令呪を使って退避させられた後、セイバーは自身の不用心さと不甲斐なさに打ちのめされていた。
相手が片腕を失っている状態で、セイバー側が絶対的に有利な剣術勝負を仕掛けてきたことで、圧倒的に優位な状況に至っているような錯覚を抱いていた。
キャスターがやられて感傷的になっていた部分もあるし、アサシンの言動から頭を使った戦いを仕掛けてくるタイプに思えなかったのもある。
そうした色々な理由があったとしても、アサシンの本当の狙いに気が付くことができずに迂闊な行動を取った自分を許すことができなかった。
だから、波彦がセイバーの衰えきった右腕を心配そうに見ながら、
「令呪を使って、治しておこうか?」
という提案をしてくれたのにも関わらず、
「いえ、最後の令呪は最後の最後の切り札として、本当に重要な機会のために取っておいてください」
聖杯戦争最終局面。
今こそがまさに最高潮の場面で、さらに非常に有益な使い方であるのに、セイバーはそれを断ってしまった。
けれど正しい選択だったと確信している。
まともに力の入らない右腕が無理にでも意識させられ、考えの足りなかった自らへの戒めとなっている。
「待たせたね」
後数分で夜も開けようかという少しだけ白い空の中、アサシンは大鎌を背負いながら現れた。
決戦の地となったのは川と海との出会う場所。
何の因果か聖杯戦争最後の戦闘は、地の果てとも取れる終わりにふさわしい場所で行われることになった。
水の流れによって砂利が敷き詰められた大地の上。
身を隠すような場所もない、なだらかに傾斜のついた、長く広がる平地。
セイバーとアサシンは対峙する。
「拙者に近接武器は効きませんよ」
「試してみなければ分からないだろう? どうぞ、食らってくれよ」
「それは……やめておきましょう」
セイバーは、二週間続いた聖杯戦争の中で、自分に授けられた能力についての理解も深めていた。
セイバーの武器無効能力は、あくまで武器本体の軌道を逸らすもの。
武器が触れなくても効力を発揮するものや、宝具レベルの強大な余波を生む攻撃に対しては、無意味に等しい。
神無が見ていたアーチャーとの戦闘の情報と、セイバーの忠告を聞いても自信を崩さないことから、スキルが大鎌の攻撃を退けてくれることは期待できないだろう。
なので、別の側面から揺さぶりをかけてみることにする。
「その身体では、そう何度も刃をまじ合わせることは、できなさそうですね」
「それは、お前もだろう?」
「そうですね。あなたからもらったこれは、中々に辛いものです」
「侮られたものだ。それだけではないだろう。昨日はオレの撒いた病を鎮めるために、相当な回数、退魔の眼を使ったはずだ」
「なんのことやら」
戦いは、それまで何をやっていたかとか、どういう障害を持っているとかは関係なく、そういった一切合財を含めて実力だとするのがセイバーの信条である。
だから、今だってキャスターとアーチャーに弱らされきったアサシンを討つことにだって、よってたかってで狡いとは考えない。
だから、もしもアサシンがセイバーたちを弱らせるために街に病を撒いたのだとしても、それを狡いとは考えない。
「問答は、この辺りで十分でしょう」
「ああ。では、最終決戦と行こうか」
セイバーは利き腕ではない左腕で、刀を構える。
アサシンも左腕で大鎌を構える。
彼にとっても、それが利き腕でないことを、微細に生じる構えの違和感からセイバーは感じ取る。
二騎のサーヴァントは、まるで鏡の中で戦っているかのように、普段とは左右反転の状態で、最後の最後を戦わなければならない。
それこそが、これまでの戦いの凄まじさを物語っているようであった。
向かい合ったまま微動だにしない。
そんな時間が、しばらく続く。
互いに必死に相手に隙が生じるのを待つ。
しかし、どちらも自ずから一切の隙を見せはしない。
とすれば、外部からそれを崩す干渉が起きることを待つ。
しかし、それもまるで時が止まったかのように、風が停止しているために何も起きなかった。
のだが…………。
――――突如の海風が、海から大きめの波を運んでくる。打ち付けるのが開始の合図だった。
互いの一歩で一気に距離がなくなる。
先に攻撃を仕掛けられたのは、より小さな獲物を有していたという理由でセイバーの方だった。
横薙ぎ。
セイバーは渾身の一撃で、アサシンを上下二つに裂きにかかる。
それに対して、アサシンは大鎌を力なく、その軌道に差し込むことしかできなかった。
けれど、それで十分だった。
「――なっ!?」
アサシンが、にぃ、としてやったりの顔を浮かべているように見えた。
パキリと、割られた刀の破片が宙に舞う。
そう割られたのだ。
大鎌に当たっただけで、硝子切りで切り込みが付けられるように、亀裂が入っていくのを見た。
そして、その溝に従ってセイバーの愛刀は、無惨にも破壊されてしまった。
神無に聞いていたはずだったのに……。
セイバーはまたしても、アサシンの能力を過小評価してしまっていたらしい。
「これで終わりぃイイイイイ!」
死神の鎌が振り下ろされる。
避ける余裕はない。
先の無くなった刀を掲げたとしても、防ぐことができないことを知っている。
万事休す。
一巻の終わり。
そういった状況だった。
―――――本当に、終わり、なのか?
「違うっ! まだだあああああ!」
自分に問いを投げかけた時、初めて気付いた。
自分の中にある、新たに生まれた力のことに。
なんてことはない。
他の多くのマスターとサーヴァントが同じことをしていたのだ。
セイバーにだけできない道理はない。
だから、願う。
アサシンの振るう大鎌に全神経を集中させる。
もうセイバーの頭頂部に触れそうな場所にある。
セイバー自身には確認できないが、もう先程の刀のように死の亀裂がセイバーの身体中に走っているかもしれない。
だが、迫りくる恐怖を捨て去り。
ただ、願う。
大鎌がセイバーのことを、完全に避けてくれることを。
イメージを強く持って、不可視の手で掴む。
「何ぃ、コレは一体――――」
そして、強引に避けさせる。
大鎌はセイバーのすぐ隣の地面に突き刺さる。
驚愕の表情を浮かべるアサシン。
咄嗟には動くことができない様子。
一方のセイバーは、そうすることが当然のように身体が動いた。
小刀のような長さになって、図らずしも取り回しが良くなった刀を、アサシンの高い位置にある胸の中心に向かって、突き出す。
しかし、その絶好の機会の攻撃が、アサシンの元に辿り着いた瞬間に失敗に終わることを感じてしまう。
普段使わない左手だったこと、全くと行っていいほどに残っている力が無かったこと。
そんな言い訳の効かない自分の甘さによって。
ようやく手に入れた勝利が、手から滑り落ちてしまうことを悟ってしまった。
「セイバー! 行けえええええええええええええええええ!!」
「マスター殿……」
いつの間にか声の届くところまで近づいていた波彦。
聖杯戦争初めの頃の頼りないとセイバーが感じた印象は、消え去った声。
「これは――――」
滑り落ちる直前だった刀の軌道が急に安定した。
波彦の声援の力。ではないだろう。
だが、波彦の力ではあるようだった。
セイバーのマスターは、自らのサーヴァントを助けるために無我夢中で、これまでに何度と無く使ってきたその能力を、最高の形で、最高の精度で、最高の強度で発動する。
セイバーの持つ刀は、念動力の力で、がっちりと支えられていた。
まるで、失われた右腕の代わりを果たしているかのように。
頼もしい助力を得たセイバーは、後はただ力の限りに、まっすぐに腕を伸ばす。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
アサシンは静かに、自然に帰るように消失した。
セイバーは最後の突きに全ての力を使い切ったよう。
そのままの格好で前方に倒れ込んでいく。
常に余裕があるように見えたセイバーらしくないな、と波彦は思った。
「セイバー、大丈夫か? ちょっと待っててくれ」
波彦は、勝利を収めた自分のサーヴァントを労うために近づいていこうとする。
けれども、後ろから、
「波彦くん、波彦くん! 勝ったんだねっ! スゴい、スゴいよぉ!」
と近寄ってくる神無の声が聞こえたので、止まる。
セイバーがいるのは、小さな石が幾つも転がっている不安定な地面。
車椅子の神無はおかまいなく来ようとするだろうが、無茶して転倒して怪我をしかねない。
一瞬どちらを優先すべきか迷うものの、神無の移動を手伝うことに決める。
慎重に神無の車椅子を押していって、セイバーの近くにまで寄る。
その頃には、うつ伏せ状態で倒れていたセイバーが、自力で仰向けになり、身体を休めるように座った状態にまで至っていた。
「波彦くん、セイバー、おめでとう! 聖杯戦争の勝者だよ!」
波彦自身に実感はなかったけど、そう言えばセイバーは最後の一騎になったのだった。
つまり、そのマスターである波彦が聖杯戦争の勝者ということになる。
全てセイバー自身の力のおかげなんだけれど。
「それで、お願いは何にするのかな?」
「そう言えば、何でも叶うって話だったね……」
無我夢中で駆け抜けていたために、そんな聖杯戦争が終わった後のことなんて考える暇は無かった。
「何はともあれ、破滅の予言の方は回避できそうでござる」
「そうか、十四日目が終わる頃に聖杯戦争が終わるっていう予言だったな……」
今は十三日目。
いや、いつの間にか日が登って夜が明けているから十四日目。
どちらにしろ、予言を間違わせることができたので、全ての憂いが無くなった。
波彦は、ようやく日常が戻ってくるということに、安堵の息を吐き出した。
直後、いつの間にか周りが暗くなっていることに気付いた。
「波彦くん、あれ見て!」
神無の指差す方向には、太陽があった。
太陽は、既に半分が黒く染まっていた。
日食。
月が太陽を隠す現象。
ただそれは、現代の科学技術では予測できる現象で、まさか皆既日食でも起きるのなら、ニュースで事前に流れているはず。
「とりあえずボクの予定通りに動いてくれてありがとう、と言っておくよ」
どこからか声が流れてくる。
「十四番目の日が死に絶え、紛いものたちの戦いに終止符がうたれる。
嘘つきが、受け入れがたい真実を語る夜。
死が息絶え、不完全な不死が、完全性を求める。
完全なる闇は世界を包み込み、定められた滅亡へと突き進む。
だったかな。まさか、本当にほぼその通りになるとはビックリだよ」
キャスターが残した予言をそらんじる少年の声。
波彦は、その声の主の姿を聞こえてくる方向から探し出す。
「ハハハハツ、ハハハハハハハハッ」
何がおかしいのかしれないが、高らかに笑ってくれるために姿を見つけるのは早かった。
先程まで波彦たちが隠れていた倉庫の裏手から、その人物は姿を表す。
その人影は小さかった。幼い子供の姿。
そして、無垢に邪悪な笑い声を上げ続ける。
「ハハハハハハハハハハハハ――――…………あッ!?」
不注意だった少年は、足元にあった小さな石ころに躓く。
そして、少年は身体を地面に落としてしまった。
そう形容するのが正しいことが起きた。
すなわち、少年の首から上がある位置は変わらず、身体だけが派手に転倒した。
そうなれば当然、首は宙に浮いた状態となる。
波彦は、最後の七不思議のことを思い出していた。
「宙に浮く人の首……」
七不思議は単なる与太話ではなく、全てが事実であることがここに判明した。
その宙に首が浮いている少年本人は悪態をつく。
「あーあ、もう本当にドンくさい身体だなあ。しっかりしてくれよ」
自分の身体に対して高圧的な態度を取り、当の文句を言われた身体の方はというと、殊勝な態度でそそくさと首が機嫌よくハメられるように場所を用意する。
「さて、せっかくだけど本題の方をやっておこうか」
呆気にとられた状態のままの波彦たち。
セイバーもアサシンとの戦闘で体力を使い切ってしまっていた。
だから、止めることができなかった。
「聖杯よ。ボクの願いを叶えろ。
ボクの首と胴体をくっつけて、今度こそボクに完全なる不死の肉体を与えろ」
地面から魔術師でもない波彦にさえ簡単に感じられるほど、凄まじいエネルギー。
――――魔力が湧き上がってくる。
そして、小さな肉体の周りに渦を作り出し、かき混ぜられ圧縮されるように動きながら、少年の肉体の中に入っていく。
しばらくそれが続き、止む。
それが終わった後に、少年は首を持ち上げる動作をしたり、首をぐるんと振ってみたりする。しかし、先ほどみたいに首だけが外れて宙に浮くようなことは発生しなかった。
「ああ、もう何十億年ぶりだろう。こうして、ちゃんと身体がくっついてる状態になったのは」
少年は首がちゃんと繋がっているか試していたのだった。
そして、その結果は満足の行くものだったらしい。
「気分はサイコーだし、キミたちが知りたがってること全部教えてあげるヨ」
少年は邪悪な笑みを、波彦たちに向ける。
それは波彦たちの良く知っている少年の顔をしていた。
小林圭人。
神無がアサシンに襲われているところを助け、それから弥生の屋敷に居候をしていた幸の薄い少年。