クール系魔女っ娘師匠を愛でたり、愛でられたり   作:まさきたま(サンキューカッス)

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第三話「英雄の鎮魂歌」

「ふざけたことを言うな!」

 

 幼い少年の、罵声が轟き。傷だらけの少女は、びくんと肩を震わせる。

 

「もう死にたいだって? 死ぬってのは、辛いことだ! 二度と会えないのは悲しいことだ! そんな事も分からないのかお前は!」

 

 その少年の気迫に怯えた少女は、頭を庇ってしゃがみこんだ。

 

 幼い少女は、暴力の類いが苦手でしょうがなかった。

 

 少女にとって、死ぬことは恐怖ではない。苦しいこと、痛いこと、辛いこと、そう言った苦痛そのものが恐怖だった。

 

 何故なら、少女は自分の命に価値を見出だしていなかったのだ。この日、この時まで。

 

「お前に生きる価値がないなんて誰が言った!? そんな妄言、僕が否定してやる!」

 

「僕には仲間が必要だ! 魔女を殺すための同志が必要だ!」

 

 少年は叫んで、少女の手を取った。まっすぐに少女の目を見据え、震えるその体を抱き寄せた。

 

「アンジェ!! 僕には、お前が必要だ!!」

 

 少女は呆然と、なされるがまま抱き締められて。

 

 この日、貧民街で身寄りもなく、自身に紙屑程度の価値しか見いだせなかったアンジェは、誰かに必要とされる『人間』になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁぁぁ」

 

 10年後。

 

 人間になった少女は成長して美女となり、1人川原で佇んでいた。

 

「釣れないなぁ。……魚すら、捕まえられないのか私は……」

 

 その手には、小さな釣竿が握られており。浮かない表情の女は静かに水面へ釣糸を垂らし、憂鬱げにため息をこぼした。

 

 ────傷心旅行。

 

 10年越しの初恋が無惨に散った彼女は、1人旅に出ていた。

 

 そして彼女は一人、傷ついた心を癒すためとある観光地の一角の川原で、釣りに勤しんでいる。

 

 誰にも関わられず、誰にも気を使われず。彼女は、一人きりになって気持ちを整理する時間が欲しかった。

 

 人間は誰しも、そんな時間が必要なのである。

 

「勇気かぁ。あと、もう一握りの勇気かぁ……」

 

 思い起こすのは、昨年の彼。

 

 女性経験がないと飲み会の場で宣言し、決闘で勝ったその日に永明の魔女を抱くと宣言したその瞬間。

 

 あの時、怖がらず一歩踏み出せていれば────

 

「はぁぁ…………」

 

 溜め息もこぼれよう。

 

 闘わずして負ける、そんな不完全燃焼な結末。そしてそれは、自分の選択の結果だ。今や彼女に出来るのは、臆病だった過去の自分を恨む事だけ。

 

「もう一生独身で良いかなぁ……」

 

 誰に聞いて欲しいでもなく、彼女は小さな愚痴をこぼした。その言霊は、吸い込まれるように川へ霧散する。

 

 相変わらずピクリとも揺れない釣竿を眺め、水流に波打つ枯れ葉を目で追う。

 

 やはり、釣れる気配はない。場所を変えようかと思い立ち釣竿以外に目をやって、彼女はふと人影が水面に映っているのに気付き────

 

 

 

「あ、やっぱりアンジェじゃないか。どうしてここに?」

 

 

 

 振り向けばそこには、無神経に笑いかけてくる最も会いたくなかった少年がそこにいた。

 

「…………」

「ん? どしたのアンジェ、僕だよ僕」

 

 にこやかに笑いかけてくる、失恋相手。今まで無神論者だった彼女は、この日初めて神を怨嗟した。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いや、何であんたがここにいるし」

「僕のセリフだよ。アンジェ、森の一族に用でもあったのかい?」

 

 それは僕が師匠と別行動になった、その夕方の事である。

 

 この町の依頼人に会いに行くらしい師匠から「君にはこの依頼はまだ早い、私一人で対処しておく。私が居なくても修行、サボっちゃダメだよ」と微笑まれ宿に置き去りにされたのだ。

 

 そんな、師匠から子供扱いを受け不貞腐れていた僕の目の前に現れたのは、我が愛すべき友人(バカ)のアンジェだった。手持ち無沙汰だった折、丁度良い所に出会えたものだ。

 

「私は、あー、旅行的な? で、一人のんびり川釣りしてんだけど文句あんの?」

「ん、一人? あの二人は一緒じゃないのか?」

「一人旅だし」

 

 そう言って気だるげに釣糸を垂らす彼女は、どことなく不機嫌だった。そんなアンジェから、僕はいつもと違う険悪さを感じとった。

 

 もしかしたら何か、嫌なことがあったのかもしれない。もしかしてあの二人と、喧嘩でもしたのだろうか。

 

「アンジェ、何かあったの?」

「何もねーし」

「いや、何かあっただろ。これでも長い付き合いなんだ、アンジェの事は何でも分かるさ」

「……ほっとけし」

 

 その、アンジェの無愛想な返答で僕は確信した。きっと、彼女には何かがあったと。

 

 ならば、僕が話を聞いてあげよう。前回の相談の、恩返しもかねて。

 

 丁度、師匠は何処かで仕事をしていて不在だ。今日は、アンジェと1日遊ぶことにしよう。

 

「なぁアンジェ、何処かに飲みに行かないか? 別に僕に話さなくてもいいけどさ、酒飲んで馬鹿騒ぎするだけで気は楽になるもんだぜ」

「……この野郎、いつもは糞がつくほど鈍感なくせに」

「ん? 何か言った?」

「そーそーこれこれ。いつもは何言っても聞き流すくせに何で今日に限って察しが良いのよ?」

「アンジェが怒っている理由はよく分からんけど、取り敢えず移動しようぜ。その川、みんなは上流で釣ってるからこんなところじゃ釣れないよ」

「上流は人一杯だったし……っておい、触んな!」

 

 そんな、いつもと違い元気のないアンジェの肩を抱き、僕は酒場へと彼女を誘った。こう言う時は、少し強引に誘ってやる方が良いのだ。

 

 僕が顔を寄せてやると、アンジェは動揺したかのごとく目を泳がせ、ごにょごにょと言いながらおとなしくなった。

 

 珍しい事もある。肩を抱かれ少し挙動不審となったアンジェは、無言のまま僕についてきた。

 

 いつもの騒がしさは鳴りを潜め、一転しおらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー。それ、多分依頼の内容分かるし。宿にいる森の一族が言ってた、最近魔力脈が薄いから近々調査を依頼するんだって」

「ほーん、それで師匠に依頼が行ったのか」

 

 取り敢えず酒を奢って飲ましたら、アンジェは快活になった。やはり、彼女は酒を与えておけば元気になるらしい。

 

 だが残念ながら、彼女の悩みはとうとう聞けなかった。アンジェ曰く、自分で乗り越えないといけない試練らしい。ならば僕は、暖かくアンジェを見守るとしよう。

 

 話題を変えるべく、僕は師匠との今朝の一幕を彼女に話してみた。

 

 そのアンジェに聞くところによると、師匠が受けた依頼と言うのは「森の調査」らしい。

 

「魔力脈っての、私は詳しく知らないんだけど。何か森一族にとっては大事なモノなんだって」

「魔力脈ってのは、自然から涌き出る魔力の事だよ。森の一族は、自然に満ち溢れた魔力を使った文明を形成してるんだ」

「お、なんか物知りだな」

「師匠から教わったのさ」

 

 そう、これは師匠の受け売りだ。森の一族の里に向かうにあたり、事前に聞いておいたのだ。

 

 大気中に漂っている、自然の魔力が枯渇している。その原因の調査が、今回の依頼。

 

 …………師匠。今回のは危ない依頼どころか、戦闘依頼ですら無いじゃないか。何で僕を連れていってくれなかったんだ。

 

「で、アンジェ。その森ってどっちにあるか分かる?」

「んー? 確か北の方だし」

「──分かった」

 

 その森は、この集落の北を覆っているらしい。森の一族の住むこの集落において、観光客は立ち入り禁止となっている区画である。

 

 ただ、立ち入り禁止とは言われているが、見張りなどは特に居なかった。なので、

 

「なぁアンジェ、久しぶりに冒険しないか? こっそりと、集落の森を」

「……いや、バレたらめっちゃ怒られるし。この里から出禁くらうかもよ?」

「昔はよくやったじゃないか、そういう危険な事。オルメアを倒すためにさ」

「結局、あんたは魔女様に尻尾振ってなついちゃったけどね」

 

 これは、丁度良い。やや鬱屈としているアンジェの気晴らしにもなるし、何より、

 

「そして、僕達が先に依頼を達成しちゃうんだよ。そしたら、師匠も僕の事を見直してくれるかも!」

「……それが狙いなのね。分かりやすいし」

 

 師匠の言いなりじゃ、僕はいつまで経っても師匠に対等に見てもらえない。魔法の腕にも自信がついてきたし、アンジェが一緒に来てくれれば大抵の魔物には負けないだろう。

 

 こうして、久々の「魔女オルメア討伐隊」が出動することとなった。子供の頃からパーティを組んで何度も共に死線をくぐり抜けたアンジェさえいれば、怖いものは何もない。

 

「行こーぜ、アンジェ。前みたいにさ」

「はぁ」

 

 僕達は何とも言えぬ顔をしたアンジェの手を取って、北部の森を探検するべく酒場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で? 二人は本当に、産業スパイじゃないんだな?」

「……はい、ただの観光客です」

「森の奥は立ち入り禁止、そう聞かなかったか?」

「き、聞かなかったような?」

 

 どうせ大した警備はないだろうとたかをくくって、僕たちは大した準備もせずに森へ侵入した。

 

 すると1kmも進まないうちに大きな施設が立ち並ぶ区域に到着し、運悪くそこを見回っていた警備に鉢合わせして御用となってしまった。

 

 僕は隠密行動のスキルを持っているわけではない。単に、戦闘能力が高いだけである。スニーキングミッションに関してはド素人も良いところだ。

 

 裏を返せば、ここで見張りと戦えば勝てるだろう。だが、それはあまりよろしくない。

 

 そこまで事を荒立てると師匠に迷惑がかかりそうだからだ。元々、酒の席の勢いで始めてしまった冒険である。こうなってしまったなら大人しくお縄につこう。

 

 僕は観念して、アンジェ共々降伏した。彼女からしたら、とんだ迷惑だっただろう。

 

「……やっぱ私らだけで侵入するのは無理があったし。いつもは、ミカが念入りに下準備して進入路とか確保してくれてたから上手く行ってたんだよ」

「そーだな、ここにミカなしで侵入は無理があったか……」

 

 こんな時に思い出すのは、頭の良く回る小狡いパーティメンバー。アイツはいつも、念に念を重ねた周到な計画を練ってくれていた。そのお陰で、何度かオルメアを追い詰めることに成功したくらいだ。

 

 んべー、と小憎らしげに舌を出す子供時代のミカを思い出して懐かしみながら、僕達は素直に留置所へ連行された。

 

 

 

 警備の人に聞くと、この区画はいわゆる工業区画らしい。この里の特産品や魔力脈を用いた特殊な品を加工する工場の並んだ、この里の技術の粋を集めた機密の塊のような場所だと言うのだ。

 

 そんな場所に観光客が紛れ込んだら、そりゃ拘束されるに決まっている。

 

 

 

 

 

 

「はいな、お前さんらはこの中で待機してくれ」

 

 そして僕たちは、鉄製の小さな檻に2人詰に放り込まれた。

 

 この程度の檻なら即座にぶっ壊せるなぁ、等と物騒なことを考えながら僕とアンジェは地べたに腰を落とす。因みに、二人共下着姿である。

 

 僕はともかく、アンジェには悪いことをした。いくらアンジェとはいえ、他人に下着姿を見られるのはあまり喜ばしくないだろう。

 

 その証拠に、脱衣を強要からは顔を強ばらせて僕の後ろに隠れて歩いてた。一丁前に羞恥心はあるようだ。

 

「なー、看守さん。ツレは女性なんだ、何でもいいから体を隠せる布を恵んでくれないか?」

「スマン、規則でソレ出来ないんだ。以前、賄賂をもらった看守が布の中に鍵をこっそり忍ばせて脱獄の手助けしたことがあってな」

「……んー、ならどうすっかなぁ」

 

 アンジェの為に布を乞うてみるも、返答はNO。せめてもの救いは、看守も女性だということくらいか。

 

 男性看守がジロジロとアンジェを眺めていたら、ちょっと僕も本気を出して脱走していたかもしれない。

 

「お前が布替わりになれ、お前が言いだしっぺだこの馬鹿」

「うおっ……」

「他意はないぞ、これは私の体を隠してるだけだから」

 

 そんなアンジェは、僕に恨みをぶつけているのか。ベッタリと背中から僕に抱きついて、微妙に首を絞めあげてきた。

 

 色々と背中に当たって、なんだか居心地が悪い。

 

「ひゅー、仲睦まじいね。ま、心配しなくても悪気がないならすぐに解放してもらえるさ。これも規則で、この区画に余所者が立ち入ったときは長老様の指示を仰ぐことになってる。多分お小言は言われるだろうけど、今日中には帰してもらえるよ」

「あ、そーなんですね」

「長老様は優しいけど、話は長いよ? 覚悟しときなさい」

 

 不安そうな顔の僕たちにそう言って笑いかけてきた看守は、カカ、と笑った。20歳くらいだろうか、若い女看守はなかなかに豪胆な性格をしているように見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数刻後。

 

「ほうら二人共、出てきな。長老様のもとに案内するよ」

 

 やがて小さな手紙を受け取った女看守は、立ち上がってガチャガチャと牢屋の鍵を開けてくれた。同時に小さく目配せして、アンジェに向かって自分のコートを差し出してくれる。

 

「下着はかわいそうじゃんね、私の上を羽織っていきなよ」

「お、いいのか?」

「規則でダメなのは、『牢屋の中にいる人への差し入れ』だからね。牢屋から外に連行する途中、看守が囚人に何渡しても罪には問われんのよ。ま、グレーゾーンなんだけど」

「……ありがと。一応、礼を言うし」

「おー感謝しな。その代わり、連行中に脱走とかそーいう面倒くさいことはやめてくれよ?」

 

 にしし、と笑う女看守。この人は結構良い人らしい。自分のコートを囚人に貸すなんて、なかなか出来る人はいないだろう。

 

「実は私も、嫁入り前でね。肌を晒す辛さってのはよく分かるさ」

「ほー。確かにお姉さん、美人だもんな。結婚すんのか」

「はっはっは、褒め言葉として受け取っておくが、そーいう世辞は自分の恋人にだけ言っておきな少年! ほらむくれた顔してるぞ、あんたのお連れ」

 

 そういって彼女は、大口を開けて爆笑した。

 

 不快感のない、気持ち良い笑い方をする女だ。きっと、根が善人なのだろう。

 

 そんな彼女の顔を潰すわけにも行かず。僕とアンジェは、静かに彼女の案内する長老のもとへと付き従った。

 

 さっさとお説教を受けて、街に帰ろう。長老様にはよく謝って、帰ってからはアンジェにも謝って、そんで酒でも奢ってやろう。

 

 今日、色々と調子に乗ってしまったことを反省した。僕は、少しでも早く師匠に認めてもらうことしか頭に無かった。その結果暴走して、いろんな人間に迷惑をかけてしまった。

 

 こういうところが、僕がまだ師匠に子供扱いされている所以なのだろう。

 

 

「この中に長老がいらっしゃいます。お前ら、きちんと挨拶しろよ?」

 

 

 看守は、そう言ってとある天幕の入口を開いた。中には数名の老人が座っており、そしてその中央には一人の人間が布団の上で横たわっている。

 

「真ん中で寝てるお方が長老な」

「分かりました」

 

 僕達は看守の言葉に頷いて、静かに長老の横たわる布団の傍らに腰を下ろし頭を下げた。

 

 長老の周囲を囲む老人たちは、そんな僕とアンジェの様子をジっと無言で見つめている。

 

「侵入者たちよ、名を名乗れ」

 

 頭を下げている僕たちは静かに、声をかけられた。長老本人の声ではない。長老のすぐそばに座っている老人の一人から、厳かに声をかけられた様だ。

 

 僕とアンジェは、それぞれ名を名乗る。

 

「お前達は、本当に我らの秘密を探るべく、この地へと忍び込んだわけではないのだな?」

「ええ」

「その言葉に偽りあれば、長老様はひと目で見抜くだろう。顔を上げろ、そして長老様の目を見るがよい」

 

 そばに控える老人は、そう言って僕らに頭を上げるよう促した。いよいよ、長老とやらにご対面である。

 

 この里で長老というのがどういう扱いかは知らないけれど、怒らせたらまずい相手だというのは雰囲気でわかる。ここは誠心誠意謝るとしよう。

 

 僕は、そんなことをぼんやりと考えながら、横たわる長老の顔を注視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────世界が、歪む。

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 ぐにゃりと、平衡感覚が狂い体がうねる。僕の口からは間抜けな声が漏れ、アンジェは恐怖で目を見開いていた。

 

 それも、そのはずである。何せ、顔を上げた僕たちが見たものは、

 

 

「貴様、何を阿呆面下げて黙り込んでいる? 長老様に向かってなんと無礼な態度とはと思わんのか?」

 

 

 そういって僕たちを叱責する老人のすぐ隣に横たわっていたものは。

 

 ────蛆虫が蠢く、どす黒い乾ききった老人の死体だった。

 

 思考が停止し、体は硬直する。

 

「おいこら、お前らちゃんと謝れって! 言ったろ、無礼な態度とっちゃだめだって……」

 

 後ろで様子を見守っていた女看守は、呆れ顔で僕たちの頭を叩いた。だが、僕はあまりの衝撃で硬直して動けない。

 

 何を、言っているんだこの連中は? 何を見ているんだ、僕とアンジェは? 腐った死体を、長老と呼び敬うこいつらは何がしたいんだ? 

 

 改めて、その死体を見る。見たところ、死後数ヶ月は立っているだろうか。

 

 骨はところどころ露出しており、目玉は腐って窪み、腹の皮下はもぞもぞと大量の蛆虫が蠢いている。よく匂えば、腐乱臭が部屋に薄く充満していた。

 

 ────異常が、この部屋を支配している。

 

「……最後の警告だ、侵入者よ。頭を下げ、ウソをつかず誠心誠意謝罪せよ。さもなくば、貴様は敵とみなす」

 

 相変わらず静かな声で、死体の傍らに腰を落とした老人が俺達を睨みつけた。 

 

「すまんが、これ以上は庇えんぞ……、早く長老様に謝れってんだ、お前ら」

 

 女看守は呆れたような声をだし、やや険しい表情で僕達を見つめている。

 

 ……取り敢えず、話を合わせるべきか。ここにいる人間は、この腐った死体を長老と信じこんでいる。下手な事を言って、藪の蛇をつつく事はない。

 

 僕は老人の遺体に改めて向き合い、流し目でアンジェに合図を送った。この場は、彼等に話を合わせよう。

 

 そして老人を正面から見据え、謝罪の体勢をとろうとし───

 

 

 

 

 

 ────気付いて、しまった。

 

 

 

 

 

 腐乱した死体の周囲を、魔法陣が覆っていたことに。

 

 僕はその魔法陣の記述を読み進め、そして愕然とする。師匠に教わった魔法の知識が、この異常な状況を全て読みといていく。

 

「……そう、なのか」

 

 思考が凍りついていく。与えられた情報から、一つの真実が浮き彫りになっていく。

 

 

 

 ────魔力脈の、減衰。

 

 ────森の奥の、工芸施設。

 

 ────長老と呼ばれている、腐った死体。

 

 ────魔力脈を利用した、森の一族の魔術。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなところで、何をしている。馬鹿弟子」

 

 

 

 

 

 

 僕が、そんな残酷な現実に打ちのめされていると。敬愛すべき、優しくも厳しい師匠の声が頭上に響いた。

 

「師匠……」

「辿り着いてしまったか、ここに」

 

 突如現れた師匠は、僕を見つけとんがり帽子を深く被り。

 

「君には、まだ早いと言っただろう……」

 

 そう、悲しそうに呟いた。

 

 

 

 ────突然の師匠の乱入に。女看守は、死体を囲む老人達は、困惑しつつも戦闘体勢をとった。

 

「え、魔女様!? 何これ、どーなってるの!?」

 

 アンジェも、師匠の出現に混乱している。アンジェはこの魔法陣の意味を理解できないから、それも当然だろう。

 

「侵入者だ!! この場所まで誰にも気づかれず忍び込んでくるなんて!」

「曲者だ! 殺せ!!」

 

 俄然、色めきだった村人たちは武器を握り、師匠や僕たちをめがけ咆哮した。アンジェもとっさに応戦しようと立ち上がったが、僕は腰を下ろしたまま呆然と経緯を見守る。

 

 応戦する、必要はないのだ。何せ、

 

「説明するよ、弟子の友人。ここにいる人達は、ここにある施設は、みんな────」

 

 そして師匠は語りだした。この森の中の集落の、真実を。

 

 

 

 

 

「ここにあるものはみんな、幻なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 直後、座り込んでいた老人が立ち上がり、師匠を剣で斬りつける。 

 

 その剣は、すぅっと師匠の体をすり抜けていく。幻だから、実体など無いのだ。

 

「目の前に座っている、この老人も。お前達の後ろで立っている、そこの女も。みんな、幻なんだ」

 

 そして、師匠が杖を一振りすると。斬りかかってきた老人は、跡形もなく消え去った。師匠はただ、魔力をぶつけただけだ。

 

 魔法により姿を得ていた老人の幻影は、たったそれだけで消え去った。

 

 

 

 

 

「この場所はな。この死体の、楽園だったんだよ」

 

 

 

 

 

 それは、悲しい物語だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の一族は、古代より優れた技術を持った一族だった。魔力脈の濃い地域で育った彼らは、魔力脈を利用し高度な文明を形成した。

 

 そんな村に「ロッド」と言う男がいた。彼は、別段特別な存在ではなかった。

 

 平凡な能力の魔法使いで、普通に恋をして、ありふれた幸せを得た、普通の森の一族だった。

 

 だが、60年前。森の一族の技術を狙った魔族から襲撃を受けた時、不幸にも彼は婚約者を失った。

 

 親を殺され、婚約者は蹂躙され。そして彼は、復讐の鬼となった。

 

 魔族に対する怨念に取り憑かれた、鬼となった。

 

 

 

 

 ロッドは、里を飛び出した。時代は戦乱の真っ只中、傭兵としてそこら中の戦争に参加し、魔族を殺して回った。

 

 復讐だけが生き甲斐だった。魔族との戦争が終了した後も、魔族の残党を狩り続けた。誰よりも精力的に、誰よりも愚直に魔族を屠り続けた。

 

 そしてその果てに、いつしかロッドは「救国の英雄」と呼ばれるようになった。

 

 

 

 そして、戦い続けて更に数十年が経った。ロッドは、とある戦いの最中に仲間をかばって右腕を失った。その頃になると年老いたロッドの魔力は減衰しており、満足に魔術を振るえなくなった。

 

 潮時だと、男は感じた。若い頃のような燃え上がる怨嗟の炎は鎮んでおり、誰よりも魔族を殺し続けたロッドは、復讐に生きたその生涯に深い虚無感を抱いていた。

 

 そして年老いたロッドは、平穏を求めた。そして彼は自らの死に場所として、数十年ぶりに故郷の里を訪れた。

 

 

 

 ────その故郷で彼が見たものは、幸せな家庭を築いていたかつての彼の婚約者の姿だった。

 

 

 蹂躙された彼の婚約者は、死んでいなかったのだ。瀕死の重傷を負ったものの九死に一生を得た彼女は、旅に出たロッドの帰還を待ち続けた。だがいつまでもロッドが帰ってくる様子もなく、彼女はとうとう別の男と所帯を持つに至っていた。

 

 ロッドは、復讐の旅に出なければ良かったのだ。重傷を負った婚約者を諦めず励まし、気遣い、献身的に彼女の治療を手伝ってさえいれば、平穏で幸せな家庭を彼は築いていたのだ。

 

 復讐に取り憑かれ、魔族を殺すことだけに生き、英雄となったロッドが本当に欲しかったものは、彼の故郷でずっと待っていた。それに気付かなかったロッドは、自らその幸せを投げ捨てていた。

 

 その事実を知ったロッドは、絶望のあまり里から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数年間。ロッドは森の中に小さな小屋を建て、世捨て人として生活していた。

 

 幸せな顔をしているかつての婚約者の顔を思い出す度に、胸が締め付けられる思いだった。

 

 何もやる気が起きず、山の中でわずかな食料を自給自足し、ゆっくりと衰弱していった。

 

 年老いた彼は、里の近くに建てた小屋の中で考えた。自分の人生とは何だったのだろうと。

 

 ────答えは何もなかった。魔族を屠り、英雄と呼ばれたその男は、自分の人生の意味をまるで見いだせなかった。

 

 寂寥だけが、彼を包んだ。

 

 

 

 そして彼は、死の間際に望んだ。幸せだった筈の、己の本来の人生を。

 

 復讐に生きなかった自分の、幸せな人生を。

 

 

 

 そう。彼は死の直前、生涯をかけて研鑽した魔法の技術を使って再現したのだ。

 

 『自分のもしもの人生』を。

 

 

 

 

 

 

 

 周りの景色が、ガラリと変わる。そこにあったのは、ロッドが若い頃の森の一族の里そのものだった。

 

 ロッドが少年だった当時の長老様が、天幕には座して座り。ロッドの婚約者は若い姿のまま、自分との結婚を心待ちにしており。

 

 そんな、ロッドの心の奥底に根ざした幻影が、年老いて床に臥せったロッドの周囲を包み込んだ。

 

 ロッドは、それでよかった。長年培ってきた魔術の成果を、自らの無聊を慰めるために惜しみなく発揮した。

 

 

 

 

 そして彼は、救われた。

 

 その幻影の中では、魔物の襲撃は無かった。

 

 ロッドは恋人と仲睦まじく祝言を上げて、英雄と言われることもなく平凡な家庭を築き、何時までも幸せに暮らす、そんな幻影だった。

 

 老衰で満足に動くこともできなくなっていたロッドは、天幕の中で毎日報告に来る自分と婚約者の幻影と、穏やかに話し続けた。

 

 そして。ロッドは、自らの作り出した幻影に囲まれてあの世へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それだけなら、ハッピーエンドと言って良かったんだがね。問題は、このロッドの造り出した魔法陣が魔力脈を使って維持されていることだ」

 

 師匠は悲しそうにロッドの死体を見たあと、目を伏せて続けた。

 

「彼の死後も、ロッドの魔法陣は魔力脈を消費して幻影の街を維持し続けてしまったんだよ」

 

 そう。

 

 僕達が警備捕まってしまったこの区画は、森の一族の隠していた機密の場所ではなく、単なる幻影の街だった。

 

 街も、警備も、そこにいる女看守も、全て幻だったのだ。

 

 そして、恐らく────

 

 

 

 

 

 

「何、ワケわかんないこと言ってるんだ? 英雄ロッドって、アイツが何で英雄なんだ? ロッドは今日も、私と────」

 

 

 困惑しきった目で師匠や僕を交互に見ている、女看守。彼女こそ、ロッドの婚約者だったのだろう。

 

 もうすぐ祝言を挙げると言っていた。長老と長い時間話す機会が多かった。そんな彼女が、英雄ロッドの恋人だった女性なのだろう。 

 

「何もかも幻とか意味がわからないよ。何だよ、ロッドが何をしたって言うんだよ!! おいそこの魔女、デタラメ言ってるんじゃないぞ!!」

 

 女看守は必死の形相で、師匠を殴り付けた。

 

 ……その拳は、空を切るばかりだった。

 

 

「こんな筈はない! なんで、どうして触れないんだお前に!」

「……悪いが、里の住人が迷惑しているんだ。この魔法陣は、破壊させてもらう」

「やめろ! そんな訳ない、私が幻影だなんてそんな訳ないだろ! だって、私はここにいるぞ!」

 

 

 混乱しきった女看守は、がむしゃらに師匠へモノを投げつけ、蹴り飛ばし、殴り付ける。

 

 そのどれ一つとして師匠を傷付けること叶わず、無意味に時間が過ぎていく。

 

 幻影がいかに師匠を攻撃しようとも、師匠に傷一つつくはずがないのだ。

 

 

「嘘だ、嘘だ、嘘だ! 私が幻だなんて、嘘だ……」

「……」

「やめてくれ、壊さないでくれよ、魔法陣……。それ、壊されたら私は死んじゃうんだろ? 私が本当に幻だとしたら、消えてなくなっちゃうんだろ?」

「……ちがう。元々、貴女は此処にいないんだ。貴女はもう何年も前に死んで、お墓に眠っていると聞いたよ」

「だって、明後日はロッドと結婚式で。その後はきっと、それはきっと幸せな未来が待ってて────」

「この幻は、一週間おきに祝言を上げては巻き戻ってる。祝言を上げた次の日には、貴女は結婚式の一週間前に戻るだけ。貴女には、幸せな未来なんて待っていない」

 

 師匠は、淡々と女看守へ告げる。

 

 女看守の、その全てを否定する言葉を。

 

「貴女は、ただの現象なんだよ。英雄ロッドが自らを慰めるために作り出した、玩具なんだよ」

「そんな筈は、ロッドがそんな残酷な事をする筈がない!!」

 

 そして、師匠は静かに杖を掲げた。前の時代の英雄ロッドの、その生涯をかけて作り上げた傑作とも言える魔法陣を破壊するため。

 

「やめろ! やめろ魔女、私は死にたくない! 明後日が祝言なんだ、やっとロッドと結婚式を挙げられるんだ! 私はモノじゃない、私は現象なんかじゃない!! 私は、私はここにいるぞ!!」

「……消滅反呪文(リセット)

 

 師匠は、小声で魔術を詠唱し。魔法陣の記載が壊れ、音もなく崩れ散って。

 

 そして、泣き叫んでいた女看守は、声も上げず消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが、終わって。師匠は目を伏せたまま、ゆっくりとぼくへ振り向いた。

 

 いつもとは違う、険しい表情で。

 

「弟子よ。……出過ぎたことをしたな」

 

 師匠は、冷たい声で僕にそう呼びかける。そこには、なんの感情も籠っていないように思えた。

 

「この依頼は弟子にはまだ早い、と言っただろう。その意味が、わかったか?」

 

 返答は、無言だった。

 

 僕もアンジェも、無言でその場にへたり込んでいる。

 

「綺麗事だけで、世界は回っていない。仕事であるからには、こう言うこともしないといけない。胸糞が悪い結末を許容しないといけない。……弟子よ、今の気分はどうだ?」

「……最悪、です」

「私もだよ」

 

 吐き捨てるように、師匠は呟いた。

 

「こんな思いは、もう沢山だろう? 次からはもう少し、私を信用してくれ。こんな後味の悪い結末は、弟子に味わってほしくない」

 

 その手は、震えていた。

 

 魔法陣を消し飛ばし、幻の街を終わらせた師匠のその手は、震えていた。

 

「もう二度と、依頼に関しては私に逆らわないように。流石にもう、懲りただろうけどね」

 

 

 だがしかし、師匠はまた僕を許そうとしていた。

 

 ついてくるなと言われた依頼に勝手に介入し、こんなに後味が悪い思いをしてなお、僕を許そうとしている。

 

 

 

 

 

 ────違うだろ。

 

 そうじゃ、ないだろ師匠。

 

 

 

 

 

 

 

「嫌だ。次からも、師匠がどんなに嫌がってもついていくからな師匠」

「……はい?」

 

 僕は立ち上がった。哀しそうに杖を握りしめる師匠へ向けて歩きだし、そして言葉を続ける。

 

 何故なら、師匠は。

 

「むしろ、今回は自分で自分を誉めてやりたいところです。よくぞ師匠の命令に逆らって、こっそりここまで来たもんだと」

「……おい馬鹿弟子、お前は何を言ってる」

「恋人でしょうがよ、僕達は」

 

 そして、僕は。

 

 力一杯に、師匠の体躯を抱き締めた。

 

「だって泣いてるじゃないか!! 師匠は!」

 

 ぽろぽろと、小粒の涙を流す小柄な師匠を抱き締めた。

 

「こんな、悲しい事ばっかやってきたんだな師匠は! そりゃ生きるのが嫌になるよ、だから僕が隣に歩むって決めたんだよ。だから、僕を連れていけよ!」

 

 その言葉は、何かを考えて言った訳ではない。それは純粋な、僕の本心だった。

 

 人が良く誰よりも優しい師匠が、こんな事をして傷付かないわけがないのだ。

 

 そんな、彼女の苦悩を分かち合える男に、僕はなりたかったんだ。

 

「背負うから。僕も、師匠と一緒に背負うから。僕を恋人だと言うなら、貴女の隣にいさせてくれ師匠」

 

 そう言って。

 

 僕は、静かに涙を溢している恋人と、無言で抱き合った。

 

 師匠の手の震えが止まるまで、静かに抱き合い続けた。

 

 




※カッコつけていますが、「僕」もアンジェも下着姿です

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