キックオフ……それは、サッカーの開始の合図だっただろうか。
と、波彦は未だ理解の追い付いていない頭の中から引き出す。
ふと目をやると、いそいそと何事かをしている双子のサーヴァントたち。
それはスポーツ観戦をしていると、しばしば登場するサポーター。もしくは、プロテクターと呼ばれるような装着具に似ている形状をしていた。
ただし、よくあるようなプラスティック製ではなく、木製。原木を削り出して作ったような自然さを感じさせる。
「さあ、どうした」
「おまえのぶんもちゃんとあるぞ」
双子たちが、呆然とその姿を観察していた波彦とセイバーに対して言葉を放つ。
二人の小人から目を離し、手前に視線を移動すると、一人分の木のプロテクターが無造作に置かれていた。
すなわち、着用しろということらしい。
どうするか委ねるために、無言でセイバーに目をやる。
普通に考えるならば、敵から与えられたものなど、何が仕込まれているか分かったものではない。素直に着るのは愚の骨頂だと波彦にだって分かる。
「別に何も仕込んでないぜ。安心しろ」
答えが返ってきたのは、相手マスターから。
奇妙な格好の男からの助言。実に説得力に欠ける。
「この固有結界に付属する機能。対戦相手の分も出現するのは、単にフェアプレイの精神が重んじられるからというだけだ。もちろん、使いたくなければそれでも問題ない」
波彦に真偽は判断できない。
聖杯戦争に対する知識が乏しいためだ。
なので、セイバーに尋ねる。
「セイバー、どう思う?」
「嘘は言っていないように思われます。ただ、せっかく用意していただいたものですが、辞退させていただきましょう」
如月がセイバーの選択に口をはさむ。
「そりゃまたなんでだ?」
「いえ、単に慣れないものを着用したことによって、動きが制限されることを危惧しただけでござる。お気遣いは感謝します」
「そうかい。それじゃ、そろそろ試合開始だ」
ゴムボールを挟んで、並び立つ両雄。
一方の二人は木製のプロテクターを着用して、でーんと仁王立ち。
もう一方は愛刀を構えて、いつでも攻勢に移れるように。
「そのまえに、おまえるーるしってるのか?」
「いや、申し訳ないのですが存じ上げません」
「そうか。じゃー、おしえてやる」
「かたじけない」
双子の適当な語り口調で、本当に伝わるように話してくれるのかと、少し不安に思いながら次の言葉を待つ。
「まずなー、きゅうぎしようってんだからぶきはつかうなー」
「るーるいはんだぞー」
なんとも至極まともな注意勧告を受ける。
「そうでしたか。これは失敬」
飄々とした態度で、刀を鞘に納めるセイバー。
それを見て、双子は揃ってうむと頷く。
「このきゅうぎでは、ぼーるをてでさわっちゃだめだ。あしやおしりやあたまだけ」
「んでもって、じぶんのわっかのなかにとおす。いじょう。しつもんあるか?」
非常に短い説明だった。
ただ、言いたいことは分かった。
つまり、サッカーのように手を使わないでボールを扱うこと。
そして、壁面の高い位置にある輪っかにボールを通すことを目的とするスポーツということだ。
「一つ聞いてもよいでしょうか? 負けるとどうなるのでしょう」
波彦は、競技のルール把握に焦点がいっていった。
忘れかけていた最も大事な箇所にメスを入れてくれるセイバー。
「敗北条件を満たした場合、もしくはルール違反があった場合には、相応の報いを受けてもらう。ただ、もしそちらが勝ったのなら、その時点でこちらの聖杯戦争からの敗退が決定する」
相応の報いが何かというのを教えてもらいたいところだ。
ただ、わざわざ自チーム側の敗北時のペナルティーと分けて話したということは、同一のものではないのだろう。
すなわち、このふざけた空間での球技に負けたとしても、聖杯戦争からの即時敗退はないと考えてよいということ。
「気楽にいこうセイバー」
「はい」
そうして、戦いの火蓋が切られた。
「せんこーはゆずってやる」
「じぶんのまえにあるのがじぶんのわっかだからな」
双子の言葉が終わるより前に、セイバーはボールとの距離を、一足飛びで詰める。
そのまま、左足で踏み切り、右脚を振りぬく。
ドッ、と重たい音がした。
ボールが完全な球形をしていないのに加え、へこみもする。
力がかなり吸収され、蹴りの衝撃の割には、ボールの勢いは弱い。
だが、セイバーはそれも予測済みだった。
ボールがスピードを緩めるより前に、さらに脚を踏み出し追撃を加えて、自身に用意されたゴールを目指す。
「このまま決めさせてもらいましょう」
あっという間に双子たちを抜き、壁際まで達すると上空のゴール目掛けて、ボールを蹴り上げる。
そして、そのまま垂直に近い壁面を駆け上がりボールを追う。
輪っかの高さにジャストのタイミングで、蹴り上げたボールに追いつき、後は蹴り込むだけ。
勝負は、あっさりと決まったかのように見えた。
しかし、それは罠であった。
この球技に関しては、双子の小人たちの方が何枚も上手。奇襲を仕掛ける手合いなど、幾度も破ったことがあると言わんばかりの動きを見せていた。
「ここまではこんでくれて、ごくろうさまだ」
いつの間にかゴール前に先回りしていた一人。
彼のヒップアタックにより、ボールは反対側のゴールに一直線。
「む……」
セイバーは空を蹴る。
勢いのまま空転して、壁に背を向ける姿勢になったところ。
ギシリ、と石の壁が軋むほどの音で蹴って、ボールを追いかけようとする。
しかし、手遅れだった。
「ないすぱす、あいぼー」
もう一方の双子が、片割れが自分のゴールまでボールを運んでくれることを信じて、ゴール前に張っていた。
正確なパスを、絶妙なタイミングでヘディングシュート。
無慈悲にも、ボールはゴールの輪っかを潜り抜ける。当然な結末。
まさに、瞬く間の出来事だった。
この球技に精通した双子。
おそらく、一人だけであったとしても、セイバーに勝利を収めていたのだろう。
それが、二人いるとなれば、もとよりこのゲームの勝機など皆無だったのだ。
「よし、ないすげーむ!」
「すげーたのしかった!」
双子たちは、ハイタッチで勝利に酔いしれている。
セイバーは仕方ないと、静かに目を閉じ気持ちを改める。
そして、腰の刀に手を懸けた瞬間。
――世界が霧散する。
石造りの球技場神殿は目の前から消え去る。
広く開けていた空間は閉じ、いつの間にか再び狭い路地裏に戻っている。
そして、位置関係も空間が圧縮されたように、元の関係に戻る。
すなわち追い詰められた波彦たちと、追い詰めた如月たち。
先ほどまでの戦いが茶番だったかのように、再び強い緊張感が走る。
「球技では負けましたが、こちらでは――」
といって、未だ勝利の余韻に浸っている双子たちに有無を言わせず斬りかかろうとするセイバー。
――かっ、からん。
と、結果はアスファルトに鉄の転がる音。
セイバーが、しっかりと刀を握りこめずに、すっぽ抜けて落としてしまったのだ。
慌てて刀を拾い構えなおすセイバー。
その顔には、波彦が今まで見たことがない焦りが見られた。
常に冷静に物事を俯瞰しているような言動のセイバーには不釣り合いな表情。
「これは……ステータスを下げられてしまっている?」
「気付いたか、それが敗者へのペナルティーだ」
如月が、どうだと言わんばかりに、力強くセイバーを指さす。
「もとどおりのちからはだせないぞー」
「いちにちぐらいは、そのままだぞー」
相変わらず、言わなきゃバレないような情報まで丁寧に教えてくれる双子たち。
とはいえ、これはピンチであった。
剣術の達人が、自らの体の一部と言える刀を取り落してしまうほどの身体能力の低下。
双子の球技での勝利は、ほぼ確実であるから、デメリットもほとんど意味をなさない。
茶番のように見えた宝具であったはずが、追い詰められた今になって、その恐ろしさを思い知らされてしまう。
「アーチャー追い詰めろ」
「おっしゃー」
「やるぞー」
明らかに、球技をやる前までの力が出せていないセイバーに対して、吹き矢攻撃が再開される。
今までの、死角から放たれるものではなく、見えている場所からの攻撃。
しかし、それまでとは違い、セイバーは矢をさばき切れていない。
いや、今までのように死角から放たれていたのなら、もう立ち上がっていることすらできないほどだったかもしれない。
押されている。
矢が放たれるごとに、その威力を制しきれずに、肌に衣服に一筋の切り傷が刻み込まれていく。
それでも、セイバーは気迫で猛攻を耐えしのいでいた。
けれど、一射。
僅かに反応が遅れたことによって、そらし切れなかった矢が深く身をえぐる。
そして、耐え切れずに、セイバーが片膝を地につける。
「くっ……」
セイバーの小さな身体に隠されていた波彦が露わとなる。
無防備で、双子の狩人の殺気にあてられる。
『主を殺すことによって同時に従者を殺すことが可能』
ふいに、その言葉が思い出された。
まさに現在、波彦は容易に殺されてしまう一般人であった。
ベッドで寝ているところを狙われて、間一髪でセイバーに救われたとき。
あのときは、パニックの方が勝っていて、正しくことの重大性を認識することができなかった。
だが今、無防備になって、危機に直にさらされて、ようやっと気付いた。
自分は、今まさに、生死の瀬戸際にあるのだと。
「はぁ、はぁ、は、は、は、」
気づけば呼吸が異常なまでに早くなっていた。
制御できずに、喉が、肺が、身体が空気を求め続ける。
一旦、深呼吸でもしないと、この症状は治まらないと頭が答えを出す。
しかし、そんなことをこの状況が許してくれるはずもなく、
――しゅっッ
と、矢が感情もなく放たれる。
眉間を貫かれた。
そう思ってしまった。
痛みが来るのを待っても一向に来ない。
そこで、ようやく、目の前の侍が刀の先を天に向けていることに気づく。
どうやら再び、セイバーに助けられたらしい。
見開かれていたはずの波彦の目には、その瞬間の残像さえ残されていなかったのだが。
「させ……ません……」
刀を杖にして、傷だらけの身体に鞭を打ち、立ち上がるセイバー。
今一度、波彦を守るため、アーチャーに立ち向かう。
無傷の波彦は、膝を振るわせて、ゆっくりと両の手を頭の上にかぶせる。
そしてゆっくりとしゃがみこみ、現実から目をそらすように、目を閉じた。
「はんっ……」
と、小ばかにしたような鼻を鳴らす音を、耳がとらえたような気がした。
閉じこもった世界の外では、しばらく同じ音が続いた。
空気を静かに裂く音。それを弾く金属音。布の小さく避ける音。肉の小さく避ける音。
オーーーーーーーーーン。
その継続を断ったのは、遠くに響く声。
獣の遠吠え。
巷で噂される都市伝説のひとつ。
その後、音が止み、世界が静止したような気がした。
「ようやく、本命が現れたか」
わざとこちらに聞こえるような、お前たちは余興に過ぎないと投げかけるような、キザったらしい声。
「こっちはやめかー」
「んじゃ、またなー」
戦場においても呑気な二対の声。
余裕を含ませる駆け足の音が少しずつ遠ざかっていく。
やがて、その音も聞こえなくなる。
アスファルトに突き立てられた金属が滑る音。転がる音。
遠慮なく身体が地面に叩きつけられる音。だが、あまり大きな音ではない。
その後に待ち受けた静寂の重圧。
波彦は耐え切れずに、胃の内容物を戻した。
路地裏の奥の掃きだめのような臭いの中に、真新しいすえた臭いが加わった。