圭人が攫われたことには、すぐさまに発覚することになる。
というのも、神無が千里眼を使って、居間でくつろぎながらも、外にいる彼のことを見守っていたからである。
しかし、神無もあまりにも突然のことに、事態を正しく認識できない。鳩が豆鉄砲を食ったように。
「あれ、圭人くんが誘拐された?」
「はぁ? …………はあ?」
たまたま近くにいた波彦がそのつぶやきを聞き、最初は何を言ってるんだと思っていた。
しかし、頭が言葉の意味を正しく認識し、圭人が外出していることと、神無の千里眼のことを複合すると、今度はあまりの急展開に驚きの声を上げる。
そもそもなぜ圭人が、外出しているのか。
その答えは物資の補給という名のおつかいのためである。
そして、お世話になっているからせめてものという善意からの志願を、彼が行ったからである。
他のマスターたちの動向を見るという名目で、外部と遮断された屋敷に絶賛引きこもり中である波彦たちであるが、昨日の時点である一つの問題が表出した。
つまり、食べるものがもう残されていないという問題。
当たり前といえば当たり前である。
例えこの館が外から見えていなかろうが、中では普通に暮らしているわけで。そうなれば、人数分の食事も必要となってくる。
館の住人は、ここ数日で一気に増えることになった。
となれば、食糧の消費もそれに伴って増えるということで、備蓄がいつの間にかなくなってしまっていた。
本格的な食糧の買い込み時は、圭人一人では持てない量になるだろうから、波彦とセイバーが行くことになっている。
けれど、取り急ぎ必要な一食分と切れかかった日用品のおつかいを、圭人が買って出たのである。
そして、十数分前に送り出して今に至る。
「見るたびに幸が薄い子だとは思っていたけど、ここまでとは……」
「いや、そんなしみじみとしている場合じゃないだろ。早くどうにかしないと」
えっと、こういう場合はやはり一一〇に電話をかけるべきなのだろうか。
と考えて、スマホをポケットから取り出そうとしているところ。
「待って待って。少し冷静になって。これは聖杯戦争案件なんだよ」
「というと……」
「着物の女性が急に現れて、圭人くんに手刀かましてまた消えてた。消去法からして、彼女がライダーであって、攫ったのはライダーのマスターなんだと思う」
それはつまり、ここ数日、創作は続けていたが巡り合えなかった他の参加者の出現である。そして、先手を打たれたということでもある。
「なら猶更、急いでセイバー達に知らせないと」
「あーうん、そうなんだけどさ」
「けどさ……?」
「そんなに急がなくてもいいと思うんだよね」
「何を悠長に」
「じゃあ聞くけどさ、圭人くんを攫ったのがあたしたちと同年代の女の子で、彼を背負っている状態だとしたら?」
「休日の昼下がりを行く姉弟?」
「みたいなボケた回答ではなくて、そんな状態じゃスピードは出ないでしょ? っていう話」
わざわざこんな話を持ち出してきたということは、そういう状況にあるということ。現在進行形で視界の一部に収めている神無の言である。彼女が嘘を吐く理由も特にない。
「ライダーのマスターなら、こう。ライダーの出した乗り物とかで颯爽と去っていく感じじゃないの?」
「さあ? マスターの方が、ライダーに気を失った圭人くんを、面倒くさそうに差し出されていたし」
「何それは?」
「いや、あたしに聞かれても」
聞けば聞くほど冗談みたいな話だったけれども、真実であることは間違いないようだった。
神無は、居間に集められたセイバー、キャスター、弥生に、先ほどと同じ話をする。
「神無くんの話を聞いたところ、留意しておかなければいけないことが二つほどある」
一通りの話と、幾つかの質問を終えた後に、キャスターが話を始める。
「一つは、この場所がかなり的確に明らかになっていることだ」
「確かに、そうじゃないと、塀に隠れてこそこそと、こっちを確認してくるっていうのはおかしいもんね」
「……見えていないはずなのに」
「うん、確かに見えてない感じだったよ。地図と見比べて、あるのは分かっているけど、どうすればいいか分からない感じ?」
「完全にバレたわけじゃないってことなのかな」
「だとしても、一般人の被害が出ることも恐れなければ、辺り一帯目掛けて対軍宝具を放たれることも考えられます。以前ほど、ここが絶対に安全だという考えは危険かと」
銘々が話を広げていったところに、「こほん」とキャスターが咳ばらいをして止める。
「そして、二つ目、相手は圭人くんに、人質的価値があると分かっていたということだ」
「それはどうなんだろう。なんか、ビックリして咄嗟にって感じだったよ」
「だとしても、ワシらとの関係があることには気付いていたのだろう。でなければ、そうなるまで驚くことはないと思われるのだが……」
「うん、確かに。というか、写真持ってたしね。キャスターさんと弥生ちゃんのはなかったみたいだけど」
「わたしたちは、ずっと家の中に隠れてたから……」
「つまりは、ライダーのマスターが自身で調べたものではなく、別の誰かからもたらされた情報だということなのでしょう」
「とすると、その誰かは他の陣営。アーチャーかアサシンのマスターからだと考えるのが自然だろう」
名前が出てきて、波彦の頭の中で、如月の姿がチラつく。彼のことを考えるたびに、苦々しい気分を思い出す。
それがどうも顔に現れていてしまったらしく、神無から指摘が飛ぶ。
「波彦くん、残念だけど如月さんじゃないと思うよ」
「理由は?」
「圭人くんの写真を持っているから。あたしたちがアサシンの元から逃がしてあげてから、ここに匿ってあげるまでに写真を撮ってなきゃいけないわけで。しかも、ちょっとだけしか見てないから確実なことは言えないけど、写真の隅にあの日見たアサシンの姿が写っているのが見えた気がする」
「じゃあ、アサシンのマスターが、ライダーのマスターにリークしたってことか……」
良かったような、残念なような。
微妙な気持ちを抱えながらも、今回の件には如月は関わっていないと断定をする。
「さて、ここからが本題だ。すなわち、圭人くんを助けに行くか否か」
キャスターがその一言を放った後、一人一人に視線を向けていく。波彦から始まり、最終的に傍らの弥生の元まで。
「向こうは圭人くんに人質の価値があると見ている。だが、どうだろう? 彼はマスターでもサーヴァントでもない巻き込まれただけの一般人。ワシらにとっては戦力的な価値は正直言って無い。
こちらが何も動かなければ、向こうは圭人くんに人質的な価値がないことに気付くだろう。そうなれば、手元に置いておくだけ邪魔になる。そこまで至った際の択は、解放するか、処分するかの二択。
相手が過激的ならば、バーサーカーが行っていたように、現在進行形でアサシンが行っているだろうように、処分することだろう。しかし、そうでなければ、何事もなかったかのように解放するだろう。
神無くんに聞いた限りでは、ライダーのマスターは後者の手合いである可能性が高いと思われる。躍起になって取り返しにいけば、かえって争いに巻き込んでしまう危険性もある。放置は分の悪い賭けではないと思う。
それを踏まえて、どう動くかを決めなければ」
波彦は、キャスターの話が全く正しいことのように思えた。
迂闊に手を出すことによって、圭人に危険が及ぶことを考えたなら、静観するのは素晴らしいアイデアのように思えた。
思わず賛同の声を上げようとしたところ、それを遮ったのは思いもよらぬ人物だった。
「それじゃダメ! わたしのせい。……だから、助けなきゃいけない」
今までに見たことのない、いつもより強めの語気で、弥生が訴えかける。
「そうか……」
自らのマスターに反発されたキャスターの声は、こうなることが分かっていたかのように諦めの感情が満ちていた。
「拙者も弥生殿に賛成でござる。例え何もしないことが正解だとしても、助けを求めているかもしれないのに、見捨てるような行為はしたくありません」
「まあ、黙って見てるだけなんて性に合わないよね。向こうは、ちょくちょく休憩入れてるし、まだまだ追いつけるよ」
次々と弥生に賛成者が増えていく。
波彦は、消極的な方向に流れようとしていた自分が恥ずかしくなる。
「キャスターの考えが外れて、もしものことがあったら、自責の念にさいなまれそうだもんな。それじゃあ、俺とセイバーがひとっ走り行ってくるよ。神無さん、電話でナビゲート頼める?」
「もちろん!」
それだけ言って、館を出ようとする波彦に、
「待って」
と、意を決した声がかけられる。
「わたしも行きます。彼が連れていかれたのは、わたしがおつかいを頼んだから」
先ほどと同様に、普段(といっても、数日間しか見ていないが)の弥生とは異なる強い意志を感じる言葉。
確かに、最初にモノが足りないと話題に出したのは彼女であった。
けれども、食糧問題は館の住人全員の問題である。
おつかいを買って出たのは、圭人だった。
それを承認したのは、あの場にいた全員である。
弥生一人が責任を感じることではないだろう。
「別に弥生殿が悪いということではないと思われますよ」
「……それでも」
セイバーが諭しても、弥生は切羽詰まった様子を変えない。
「そもそも、弥生ちゃんがここを出ると、館にかかっている認識阻害ってどうなるの?」
ふと疑問におもった神無が、キャスターに投げかける。
「残念ながら、ワシはこの屋敷に認識阻害をかけなおすことができない」
すなわち、洋館がセーフティハウスとなっている状態が解けるのと同義。
アサシンのマスターなどには、ここの場所が割れているようだが、あるのとないのでは気持ちの面で大きな違いがある。
周囲の目を確認すると、波彦と同じことを考えているのではないかと思えた。すなわち、不安。
追うのは波彦とセイバーの二人だけで十分だから、弥生は残っておくべきだという常識的な判断。
どういう言葉であれ、すぐにその場の誰かから、そういう提案の言が出るものだと思えた。
けれど、それは裏切られる。他でもない最も弥生が行くことに反対すると思っていた人物であるキャスターの口から。
「申し訳ないが、弥生くんを同行させてもらえないだろうか、波彦くん」
「えっ?」
恐らく波彦は、よっぽど間抜けな顔をしていただろう。
そしてもう一人、普段は表情の変化を感じさせない弥生。彼女が目に見て分けるほどに驚いた顔を見せていた。
「ワシはここを離れることができないから、弥生くんだけ。圭人くんの救出隊に加えてやってほしい」
「どうしますか、マスター殿?」
セイバーのその一言で、最終的な決定権が波彦に委ねられる。
正直やめてほしい。
波彦の頭は混乱のさなかにある。
キャスターが、わざわざ波彦に頼み込んできたということは、何か相応のメリットがあるということなのだろう。自分の頭では理解できることではないとしても。
全員の注目が集まる。
答えを待つ沈黙。
波彦は耐え切れなくなって結論を出した。
「よし分かった。行こう前園さん。一緒に圭人を取り返しに」
こうして、奇妙な組み合わせでの救出作戦が始まる。
さて、外に出て真っ先に気になったのが周囲の視線である。
袴姿の侍。シックなメイド服の少女。
大衆的で安価な大量生産品に身を包む波彦と合わせて、とにかく目立つ。
比較的静かな住宅街なので、そこまで往来はないのだが、すれ違う人々、追い抜いた人々から奇異の視線を向けられているのをひしひしと感じる。
このことについて、「恥ずかしい」と電話越しの神無に話してみたところ、『それくらい我慢しなよ』と面白がっている声で返ってきた。
助かったとすれば、神無のナビゲート先、すなわちライダーのマスターの逃走方向が、街の方向とは真逆であったこと。
追いかければ、追いかけるほどにすれ違う人の数が減っていく。
『そのまま真っすぐ。もうすぐ見えてくるよ』
神無の言う通り、道路の真ん中にぽつんと、重い足取りの影が見えた。
「やっと、追いついた……」
ここまでずっと走りっぱなし、運動不足の身体にはかなり堪えた。息が上がっている。
勇んできたとはいえ、波彦以上に運動不足で、かつ走りにくい格好をしている弥生は、胸に手を当て「はぁ、はぁ」と苦しそうに息をはいている。
「ぜーはーぜーはー、貴方たちは写真の。……ぜー、追いついて、はー、来たのね?」
そんな波彦以上に、疲労困憊状態の少女の姿がそこにはあった。
「はー。…………ふぅ。……一人知らない顔があるけど、キャスターのマスターと見たわ。キャスターの方は霊体化しているのかしら?」
なんというか、どうにか自分のペースで話を進めたい手合いらしい。
けれど、さきほどのぜーはーを見てしまっていては、威厳を何も感じることができない。偉そうにしているのが、ギャグの類にしか思えない。
「マスター様、別のサーヴァントの気配はありません。どうやら、彼女は身一つでやってきたようでございます」
突如として、少女の後ろから姿を表した着物姿の美女。
「え、そうなの? じゃあ、数的不利はないわね」
「ふふ、そうでございますね」
その姿は、綺羅やかで雅。
幾重にも纏った着物が、華やかなグラデーションを生み出している。
白磁のような肌と、漆塗りの腰ほどまで伸びた黒髪のコントラストが目を引く。
そして、その顔にはめられた一対の金色の眼には、視るものを吸い込むような神秘が感じとれ……。
「マスター殿、危ない!」
セイバーが咄嗟に空を斬り払う。
唐突なそれによって、ライダーの方へと向けられていた注意が逸れた。
「いきなり仕掛けてくるとは、なかなか血気盛んではありませんか。マスター殿、弥生殿、ライダーの眼を見ないように気を付けてください」
「う、うん?」
戦闘時特有の険を持ったセイバーの言葉に、よくは分からないが従う。
頭半分ほど俯いて、ライダーたちの首より下の部分しか視界に映らないように気を付ける。
『波彦くん。なんか、目がやらしー感じがする』
「仕方ないだろ!」
ポケットから聞こえてくる声に反射的に返す。喋ってないと落ち着かないのかというくらいに、その後も色々言ってきていたが無視することにする。
「心外でございます。別に仕掛けたつもりなどありません。ただ、妾の眼は自動的なのです」
「魅了の魔眼というものですか」
「ええ、まあ。これでも昔は、そこそこに苦労させられました」
苦労などどこ吹く風という、穏やかながら絶対的な自信を感じさせる声。
「では、改めて、圭人殿を返していただきましょうか」
セイバーが刀を鞘から抜き構える。
けれど、ライダーは戦闘態勢に入ったような雰囲気はなく、それまでと同じ世間話でもしているような自然体。
「あら、この童子のことですか? まさか、本当に捕虜としての価値があったのでございますね」
「それはどういう?」
「いえ、彼は無関係の民でありましょう。とてもお人好しだと感じ入ったのです。妾としては、適度に尻尾を振っていれば、そちらから接触してきてくださるかと思っていただけですので」
このライダーの言に対しては、その隣で肩で息をしている人が一言あるらしく、「えーちょっと、どういうことなの」と不満をあらわにしている。
「ふふ、いい運動になったではありませんか、マスター様。それはさておき、そろそろ遊び始めましょうか?」
袖をふっと振り、挑発するライダー。
それに意を見せぬと、振り終わる前に静かに一歩踏み込み、斬りかかるセイバー。
しかし、すでにそこにライダー達の姿はなく、空を斬っていた。
そうライダーだけではなく、マスターの少女と、彼女に背負われたままの圭人の姿もいなくなっていた。
どこに行ったのかと、キョロキョロと左右を確認していたところ。
カシャーンと、ガラス玉が弾けるような音が、背後から響く。
慌てて向き直ると、豪奢な着物姿。
その足元でスパンコールのように煌めく、この世に非ざる乳白色の破片。
そして、その手には白金に輝く木の枝と、そこにぶら下がった二つの大玉の真珠。生命的でない色を持ちながら、大いなる自然の力を思わせる矛盾を抱えた一品。
「あーこら、もう残り少ないのに無駄に使って」
緊張の中、真っ先に声を上げたのは敵方の少女の貧乏性な一言だった。
「でも、あのままだと斬られてしまっていたので、有用な使い方だったと進言させていただきますわ」
「うっ、そりゃあ、家から学校まで歩くのが面倒だって使ったのに比べれば、そうだと思うけど……」
そんな場の空気を和らげるやり取りが繰り広げる中、波彦の隣で思案していた弥生が気付く。
「……かぐや姫」
それが、この着物のライダーの真名だった。
「あっ」
「あら、バレてしまいましたか」
マスターはやらかしたと、サーヴァントはいたずらが露見した程度の余裕さで。
「そうか。あれは『蓬莱の玉の枝』」
波彦の言葉に、小さくこくんと頷く弥生。
「蓬莱山。仙人の住まう山の枝は、その実を犠牲に持ち主に仙人の力を与えるといったところでしょうか。それが、あの次元跳躍にも似た移動の正体」
その答えは、誤魔化す言葉すらない少女の様子と、よくできましたとばかりに柔らかな雰囲気を放つ美女の態度に表れる。
かぐや姫。
日本最古の物語に登場する月人の姫。
竹取りに行っていた爺に、切った竹の節より見つけられ、数年の後に天下に轟くほど、絶世の美女に成長する。
美貌に狂わされた数多の位の高い男たちから求婚され、それに対して入手困難な品の献上を条件にあげて断った。先ほど使われた『蓬莱の玉の枝』は、そのうちの一つ。
最終的には、満月の夜に故郷の月へと連れ帰られて物語は終わる。
サーヴァントの能力に重要な、非常に高い神秘性と知名度を兼ね備えている。
「では、もう少し遊ばせていただきましょうか。捕虜を上手く使ってなぶるというのも一興やもしれませんね」
そう言って、ライダーの手には新たに石製の椀が現れる。
セイバーが、何事が起きても対処できるようにと構えなおす。
「待って!」
その張りつめた空気を裂いたのは、メイド服の少女。
「キャスターのマスター……で、合っていますでしょうか?」
ライダーからの質問に、その小さな喉がこくりと鳴る。
「合ってる」
「して、一体何用なのでしょうか?」
それは、これから何を見せてくれるのかと面白がる声。
「わたしが人質になる。だから、彼を解放して」
波彦の目には、弥生の身体がときどき震えているように見える。
「弥生殿、それはいけません!」
「セイバー。せっかく力無き少女が勇気をふり絞って意見を表明したのです。それを尊重してこそ、妾ら英霊とは思いませんか?」
「あなたのその態度は、傲慢なだけのもの。キャスター、あなたも己が主を止めるよう説得してください!」
セイバーの声は、波彦のポケットの携帯で繋がるキャスターの元へも向けられる。
『ワシとしては……それが弥生くんが決めたなら、その方針に逆らう余地はない』
「キャスター、あなたは……」
もはや自分の信念に基づいて行動するのみと、ライダーに刃を向けなおすセイバー。
ライダーは、それを抑止するように、圭人の方に石椀を持っていない方の手を向ける。この場の流れを止めることを許さないという意思表示。
そうされてしまうと、セイバーの構えも弱くなる。
「えっと、つまりどういうこと?」
「マスター様、捕虜の質を向上させる好機です。この機を逃す故はありません」
「チャンスってことね。ライダー、よろしく」
「はい、任せてくださいませ」
その流れを止めるものはいない。
否、止めるはずの者には、枷がかけられて身動きが取れないでいる。
両雄睨み合ったまま、弥生だけが一歩ずつライダーの元へ歩を進める。
『弥生ちゃん……』
電話越しに珍しく弱気な神無の声が聞こえる。
「絶対に取り戻しに行こう」
波彦は決心を小さく口にする。
「彼を放して」
弥生はもはや逃げ出す気はないと、魔眼対策に伏せていた顔を上げ、ライダーと顔を突き合わせる。
「約束は守りましょう。さあ、マスター様、少年を解放してあげてください」
その決意を面白いとばかりに、誠意を見せるライダー。
「えっと、気を失ってるんだけど、地面に置いていいのよね? ……ごめんなさい」
従者に言われるがままに従い、圭人の身体をゆっくりとアスファルトに寝かせるライダーのマスター。
「…………」
無言で、刀を構え続けるセイバー。
「さて、マスター様。もう少し、近くに寄ってください。では皆様、此度はこれにて、ごきげんよう」
ライダーは再び、『蓬莱の玉の枝』を取り出して、それを振るう。
次の瞬間には、その場からライダー、そのマスター、そして弥生の姿がかき消えていた。
残された圭人をセイバーは無言で担ぎあげ、帰路につく。
波彦も何も言わずに、その背を追いかける。