初めての戦闘。もしかしたら、この聖杯戦争を通して初めての戦闘だったかもしれないセイバーとランサーの交戦。
セイバー陣営が召喚に成功したところを的確についた、ランサー陣営からの挑戦。
それを可能にしたのは、勿論神無の持つ千里眼の力によるものだった。
何気なく、千里眼で夜のパトロールをしていたところ、公園の地下に入っていく少年の姿が見えて、それを追っていったら案の定。だから、試験的な意味も含めて、戦闘を行ってみようということになった。
結果的には打倒とは行かずに中途半端に終わってしまったが、大きな成果と手ごたえがあり、満足といったところ。
そして、今はその帰路。神無はランサーに車椅子を押してもらって、家路についていた。
神無の千里眼があれば、別に家の中からでも指示ができるから、こうして律義に戦闘についていく必要はないかもしれない。だから、これは気分の問題。ランサーが戦っているのに、自分は安全な自宅からというのは、モヤモヤして仕方がない。
「マスター仕留めそこなってしまいました、申し訳ありません」
「いいよいいよ、あたしもこの目があるのに、放たれるまで矢のことに気づかなかったしね」
「それは仕方なき事。貸し与えられている私も、全くの意識外からの一撃でしたから」
そう、どういう理屈なのかは少し分からないが、神無は今、ランサーに千里眼の能力を貸し与えている。本来は所持していない千里眼スキルを、ランサーが使用できる状態にある。
セイバーが先の戦闘で仕掛けた音速を超えた斬撃。あれは本来の召喚された状態のランサーなら、回避不可能な攻撃だっただろう。しかし、千里眼を使い、盲目のハンデを完全に克服したことにより、容易に避けることができた。
だから、そういう意味で彼は、神無と同じ力がある自分が気づかなければいけなかったのに。と言っているのだ。
けれど、それだと神無がいる意味は本当に、その力を貸し与えているだけで、他には何もしない役立たず。そんなのは嫌だから、せめて戦闘に集中できるように、周囲の警戒は自分がしなければと、改めて思いを固める。
しかし、それはそうと今日は帰るだけ。
と、神無はつい癖で、前方警戒のために視界を飛ばす。
無音の空を駆ける不可視の哨戒機が、何とはなしに平凡な一軒家の中を駆け抜け……ようとした。
――眼が合った。
思わずそう感じた気味の悪い仮面。
サーカスのピエロを彷彿とさせるエキセントリックな色遣いの仮面。
かの人影は漆黒の布に包まれているため、夜の闇の中では、その仮面だけが風景の中に浮かび上がっているように感じる。
ただ、それは問題ではないのだ。
一見、カーペットが敷いてあるのだと思った。
艶やかな質感のカーペット。夜の闇の中、怪しく吸い込まれるような紅を内包した光沢を放つ。そんなセンスの悪いものが、平凡なフローリング床の上に敷かれている。のなら、どれだけ良かっただろうか。
それは、見たこともない量の新鮮な血のプールだった。
とすれば、思わず発生どころを探してしまう。それはすぐに見つかる。
何しろ、その部屋で一番異彩を放つ造形物なのだから。
老若男女。恐らくその一軒家ひとつでは片付かない数の、大小様々な人型が、無造作に部屋の中心に積み上げられていた。
それは心臓が抉られていたり、顔がなかったり、腕があらぬ方向に曲げられていたり、夜の闇の中でさえ目立つほどに変色していたり、呼吸器にあたる箇所だけが丁寧に焦げていたり。
とにかく、ありとあらゆる死がそこにはある。
神無が何より心を痛めたのは、子供を守ろうとする母親の姿。無慈悲にも子供ごと、一つの剣で貫かれた最後の姿がそこにあった。
当たり前だが、平和に生きてきた神無が、こんな光景を見たはずもない、いや、人の死んでいるところさえも見たことさえなかったのだ。
突然の、あまりにも人命を冒涜しすぎたその光景。神無は自分がいつの間にか、体を丸めてえずいていることに気付いた。
「大丈夫ですか、マスター」
血の気の引いた顔の神無の、背中をさすって心配するランサー。
少しだけ冷静になって、どうすればいいか考えて、神無はゆっくりとランサーに、
「向こうの緑の屋根の家の中、見て」
と、その光景と、ピエロ仮面の姿を見てもらう。
その指示を聞き、ランサーは、神無が吐き気を催した理由を察し、神無がわざわざそれをランサーに見せた理由も察した。
「サーヴァントですね。恐らくはアサシンでしょうか」
やはりかと神無は合点がいった。
「その部屋のね、勉強机の下に一人」
まだ生きていて、怯えている小さな男の子がいる。
アサシンが、彼に気づくのは時間の問題だろう。もしくは、もうとっくに気付いているかもしれない。気付いていて、面白半分で放置しているだけ。
ただ、その後の展開は、あまりにも容易に想像がついた。
男の子もそのことに思い至っているのだろう。
張りつめに張りつめた、今にも泣き叫びそうな顔。それをとどめているのは、ただただ後に待つ恐怖からの逃亡の為。掴まりたくない、見つかりたくないという一心からのものだったのだろう。
「助けたい。……助けてあげたい」
自然にそういう感情が湧き出てきた。
「罠かもしれませんよ?」
きっと、ランサーは神無の答えを分かっていたはずだ。そして、それはランサー自身の回答でもあったはずだ。それでも、従者として打算的に問う。
「罠だとしても、今行かないと後悔で押しつぶされるから」
逸る気持ちで、車椅子を押し進めようとする。
けれど、それはランサーの手に制止される。
「バックアップをお願いします」
そう告げた次の瞬間には、ランサーはもう駆けだしていた。
盲目のランサー。彼の真名は『ヘズ』。北欧神話に登場する神の一柱である。
最高神オーディンの息子にして、偉大なる光の神バルドルの弟。
彼の物語は、彼自身にとってあまり良いものとは言えない。
北欧神話においての、ヘズは加害者にして被害者である。
彼の物語を語るには、まず兄のバルドルの話をする必要がある。
バルドルは、この世のすべてに愛される神であった。
聡明にして、美しく、優しいという完璧な存在。まさしく光のような存在であった。
ある日、バルドルは自分が死ぬ夢を見る。
それを聞き、心配した母フリッグは、この世のありとあらゆるものに、バルドルを傷つけないように誓いを立てさせる。これにより、バルドルは決して傷つくことのない、不死身にして不滅の存在となった。
神々はバルドルが不滅の存在となったことを祝い、一つの遊びを始める。
本当に不滅かを確かめるために、バルドルに様々なものを投げてみるという遊戯。
盲目であるがために、その輪の中に加われなかったのが、ヘズである。
そんな疎外感を感じていたヘズを、唆す声が一つ。
「オレが手伝ってやるから、お前も遊びに加わろうよ」
悪名高きいたずら好きのロキである。
ロキはバルドルの母から巧みに話を聞きだし、年若いがために無害だと判断したヤドリギの若芽にだけは、誓いを立てさせなかったことを知っていた。
ロキに唆されたヘズは、バルドルに向けて鋭くとがったヤドリギの若芽を投げつけてしまう。
これにより、不滅であるはずのバルドルは死に至り、光を失った世界は北欧神話最終戦争ラグナロクへと向かうこととなる。
このような物語を経て、ヘズが聖杯戦争にかける願いは償い。
誤って偉大なる兄を殺めてしまった自分の間抜けさへの償いである。
ヘズは今、感謝していた。誠実で勇気あるマスターのもとに呼ばれた運命に。
「自己満足でしかないんだろうけど……」
それでも、未だ自らの胸の内に渦巻く過去の過ちの償いを、サーヴァントとして、この素晴らしいマスターに尽くすことにより、叶えたい。
聖杯自体は特に欲しくはない。
ただ手に入れるまでの道程にて、この償い願望を叶えて、マスターに聖杯を残し、密やかに去っていくことのみをのぞむ。
「そのために、今はこの殺人鬼を」
今度こそ、セイバーのときのようなヘマはせず、打倒しよう。
「やあ、こんばんは」
ピエロ仮面は、侵入者にうやうやしく挨拶をする。
庭より、ガラス戸をくり抜いての侵入。血の匂いが充満した部屋に、風が舞い込み、クリーム色に臙脂色斑点のカーテンがヒラヒラと揺れる。
暗がりの部屋に、月明かりが差し込む。
今まで闇と同化していた道化師の全体像が覗ける。
病的なまでに長細い体躯に、直立していても床まで着きそうなナナフシのような腕。それが追加された情報。依然として、漆黒のローブが全身を覆っていて、人肌の部分は露出しない。
「どうも、こんばんは。これは……何か趣味の悪いパーティでもしていたのかな?」
「ああ、真っ最中だったんだ。もう殆ど終わりかけだけどね。でも、最後に特大のゲストをお招きできて、非常に光栄だ!」
仮面がニカッと笑ったように感じた。
どこからか獲物を取り出す。
銃だった。
腰だめに構えて、ランサーに狙いを定める。
パシッーンと、空圧と爆発と金属のフレームの蠕動、それが全て混ざったような音。
そして、音と同時くらいに着弾する弾が発射される。
ランサーは落ち着いて、槍でそれを弾くと、キィーンと金属音が響く。
跳弾が壁に刺さる。
それで終わりではない。またすぐに仮面男が引き金を引く。
バナナ型のマガジンから供給された銃弾が次々とランサーに襲い掛かる。
『銃の英霊。しかも、結構新しそう?』
「ええ、かなり神秘性の低いサーヴァントかと」
落ち着いて処理するランサーに、千里眼で戦いを眺める神無からの念話。
彼女は、戦いぶりから、アサシンの真名を暴こうとしていた。
『えっと、…………シモ・ヘイヘ? って感じではないよね。スナイパー銃じゃないし』
どうやら、スマホで検索して、候補を探ってくれているらしい。
アサシンの持つ銃は、木と金属の組み合わさったもので連射機構がある。
フィンランドの狙撃手の所持武器とは思われない。それに、彼なら漆黒ではなく、処女雪のような白の外套を身にまとっているのが自然だ。
『んー全然出てこない。卜伝はすぐに分かったんだけどな』
「仕方ありません。というか、もしかしたら彼由来の武器ではなく、ただ武器を現代から調達してきただけかもしれませんし」
『いやいや、ここ日本だよ』
「もしかしたら、マスターが軍人だなんて可能性があるかもしれません」
『……そう、なのかな? とりあえず、特徴から銃の名前調べられないか見てみる』
「頼りにしてます」
そんな気の抜けた対話が終わった頃。
チャキッと音を鳴らし、マガジンが空になったことを知らせる。
手元の武器を見て、ランサーを見て、不満そうな態度の(に見える)アサシン。
「結構、とっておきの武器だったんだけどな」
「そのポンコツがですか。笑わせますね」
「どうやら、平和ボケしたこの国では、知名度は低いらしい」
そういって、無造作に手に持っていた銃を投げ捨てる。
「その槍で、この掃射が防げるかな?」
次に、アサシンが取り出したのは、コブラのような長い弾帯を携えた機関銃。
トリガーに指をかけると、激しい振動とともに、先ほどとは比べられないほど大量の銃弾をばら撒く制圧攻撃。
ランサーはたまらず、その場を退避する。
味を占めた表情のアサシン。ゆっくりと、射線をランサーの逃げ込んだ方向にずらしていく。
「はははっ、これは愉快だ! 愉快だっ! ひゃあああああああ!」
バーサーカーの疑惑が出かねないほど狂った声をあげる殺人鬼は、ランサーの本当の狙いを見抜けない。
突如、機関銃の目の前に、部屋にあって本やCDなどがディスプレイされていた大きめのチェストが投げ入れられた。
機関銃は構わず、それに向けられて、何百発もの銃弾が撃ち込まれ、瞬く間に粉々になるまで吹き飛ばしていく。
しかし、それには数秒が費やされる。
その数秒があれば、ランサーには十分だった。
玄関方向。ランサーの腕には少年が抱えられている。
そう、怯え切っていた少年。机の下でうずくまっていた彼を助けるための時間だった。
「さあ、お逃げなさい」
そうやって、放流された少年。
まだ心細くて、ランサーに頼りたい気持ちが残っているように見えたが、そういう状況ではないということを悟り、這いずり走るようにドアを開き、当てもなく夜の街に出ていく。
アサシンが、それに気付き、機銃の掃射が少年に牙を剥こうとする。
しかし、ランサーが槍を振り回し、そのことごとくを叩き落とし、阻止する。
「なんだ、これも防げちゃうんじゃないか」
「ええ、当然ですよ。侮ってもらっては困ります」
そう、ランサーは機関銃が防げず逃げたのではなく、少年を助けるための好機だと思ったからそうしたのだ。
「ランサー……君の弱点は何なんだ?」
「……まさか、それを教えるとでも?」
アサシンの突然の落ち着いた声に驚きながらも、当然の返答を返す。
「そうだよな。それを言っちゃ負けだもんな。でも、そんなこと聞かなくても分かる明確な弱点が、サーヴァントにはあるんだよな」
それを聞いて、アサシンの行動を察したランサーが叫ぶ。
「マスター、令呪を使って私をっ!」
『へ? 急に何?』
アサシンは窓の外に手を向ける。
その手には、大型の筒型の兵器。先端には、瓜のような真ん中が膨らんだ形状の、巨大な弾が装填されていた。
アサシンの担ぐ大筒の先には、神無の姿があった。
「いいから早く! 私を呼び戻してくださいっ!」
『う、うん。令呪をもって命じます。ランサー私のもとに』
神無が令呪を使用すると同時だった。アサシンが破壊の化身を解き放つ。
それを越える速度で、ランサーは神無のもとに駆けつける。
着弾直前。ランサーは神無の車椅子を突き飛ばし、アサシンの凶弾を迎え撃つ。
槍に触れる。と同時に爆発。
アスファルトがめくり上がり、近くの電柱が半ばからえぐり取られて倒れる。近場の信号機や、街灯、家屋から明かりが消える。
ロケット弾の爆炎が消えても、ランサーは無事に立っていた。
けれど、萌黄のローブの多くが焼き焦げ、腕には痛々しい火傷を負っている。
神無は、車椅子から投げ出され、顔に擦り傷を作る。
けれども、未だ熱の覚めぬ爆心地に向かって、ランサーを心配して手を伸ばそうとする。
「マスター、ダメだ!」
しかし、ランサーはそれを拒む。
すなわち、アサシンが傷を負ったランサーに迫ってきていたからだ。
一か八か、宝具を使うしかない。
そう思って、魔力を解放しようとする。
しかし、それよりも早く、殺人鬼の凶刃がランサーに襲い掛かる。
ランサーは敗北を悟った。
私はなんて、愚かで非力なんだ。
マスターを助けるどころか、危険にさらして。
また過ちを繰り返してしまっただけ。
償いには程遠く、また大きな罪を残してしまっただけ。
マスターは、私に、初めての光を、世界の光景を与えてくれたというのに。
「せめて……」
一矢報いることができないものか。
この殺人鬼は、私を殺した後、すぐにマスターを殺してしまうだろう。
それは、きっともう止められない運命。
もしかしたら、ロケットランチャーに一息にやられていた方が、良かったと思えるような拷問を施すのかもしれない。
ランサーはそう思うと、胸が痛んだ。
一矢報いたとしても、それはただの私の自己満足。
いや、だとしても……。
殺人鬼に向き直った。
何か、残さなければ……。
殺人鬼の、顔と武器と、それを視界に収めて。
「ヴァー……リ……?」
ランサーは疑問の言葉一つを遺して、聖杯戦争からの脱落者第一号となった。
ランサーがやられた。
目の前の光景が神無は信じられなかった。
けれど、光となって消えていく自らの従者を見て、心がぽっかりと空いたような空虚さをもって、それを事実として受け止めるしかないことを分からされた。
「次はあたし……」
怖い。けれど、早く楽になりたいという気持ちもあった。
神無は、怯えた態度は見せず、気丈に目を閉じて、自分の死が訪れるのを待つ。
しかし、いつまで経っても、それは訪れない。
代わりに、寒気のする声がかけられる。
「君の命には興味がないんだ、お嬢ちゃん」
肩にポンと置かれた骨ばった手からは、死が流れてきそうな気がした。
「快楽殺人者ではないからね」
一体、どの口がそれを言うのか。
そう、言い返したかった。
口はステープラーで、かっちりと閉じられたように開かない。
神無はあまりの惨めさに、閉じた瞼の端に涙が溜まっていくのを感じた。
アサシンは、そのまま神無のことを放置して、闇に紛れるように、その場を去っていった。
身体の中に刻まれた痛みと恐怖が、身じろぎすることさえを拒んでいる。
けれど、その身体が動かないのに反比例して、頭は冴えていく。
このままでは、すまされない。
このまま、従者をやられたまま、表舞台から身を引いて、去っていくだなんてありえない。
何に頼ってでも、何にすがってでも、何を犠牲にしてでも。
でないと、ランサーが――ヘズが浮かばれない。
神無に残されたのは、千里眼と僅かな情報のみ。
それをフルに生かして、あの殺人鬼を止めなければ。
きっと被害が増えていく。
神無が生まれ育ったこの街を、殺人鬼が闊歩する。
そして、いつかは神無の大切な人たちの首元にまで、その凶刃が迫るかもしれない。
それを考えると、耐えられない思いになる。
考えなければいけない。これから先の行動を。
考えるんだ。どうすれば、あの悪魔から、街を救うことができるのか。
「考えろ、あたし!」
サーヴァントに対抗するには、サーヴァントの力が必要。
他の陣営の協力が必要。
……いや、神無が他の運営に協力させてもらう必要がある。
心当たりを一つずつ当たって、それから……。
神無は考える。
これから、動けるようになった後に、やらなければいけないことの一つ一つに思いを馳せる。
さあ、まずは流れ落ちようとする涙を拭って。