グラブルオリジナルストーリー(主役:アンナ) 作:水郷アコホ
──異界の座の防壁を突き進む炎のカシマールは、徐々にその体を縮ませていった。
──渾身の一発がカレーニャに届く頃には、突き出した腕のサイズはそのままに、体は最初に出現した時の半分ほどしか無かった。
──そのまま体が腕に吸い込まれるかのように形を崩し、異界の座をほぼほぼ溶かした今では腕の影も無く、僅かに残った座の残骸を、虹色の残り火を燻らせながらゆっくりと溶かしていた。
ビィ
「か……勝った、のか……?」
ルリア
「だと、良いんですけど……」
──座を砕かれても、心を折られても、命を削ってでも抗い続けたカレーニャが相手だけに、未だ勝利を信じきれない2人。
──そんな2人に、イフリートの腕の先に立つ団長の声が届いた。
団長(選択)
・「アンナから伝言ー!」
・「このままイフリートを図書館の前へ!」
→「このままイフリートを図書館へ!」
ルリア
「ふえっ!? は、はーい、わかりましたー!」
──まだ辛うじて底面の一部を残す異界の座を警戒しながら歩みを進め、ルリアはイフリートを図書館に隣接させた。
──もう、地表にもイフリートにも、そして図書館にもグラスは欠片も残っていない。
──否、よく見れば、図書館の窓を形成していた魔導グラスがいつの間にか綺麗に収まっている。
──イフリートが歩いた地盤も、陥没後の歪さを残しながらもしっかり紅蓮の巨人を支えていた。
──いずれも、それに気付いたとて疑問に思える程にルリア達に洞察力は残っていない。
──彼らには知る由もないが、全ては魔導グラスに組み込まれた仕様である。
──殊に公共設備のグラスは、己の形状と設置された座標を記憶している。そして「記憶された座標と異なる場所に居る」、「体積を損なっていない」。この条件を満たした時、独自に記憶した座標へと「帰巣」し、かつての形状へ「再生」する機能がある。
──定期点検や改修を終えての再設置の手間を削減するものである。これで工事の頻度と、それに伴う事故と、インフラ停止被害と、そして関係企業の収益が大きく減少した。
──もちろん、最たる目的はカレーニャが島を取り込んだ後、襲撃に駆り出したグラスの管理と回収を簡略化するためのものである。
──加えて、これもまだ一行の知る所ではないが、既にぽつぽつとプラトニア市民が気を失った状態で街に復活し始めている。
──こちらは仕様の副産物だ。
──取り込んだ住人は、グラスを介して異界の座に送り込まれる手はずだった。
──しかし座が沈黙した事で、座に取り込まれた住人らは緊急措置として残存するグラス達へ差し戻された。他ならぬカレーニャ自身がグラス取り込みを活用して移動するのだからして、欠かせないセーフティだ。
──そのままグラス達は異界の座の統制下から解き放たれ、気体化・液状化など各々の手段で在るべき座標へ帰巣し、在るべき形態に再生する。
──アンナの想いの炎は、「一時的に」元の形と役割を損なわせるに過ぎない。「一時」を過ぎて、既に全ての既製品は帰巣と再生を始めているのだ。
──そうなれば、内部の「不純物」はどこかで排出せねばならない。しかも魔導グラスは融通をきかせるのが得意だ。相互に再生の障害にならない様な場所を選ぶ。
──結果として市民達は、周囲のグラスに干渉しない開けた場所、図書館などの屋内に再構成して放り出されているのだ。
──つまり、今度こそ、異界の座の猛威は完全に停止した事を意味している。
ルリア
「このくらいで良いですかー?」
──ルリアが確認を取ろうと、突き出されたままの腕の向こうに呼びかけると、団長に抱かれるアンナの影が急に大きく動いた。
アンナ
「カレーニャ!!」
──叫ぶなりアンナは、自身を抱きかかえていた団長を押しのけるようにしてイフリートの腕に降り立ち、そのまま前方の空間へと勢いよく飛び込んだ。
ルリア
「はわっ! アンナちゃん!?」
ビィ
「お、おい、アンナが飛び降りたぞ!?」
──先程まで起き上がる事もままならなかった体のどこにそんな力が残っていたのか。飛んだ先はちょうど異界の座の真下に位置している。
──ルリア達がアンナの行動に悲鳴を上げたその直後、異界の座から人影が落下し、アンナの影と重なった。
──カレーニャだ。どうやら気を失っているようだ。
ルリア
「アンナちゃん、カレーニャちゃんを助けるために……!」
ビィ
「つってもかなり高さ有るぞ! このままじゃ2人ともヤベェ!」
──先の激戦、図書館の屋根部分は消し飛び、屋根裏部屋が露出し、屋根裏部屋の床板もまた、グラス塊の絨毯爆撃に晒され、もはや二人を受け止めるのはただの瓦礫置き場である。
──仮に命に別状のない落差だったとしても重傷は免れないし、折れた建材でも転がっていれば致命傷になり得る。よしんば無事な床に落ちたとしても、どちらかがどちらかの下敷きにでもなれば絶望的だ。
──イフリートでキャッチするには、今回は落下距離が短すぎる。一瞬で、自由落下を超える速度で安全に、というのは無理がある。
──団長も押しのけられた事で事態を把握するのにワンテンポ遅れた。今から飛び降りても後追いにしかならない。
──ルリアが目を覆い、アンナは折れた梁の刺々しい断面が迫るのが見えて、腕の中のカレーニャを祈るように強く抱きしめた……。
???
「間に合えェーーーーーッ!」
──心強さを呼び起こす聞き慣れた声と共に、瓦礫の隙間から人影が飛び出し、アンナ達の真下に飛び込んだ。
──人影が勢いそのままに、スライディングでアンナ達の真下に伸びる梁の残骸を蹴り付け角度をずらす。
ルリア
「カタリナ……ッ!」
ビィ
「今の声、姐さんだよな!? やったぜ、無事だったんだな!」
──自らの身体と、その上に纏う鎧とで二人分の質量を受け止めたカタリナが、受けきれなかった衝撃に咳き込みながらアンナ達を気遣った。
アンナ
「カ、カタリナ……!?」
カタリナ
「ゲホッ、ゲホッ……間一髪だったな。怪我はな……ぶっ!?」
──遅れてカシマールが降ってきて、カタリナの顔に覆い被さった。
カタリナ
「ぷはっ……ハハッ、やれやれ。折角の見せ場だったのに格好がつかないな」
──顔の上のカシマールを拾い上げ、アンナに返すカタリナ。カシマールは
──2人を床に移しながらカタリナは、己を案じてくれていた仲間達へ手を振って無事を示した。
──イフリートを伝って屋根裏に降り立ったルリアが、満面の笑顔でカタリナに抱きついた。
ルリア
「良かった……カタリナ……!」
カタリナ
「あ、ああ……。ただ、流石に無傷とまではいかなくて……すまんルリア、ちょっと痛い……」
ルリア
「はわっ! ご、ごめんなさい!」
ビィ
「ルリアの力でもイテェって、どっか
「姐さん、そんな体でよく飛び出せたな……」
カタリナ
「ついさっき、自分の無事に自分で驚いていた所だよ」
「体の具合を確かめる前にアンナ達が降ってくるのが見えて、後は無我夢中で──」
「そうだ! それよりアンナ。カレーニャの方は? 状況からして、今度こそ勝負は……」
──言いながら、自らの鎧に留めたマントを乱暴に取り外すカタリナ。
──カシマールの炎で中途半端に溶け落ちたカレーニャは、体こそ無事だったが、服を構成していたグラスが殆ど溶け、裸同然だった。
アンナ
「ボ、ボクの座の欠片をあげられれば良いんだけど、カレーニャが起きてくれないと、どうにも……」
「(結局、少しも傷つけないのは、無理だったなぁ……でも……)」
──カタリナからマントを受け取りながら、アンナはカレーニャの髪をそっと撫でた。軽く、細く、滑らかで、これがガラスで出来ているとはとても信じられない。
──服は諦めても、髪だけは残してあげなければと思っていた。
──そして、マントで身を包んでやろうとした時……。
カレーニャ
「お気遣いなく……」
アンナ
「ッ! カ、カレーニャ、目が覚めたの!?」
──力無くカレーニャが声を上げた。目は開かれているが、ぼんやりと空を見上げている。
──驚きと歓喜の声をあげるアンナ。ルリアも乗り出すように身を寄せて来た。
アンナ
「カ、カカ、カレーニャ、大丈夫!? 苦しかったりしない!?」
「あ、あの、ボボ、ボクの『異界の座』がまだ残ってるから、これで、少しでも、その──!」
カレーニャ
「あなたの方が一杯一杯じゃござあませんの。それこそ無用ですわよ」
「情けない話ですけど、やられる前に無意識に座の残りを幾らか体に取り込み直しちゃったみたいですの。人並みの活動するくらいなら差し障りませんわ」
アンナ
「よ……良かったぁ……本当に……」
カレーニャ
「それに、最初から失神も亡くなりもしてませんから、目醒めるも何もござあませんわ。この体にそんな非効率的な機能は付けてませんもの」
「さっきまでノリに任せて無茶してたから、力ぁ抜いたら指一本動かせなくなってただけで──」
「……って、だから、もうそんな施しは結構だと……」
──話している最中にもマントを着せようとするアンナに抗議するカレーニャ。
アンナ
「で、でも、幾ら何でもそんな格好じゃ……」
カレーニャ
「もうどうでもいいんですのよ……それに、そんな手で本当に人様のお召し替えなんてできますの?」
──アンナの手首は愛玩犬のように震え、腕全体の挙動もフワフワとして頼りない。
──先ほどカレーニャを助けに飛び降りた底力も抜けきり、マントさえ重たいかのように、今にも取り落してしまいそうな様子だった。
アンナ
「こ、このくらいなら、何とか……」
カレーニャ
「『何とか』で着せかえ人形にされる方は堪ったモンじゃござあませんのよ」
ルリア
「じゃあ、私がやります! ケッコウでも何でも、勝手にやっちゃいます!」
カレーニャ
「ハァ……どいつもこいつも。もう勝手になさいな」
──観念したのか、ため息1つついて大人しくなるカレーニャ。
──その態度は徹頭徹尾、気怠げで、他人事のようで。
──これが戦いの後で無かったなら、そのままフラリとどこかへ消えてしまいそうだった。
カタリナ
「カレーニャ。今言った、『もうどうでもいい』とは……」
「『どう言う意味』だ」
カレーニャ
「……──」
「……どう言うって? どの辺の意味が解らないと?」
──ルリアが着付けを終えたのを見計らって、カタリナが口を開いた。
──空気が冷え込むのを感じ狼狽える一行。その声は冷たく低く、強くは無いが確かな怒りの類を感じさせた。
──カレーニャは尚も虚ろに空を見上げて、鼻で笑った。白々しいとでも言いたげに。
ルリア
「カタリナ……?」
カタリナ
「君よりは長生きしているからな。今の君のような言葉を私は知っている」
「服は要らない。食事は要らない……。手当ては要らない。情けはいらない──もうどうでもいい」
「聞き慣れているよ、そんな言葉は。イヤというほどに」
ビィ
「お、おい、まさか……」
──皆が思い思いの困惑を浮かべてカレーニャを見た。
ルリア
「カレーニャちゃん! えっと、その……その、ダ、ダメです! えっと……は、早まっちゃ……?」
カレーニャ
「ご心配なく。もう、残りの座じゃぁ悪あがきする程の出力も残ってませんわ」
カタリナ
「そんな事、もう誰も考えちゃいないさ」
「あくまで本気でそう思っていると言うのなら……皆が君に何を感じているか。しっかりと説明しようか?」
カレーニャ
「そーゆーのが『もういい』って言ってる事、解ってて仰ってるくせに」
「あなた方こそ、一握りも無い命しか残って無い私に、そんなツラ見せつける権利があると本気で思ってるんですの?」
「思ってンなら、それこそ懇切丁寧に説明したげてもよろしくってよ。立場ってものを」
──上体を起こし、アンナの腕を離れて自分の力でその場に座り直すカレーニャ。
カタリナ
「確かに、私達は君の夢を奪い去った。10年費やした切り札も、体を作り変えた利点すらも。しかし──」
カレーニャ
「ハンッ……ほんっとーに解って無いんですのね。バカのやる事が正解だなんてお話の中だけかと思っていたのに……」
「ああ、そうね。皆がバカのまま生きるのが理想って事にしたいから、だからバカばかり正しい事にされるって、そういう事ね」
ルリア
「カ、カレーニャちゃん……何を言って……?」
ビィ
「もしかして、負けたショックでどうかしちまったんじゃ……?」
──独り言ちては冷笑を浮かべるカレーニャに困惑する一同。
──アンナがカレーニャの手を取った。カレーニャの笑みが消え、感情に乏しい目がアンナを射抜く。
アンナ
「ボク達が……勝ったから……だよね?」
「カレーニャの、お祖母さん達のための想いに、ボク達が勝ったから……」
カレーニャ
「……」
「……当然だったって事よね。どうせ」
「だって、正しいんですものね。立派なんですものね」
「ヘッ……私の捻くれた10年より、あなた達の、降って湧いた、バカ丸出しの想いの方がよっぽど……バカバカしい」
ルリア
「そ、そんな事……」
カレーニャ
「人が世の中の仕組みって物を理解してやってんですのよ。否定してもらうの前提な『僻み』と一緒にしないでくださあます?」
「想いの丈にだって、質だの良し悪しだの貴賤がある。そうでなくて他に何の説明が付きますの」
「人殺しのための想いなんて、昨日今日立ったばかりの正義感に比べたら、10年集めて固めたって、一欠片にも届きやしない」
「フフ……ククク……そうして何もかも燃え尽きて。この島だって何日もすれば元通りで。全部片付いて世はなべて事もなし。そしてこの上、退場した悪党絞りカスの私に何をやらせたいってんですの。ねえ?」
「土下座? 改心? キラッキラのお目々で感涙しながら『ホンットーのホントーに大切な物が、貴方様がたの中にこそ在るのだと大悟いたしました』と? 台本なら幾らでも用意ができましてよ」
──手放してはならないものを振り切った、ニタニタと浮ついた顔がルリア達を睨めつける。
──アンナは何とも言えない顔で視線を落とし、両手に取ったままのカレーニャの手を、震えを増しながら強く握った。
──傍らのルリアの背すじが急速に冷えていった。
──あくまで面白い物を見るかのようなカレーニャの絶望的な笑顔が。自分たちがカレーニャをこうしたのか、どうあってもカレーニャに勝つという事はこんな結果しか呼ばないのかという恐怖が。目を逸らす事すら許してくれない。
──しかし、アンナの隣にカタリナが割って入った。何かを堪えるように、その顔に表情は無かった。
──カタリナは静かに膝を突き、カレーニャの顔に片手を添えてこちらを向かせ、もう片方の腕を伸ばすと……
──パァンと盛大な音を立てて、強く、カレーニャの頬を張った。
カレーニャ
「ッ……ク、フフ……」
──咄嗟にアンナが支えなければその場に崩れ落ちていた。否、アンナが一緒に崩れ落ちて間に挟まったから倒れては見えないだけか。
──ともあれそんな一発にも、カレーニャは粘着質な笑みを崩さない。
アンナ
「カ、カタリナ……!?」
カタリナ
「……」
「叩いたくらいじゃ解らないとは、可愛い所もあるじゃないか」
カレーニャ
「……あぁん?」
──冷ややかに、しかし聞き捨てならないとでも言いたげにカレーニャが食いついた。
──カタリナの顔は、少し意地悪そうに、しかし穏やかに微笑んでいた。そしてすぐに厳しい顔つきに変わる。
カタリナ
「まず1つ。想いの力だけが勝敗を分けたなんて思っているのは、君だけだ」
「自慢するつもりは無いが、これでも私達は幾つもの危険を乗り越え、星晶獣のような相手とも生身で渡り合って来ている」
「その私達が、守り切れない犠牲に目を瞑り、使いたくもない手段に出て、死力を尽くしてようやくここまで漕ぎ着けたんだ」
カレーニャ
「そんなとっくに解ってる事実が何だと? そうさせたのが、あなた方の──」
カタリナ
「君に負けない、それだけのためにだ。星晶獣のように島1つ沈める力に、10年費やしてやっと届いた程度の君にだ。ドリイ殿さえ手放してたった独りの君にだ」
「我々は、そのドリイ殿の手助けを受けて、やっとだぞ」
「君という奴は、君に生み出せる
「君に敗因という物が本当にあるとするなら、それは精々、君が力の使い方を間違えた事だ」
「良い悪いじゃない。偶然、我々の気に入らない使い方をして、限界を超えてまで我々に意地を張らせてしまった。それだけだ」
カレーニャ
「……何が言いたいと──」
──スッとカレーニャの顔から笑みが消えた。向き合う価値も無いとばかり煩わしそうに首をだらりと降ろし、続けて低く何か口走ろうとするが、ビィの声に遮られる。
ビィ
「そ、そうだそうだ!」
「島の連中が襲われたりしなかったら、俺達だってもっとトンでもねぇ仲間一杯引き連れて来れたんだぜ!」
「それにオマエの言ってる想いの力って、アンナの異界の座の事だけじゃねぇか。オイラ達の頑張りを無視すんなってんだ!」
ルリア
「カレーニャちゃんの魔導グラス、本当に星晶獣にも負けませんでした。凄くないわけ無いです!」
──2人にはカタリナの言葉が何を成そうとしているのかは見通せていない。
──しかし、それがカレーニャを立ち直らせるための言葉だろうと信じたビィとルリアは、とにかくその勢いに乗っかった。
──見ればカレーニャは、僅かながら震えるように口元を歪め、眉根も痙攣するように動いている。良い予感が全く無い。それでも幼い二人には、我武者羅に現状を払拭しようと足掻くのがやっとだった。
カタリナ
「敢えて率直に言わせてもらうなら、君の想いが賤しいだ等と、憎まれ口も大概にしてくれ」
「本物の想いが、島1つと私達とを相手取り、10年かけて戦い抜いた泥仕合だ。負けたからって君本位の『僻み』で扱き下ろされてはこちらも堪ったものじゃ──」
カレーニャ
「……っけんじゃないわよ」
──ドス黒い声だった。伏せられた顔色は伺えない。
──ルリアとビィが一歩引くように身を強張らせた。何が……どれが癇に触れたかは解らないが、逆効果だったとしか思えない。
──二人が思わず縋るようにカタリナを見ると、頼りの大人は険しい顔で、一片の狼狽えも無く、カレーニャの次の言葉を待っていた。
カレーニャ
「
「お祖母様の、お父様の、最期の願いに相応しい、そんな私になるために生きてきたのよ! 全部……全部ッ!」
「家族の願いと、私の想いと、その2つ掛け合わせて今のこのザマで、それで私が『本物』だったってんなら、あと何がダメだったって言いたいのよ!! え゛ぇッ!?」
──カレーニャの噛みしめた歯の間から、唸り混じりの荒い呼吸が漏れている。
──周囲はカタリナとカレーニャとの間で目を泳がせる事しか出来ない。ルリアに至っては、いっそカタリナを止めてどこかへ引き下がらせでもしたいのか、手を半ばまで上げては下げてしている。
──たっぷり一呼吸置いてカタリナは、カレーニャが自ら悟る様子はなさそうだと判断し、口を開いた。
カタリナ
「では、もう1つだ。自分や誰かの落ち度ばかり欲しがるんじゃない。それこそプラトニアと同じ轍を踏むも同然だ」
カレーニャ
「質問に答えなさいよ!」
カタリナ
「もう答えてる。『それは精々、君が力の使い方を間違えた事だ』」
カレーニャ
「最高傑作まで焼き払っといて、この上どんな使い方があったって言うのよ!」
カタリナ
「いつ私が『君の力』が魔導グラスだなんて言った!」
カレーニャ
「な……、ハァ……?」
──訳が分からず言葉に詰まるカレーニャに、見る見る顔色を悲痛に染めながらため息を1つ吐くカタリナ。ここまで精一杯に厳しさを繕い、そして今、限界を来したらしい。
カタリナ
「なあ、カレーニャ。これは、君にしか確かめようの無い事だ。よく聞いて欲しい」
「君自身が、君の愛する人達の想いから遠ざかってしまっている。戦いの最中、私はそう言おうとしたのを覚えているか」
「憶測故に、これだけは聞きあぐねていたが……」
「どうあっても諦めなかった君の寄る辺……ご家族の最期の言葉は、本当に、君が聞いた通りで全てだったのか?」
カレーニャ
「し……知りもしないでケチ付けようって──」
カタリナ
「私なら!」
カレーニャ
「!?」
──まるでマフィアの恫喝のような、突発的に腹の底から突き上げる声に、思わず身を強張らせるカレーニャ。
カタリナ
「私なら……今際の際に、大切な人に言葉を遺せるのなら……自分と同じ苦難を歩ませるような言葉は、絶対に言わない」
ルリア
「カタリナ……?」
カタリナ
「カレーニャ、君の言う通りだ。私は君について、アンナとドリイ殿から伝え聞いた事しか知らない。だから、全てを知る君の答えを聞かせて欲しい」
「君の聞き届けた願いは──愛する人から愛する人へ命からがら絞り出したその言葉は、君に同じ道を歩めと、心からそう望むものだったのか」
カレーニャ
「そ……──」
「そ……れ、は……」
「ぅ……ぅぅ゛~~~……」
──アンナに握らせていた手を引き剥がし、蹲って頭を掻きむしるカレーニャ。パリパリとか細い音を立てて、髪の毛を構成しているグラスが砕けていく。
──アンナが血相を変えて、引ったくるようにカレーニャの片手を取り直した。飛び散り消えていく髪が、幾度も打ち砕いた異界の座を想起させた。
カレーニャ
「…………だか、らって……だったら……だからってぇ……」
──頭を掻く手が一本減った事にも気付かないまま、どうしても何かが納得いかない様子のカレーニャ。カタリナがその理由を察して言葉を続ける。
カタリナ
「語りきれる状況では無かった……聞き取れなかった言葉も有るかも知れないのだろう?」
「だが、もし君の解釈が違ったとして、今の君には真意に気付けないでいる。そんな所か」
「……これも憶測だが……」
「私が君のご家族と同じ立場なら……正直、君に魔導グラスを受け継いで欲しいとは思わない」
カレーニャ
「ッ!? バカ言わないで! 魔導グラスは誇りなのよ! 私の……オブロンスカヤの!」
「魔導グラスは希望で、力で……! お祖母様達が、無駄死にで終わる事を望んだとでも言いたいの!?」
カタリナ
「だが実際はどうだ。人々を増長させ、創造主の命を擦り減らし、親類縁者までも巻き込んだ」
「どんなに便利で素晴らしくても、幼い頃の君にまで累が及ぶようなものを……他の誰かに背負わせるなんて、私にはとても出来ない……」
「私なら……君には魔導グラスも何もかも忘れて欲しい。島への怒りも、大切な人の苦しみも、枷になるなら愛した事さえ全て、忘れて欲しい」
「逃げでも恥でも、こんな生き地獄から這ってでも抜け出て、1人の女の子として穏やかな一生を送って欲しいと……そんな願いだけで……
「……もう、それだけで、一杯なんだ……」
カレーニャ
「…………!」
「……忘れて……こんな、事……放り……出して……」
──頭を掻く手が止まり、ずるりと地べたに投げ出された。更に何かブツブツと呟き始めたが、よく聞き取れない。
──先の平手とは打って変わって、慈しむように、カタリナの手がカレーニャの肩に置かれた。
カタリナ
「君は利発で、快活で、それでいて冷静だ。君のその『力』は、幾らだって君を幸せにしてやれたはずなんだ」
「君は魔導グラスを信じて、裏切られて、全て奪われても……それでも希望だと縋り付いて、『希望になれ』と何もかも費やして来た」
「魔導グラスに囚われながらでも、君は立派に戦ってきたさ。だからもう、──」
「魔導グラスを憎むのは止めにしよう」
ルリア
「ッ!? カタリナ、ダメッ!」
カタリナ
「えっ、ル、ルリア? 何だ急に……」
──狼狽え、背後のルリア達に振り向くカタリナだが、すぐにカレーニャに向き直る事となった。
──注がれた炭酸水のように細かく早く、小さく続けざまに、しかし甲高く硬質な、何か弾ける音が聞こえたからだ。
──音の正体は一目で知れた。カレーニャの体の末端から細かくヒビが入り、ポロポロと崩れ落ちている。
カタリナ
「カレーニャ……!?」
「おい、どうしたんだカレーニャ! 何が起きている!?」
カレーニャ
「……フフフヘ……ハ、ハハ、ハハ、ハ……」
──伏せたカレーニャの顔を持ち上げて安否を確かめようとしたカタリナだが、すぐさま手を離した。
──垂れ下がった髪が、軽く触れるだけで折れて崩れ、触れた頬からは指が「ジャリッ」とめり込む感触があった。
──ガラスどころか、その辺の泥を練って風に晒しただけの粗悪な砂場細工よりも脆い。
──カレーニャがどんな顔をしているかは伺い知れない。これが生身の人間なら涎でも垂らしていそうな、そんな発音で締りのない笑い声を漏らすばかりだった。
カタリナ
「な……何なんだ……ル、ルリア、私は何か……!?」
ルリア
「た……戦う前に、カレーニャちゃん……言ってたんです。カレーニャちゃんの、お父さんが……」
ビィ
「あっ……そういや、まだ姐さんが駆けつけに来る前に……」
※回想
カレーニャ
「お祖母様がね、最期に仰ってたの」
「『こんな事、いつでも放り出して良いんだ』って」
「お父様もよ。『どんなに辛くても、魔導グラスを憎んじゃいけない』って」
──思い出を振り返りながら語るその声は優しく、その顔は輝きを湛えた、年相応の少女のそれだった。
──距離を開けたアンナへ呼びかける大きな声は、こんな状況で無かったら、遠くへ旅立つ友の乗る艇へ呼びかけるような、そんな風景が似合いの抑揚だった。
※回想終わり
カタリナ
「そんな……じゃあ、今、私は……!」
──有機物を「人間」足らしめるための一切を、カレーニャは既に魔導グラスに……異界の座に委ねてしまっている。
──想いの力でもって異界のエネルギーを引き出せなければ、カレーニャとはグラスと有機物の混ぜものでしか無く、肉や脂がガラスと溶け合えるはずもなく、つまり、想いの力は命より遥かに重い。
──今、生き抜いてきた全てが、その目的の対偶にあったと結論し、全てが無為だったとしか想えなければ。
──よしや、想いが存在の逆を希求したとしたら。
カタリナ
「ッ……カレーニャ、聞けッ!!」
「まだ終わってない! ここまで来た意味は絶対にある! 何もかもこれからなんだ!」
「君の描いた夢は、君の望み続けたモノにはなれなかったかも知れないが……おいカレーニャッ!」
「聞くんだッ! 頼むからッ! どうして……どうして君と言う奴はそうやって……!」
──朝日が、カタリナの真っ青な顔を照らしていた。地につけた膝が、腕が微かに震え、精一杯の言葉を並べる舌にも思うように力が入らない。
──真摯な言葉を幾らぶつけて見ても、カレーニャの崩壊は止まらない。薄ら笑いも。
──如何なる賢者が語彙を掘り返した所で、この世に口に出すだけで通じる魔法の言葉なんてものが無いように。
カレーニャ
「ハハ……ァハハ、ハ、ハ……」
──喉から漏れる音が、限りなく乾いていくのを感じていた。
──頭の中で、ガラスのようなものがいつまでもいつまでも砕けて響き続けている。
アンナ
「……──」
──カタリナが、ルリアが、皆が慌ててカレーニャを引き留めようとする中で、アンナだけが、冷静にカレーニャを見つめていた。
──カレーニャを心配していない訳では無い。しかし、確信のような何かが胸を支えていた。何に対してかも定かでない、しかしどうしようもなく『確か』だった。
──何のために、ここまで『来たい』と想い続けたか、今、やっと答えに会えた気がした。
──カレーニャがこうなる事を、心のどこかで予知していた。そんな気がした。
──後出しで、運命を知った気になってみたいだけかも知れない。今を正当化したいだけかも知れない。自分でもそう思う。それでも良いと、そんな傲慢な自分でも良いと思えた。
──アンナの両手に収まった、その細い指だけは、未だ握られるままに柔らかく、暖かった。
アンナ
「……カレーニャ」
「カレーニャは、どうして笑っているの?」
カレーニャ
「ハ、ハ……ハ…………」
「…………」
「……可笑しいから」
──触れる事もままならず、ただ絶え間なく呼びかける事に全身全霊を注ぐばかりのカタリナ達の声に、確かにかき消されている2人の言葉は、しかしどうしてか確かに届き合っていた。
アンナ
「何が可笑しいの?」
カレーニャ
「……」
「こんな話……何度も読んだ……」
「勝手に勘違いして……バカのマネして……疑いもしなくて……」
「悪者はいつだって……都合の良い間違い抱えてて……」
「赤の他人にツッコまれて……バカバカしくて……なのに正しくて……だから負けて……」
「叶えたかった……夢……踏みにじって……こんな……ふざけた島……10年……10年も……こんな……」
アンナ
「それが、可笑しいこと?」
カレーニャ
「可笑しい……止まらないくらい」
「…………」
──カレーニャの喉は止まっていた。
──だが、確かに笑っていた。心の底から笑っていた。
──「ハ」と1つ奏でる度に、声が倍々に増え、1音単位で輪唱していた。
──聞き覚えのある声が木霊していた。一生かけても忘れたくない声達が、幾つも幾つも、カレーニャと一緒に嗤っていた。
──今や膝まで塵と消えたカレーニャの中では、絶え間なく砕け散る空白に、ガラスのようなノイズと共に不明瞭になっていく嗤い声だけが満たされていった。
アンナ
「誰も笑ってなんかないよ」
「カレーニャが頑張ってきた事、みいんな、知ってるもん」
──透き通る朝焼け色の髪が風を泳いだ。
──白磁のような傷一つ無い足がドレスの裾に隠れた。
──抱きかかえられた頭に、胸の鼓動が木霊する。
──握らされたサシェから浮き立つ、木深い香りに満たされる。
──重ねた2人の手の間から、虹色の光が溢れていた。
──想いの力が共有され得るものならば。
──よしや、分かち合える事が真であるならば。
──ありふれた言葉に託し続けた想いの、その必然だった。
カレーニャ
「……嗤いなさいよ……」
「…………嗤ってよぉ……っ」
──魔法になれない、使い古しの言葉が今、初めて届いた。
──あかい他人だった胸に委ねて、産声のような慟哭が溢れた。10年分の涙と共に、熱く激しく。
──呆気にとられながらも安堵する聴衆に憚ること無く。
──下方から、駆けつけた仲間たちの声がする。
──もう空の赤みもすっかり失せて、どうしようもない程に、いつもの朝だった。
アンナ
「(ごめんね、カレーニャ。ボク、沢山つらい思いさせちゃった)」
「(でも……もう、大丈──)」