ライダーとの戦いから数日が経ち、当初は沈鬱な雰囲気が漂っていた屋敷の空気も和らぎだしていた。
この数日、波彦たちは残るアーチャーとアサシンの打倒のために、調査を行っていた。
特に未だ謎多きベールに包まれた状態のアサシンの情報を求めて、神無が見たというアサシンの大量殺戮の現場に痕跡がないか確認しに行ったが無駄足に終わった。
何か少しでも手がかりはないかと探すものの、何も発見できずに終わる日が続いて、アサシンの調査が始まった頃からの進展は一切と言っていいほどにない。
「アプローチを変えてみない?」
神無の提案はいつも突然である。
多分、進展がない状況に飽きて、別のことをやりたくなったのであろうと波彦は憶測する。
「それは、どんな?」
とはいえ、波彦も似たような気分であったので、彼女の話を促す。
「藤之枝の七不思議って知ってる?」
「ああ、そう言えばそんなのあったな」
最近、人々の間でまことしやかに語られている都市伝説である。
その話は、波彦の場合は教室で誰からともなく話されていたもので、一週間以上の休みの間にすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
「その内容って、聖杯戦争に関係するものばかりだって思わない?」
「……どんな話ですか?」
興味を持った弥生が話に混じってくる。
ライダーとの戦いから心境の変化があったのか、彼女の方から積極的に波彦に声をかけてきてくれることも多くなった。
「例えば、一つ目は最近若者が超能力に目覚めたっていう話」
「わたし、神無さん、波彦さん、睦月さん、…………ライダーのマスターさん。如月さんは分かりませんが、参加者のマスターは全員が超能力に目覚めていますね」
「むしろ、超能力に目覚めることがマスターになる条件なんじゃないかな。如月も、俺を襲った時に変な能力を使ってたし、ほぼ間違いないと思う」
波彦は黄昏時の如月たちの強襲のことを思い出して、度々そうしているように苦々しい気持ちになる。
「これまでに戦ってきたマスターたちが超能力者なら、アサシンのマスターも超能力者だから、その線で探してみようっていう話?」
「いや、それもあるけど、他の七不思議のことも気になって。……じゃあ次、人間の赤ん坊を食べる夜に徘徊する巨大な狼」
「……バーサーカー」
「正解!」
銀色の巨躯を持つ狼の姿のバーサーカーに立ち向かった記憶は、波彦の脳裏にも強く焼き付いている。
「じゃあ、次の夜空に二つ昇る月は?」
「ライダーのマスターの超能力か」
「住宅街に突然現れる謎の洋館――」
「……ここのこと? わたしが隠しちゃってるのを解いた時を誰かが見ていた?」
「ヘンテコな遺跡が現れて、『勝負しようぜ』とどこからか声が聞こえてくる」
「アーチャーの宝具か。っていうか、これ数合わせじゃなかったのか。この話のせいで、俺の中での信憑性がガクッと落ちてたのに」
「という風に、確認されているものは全て、聖杯戦争に関係することになっているので、まだ確認できていない残り二つも確認する意味があるのではないかと思うわけですよ」
神無の言う通り、七不思議について調査する意義はありそうだ。
「で、残りの二つってなんだった?」
「あ、本当に覚えてないんだね。まあ教えてあげる。一つは宙に浮く人の首、もう一つは出口のないトンネル」
そう言えば、そんな話だったかなと波彦は自分の記憶を掘り起こして照合させる。
「このうち、宙に浮く人の首の方は、誰か運良く見た人に伝聞で情報を得るしかないわけだけど、もう一方は能動的に探しに行ける」
「……出口のないトンネル」
「そう、今からみんなで噂を確かめに行こうと思って」
そんな感じで、その日の行動が決まった。
調べた結果、件のトンネルは市の境にある山をくり抜いたトンネルで有ることが分かった。
平日の昼間から、七不思議の解明をしようなんていう変わり者は他にいないらしく、町外れのトンネルの周りには事情を聞けそうな人は誰もいなかった。
「むしろ、誰にも見られることがないというのは好都合ということで」
セイバーに車椅子を押されながら、やる気十分な神無。
「……どうなっているのか楽しみ」
少し早めに先を行く車椅子に送れないように、ちょこちょこと少し忙しない足取りでついていくメイド服の少女。
あの一件から、弥生の認識阻害は敵側にバレてきていることが判明した。そのため、ビクビクと怯えて屋敷の内に留まっている意味はないとのキャスターの意見により、ここ数日の調査には彼女も同行するようになった。
波彦としては、セーフティーが外れたようで不安ではある。ただ最初にあった頃の他人とのコミュニケーションさえ拒絶しているような彼女が、積極的に行動するようになったというのは良い傾向なのだとは思う。
「ここが、例のトンネル……。なんの変哲もないわね」
という神無の言葉通り、特に何か変わったところのある場所ではなかった。
確かに道が蛇行していてトンネルの先までは見通せないが、そこまで古臭くない作りをしていて、近くには田畑や家屋もある何でもない開けた道の先にある。
内部に明かりが点いていて、日常的に使用されていそうなトンネルであり、なぜここを七不思議の場所に加えようと思ったのか分からないほどに神秘性が一切ない。
「流石にこれは、嘘情報を掴まされたんじゃない」
「うーん、そんな気もする」
「さっさと、調べて帰ろうか。このトンネルが隣町にちゃんと続いてたら、噂は偽物なんだろ? 神無さん、千里眼で見てきてよ。……というか、最初から千里眼で見に来てたら良かったのでは?」
流されるように、この場所までやってきてしまった後に、波彦は無意味な遠征だったことに気付いて、少し落胆する。
「あー無理だよ。言ってなかったかな? 私の千里眼って、市内限定だから」
そういえば、そんなことを言ってたような気もする。
「だから、現地まで行こうって言ったのか」
「そういうこと。……ってことで、波彦くん、コレ」
神無は笑顔で懐中電灯を差し出してくる。
「見てこいってこと?」
「うん、私たちはここで見ててあげるから、確認してきて」
問答無用で送り出されることになる。
「別にいいけど」
懐中電灯を用意する必要もなかった。トンネル内部は、等間隔に配置されたLED電灯に照らされていて足元を見失うようなことはない。
確かに壁面の詳しいところまでは、懐中電灯の光を向けないと見えなかったが、特に変わったところもない。
通り抜けるだけなら、全く無用のものだった。実際、途中から注意して壁面を見るのは馬鹿らしくなり電灯のスイッチを切ってしまった。
トンネル内は陽が射さないこともあり、中々に心地よい環境だった。なんなら、待っている方が辛い役割だったかもしれない。
散歩気分のトンネル通行も十分も歩けば終わりが訪れる。
トンネルの出口の光が見えてきた。残念ながら逆光になっていて、先までは見通せないので出口までちゃんと歩いていかなければ、景色がどうなっているのかは見えない。
けれど、トンネルを抜けて、隣町の景色を確認したら、一報電話を入れてまたトンネルを抜けて調査は終わり。噂なんて所詮は噂だったという証明が完成する。
トンネルの先に人影が立っているのが見える。
隣町の人だろう。彼らもトンネルを通っていくつもりなのだろう。なんてことはない、普段から当たり前のように使用されているトンネルなのだ。
「波彦くん、トンネルの先はどうだった?」
人影が話しかけてくる。
とともに、トンネルを抜けて人影の輪郭がはっきりしてくる。
「え?」
それは、トンネルの前で波彦を待ってくれているはずの、セイバー、神無、弥生の三人だった。
調査の結果、七不思議の噂は本物で、そのトンネルは通り抜けて向こう側に行こうとしても、入り口に戻ってきてしまう代物だったことが判明した。
波彦が行った後、報告を聞いた神無たちが訝しんでいたため、今度は全員でトンネルに入っていったが結果は変わらず、入口に戻ってきてしまった。
ただ原理は分からない。
キャスターにも連絡して意見を求めたが、恐らくは侵入者を拒む結界魔術のような作用が働いているのだろうという曖昧なもの。
どうしてこうなっているのか。
誰が仕掛けたのか。
何の目的で。
全てが判明しなかった。
拠点に入れないために仕掛けられたのではなく、藤之枝から出られないようにするように仕掛けられたその魔術のトンネルには何の意味があるのか。
結局全てが分からないまま、波彦たちはそこを後にする他なかった。
そんな、帰り道のことである。
「……あっ」
最初に気付いたのは弥生であった。
その声に他の三人も気付かされる。
道の端、側溝の近くに小学生くらいの男の子が、うずくまるような格好で倒れていたのだ。
「キミ、大丈夫?」
真っ先に動いたのは神無だった。
自分で車輪を回して側に寄って、バランスを崩しながらも車椅子から降りて、状態を調べながら呼びかける。
「お姉ちゃんの声聞こえる? ……すごい熱」
「――たい、……いたい……よ。あつ……いよ」
男の子は、絞り出すように痛みと高熱を訴える。
目元からは涙が滲んでいる。……いや、既に涙の筋が浮かんでいる。
つまり、一度涙が枯れるほどに泣いた後に、また涙が戻ってくるまでの長い間が経っているということ。
よく観察すると、少年の身体の所々には痛々しい擦り傷と痣がある。そして、近場のアスファルトには、身体をぶつけた時できたものと思しき痕が残っていた。
「何かの病気? インフルエンザ……って感じでもないよね」
高熱と聞いて真っ先に思いつく病気だが、波彦たちの知っているそれよりも更に症状が激しいように思われる。
「……別のウイルス性の疾患?」
「とにかく、救急車を呼ばないと」
波彦が慌てて一一九番に連絡を取ろうとしている中。
「神無殿、少しどいてくれますか?」
いつの間にか抜いた刀を今にも振り下ろさんと構えたセイバーが間に入ってくる。
「え、えーっ! ちょっと待ってセイバー何するつもり?」
「いや、治療をと思いまして」
「悪い部分を切除して治療的な? ちょっと待って現代医療は、これくらいの病気なら後遺症なしで治せるはずだから」
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたか? そんなつもりはないでござるよ。とりあえず、拙者に任せていただきませんか?」
セイバーがそう優しく言葉をかけると、神無は観念したように、
「もしもこの子に変なことしたら、怒るからね」
と言いながらも、男の子から離れる。
それを確認したセイバーは、男の子に眼を向けて集中する。
セイバーの両目から、青白い閃光が迸る。
と、同時。
目にも留まらぬ剣閃が走る。
気付いたときには、セイバーの刀は鞘に収められていた。
今子供のこと、刀で斬らなかったかと、その場にいる者が不安に思った中で、
「すぅ……」
と、男の子が穏やかな寝息を上げて、緊張感が解かれた。
「病だけを斬り伏せさせていただきました」
「心臓に悪いよ。やっぱり剣の達人なら、それくらいできて当然なの?」
「いえ、どちらかというと、刀よりも拙者の眼の方の力です。形のないものを斬ることが可能なのです」
「それ先に言っててくれないかなぁ」
その後、波彦たちは救急車を呼んで男の子を病院に搬送してもらった。
救急車を待っている最中に、帰りが遅いと探しに来た男の子の母親が現れて、波彦たちが事情を話した。母親は、こちらが申し訳なくなるほどに感謝の言葉を述べながら、息子と一緒に救急車で病院まで付き添っていった。
その日起きたことはそれで終わりだった。
波彦たちは気付けなかった。
水面下でアサシンの侵攻が始まりを告げていることに。