一夜にして、藤之枝市は死の街へと変わってしまっていた。
普段どおりなら押し流されてしまいそうなほどに溢れかえる朝の往来は、デバッグモードに突入したかのように人っ子一人いない状況となっていた。
どころか、探すまでもなくそこかしこに打ち捨てられた人型。
それは決してデパートが廃棄したマネキンなどではなく、今朝出来上がったばかりの新鮮な死体であった。
死体の肌には、死の文様のような斑点が浮かび上がる。
ニキビを酷くしたような粒が、額の先から首筋にまで、顔中に広がる。
それぐらいならマシな方で、より酷い状態の死体を探すと、指先から手のひらに至るまでが壊死して黒く染まっているようなものまである。
気付いたときには、街の全てが、そのような酷い状態に陥っていた。
そして事態が知れ渡るとともに、人々が屋内に立て籠もったために、現在の藤之枝は死の匂いしか漂わないような街になってしまったのだ。
なお、屋内に立て籠もった者たちにも徐々に魔の手は忍び寄り、着実に命の灯火は消えていっている。
「これで、もう大丈夫だろう」
キャスターは運び込まれてきた患者の治療を完了する。
彼、ミシェル・ド・ノートルダムは生前、医者の仕事をしていたことがあった。
現在では怪しげな予言師としての顔が最も知れ渡っているが、医者や作家といった方面での複数の功績がある。
屋敷内では、早朝に事態に気付いたときから、周辺住民の救助活動を始めた。
二時間かけて、道に倒れて生存していた五人を搬送して、治療を施した。
けれど、犠牲者はその百倍ほどの速度で増加しているだろう。
焼け石に水もいいところだった。
「やはり、原因を絶たねばなるまい。その原因もおよそ推測することができる」
「キャスターさん、それ本当?」
いつもどおり真っ先に反応する神無。しかし、それはいつもどおりの明るさに満ちたものではなく、気を張り詰めているような様子。
「ああ、……この症状は生前に経験したことがある」
どこか遠いところを見るような顔。
「やってもらいたいことがある」
「……わたしたちにできることならやります、ご主人さま」
「ありがとう弥生くん。……他の方々もいいだろうか? 全員一丸となってなさねばならぬことだ」
静かに頷くセイバー。
それに続くように波彦。
「睦月くん、圭人くん、君たちもだ」
バーサーカーの一件から、屋敷に居候している犬吠埼睦月少年。
アサシンに襲われてから同様に居候している小林圭人少年。
二人とも突然に話を振られたことに最初驚いていたが、二人して顔を見合わせた後に、意を決したようにキャスターに対して頷く。
「はい」
「分かりました」
「ああ、申し訳ないがお願いした」
キャスターは二人の目を真剣な表情で見据えて語りかけた後、再びこの場にいる全員に目を向け直し、話を始める。
「これから君たちが行わなければいけないのは、街に溢れかえっていると思われるある生物の駆除だ」
「ある生物?」
「そうだ、その生物はネズミ。この病はネズミに噛まれることで感染していく」
「そう言えば、外に出て患者を運んでいる時に、ネズミの影を見つけたかも」
「ただのネズミと侮ってはいけない。恐らくはアサシンの能力の一つ。もはや魔獣の類だと思ってかかった方が良いかもしれないな」
魔獣という言葉に、その場にいる全員が、思いもよらぬ大役がやってきたことに気付いて息を飲む。
「と脅かしたが、通常のネズミへの対策が効果的な可能性は高い。現代ではどのような対策を取っているのか調べてもらえないだろうか? 結論が出たら、また話を再開させよう」
「うん、分かったよ」
波彦たちはキャスターに促され、ネズミの駆除方法について調べ始める。
そんな中、
「セイバー、少しいいだろうか?」
「何でしょうか?」
キャスターはセイバーを呼んで、他の者たちに気付かれないように話を始める。
………………。
しばらくして、キャスターはセイバーに対しての依頼を語り終える。
「……それはつまり、そういうことでござるか?」
「ああ」
「弥生殿には?」
「いや、実際にその場面が来るまでは、秘密にしておいてもらえないだろうか」
セイバーはキャスターの目を見つめる。
そこにあるのは、覚悟を決めた者の眼差しだった。
「……任された」
「ああ、頼んだ」
マスターたちには預かり知らないところ、二騎のサーヴァントが約定を結ぶ。
「何だかいけないことしてるみたい」
「……ドキドキ」
市内にあるホームセンター。いくつかの切断された破片となって落ちている自動ドアを踏み越えて、明かりの付いていない薄暗がりの店内に侵入していく。
目的は売られているネズミ駆除グッズの購入。……なのだが、資金はあるが残念ながら代金を支払うことはできなさそうだった。
「目当てのものはどこにあるのかな?」
広い店内、暗がりの中での物探しは困難を極めるだろう。
手分けして探すことを波彦が提案しようとしたその時。
「わっ!」
と声を上げたのは圭人。
とほぼ同時に、セイバーが抜刀。
残ったのは真っ二つに切り開かれたネズミの死体。
飛びかかってきて勢いがついていたのもあって、近くの商品棚に叩きつけられた状態で息絶えていた。
「大丈夫ですか?」
「はい、助かりました。ありがとうございます」
そんなやり取りを見て、波彦は直前までの意見を変える。
「バラバラに行動するのは危ないな。みんなで固まって探していこう」
「さてはビビってるな?」
うるさい。言わないでくれ。分かっている。とも、恥ずかしくて口に出せずに、波彦は先頭に立って歩き始める。
入り口辺りで確保した大型カートに必要そうな物品を片っ端から詰めていく。殺虫スプレー、殺鼠剤、ネズミ捕獲用の粘着シート。
そして、ネズミが嫌がる超音波発生機を見つけ出してから、店内の移動が楽になる。
それまで一つ棚を超えるのに二匹は現れていたネズミの出現が途絶えた。
結局大型カート一台では足りず、何台かを使ってネズミ駆除グッズを入り口付近にまで集めていく。
一通りの作業が終わると、今度はカートを引いて街に繰り出した。
ネズミの通り道になりそうなところに殺鼠剤と粘着シートをバラまいて、未だに生きている人のいるところを巡って殺虫スプレーと超音波発生機を渡して回る。
そんな中で、避難所になっていた小学校の体育館内が全滅状態で、酷い死臭が漂っていたのはこたえた。
家族を失って嘆く人の姿も、これから先のことが分からないにしろ大切な人との再会が叶って喜びを分かち合う人の姿もあった。
結局、ホームセンター一つで用意できた物資を配り終える頃には、すっかり太陽が落ちて夜が訪れていた。そこまでしても、回れたのは藤之枝全域の一部もいいところ。
「みんな、今日はお疲れ様」
「明日も頑張ろう」
「おー」
こんな風に、分担して行った一日の作業を終えて集まった頃には、空元気っぽくなるくらいには、各々がへとへとの状態になっていた。夜通し作業するというのはとてもじゃないができそうにない。
しかし、一夜を超える頃には、被害はさらに拡大して数え切れないほどの人の命が失われるだろう。いや、一夜明けて助かっていてくれたとしても、もはや助けるための対策グッズの数も全く足りていない状況だ。
この状況を打破するためには、何か根本の原因を取り除く必要があると思われた。
そう、これがアサシンの宝具なのだと断定するとすれば、これ以上被害が拡大する前にアサシンを打倒する必要がある。しかし、どこにいるのかも分からないのが現状。
波彦がみんなの顔を見回すと、少なからずの不安が表れているように見えた。
少し沈鬱な雰囲気の中、帰り道に着こうかというそのとき、携帯電話のコール音が流れてきた。
神無が、取り出した自分のスマホを、耳に当てていた。
「はい、もしもし。何かあった、キャスターさん?」
キャスター以外の者たちが出払ってしまった屋敷。
そのキャスターも、どこか遠くを見るような目をして座ったまま動かないために、夜風の音しかしないような静寂の中にあった。
その静寂を破るように、尋ね人の到来を告げる呼び鈴の音が鳴る。
「鍵はかかっていないはずだ。さあ、入ってくるがいい!」
客間から張り上げた声は玄関まで届かないかもしれないが、予想通りならば相手は反応があるかないかは気にもせず立ち入ってくるだろう。
その間に、一部始終を聞いてもらうために、神無の携帯電話と通話状態にしておく。
そして、迎える。
客間に上がってきたのは、漆黒の布に包まれた人型。
細く長いそのシルエットはナナフシを喚起させる。
そして、顔は奇抜な色彩の仮面に隠されている。
神無から聞かされた容貌と一致する。
間違いない。此度の聖杯戦争に召喚されたアサシンであった。
「お邪魔するよ、君一人だけかい?」
「ああ、待ってたよ。ようこそお越しいただいた、【死神】くん」
キャスターの返答に、アサシンはしばらくの間、面食らったように硬直する。
「……………………」
それ対して、キャスターの方も慌てて何か追加で言うこともなく、まるでその空間の時間が止まってしまったようだった。
ゆっくりと、三十秒は静寂が続いた後。
「あひゃひゃヒャヒャひゃひゃ」
突如おかしくなったように、笑い声のような奇声を上げながら、長細の身体をよじらせる。
静寂と同じ時間だけ、笑い続けた後、再び黙ったアサシンは一方の手を、その仮面の上に被せた。
「素晴らしい。大正解だよ、キャスター」
アサシンは手にした仮面を、顔から外す。
仮面の下に隠されていた顔が顕になる。
そこには、肉の付いた人間的なものはなく、根源的な恐怖を励起させるような白色の骨がむき出しになった骸骨の面があった。