかした事は隠したがっていたニコラ。理由は「人が居るから」。
──ニコラは、この島でカレーニャに味方する者がどう扱われるのか、義理の家族を通して目の当たりにしてきたのだろう。
ニコラ
「…………降ろして下さい」
カタリナ
「駄目だ」
ニコラ
「……そんなの……それこそ駄目ですよ。駄目じゃないですか……言うじゃないですか……いじめを見て見ぬ振りしたら、その人も同罪だって。私が、誰よりも……誰よりも、近くで……」
カタリナ
「君がどう思おうと……君は誰より近くで、カレーニャを愛し、見守っていた──私には、それしか解らない」
ニコラ
「違う……!」
「私は……私は、逃げちゃいけないんです……私はぁ……っ!」
カタリナ
「……」
──カタリナの背にボタボタと涙を落とすニコラをそのままに、手探り足探りで出口への道を探る。
──ようやく玄関だった場所まで行き着くと、カタリナは一呼吸置く。
──まだ背中ではしゃくり上げる声がするが、会話を切り上げた直後よりは落ち着いている。
──少しの間、通りの気配を探るように目を泳がせたカタリナ。少なくとも何かが潜んでいる様子はない。
──背後へ声をかけた。
カタリナ
「……何と言ってやったものか、先程から考えていた」
「今の君に、私の言葉がどれほどの意味を持つかは正直、自信が無い。ただ──」
──もう一度、頭の中で言葉を練り直すカタリナ。
──ニコラがどんな顔をしているか、見る気にはなれない。だが、泣き声はしばし止んでいた。
カタリナ
「ただ──逃げてはならないとするなら、それは魔導グラスからでも、君の背負ってきたモノからでもない。カレーニャからだ」
「本当に君に果たすべき”けじめ”があるなら、カレーニャの前で、地べたに額を打ち付けてでも謝り倒してからだ」
「スジを通すにせよヤケを起こすにせよ、突っ走るのはそれからにしろ」
──そこから先のカタリナは、もう背後に気を遣うのを止めた。
──どんなに案じてみても、これ以上はカタリナにはどうしようも無い。心配の押し売りになるだけだ。
──そしてここからは、短距離と言えど、自分の足がニコラだけでなく、グラスまでも路地に導くような事が有ってはならない。
──心を凍てつかせてでも切り替えて、周囲に神経を張りながら、月明かりの下へと踏み出した。