霜月波彦は、月並みな少年である。
近所の並み程度の偏差値の県立高校に通い、テストが来るたびに慌てる程度のそこそこに勉学に励み、入学時には入るか悩んだ部活動にも何となく時期を逃して入らずに帰宅部をし、月に何度かは友人と休日に遊びに出かける程度の暮らしをしている。
そのため、普通の高校生を越えた特徴はなく、妙な知識に精通しているということもない。実は裏の世界では……、なんてバカげたことも当然なく、本当に人より特段優れたところも劣ったところもない、平々凡々な少年であった。
そんな彼の暮らす藤之枝は、典型的なベッドタウンである。オフィス立ち並ぶ大都市から伸びる鉄道沿線の終着駅が入口。駅周辺には倉庫詰めされたように、隙間なく住宅が立ち並ぶ。そこそこ大きなショッピングモールもあり、市民の買い物と遊びの場として最適。そんな栄えている駅を離れていくほど人気がなくなっていき、駅から続く坂を昇り続けていった先は山に繋がっている。
そんな、日本のどこにでもあるような、人間の都合によく作られた都である。
さて、そんな藤之枝の若者の間には最近ある噂話が流れている。
内容としては、いわゆる都市伝説とか、七不思議だとか。まあ、そういう若いころの誰しもが、面白半分で考えるようなもので。
恐らく流している本人たちも、本気でそんなことがあるとは思っていなくて、ただゴシップ的な話のネタとして便利だなと思っている程度のもの。
それは、波彦の所属するクラスでもポツポツと、放課後になると聞こえてきて、
「ねえ、能力に目覚めるんだったら、どんなのがいい?」
「やっぱり、空飛んだりできたら夢あるよね」
「だったら私は、どこでも〇アがいいな。だって、空飛べるなんかより、絶対便利だよ」
「はあ、私にも目覚めないかな超能力」
「なんか、昨日また隣の高校のやつが見たらしいぜ。獣の遠吠えを聞いて、噂が本当か確かめようって、遠吠えの聞こえる方に近づいていったら、滅茶苦茶大きい狼が人間の赤ん坊の死体を食べてたって。そいつは恐ろしくなって、狼に気づかれないように、こっそり逃げ帰ったって」
「えー、こわーい」
「大丈夫。もし、逢っちまったらオレが護ってやるから」
この他にも、夜空に月が二つ昇ったり、住宅街に突然幽霊の出そうな洋館が現れたり、どれだけ歩いても反対側にたどりつけないトンネル道があったり、人の首が宙に浮いたり、目の前に突如ヘンテコな遺跡が現れて、「勝負しようぜ」とどこからか声が聞こえてきたりとか。
そういう噂が同時多発的に流行っている。
いやまあ、最後のは特に不思議が七つになるための数合わせ感が凄いので、誰かが遊び半分で噂話を流しているのだろうという。
だが、そんな荒唐無稽な噂話の中に、少なくとも一つ本物が混じっているということを波彦は知っている。
それは、二週間前の皆既月食の後、突如若者たちが異能に目覚めたという噂話。
そういう噂が流れ始めた理由は、恐らく皆既月食で真っ赤に染まる月という幻想的で、どこかおぞましさを感じる光景を見たことによる、何か不思議なことが起こりそうだという想像から始まったものなのだろう。
だが、当事者である波彦は、その噂が少なくとも部分的には正しいことを知っている。
放課後、家に帰った波彦は、ベランダの洗濯物を取り入れて畳んだ後、ひと月前に買ったゲームをだらだらと二時間ほどプレイした。
ゲームに一区切り付いたところで、窓から見える空がすっかり闇に落ちていることに気づき、スマホの画面に映る時刻を確認すると、外に出る準備を始める。
外出の目的は晩飯の調達。
波彦の家は父子家庭である。母親は、波彦の幼い時に亡くなっているらしい。
というのも、本当に物心が付くよりも前のことなので、自分に母親がいたという実感すらなく、赤ん坊の自分を抱く数枚の女性の写真が、波彦の母親の認識である。
父親は波彦を男手一つで育ててくれたのだけれど、職業柄、年に数回は長期の出張になる。幼少期は仲のいいご近所さんに預けさせてもらっていたのだが、中学に入ってからは、波彦自身がその状態は良くないと思い、一通りの家事を何とかこなせるようになり、父親の出張時には一人で家を守るようになった。
そのような事情で、料理もできないことはないが、一人の時は特に面倒なので、近所のスーパーで弁当を買って食べることがほとんどである。
今日は唐揚げ弁当だった。多分、百回くらいは食べた味。
普段から、家に帰ってわざわざゴミを増やすのも億劫だと思い、近所の公園のベンチに座って食している。
残暑の季節、夜にも生ぬるい風が吹き、膝裏の滲んだ汗が、ペンキでコーティングされた木の板に染みる。
一分ほどの下弦の月は、分厚い雲の隙間を見え隠れする。
弁当の容器に籠った蒸気は、上蓋に張り付いている。そこから、水滴を落とされた米の塊が、絶妙ないつもの不快感を舌の上に残す。
かみしめるようなこともせず、食事はものの数分で終わる。
その間、その公園に新たな人が訪れることはなく、唯一見つけたのは、さっとジョギングで、公園の横を通り抜けていった人影が一つだけ。
車さえ、夕方を過ぎると滅多に通ることがない。
ここは、そういう寂しい場所だった。
住宅街の外れにあって、アクセスが悪い。子供たちが楽しめるような遊具もろくにない。
代用の利く公園とか、ゆったり腰を据えて会話を楽しめる場所も、アクセスのいいモールの内外に多くあり、わざわざ訪れる理由もないような場所。
だからこそ、波彦はここが少しだけ好きだったし、今日は最初からここに行こうと決めていた。
一人になれる場所。人の目を気にしなくて済む場所。役目を取られ、人々から捨てられてしまった公園。
波彦は、食べ終わった弁当のゴミをスーパーのレジ袋に詰めて、持ち手を纏めてくるんと結ぶ。そのまま持ち手を掴み、軽くクルクル三回ほど身体の横で回した後、ベンチから五メートルほど離れたところにある、錆びた鉄のバスケットを抱えたゴミ箱目掛けて投げ込む。
しかし、空気抵抗に負け、ふらふらと宙を彷徨った後、見当はずれの場所にポトンと落ちる。多分、そうなるだろうなとは思ってたから気落ちはしない。
「誰もいないよな?」
周りを確認するが当然のように、人気はゼロだった。
集中するために、一つ長く息を吐く。
落ちたレジ袋に意識を集中する。穴が開くほど見つめる。
そこに存在する空気の手で摘み持ち上げるようにイメージする。
すると、レジ袋は、ゆらゆらとふらつきながらも、見えない力に上から引かれるように浮遊した。
そのまま、ゴミ箱の上空まで、クレーンゲームを思わせる動きで移動した後、浮力を失って、力なくバスケットの中に着地した。
波彦は、そこでようやく止めていた息を吐き出した。額から一筋の汗が顔を伝っていた。
「よし、なんとか上手くいったな」
思い通り運んで、少しだけ得意げな気持ちになる。
そう、これこそが波彦に数日前から備わった異能。
サイコキネシスとか、念動力とか。
気が付けば、いつの間にか、そんなことができるようになっていた。
今日は、ほんの少しだけ、この異能について、どれだけのことができるのか調べるために、人目のない場所を訪れると決めていた。
「まあ、ゴミを持ち上げられたからなんだって話なんだけど……」
今のも、間違いなく立って拾いにいって、捨ててきた方が簡単だった。
これぐらいのことしかできないのなら、この能力が備わった意味はあまりないように思う。ちょっと物珍しいことができるくらい。
それでも、他の人にはできないことだろうけど。
せっかく備わった能力が無意味だってのは、少しだけ寂しい気がある。
だから、限界を調べるために、
「次は、あれを持ち上げられるか、だよな」
ここに来る前から決めていた。
この公園のほぼ唯一の特徴といっていい、一体それが何を模しているのか分からない、誰が何を思って作ろうとしたのか分からない、奇妙な形をしたオブジェ。
しっかりとした台座の上に立っていて、そう安くは作れないだろうが、これが意味を成したことは恐らくないだろう。
ただ間違いなく重量だけはあるだろう。
一人の力では到底持ち上げることはかなわない。だからこそ、これを単独の力で持ち上げることができようものなら、それは超常の力に他ならず、有用性も認められるというもの。
まさに、今の波彦にとっては恰好の標的だった。
そういう意味では、波彦が、この公園ができて十数年目にして、初めて奇怪なオブジェに意味を与える存在になるかもしれない。
レジ袋の時と同じように、集中して見つめて、摘まみ上げるイメージ。
レジ袋の時とは比べ物にならない負荷が精神にかかった。
そして、波彦はオブジェが地面から一メートルくらい浮いている光景を見た。
成功した。
少し気持ちが高まる。
だが、そうして気持ちを揺らすと、同時に宙のオブジェもふらついて、慌てて集中を取り戻す。
しばらく、その状態を維持した後、波彦は元の場所から数メートル離れたところにオブジェを着地させた。
気が付けば、どっと疲れていた。
けれど、同時に気持ちは大きく高ぶっていた。
この力があれば、もしかしたら大きなことを成せるかもしれないって。
そんな少し子供じみた感慨。
「ん? 何か……」
元々、オブジェがあった位置に何かがあることに、今更気づいた。
オブジェを移動させたことによって、表れたのだ。
波彦は、少しの警戒心と大きな冒険心を持って、その何かに近づいていく。
「……階段か」
地下へと続く階段が、そこにはあった。
古い。もう何年も使われてなさそうな、石の段。
奥は暗くて見通せない。
きっと、ここに公園が作られたときから使われてないもの。
作った誰かが意図して隠したもの。
何のためかは分からないけれど、きっとこの中には隠したいものがあるのだろう。
普段の波彦なら、きっとこの中に足を踏み入れることはなかっただろう。
しかし、先ほど自分の異能の強さを実感できたのもあって、今は少しだけ心が強くなっていた。無鉄砲といえるくらいに。
気が付けば、地下に向かっての一歩を踏み出していた。
「狭いな」
というのが真っ先に出た感想。
暗いのもあって一歩一歩が慎重になり、中々先に進めない。
外から差し込む微かな月明かりと、携帯のライトを頼りに、奥に進んでいく。
二分ほどで突きあたりに扉を見つける。
鉄製の冷たい扉。
取っ手を回し、奥に押し込むと、ギギギとこすれる音を立てながら開いていく。
扉を抜けると、家賃五万円、ワンルームアパートくらいの広さの空間がそこにはあった。
相変わらずの暗闇だが、目が慣れてきたからか、なんとなく中の様子は見渡せた。
まるで物語に出てくる魔術的な儀式が行われるような場所。
壁には火の消えた燭台が八か所ほどある。
部屋の中心には、地面に奇妙な幾何学性を感じさせる模様が描かれている。
ようするに、魔法陣と呼ばれるような円と図形と文字の組み合わせ。
「……おじゃま……しまーす……」
恐る恐る部屋に足を踏み入れる波彦。
そして、しっかり確かめてみようと、ゆっくりと魔法陣に触れようとした。
そのときだった。
「……えっ!?」
闇を塗りつぶす眩い光が、魔法陣より立ちのぼる。
ひとりでに、壁の燭台にひとつずつ火がついていく。
波彦は、この時点で後悔していた。
息が詰まり、心臓が早鐘をつく。
ここから一刻も早く逃げ出したかった。
しかし、思わず無様にひっくり返り、その場で事のあらましを眺めることしかできない。
光が止んだのは数秒後。
蝋燭の火によるぼやけた明るさを得た地下室。
その中心、魔法陣の中心に、それはいた。
今まで波彦しかいなかったはずの地下室に、急にもう一つの人影が増えていた。
身長のほどは、日本の成人男性の平均より十センチは低いだろうか。ただ、尻をついている波彦は見上げる形となっている。
服装は、時代錯誤で、そして魔術的な地下室に決定的にあっていない、だが昔の日本では普通に着られていたであろう活動しやすい袴姿。
その腰からは重量感のある鉄の鞘と、鍔と柄が覗く。すなわち日本刀を差している。
顔。非常に整った顔をしている。柔らかな眼差し。色気のある唇。
髪は肩口で揃えられていて、蝋燭の火の色に映えるような栗色だった。
それらを総合して、美しいと感じるが、性別が分からない。
いわゆる中性的な顔立ちの侍が立っていた。
その侍は、やけに長く感じた数秒後、足元に転ぶ波彦の姿を見とめて、声をかけてくる。
「お主が拙者のマスターでござるか?」