カッカランと音が響く。
セイバーが身体から引き抜いた竹が、アスファルトの道に転がっていく。移動速度も相まって、すぐにはるか後方の夜の闇に消えていく。
それと入れ替わるように、白装束の集団が迫りくる姿。
一息の間に十歩分あった間が縮まる。
白装束は手に持った槍は使わずに拳を振りかぶって、突き出してくる。
セイバーのスキルは、武器を使用しない攻撃までは回避することができない。
だから、刀を合わせて受け止めるしかなかった。
刃を当てられた拳に傷は入らず、むしろ刀の方が折れそうなキーンという金属の揺れる音を、寝静まった町に響かせる。
セイバーの小さな身体が弾き飛ばされる。
それに抱えられていた波彦も、その衝撃にさらされる。転げ落ちてしまいそうな中、必死にしがみつく腕は、早くも情けなく悲鳴を上げ始めていた。
「真の主を得て、眷属たちの力も増しているということでしょうか?」
セイバーの問いに誰も返答をしない。
波彦の方は、離されないようにしがみついているだけで、いっぱいいっぱい。
白装束たちは、そもそも喋っている姿をこれまでにみない。人語を介する機能が備わっていない可能性も十分に考えられる。
しかし、戦闘の機能に関しては、もはやセイバーの身体能力を凌駕するほどにスペックが上昇している。そのことを、今の一瞬の攻防で思い知らされた。
加えて、多勢に無勢。
もはや、単に逃げおおせることすら、不可能なことのように思われた。
『次の角を左に曲がって! そのすぐ先にある交差点も左!』
通話状態にしていた携帯電話から聞こえる、神無の声。
「セイバー、聞こえたか?」
「ええ、ばっちりと」
「何か、この場に対する打開策でも用意してくれてるのかな?」
「それは分かりませんが、もはや縋る以外に術はないでしょう」
セイバーは追い打ちをかけてきた別の白装束の打撃の勢いを利用して、曲がり角の入り口までわざと弾き飛ばされた。
向こうを見やると、家ひとつ分先に交差点があった。
セイバーは、白装束たちを振り切るために、最短距離で交差点に入り、左に曲がる。
波彦は自分にできることはないかと無我夢中で、逆側の道にあった標識に念動力をぶつける。生じた音で、後続の白装束が勘違いしてくれることを祈る。
それを終えてからようやく、曲がった先を見た。
地面から生えている如月拓人がいた。
正確には、蓋の外されたマンホールから上半身だけを出している。
そして、いつもの趣味の悪いスーツ姿に加えて、額部分にライトの付いたヘルメットをかぶっていた。
如月は大きく手招きを一つすると、穴の中に潜っていった。
色々と聞きたいことはあるが、状況は待ってくれない。
セイバーは波彦を抱えながら狭い穴の中に飛び込む。穴のそばにあった蓋をはめ直しながら。
「ふー、はー、まさか家の中に続いているとは……」
爽やかな地上の空気が、息苦しくて頭の痛くなる臭いの地下の空気を取り入れていた肺に染み渡る。
マンホールの中は、地下水道になっていた。
少し屈まないと通れないくらいの、コンクリートパーツを繋げて作られた道。
波彦たちは、先をずんずん行く如月に付いていかなければいけなかった。そうでないと、ライトを持たない波彦たちは暗闇の中に取り残されることになっていた。
汚水の臭いは、一息目に思わず胃の内容物が上ってくるほどのものだった。
その水に足を付けるのは躊躇われて、最初の頃は水の通っているところをまたぐようにしていたのだが、前を行くマントが速いため、途中で諦めざるを得なくなった。
おかげで今、靴の中がぬめっとした汚水でずぶずぶになってしまっている。
地下水道を進んでいくと、途中で雑にコンクリートを破壊して作られた横道があった。
更に狭くなる土むき出しの道、もう殆ど這っているような体勢で進んでいった。
すると、しばらくして、少しだけ開けた空間と垂らされた縄梯子に行き当たる。
その縄梯子を上った先が、フローリング床のリビングだった。
「ここは、お前の家か?」
「まさか、自分ちのど真ん中に、こんな大穴開けるわけないだろ」
「よそさまの家に開けるのだって非常識だ。家主が怒鳴ってくるぞ」
「ここの住人は、とっくに居なくなってるよ」
その言葉に、ギョッとして、如月の顔色を伺う。
「やったのはオレじゃないよ。別の、おそらくはアサシンに殺されて、もぬけのカラだったところを勝手に使わせてもらっている」
「だとしても、不謹慎だ」
余裕を取り戻した波彦が非難の言葉を向けるが、如月はどこ吹く風だ。
「で、そんなこと聞くために付いてきたわけじゃないんだろ?」
そう聞かれて、如月の元に行くように指示したのは、神無であったことを思い出した波彦は、マンホール内で通話状態が切れてしまっていた電話番号にコールする。
『もしもし。見てたよ。臭そうだね』
「臭いけど、すっかり慣れてしまって、それほどでもないよ」
正直に言えば、すぐにでも風呂に入って服を着替えたいレベルの不快感なのだが、それで死ぬわけでもないので放置しても良い。
「それで、如月拓人。お前は、俺たちに何をさせる気なんだ? 神無さんは、どうしてコイツに付いていくように言ったんだ?」
バーサーカーの一件で如月は神無の千里眼を知っているものと見てよいだろう。
如月は、波彦たちが逃げているのを見て、近くを神無の千里眼の視界が飛んでいると踏み、マンホールの中の逃げ道に導かせた。
だとしたら、その隠し通路の存在を教えてでも、敵であるはずの波彦を助けたことには理由があるはずだ。
『あたしとしては、あの場面では彼も巻き込んだ方が、助かる確率増えるかな程度で道案内したんだけどね』
先に出てきた神無の答えは、二人の間で合意がなされていたのだろうという波彦の予想の斜め下の打算的なもの。
気が抜ける。
いつも通りキザに振る舞ってる如月の顔にも、苦笑の色が張り付いているように見える。
『いや、だって声が聞こえるわけでもないし』
「そりゃそうだけどさ。もう少し取り繕ってくれても」
『実は彼の姿を見ただけで、考えていることの全てが魂で感じられて、あたしがそう感じていることも彼に伝わって、その運命的なシンパシーに従って波彦くんを案内した。って言ったら信じる?』
「馬鹿にしてるのかって思うよ」
『でしょ』
「あー、ちょっといいか?」
脱線し始めた話を如月が制する。
「率直に言うと、オレはお前たちと協力してライダーを打倒したい。そのために、あの時あそこでお前を助けた」
キザったらしく言うのだが、当然如月も地下水道の道を通ってきているので、ズボンの膝部分に土の塊が付いていて締まらない。
「空には二つの月が上がっている。ライダーのマスターは、空模様の改変能力を持っているのだろう。ライダーの伝承からして、満月でしか使えない宝具なのだろうが、相手がずっと満月を維持できるなら、時間経過での解決は望めない。このままではジリ貧だ」
ライダーが天の羽衣を纏ったことで、白装束たちの能力も更に上がっていた。単純な身体能力だけなら、一体一体がセイバーをも凌駕している。それが、正確な数は分からないが五十以上。
アーチャーの宝具は、あまり多勢に有効ではないのもあって、逃げ続けて参加者が少なくなった段階になると打つ手がなくなるというのが如月の考え。
「分かった。今回は手を組もう。こっちは拠点の場所も相手にバレてるから、早く手を打たないとマズイし」
互いの利害の一致を確認して、ここに波彦たちと如月たちの共闘関係ができあがった。バーサーカーの一件のときにも、流れ上そのような形になっていた気がするけれど。
「そう言えば、あんたはどんな能力に目覚めたんだ?」
ライダーのマスターも、満月を二つに増やす能力を持っていた。
これまでのマスターたちは、誰もが同じように何かしらの超能力に目覚めてからサーヴァントを召喚している。
だとしたら、如月も何かしらの能力を持っているのだろう。
とは言え、波彦にはある程度の検討が付いていたのだが。
「なんだそんなことか」
あっけらかんと言うと、
「ちょっと見ておけよ」
開いた手のひらを、何のしかけもないとアピールするように、波彦たちの前に差し出してくる。
「こうして一度、握ってやって」
意味ありげに微妙な捻りを付けつつ、指を握り込んでグーの状態にする。
「開いてやると、ほら」
如月が握り込んだ指を開放すると、その手のひらの上には、饅頭が一つ乗っていた。
どうだとばかりに自信満々な顔を向けてくる。
「いや、手品だろこれ?」
「これについてどう思うかは、お前次第だ」
つまり、如月は自分の能力について、この場で情報を開示する気はないということ。
ただ、波彦の予想としては、如月の本当の能力は、夕方に襲撃された時に使用していたとみられる人払いの力だろうと考えている。
あの時の不自然な人通りの少なさは、超常的な力が働いていると考える方が自然だ
この予想が当たっているのだとすると、今回の件について如月の能力が活躍する場面はないように思われる。
なら無理やり本当の能力について喋らせる意味は薄い。
「食うか?」
「あの下水道を通ってきた身体に隠し持ってたんだろ? 汚いし、いらないよ」
「そうか。じゃあ、遠慮なくオレが貰っておくぜ」
饅頭をひょいっと口の中に入れる如月。
衛生面とか気にならないのかと、信じられないものを見る顔の波彦。
「じゃあ、まずは状況分析からだ。セイバーとアーチャーとキャスターが協力したとして、真正面からライダーを倒せるかどうかだ?」
「おそらく、無理でしょう」
率直に答えるのは、実際にライダーと対峙したセイバー。
「数的優位は、彼女の眷属に完全に消され、むしろこちらが数的不利。それを差し引いても、現在のライダーは神がごとき力を有しています」
何もないところから植物を生み出して、セイバーを攻撃した。
あの攻撃は、まさしく世界の法則さえ無視した神の力だと思える。
「正面からの妥当が無理とするなら、真っ先に思い当たるのはマスターを狙うことだが……」
強力すぎるサーヴァントを相手にする時の正攻法。
そちらの方が易いなら、マスターの方を殺す。
波彦はセイバーを召喚した夜に聞いた聖杯戦争の戦い方についての話を思い出す。
「ライダーを倒す方法が思いつかないなら、仕方ないよな……」
波彦は一般人である。
率先して人殺しをしようなんていう物騒な発想は持っていない。
けれど、もしそれしか方法がないのだとしたら、仕方ないのではないかと思ってしまう。
向こうはこちらを殺そうとしに来ている。
なら逆に、殺されるかもしれない覚悟を持ってしかるべきなのではないか。
そんな月並みな、自己正当化の理由を考えていたところに、待ったをかけたのがセイバーであった。
「拙者としては、ライダーのマスターを殺す策を練ることには反対でござる……」
顔を俯かせているセイバー。
波彦が横から顔を覗き込むと、口の端から血の流れる線が一本走っている。
それは、自らその箇所を噛み切って溢れ出た血である。
すなわち、ライダーのマスターを殺す流れになったことについて怒りを覚えて、すぐにでも怒鳴って反対したかったのだろう。
けれど、自分の主張に理がないことも分かっているために、嘆願という形で意見するしかなかった。
その際に冷静になるために、行われた自傷行為が表に表れ出たもの。
「拙者は殺しはしたくありません。けれど、それが拙者たちサーヴァントのような過去の亡霊や、自らの意志で死を覚悟して戦場に足を踏み入れてきたものなら、刀を向けましょう」
実際、これまでにセイバーは、その言葉通りに刀を振るってきたことを、波彦は目にしている。
「だが、彼女や波彦殿、神無殿、弥生殿、睦月殿、この聖杯戦争に参加しているマスターを見ると、覚悟して戦場に踏み入れてきたようには見えない。拙者には、この聖杯戦争は、願いを釣り餌に人を陥れるための装置のように思えてしまいます」
だから、マスターを殺す形での決着は受け入れられないと。
ただ、それは本当に正しいことなのだろうか。
ライダー陣営は間違いなく敵側である。
殺さないと縛りをかけることによって、人質になっている弥生を危険に晒すことになるかもしれない。
負けたときには、波彦たちの命だって奪われるかもしれない。
それでも、情けをかけるだけの価値が、そこには本当にあるのだろうか。
「こんな話を切り出しておいてなんだが、そもそも相手もこちらがマスター殺しの策に出る可能性は考えているだろうから、十分に対策をしてきているかもしれないしな。例えば、あの白装束十人くらいに常に守らせているのだとしたら、実行は不可能に近い。安易に流されず、もっと根本的な弱点がないか考える必要があるだろう」
如月の言葉に、波彦も思いを巡らせてみる。
竹取物語――かぐや姫が翁の切った竹から生まれ、結婚志願者たちの誘いを退け、帝と相思相愛になりながらも、満月の夜に月に帰っていく話である。
ぱっと思い出しただけだが、この話において、結婚志願者の男性たちの末路は書かれていても、かぐや姫自身の弱点はコレコレという話は出てきていなかったように思われる。
ただ、今の状況、ライダーの宝具の数々が物語のクライマックスの月に帰る場面の再現だとするのなら、宝具の発動条件は空に満月が出ていることなのだろう。
だからこそ、如月は時間経過で満月が消えない状況に危機を感じ、協力を提案してきたのだから。
「なあ、セイバー、月って斬れたりしないか?」
「波彦殿、流石にそれは無理でござるよ」
「やっぱり、そうだよなあ」
月を物理的に消してしまえればと思って言ってみたのだが、そんなことは誰にだってできない。
『あ、でも、一時的に月を消すことだったら、できなくもないよ』
波彦ができないと心の中で断定したことに対して、即座に反論を行いだしたのが神無。
「それはどんな方法だ? 聞かせてもらってもいいか?」
如月の言葉を受けて神無が語りだしたのは、あまりにも突拍子のない内容。机上の空論であるように思われた。
奇跡に奇跡が積み重なってようやくできるような夢物語。
それぞれに役目があって、波彦の役目はその中でも際立って重要で困難なものだった。
「こんなのやれるわけないよ」
『大丈夫だよ、波彦くんならできるできる』
「簡単に言ってくれるなあ」
無責任な言い草に波彦は呆れ果てる。
それを横目に、神無の話を聞いてから顎に手を当て思案していた如月が、ようやく結論を出したようで口を開く。
「正直言って、成功する確率はサハラ砂漠の中から一粒の金を探し出すようなものだ。だが、考えれば考えるほど、それしか方法はないと思えてくる」
『でしょ』
「ライダーは、そのような奇跡を通さなければ打倒し得ぬほど強力な存在ということなのでしょう」
直接対峙して、その力を身に受けた経験のあるセイバーの言葉には説得力がこもる。
セイバーは、成功率の低いこの作戦を全面的に支持する意向を示す。
『あのね、セイバー……』
作戦決定の空気に場が包まれ、これから細かいところを詰めていこうとなりかけていたところに、神無が水を差す。
遠慮がちに。けれど、どうしてもこれだけは言って置かなければいけないと。
『この作戦を考えたのって、あたしじゃないの。キャスターさんなの。今、セイバーと険悪な雰囲気の自分が混じっても、空気を悪くするだけって黙ってるけど……』
電話だけだから、屋敷の方の様子までは分からない。
だが、波彦には、あの温厚で何にも同時なさそうなキャスターが、バツの悪い様相でこの話し合いを聞いているのが想像できた。
『セイバーは、キャスターさんに弥生ちゃんの安全のことをちゃんと考えるべきだって言っていたけど、ちゃんと誰よりも考えているんだと思うよ』
「そうで、ござったか……」
少し前の自分を恥じ入るように、セイバーは小さく呟く。
これで、セイバーとキャスターの間にあった、しこりも取り払われた。
波彦たちは、万全の精神状態で、曲芸のごとき難易度の作戦に挑む。