新緑の英雄は既に宝具の準備を始めていた。
「ランサー…………?」
思いがけず再び会えた自らのサーヴァントに、呆気にとられた表情の神無。
ランサーは言葉は返さず、その背中で勇姿を見ていてくれと語る。
「おのれぇええええ! させるものかぁあああああアアアアアアア!」
先程まで余裕ぶっていたラーフが吠える。
少年の姿から、彼の本来の戦闘形態と思われる漆黒の邪竜の姿に一瞬の内に変貌する。
宙に浮遊する、恐ろしい鉤爪のある手を持つ蛇といった風貌。
必死の形相で弱々しい若芽の宝具を手にするランサーに襲いかかる。
しかし、それよりも早くランサーの宝具が発動する。
「我が偉大なる兄を堕とした幼き若芽よ。
かつて世界に破滅をもたらした我が腕で、今は破滅を阻止せんと。
魔神の喉に食らいつけ、
流星の如き、一条の緑の光が放たれた。
とほぼ同時に、ラーフの振るった爪の生み出した衝撃波が、ランサーのいる海面に叩きつけられた。
世界の命運を賭けた両者の攻撃の交錯。
巻き上がった水しぶきが止み、半身を吹き飛ばされた状態で姿を現すランサー。
「ランサー!?」
なりふり構わず車椅子を走らせ、ランサーの元に駆けつけようとする神無。
しかし、地面の小石に車輪を取られて転倒し、辿り着けない。
「そんな顔しないでください、マスター」
ランサーは神無に穏やかな表情を向ける。
「今一度、あなたに会えて嬉しいです」
「うん、あたしも。……何もできないマスターでごめんなさい」
「そんなこと言わないでください。私はマスターに出会えて幸せでしたよ。ただアサシンにやられた時、最後まで私があなたに何も返せなかったことだけ心残りだった」
ランサーは残った右手で、前方に飛ぶ龍の姿を指す。
「だから、こんな最高の贖罪の機会を与えられて、私は本当に幸せでした」
それだけ言い残して、ランサーは光の粒子となって消滅していく。
神殺しの英雄の最期を見届けた波彦たちは、ランサーの指差した方向に改めて目を向ける。
「くそぅ。くそぅ。力が、魔力が抜けていく。
こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな、こんな。
おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おノレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
それはさながら、針で穴を空けられた風船のようだった。
取り込んでいた聖杯の星の魔力が解き放たれていく。
もはや魔神が目指した完全なる不死性は、彼の手元には戻らない。
「許さないぞ! 絶っっっっっっっっっっっっったいに、オマエたちをボクは許さない! マズ手始めにこの場で、粉々にしてやって。それからオリジナルの方も、踏み潰してやって。生まれくる来世も再来世も、末代までに渡って、永遠に呪って、恨んで、殺してやるぅううううううううううう!!」
復讐の魔神は、億年単位でようやく見つけたチャンスを潰した虫ケラたちに憤怒する。
確かに如月が持ってきた切り札によって、ラーフの計画は潰えた。
けれど、ラーフが消滅したわけではない。
もはや波彦たちに邪竜に対抗する手段は残されていない。
オリジナルの世界の破滅を防げたと、それだけで満足するべきなのかもしれない。
――――と、波彦は不思議な感覚を覚える。
それは、浮遊感に近い。
空間を大量に満たしているものに、漂っているような感覚。
そして、それを自由に操れるような万能感も同時に。
きっとこの万能感は、死の間際の走馬灯のような、おかしなテンションに入ったからということなのだろうと思いつつも、空想の中でなら何をやっても許されるだろうと、今脅威をもたらしている邪竜を叩きつけるようなイメージを思い描いた。
轟音。
衝撃。
鼓膜が破裂しそうになるほどの空気の振動とともに、宙に浮かぶ巨大な邪竜が揺らめいた。
誰も何が起きたか理解できず、静止する時間。
「キサマらァア、一体何をしたああああああ!!」
ラーフの怒りの声に、波彦たちも続いて正気を取り戻す。
そして、波彦は気付き、本能的に理解する。
今の攻撃をしたのは、波彦。
ただ、波彦の念動力は微弱なはずで、ここまでの攻撃ができるものではない。
では、飛躍的に威力が上がった要因とは一体何なのか?
考えるまでもない。
ラーフが不死を失うことで、漏れ出ていった星の魔力だ。
あれだけの力が漏れ出ていった後には、どうなるのか?
まさか、自然に消失するとでも?
否、今なお空間を充満するほどに漂っているのだ。
としても、その膨大な魔力を波彦が使用できる理由にはならないのだが……。
「そうか。この念動力は、聖杯の願いを叶える力の一端だったのか……」
それが答えだった。
波彦の超能力は、テレキネシスではなくサイコキネシスなのが答え。
遠くにあるものを動かす力ではなく、願いを実現させる力。
まさに、万能の願望器である聖杯を象徴するような力。
きっと、この力が波彦に宿ったのは、波彦が救世主だったからではない。
むしろ、逆。
月並みな人生を送る小市民だったからこそ、平凡に生きる人々の平凡な願いの代弁者として、この世界の行き先を願うためのこんな力を与えられたのだろう。
この世界の破滅の折。
最後の最後の場面にて。
救世主でもなく、英雄でもなく。
生きとし生けるものによる、世界の破滅を憂い、悪しきの打倒を願う、そんな当たり前の祈りが邪神を討つために必要な力になろうとしていた。
「令呪をもって命じる。セイバーに邪神を討つための力を」
そして、波彦はその願いをセイバーに託した。
瞬間、変化が訪れる。
星に漂っていて、星に眠っていた全ての力が、セイバーの右眼に集まっていく。
青。緑。赤。紫。
と、セイバーの眼からは、星の煌めきを想起させる様々な色の光が発せられる。
「なんなんだよキサマらはよぉおおお! 大人しく死んでおけよぉおおお! ゴミなんだからサァアアアアアアア!」
セイバーの変化を危険な状態だと判断したラーフは、半狂乱になりながらもセイバーに向かって爪を振るう。
しかし、その衝撃波は宙にあるうちに、空気のいななく音とともに消滅する。
セイバーは、死神との戦いで右腕も、刀も、体力の全ても使い果たした。
もはや、まともに動くことはできず、自慢の剣術でラーフに斬りかかることはできない。
でも、セイバーは負けない。
なぜなら、いつもの自信に満ち溢れた、正義をなすための強い眼をしていたからだ。
「拙者は昔、無手勝流なんていう戦わずに逃げるためのトンチめいたことをしたことがありましたが、まさか本当に無手で世界を破滅に導くような強敵と戦うことになるとは思いませんでした」
しみじみと語る。
セイバーの瞳は、揺らぐこと無く邪竜を見据える。
怒り狂った邪竜は、今まさにセイバーを標的に定めて、その凶暴な牙の犠牲にするために襲いかかろうとしていた。
「無手勝鹿島新当流、奥義――――」
それは三つの極地に至った力を合わせることでのみ実現される、剣術の極地。
一つは、セイバーが生前に刀を振るい続けて身に付けた、一切の無駄なく最適解の剣閃を通すための技術。
一つは、セイバーが生前に雷神より授かった、定形のない概念さえも固定化し、ありとあらゆるものを斬り払うことができるようになる退魔の眼。
そして、全人類の命運を救うための願いを束ねた力による、想いを実現させる力。
そこから生み出された新たなる奥義とは、剣を振るうこともなく、願いの刃をもって、悪しきを完全に消滅する一撃。
「虚刃・一之太刀」
虹色の刃が、空間に突如現れ、ラーフの巨大な肉体を、その先にある不完全な不死性を捉える。
「こんなことがあああああ! こんなバカなことがあってたまるかあああああ! あああああああああああ、おおおおおおおおおおおお、ううあああおおえええええええ! イヤだ、イヤだ! ボクが消えてしまう! このボクが、こんなゴミどものせいで…………」
邪竜はもがき苦しみながらも、光の刃から逃れることができない。
そして、光の中へと消えていく。
かくして、人々の願いが悪鬼の野望を打ち砕き、新しい未来を切り開いたのである。