「もしかしなくても、これって誘拐なのでは?」
気絶した幸の薄そうな少年を背負いながら。
「こんなはずじゃなかったんだけど、どうすればどうすればどうすれば」
とにかく、足が自動的にその場から離れようとする。とともに、言い訳が効かない状況に陥っていく。
だが、思考がまともじゃないテンパった状態では、良い方策など思いつくはずもない。
いったい何が悪くてこうなったのかと、過去を振り返ることにした。
松原葉月は優等生である。
文武両道で生徒会長という絵にかいたような優等生。
そういうポジションを、たゆまぬ努力でキープしている。
スポーツに関しては部活に入っているわけではなく、専門的にこれは誰にも負けないというものはないが、持ち前の器用さでどの種目でも並み以上。
勉学に関しては、学年一位どころか、全国模試の成績優秀者リスト常連で、実績を伸ばしたい学校には大いに期待されている。
そして、生徒会長としても職務を全うしているのだが、いかんせん青春に忙しい他の生徒たちからしてみれば、生徒会がやっていることなんて大して興味がないらしい。そして、どうにもお堅い印象が付けられる。
例えば、ある日の校門前。通学途中。
「それでねー昨日のドラマ見た? カーくん、かっこよかった!」
「まーた始まったよ。見たけどさ」
「でねーでねーあの階段の場面での流し目がねー」
「うーん、このおじさん趣味。もっと若々しいアイドルとかには興味ないの? ラストラとか?」
なんて、二人の女子生徒が会話に夢中になっているところ。
「そこの二人! ちゃんと、前を見て歩きなさい! ぶつかりそうになってるわよ」
と、葉月が注意を促すと、「すみません」と言いながら、二人が小走りで葉月から離れていく。
「あれ誰ー?」
「確か、生徒会長の松島さん?」
「あーめっちゃ頭いいって噂のー」
「なんていうか、ちょっと住む世界が違う人って感じがするよね。思わず逃げちゃったよ」
こんな風に、近しい友人以外からは避けられがちになっている。
「ただいま」
誰もいない築三十年越えのボロアパートの一室に、いつも通り声をかける。
母は今日も、夜遅くまで仕事だろう。
親子二人分の生活費を稼がなければいけないため、今日も今日とてデスクワークに奮闘しているはずだ。
こういう何でもない日。
普段通りなら葉月は、スマホで取りとめのない芸能ニュースなんかを確認して、自分が請け負っている掃除洗濯料理といった家事をこなした後、ひたすら勉強に精を出す。
けれど、今日はその前に片づけなければいけないことがある。
ポストに投函されていた、そっけない茶封筒。
切手が貼られていないことから、直接投函されたものだと分かる。
差出人の顔が見えてこず、少し気味が悪い。
普段ならば、出前のチラシと一緒にしてゴミ箱に捨てていたかもしれない。
しかし、そうしなかったのは、デカデカとマジックで書かれていた文字を看過することができなかったから。
『ライダーのマスターへ』
「おや、これは。わざわざ教えてくれるとは、なんとも親切な手合いではありませんか、マスター」
霊体化したままの状態で、ライダーが耳元に囁いてくる。
「うるさい。気付けなかったのは、あなたの責任じゃないの?」
「妾は、汝に忠告致したと記憶しているのですが。こんな場所に居を構えていないで、ちゃんとした拠点を作って敵の襲来に備えましょうと」
「うるさい。…………」
「おや、これは手痛いところを突いてしまったでしょうか」
言い返す言葉が見つからなかったので、黙っていると煽ってくる。
令呪の一つでも使って、立場を分からせてやろうかと思うが、既に似たような場面で使っているせいで残り二画。無駄打ちはできないと冷静になり、諦める。
この忌々しい従者を得て、葉月が聖杯戦争に参加することになった経緯は、さらにもう少しだけ時をさかのぼることになる。
それは突如、葉月に自覚をさせた。
いつもと同じように、薄暗がりの部屋で一人、黙々と問題集を解いていた時のことであった。
外から何やら赤い光が部屋の中に入ってきていたが、どうせパトランプか何かだろうと気にも留めず、どことも知らない町の情報について長々と書いている英文を読み進める。
けれど、それを妨害するように、葉月は超能力に目覚めたこととその使い方について自覚をさせられた。
「夜空の姿を変える力?」
天より与えられた不思議な力に年甲斐もなくドキドキした。
だから、すぐに試してみたいと思った。
カラカラとガラスと網戸を開き、ベランダに健康サンダルを履いて出る。
自分の頭の中に埋め込められた使い方の通りに、一つの星に注目して、それを引っ張るように夜空の別の点へと移動させるイメージ。
すると、それに従って、その星は葉月が思い描いた通りの場所で光始めた。元の場所には闇が残る。
次に、何もない空、闇でできた画用紙の一点に、大きめの光を点描するイメージ。
すると、何もなかったその場所に、シリウスと見誤るほどの見事な輝きが発生する。
そんな風にして、十分ほど堪能した後、とある事実に気づく。
「これ、生産性ないな」
そう、確かに不思議な力ではあるのだが、いかんせん葉月に益があるわけでもない。
夜風に当たって少し冷えてきた身体が温まるわけでもないし、テストの点数が上がるわけでもないし、お金を稼げるわけでもない。
いや、もしかしたらテレビの超能力者特集なんかの出演料が貰えるかもしれないが、やらせが疑われた挙句に一生晒し者にされるのがオチだ。
だから、一通り夜空を弄って飽きるとともに、その超能力のことは忘れて、勉強に戻ることにしようとした。
だが、空から目を落とし、街の方に目を向けたときに気付いてしまう。
「あそこ、もう工事中断して長いはずなのに……」
葉月のアパートがある地域は、繁華街となっている駅前からアクセスが悪い。公共交通手段としては、ローカルバスが申し訳程度に通ってくれるだけ。
葉月は通学のために、毎日自転車で四十分はこぎ続けないといけない。
そういう辺鄙なところである。
藤之枝の本格的な開発が進められていく段階で、皮算用でアパートの立ち並ぶ旧住宅地の近くにマンションを建てる計画があった。恐らく、周辺住民の多くが誰が好んであんなところにという思いがあったのだが、案の定骨組みだけを組んだあたりで頓挫した。
その結果として残ったのが、灰色のシートを被ったまま残された建設凍結のビル。馬鹿な計画から解放された建設作業員は今、駅前周辺のさらなる施設建設などに投入されている。
わざわざ金にもならないビル解体に力を入れる余裕はないのだ。
「青い光……?」
不思議な燐光が、灰色のシートの内側から漏れているのが見えた。
度々、バイクに乗った集団が、その敷地でたむろしているというのを噂で聞いている。だから、その光もきっと、その手の手合いなのだろうなと理性的に考える。
けれど、その日の葉月は何を思ったのか、直接に確認しに行きたいという気持ちになった。あの光は、そんな俗的なものではなく、もっと神秘的なという予感。まるで、何者かに導かれるような感覚。
そうはいっても理性的な部分が完全に消えるわけではない。
「ちょっと近くにいって、確認しに行くだけ」
そう自分に言い聞かせて、葉月は上着を羽織って外に出た。
そして、目的地にたどり着くまでには、自転車で十五分かかった。
一つ前の通りに止めて、こそこそと隠れつつ様子を見る。
跡地といっても工場現場、敷地との境にはバリケードが敷かれていて、外からでは中の様子は見えない。
ただ、人の気配はないように感じる。
エンジン音一つないというのは、バイク乗り集団の線は低い。と思いつつも、建設現場跡地に踏み入れた途端に一斉にふかしてくるのではないかという無駄な疑心暗鬼に挙動は慎重になる。
バリケードの中に入るのはさほど難しいことではなかった。
というのも、先駆者の方々により、ご丁寧に一か所に穴が開けられているからである。
「不用心だ。いや、塞いでもイタチごっこか」
その現状を冷静に分析しながら、外からは何度か見ている敷地内部に初めてお邪魔する。
見えるところに人の姿はなく、ひとまずの安堵をする。
その後に、家から見た青白い光の発生源を探そうとするが、まるで元から光ってなんていないですよと言わんばかりに、シートの外からでは何も発見することができない。
仕方がないので、シートをめくりあげて中に立ち入ることにした。
この段階になって、葉月の心臓は最高潮に激しいリズムとなっている。
それでも、心の底から沸いてくる予感を信じて、探索をやめない。
「もしかして、これから?」
魔法陣。
ファンタジーの世界に登場するような円形に複雑怪奇な文様を加えたものが、のっぺりとした塗料で地面にでかでかと描かれていた。
誰かの落書き?
普通に考えたらそうなのだろう。けれど、夜の雰囲気もあいまって、それはある種の神秘性をたたえていた。
触れてしまえば取り返しがつかないことになりそうな……。
だがそれは、逆説的には禁断の果実めいた、手を伸ばさずにはいられない魅力がある。
葉月の手は震えながらも、そっとそっと、禁忌をおかさずにはいられないとばかりにゆっくりと、魔法陣に指先だけを触れさせた。
途端、シートに覆われた闇の中にありながら、昼かと見間違わんばかりの光が溢れだす。
やはり、こんなところに来なければよかった。
と後悔の言葉を、頭の中で十回は繰り返したところで、光が収まる。
そして、それと置き換わるように、煌びやかな着物に身を包んだ妖艶で雅な絶世の美女の姿がそこにはあった。
「あら、ずいぶんと可愛らしいマスター様でいらっしゃいますこと」
それが、葉月の呼び出したサーヴァント。ライダーの第一声だった。
その後、ライダーに聖杯戦争のことについて教えられる。
七人のマスターが、サーヴァント同士を戦わせるサバイバルゲームであること。勝利者の報酬は、願いを叶えることができる権利であること。
最初は戸惑っていた葉月であったが、話をかみ砕いた結果、積極的に参加して勝利を目指すことにした。
願いである、葉月と母親を捨てた父親への復讐を叶えるために。
果たして、匿名の封筒の中に入っていたのは一枚の手紙と、何枚かの写真、一枚の地図。写真には、それぞれ一人ずつ人の姿が写っている。
なんの写真だろうと思いつつ、手紙の方に目を通す。
『私はこの聖杯戦争に参加しているマスターの一人である。
意気揚々と参加したが、全く戦闘にならずに退屈しているであろうライダーのマスターに一つの情報を提供しようと思う。
疑われても嫌なので、先にこちらの狙いについて話しておくなら、停滞している状況の打破である。互いが互いの場所を発見できないか、手を出せない状況にある中で、とある陣営の居場所の情報を伝えることによる状況の打破を期待している。
提供するのは、セイバーとキャスターの同盟のいる洋館の所在。
キャスターのマスターの持つ認識阻害の力によって隠されているその場所について。そして、その洋館の住人たちの情報』
それ以降には、まず地図に付けられたマークの位置にある雰囲気のある洋館を拠点としていること。
写真一枚一枚について、写っている人物についての解説文が添えられている。
そして最後に、こんな一文。
「『この情報を生かすかどうかは君次第』……。ねえ、どう思う?」
「間違いなく罠でございましょう。妾と彼らとの相打ちを狙ってのことか、それとも疲労したところの漁夫の利を狙ってのことか」
「普通に考えてそうだよね。こんなバレバレの」
「して、汝はどうなさるおつもりでしょうか?」
「下見くらいはしておこうかなって」
当然、すぐに何かを起こす気はない。
そんなことをすれば、この手紙の送り主の思うつぼだ。
かといって、手紙に書いてあった情報が本当ならば、それは非常に有益な情報なことも確かだ。
葉月のサーヴァントであるライダーの性質上、十全に戦えるときのタイムリミットは迫っており、そう悠長に構えてはいられない状況。
まさに渡りに船というものだ。
だから、それを見越して明日の昼間に様子見に行くことに決めた。
そして、翌日。
葉月は霊体化させたライダーを連れて、例の地図の場所まで訪れていた。
「本当に何もない。……見えないせいで、騙された気分」
電柱の陰に隠れて様子を伺おうとしたのだが、そんなのがバカバカしくなるくらいに、認識阻害とやらのせいで何も発見することができない。
「なんかこう、不思議力感知的なやつで分からないの、ライダー?」
「それは少し難しいことでありましょう。どうやら、漏れ出す魔力の感知も阻害されているようですから」
適当に言ったけど、あったのか不思議力感知。
と内心驚くも、まともに使えないのでは事態が進展することもない。
こそこそするのは性に合わないのか、そわそわする心を鎮めるために、手持無沙汰に同封されていた写真に目を落とし、覚えなおしをはかる。
入っていた人物写真は五枚。
キャスターとそのマスターの写真はないが、その他のものの会話から存在が確認されているとのこと。
それを除いて、手紙の送り主が確認できている限りの洋館の住人は、セイバーとそのマスター、脱落したサーヴァントであるランサーのマスターとバーサーカーのマスター。
そして、無関係のはずなのに匿われているという……。
「ねえ、お姉さん。ここで何してるの? ん、この写真はボク?」
「アサシンに襲われているところを助けられた少年!?」
手元の写真に集中していたところを、突如後ろから声をかけられ、思わず跳ね上がる。
どうすべきかと頭を高速で回転させ始めると同時に、その事実に気付く。
「ていうか、ライダー。なんで、教えてくれなかったの?」
後ろから迫ってきているときに、幾らでも教える機会はあったはずだ。
それへの返答とばかりに、霊体化を解除して、たおやかな身のこなしで少年の首筋に手刀を叩き込み気絶させるライダー。
「集中していたところを、邪魔するのも悪いかと思うたゆえ」
「嘘だ! 悪い顔してるもの。こうなることを面白がって、したのね?」
葉月の心からの問いかけには答えず、代わりに抱えている少年の身体を面倒そうに差し出してくる。どうやら、葉月が持てということらしい。
受け取らなかったら、何のためらいもなく地面に落としていたことは予想がついた。なので、渋々ながら、背負うことにした。
「さて、人質獲得でございますね。それでは居に戻るといたしましょう」
ごく自然に霊体化して、葉月に逃走を促すライダー。
「えっ、ちょっと……」
急展開する事態についていけず、とりあえずは指示に従うように、その場からの逃避に足を向ける葉月。
こうして、流されるように誘拐の片棒を担がされることになってしまったのである。